07/19/09:00――ハクナ・情報の取得量
いつもなら陽が高い位置にあるはずの時間だが、風に乗って流れてきた雲からは小雨が降り始めていた。きっと本降りにならなかったのは幸運だったろうし、けれど雨が降ったのさえ彼らにとっては幸運だっただろう。
おおよそ三時間後、最初に接敵した百人の元へ僅かだが水と食料を運んだハクナは、歩いてきた道を振り返ってから、ふうと吐息を落として自動運搬式の荷台を停止させた。
ざっと見渡した限り、まだ地面から抜け出ている者はいない。けれど、この短時間では――三時間だが――衰弱している者も少なそうだった。
「おう」
「ん」
ここに来るまで、ずっと荷台の仕組みを調べていたコウノから声をかけられ、頷く。敗残兵の処理は面倒だと言って、イザミはついて来なかった。一応護衛としてリケーゼも一緒にはいる。
「――おい、聞こえるか」
面倒そうに、コウノは言う。かなり近くまで接近していたので、こちらに注目しているから話は早い。ぽんと地面を足で叩けば、それだけで波打ち、局地的に柔らかさが作られる。
「まだ戦争がしたいやつ、負けを飲めないやつ、俺の言うことを聞かずに逃げ出したい馬鹿――そういうやつは、動いていい。五分やる。ああ、両手くらいは土の上に出しても構わない。ただ、腰は上げるな。その時点で死ぬからな」
もぞもぞと、遠慮がちに全体が動き出す――が、その途中で血飛沫が勢いよく舞った。
「――ああ、気をつけろ。今でもまだ〝戦時中〟だ。始めたお前らに忠告するなんてのはお笑いだが、一応教えてやる。戦場では今までの常識は捨てろ」
コウノは取り出した煙草に火を点ける。
「戦場では、個人に成果はない。部隊なんてのは、やれと言われたことを、ただやるだけの駒だ。結果も、成果も、それは全部国のものでしかない。殺した人数を数えるな、殺された仲間だけ背負え。全ての考えを捨てろ。考えるのは二つだけだ。生き残れ、隣のクソ間抜けを守り切れ――戦場じゃ、それができない馬鹿だけが死んでいく」
また、一人の首が飛んだ。
コウノはただ、煙草を吸っているだけなのに。
「――ここは、闘技場か?」
返事を期待しない問い。
「ここでやるのは戦闘か? 違うな、お前らは何もわかっちゃいない……だから、それを理解してるやつらに殺される。わかっているか? 今、お前たちが生きていられるのは、あいつが甘くしてやったからだ」
いつしか、黙って耳を傾けている。怖さを抱きながらも、目を逸らせず、耳も塞げず、たぶん本人たちも意識せず、注視していた。
「あいつは、戦意を失くしたのならば、お前らを助けろと連絡を寄越した。これほど甘いことがあるか? 仮にもここは、お前らが起こした戦場だ。これは戦争だ。生かしておくなら、背中に爆弾を隠して身動きを封じたトラップにする。首だけにして相手に突き付けて動揺を誘う。死なない程度に痛めつけて、命からがらに逃げ出させて相手の反応を窺う。恐怖という恐怖で、裏切らせた上で死に駒にする――使いようは、いくらでもある」
「ふざけるな!」
「そう、たとえば――」
立ち上がらせたのは、怒りなのだろうか。どうでもいいと思いながら、コウノは立ち上がった一人の傍にまで歩いて行くと、右手にナイフを組み立てる。
「――見せしめにするって方法もある」
足の健を斬られた男が、何が起きたのかもわからずに倒れる。軽く蹴飛ばすよう仰向けにすると、コウノは肩を外して身動きを封じると、さてと、先ほどと何ら変わらない態度のまま、しゃがむようにして。
「まずは親指から」
切り落とす。順番など、どうでもいいのだ。上げる悲鳴が大きければ大きいほど、恐怖の波は強く深く広がっていく。
あくまでも殺さないように、致命傷を避け、痛みだけを与える。拷問ですらない、何故ならば聞きたいことなど、ないからだ。
悲鳴が、だんだんと小さくなっていく。
「……静かになってきたか。いいか、できるだけ致命傷は避けて痛めつけるのがいい。俺じゃなくたって、このくらいのことはやる。どれだけお前らの運が良かったのか、身に染みる話だ。……ん? どうした?」
「た……たすけ、て……」
「なんだ、まだ話せたのか。――当然だな、そうしてる。よく聞け、見せしめってのは、助けてくれって言いだしてからが本番だ。それが、――殺してくれ、に変わるまで続ける」
見ていられない光景と、そう呼ぶべきなのだろうけれど。
ハクナはそれを見ながら、欠伸をするくらいの余裕があった。自分の仲間がやられていないから? 否だ。
戦場ではそんなことが、当たり前に行われるなんてこと、よく――よく、知っているからだ。
いくら後方支援であるとはいえ、ハクナだとて、こうなることを〝覚悟〟している。
殺すことがあるのならば、殺されることもある。
命くらい、賭けのテーブルに乗せなければ、戦場になど出てこれない。
「だから、ちゃんと見ておいた方がいい」
「――っ」
その凄惨な現場から、目を逸らしていたリケーゼに、珍しくハクナは言葉を放った。普段ならわれ関せず、なのだけれど。
「騎士制度は、ルール」
そして、その言葉は彼らにも聞こえている。
「ルールは束縛じゃない。守るためのもの。制度を〝無視〟すれば、守るものはなくなる。その身一つで、自分を守らなくちゃいけない。――〝旅人〟なら誰だって知ってる。だから、旅人はその場所で、その場所のルールに従う」
だから、見届けるべきだと思う。
「〝ここまでする必要があるのか?〟」
きっとそれは、誰もが思ったことだろう。
「答えはイエス。戦争では、戦場では、自分たちの命のためなら、何だって、やる。やらなくちゃいけない。間違いも、正解もないから、やるしかない。だから目を逸らさない方がいい。――〝ルール〟がない世界は、今、ここにある」
ハクナが言葉を終えてから、遅く。
血の海に沈み、それでもまだ生きる男が、殺してくれと、小さく掠れた言葉を出して、コウノはその時点でナイフを分解すると、新しい煙草に火を点けた。
「――見ておけ。追加時間だ、そいつが死ぬまで見届けろ。〝仲間〟なんだろう?」
小さく笑いながらの言葉に、完全に彼らの心は、折れた。
ぽっきりと。
戦意すら思い浮かばないほど、行動すらわからないほど、――恐怖に呑まれた。
「ったく……俺に後始末を任せるとは、チィマもまだまだガキってことか」
「……? 私もまだ、ガキだけど」
「――、はは、そうだったな」
ぽんと頭に手を当てられ、ぐりぐりと撫でられた。だがハクナは大人なので抵抗はしなかった。ガキだが。
「リケーゼ」
「あ……は、はい!」
「抵抗するやつは殺せ。――お前にそれができるか?」
「――」
「それが戦争だ、リケーゼ。言い方は悪いが――お前の〝守るべき国〟はどこにある?」
それがどこにあって。
守るためにはどうすべきか。
「それでもと、決めたものが、戦場の中での、自分のルールだ。覚えておけ、リケーゼ」
「ルール――?」
「ハクナ、お前らのルールはなんだ?」
「ん? 一般人には手を出さない……? だと、思うけど」
「曖昧だな」
「ほかは知らないだけ。勝手にやってるから」
「勝手に、か。まあ確かに、手助けは必要ねえだろ。チィマもいる」
「うん」
「んで、ハクナ、お前はどう見る」
「なにが?」
「チィマのことだ」
「あー……」
あまり口を挟まないし、基本的には無関心。けれどそれは、考えないのとは別だ。
「煙草ちょうだい」
「吸うのか?」
「うん、サクヤいないし」
ほれと、箱を渡されたので、久しぶりにハクナは煙草を吸った。といっても五日ぶりくらいで、こっそり吸っているのをサクヤに見逃され続けているのだ。それをハクナ自身も知っているから、たまにしか吸わないようにしている。
「チィマは、怖いね。なんか……見方が、違う」
「へえ……どう違うか説明できるか?」
「厳密にはわからない。ただ、私たちは〝解決〟っていう落としどころへ向かうけど、チィマは〝落とさない〟っていう方法を知っていて、それができるとは思う。なんだろ……たとえば」
そう、この先に、もしも。
「ヴァンホッペの国王が、戦争をやめないと言った時、サラサとギィールは王を殺すと思う。そうすれば瓦解するし、解決する」
「だろうな。部隊は半壊して、武器の生産工場でも壊した上でなら、次への準備に時間はかかるだろうし、お前らの求める結果は得られる。手早く面倒も済ますことができるな」
「でもチィマは、……なんだろう。予想だけど、じゃあ続けようかって言う気がする」
「どう続ける?」
「王を椅子に座らせたまま、その関係者を殺し続ける。やめると言い出すまで、やる……かな?」
「その結果の違いはなんだ」
「うん……私たちの方法だと、時間は稼げる。次は、十年か、二十年か、そのくらい? でもチィマの……チィマが、もしも、それを実行したら、次はたぶん、ない」
何故なら。
「国そのものが、瓦解するから。次の王は選ばれない。王という存在が裸になる。そこにいても、いないのと同じ。どうであれ、一つの〝国〟として、成り立たなくなるから」
王がいなくなれば、次の王が生まれる。何故ならば、国とはそういうルールだからだ。逆に言えば、王がいる以上は、次が生まれることはない。仮に自殺したとしても、もう遅い――周囲に人間はおらず、空っぽの王城がぽつんとあるだけで、なんの意味も持たなくなる。
そして王とは。
そんな状況になるまで、一度言ったことを曲げるような真似は、しない。
「――あ、そうか。チィマは」
違う点を、見つけた。
「相手の見方が違うんだ……。戦術じゃなくて、落としどころ。チィマはたぶん、ヴァンホッペの側に自分がついたら、どうやって〝落とす〟かまで考えてる……?」
どう攻めるか、ではない。
結果、負けた時にどう負けるのか。勝った時にどう勝つのか。
もしも自分が――ハクナや、サラサや、ギィールたちと敵対して、相手側についた時、どうするのか。
裏切る気が一切なくても、それは。
きっと彼にとって、考えない理由には、ならないのかもしれない。
「いいか、ハクナ。あとでサクヤにも伝えておけ。総勢は約一万だとしよう。こいつらがイウェリアに到着して、――どうするつもりだった? イウェリアの、何を、得ようとした? その〝核心〟について、口を噤んでいるのはオリナだが、その答えにたどり着くのはそう難しいことじゃない。だとして、何故イウェリアだったのか? その答えが、戦争の先にある。だからチィマは、こっち側についた。少なくとも一つの理由としてな」
「……あれ?」
「そうだ」
何故、その先にある疑問。あるいは、それよりも前にあった問題が一つある。
「いつから? そして、どこまで――だ、ハクナ。こと場の流れを追うことに関しては、お前らよりもチィマの方が一枚上手だな」
言われる前に気付けよ、なんて言われるが、そこまで求められても困る。
「まあいい、戻ったらどうだハクナ。ここは俺がやっておく」
「あ、うん。よろしく」
「……お前、面倒が減って助かったって思っただろ」
「うん」
素直に頷けば、小さく肩を落としてコウノは苦笑した。
――しかし。
「……いつから、か」
正直に、そういう流れを読むのは苦手だ。起承転結、何がどうなって終わったのか、それを読み取ることはそれほど難しくはないが、それは帰結、つまり終わってしまったものの過去を探る作業だ。いわば完成している建造物から、それがどのように作られたのかを把握し、そこに含まれる歴史を探る。それは疑問に思うこともなく、当然のようにハクナがしてきたことだ。
けれど、今はまだ、結果が見えていない。であるのならば、まだ終わっていないのならば、どこがハジマリだったのかも、歩んできた道が途切れていない現状では、確定しないはずで。
また同時に、それを考えることが必要なのかとも思う。
いや――そうではない。
どんな局面において必要なのかと、考える。
現状を見てみよう。
結果として戦争を終わらせ、あるいは止めた時点で、こちらの目的は達成させられる。あくまでも目指すべきは王城の地下であり、そこに立ち入るための〝許可〟を得るために、参戦しているに過ぎない。
この時点で、別の方法もあったのだろうとは思う。戦争になど参加せずとも、地道なものも派手なものも、確かにあったはずだ。
けれど今は参戦している――その選択は、サラサのもので、賛同はしたけれど、結果を得るのもまた、サラサだ。
どうしてもこうしても、それが目的なのだから、達するだろう。
――だとして。
落としどころを考えるのは必然だ。全体を動かし、相手の行動を考慮し、目的を阻害する形であっても、何かしらの〝落ち着く〟状況にしなくては、戦争そのものが続いてしまう。今回の場合は、どうであれ、相手の国王に止めると、頷かせればいいだけのことだ。
コウノはだが、こう言っている。
その流れはどこから始まって、どこまで行くのかと。
その核心は、こうだ。
果たして。
チィマ・ジェイリエールという人物は、どこまで知っていて、どこまで流れに身を任せているのか――そう。
どこまで把握しているのかと、そういう問題だ。
危険視しているわけではない。それは〝強さ〟の一種だ。思考能力とも言えよう。
ぽつんと、足元に落ちている石から、どれほどの情報を読み取れるのか――そういう話だ。
残念ながらその点において、ハクナはよくわからない。ただ、その結果として、チィマは場の動かし方をよく知っていると思えた。何をどうすれば、どうなるのかを知っている。だとして、それは。
――流れを〝作る〟ということではないのか?
短くなった煙草を消したハクナは、目を細めて雨雲に覆われた空を見上げる。
とりあえず、とっとと状況が終わってくれないかなと、そんなことを思った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます