07/19/06:30――チィマ・戦場の流儀

 相手の動きが完全に見えてきた当日の朝、最後尾ラインに位置する天幕から出たチィマは、フルールとギィールの二人を見送ってから、大きく伸びを一つした。戦場の匂いがないのは、まだ戦闘が開始されていないからであって、これから数時間後には接敵の予定だ。

 サラサはいない。準備がある、とのことで、サクヤとハクナを連れて〝迷子〟になっている最中である。そこらの仕組みも想像はつくが、あえてチィマは聞かないようにしていた。必要ならばいずれ、である。

 湿度がやや高いのは、朝方という理由だけではないだろう。平地であり、標高も低いため、湿度が溜まることはない――となれば、雨の気配か。それ自体は有利不利もなく、問題もないが、相手はどうだろう。雨の度合いにもよるか。


「――おう」


 声に、肩越しにちらりと見てから、チィマは嫌そうな顔をして吐息を一つ。

「って、なんだその顔は」

「いやな? いいか校長さん、きっぱりと辞表を突き付けて辞めた俺がだ、どうしてこれから挑もうって戦場の前に、あんたが来るんだ? どういう悪趣味な展開だよ」

「こっちはオリナさんに呼ばれただけだ。お前がいるなんて聞いてない。それと校長はよせ、退学したんだろうが」

「そうだったな、リケーゼさん。護衛、見届け役に選ばれた理由については――どうせ、先代だか先先代だかの関連だろ。まあいいんだけどな。余計な口出しさえなけりゃ、俺としては黙っておくよ」

「ふん」

 チィマは、左手を自分の影へと伸ばすように上体を倒すと、引き抜くような動作で白色の外套を具現させ、右腕から袖を通す。手首まである長い袖の肩付近には、右側だけに赤色の紋様が描かれており、翼を広げた龍に似ている。そして背中には、黒色で円形を主とした家紋のようなものが大きく描かれていた。

「戦闘衣か?」

「ん? まあ、そんなもんだ。さすがに学生って立場だと、こいつを羽織ることは、俺にとって許されないことだったからな。つーか、学生が戦争に参加しちゃ駄目だろ……」

「それだけの実力を持ちながら、なんの理由があって学生でいたんだ?」

「思いのほか――楽しかったんだよ、学生って生活が。だからあんたは誇るべきだ。そういう環境を作ってるんだからな」

「そうか……」

 フォローする言葉もなかったので、さてどうしたものかと思っていると、コウノが天幕横にあった宿泊用テントから顔を見せる。起きていたのは知っていたが、まだ中で休んでいたと思っていたのだが。

「来たか、リケーゼ」

「はい、遅くなりました」

「まだ始まってないんだから、いいだろ。そっちの中にオリナがいる、挨拶しとけ」

「ありがとうございます」

「敬語かよ……堅苦しいなあ」

 近づいてきたコウノは、流れで煙草に火を点ける。老いたとは思わないが、白髪が多く見えるようにはなってきた。

「俺らとリケーゼは、そもそも立っている場所が違う。並べはしねえよ」

「いや、そこに俺を含めないでくれよ……」


「――着るのか」


 隣に並ばれ、手を出す前に煙草の箱が投げ渡されたので、一本だけ引き抜いて箱を返すと、チィマは術式で火を点けて、久しぶりの煙を吸い込み、――ゆっくりと吐く。

「仮にも戦場に出るんだ、必要だろ」

「話したのか」

「いや……カイドウさんに口止めされてる」

「そうか。……正解だろうな。どこまで覚えてる」

「師匠に拾われてからの方が楽しくて、あんまり。ただ、生き方は忘れてない」

 あるいは、変われなかった部分だと思う。本質と言えばチィマは嫌な顔をするだろうけれど、性根の部分にどうしても引っかかってしまうような、どこか泥臭い生き方だ。

 だが、それを証明するのが、この外套だ。ある種の戒めでもあるけれど、誇りでもあった。

「今からなら、二十時間」

「……ん?」

「お前が〝単独〟でこの戦場に巻き込まれた場合における、必要時間だ。周囲の目を気にせずに、生き残りを〝賭け〟た戦場こそ、お前が得意とする状況だろう」

「得意とか、不得意じゃないだろ、コウノさん」

「そうだな。――慣れた、戦場か」

「ありがたい気遣いだな。日常と言ってくれないだけ、安心する」

「安心か?」

「そうだ。まだ俺は笑っていられる、楽しんでいられると、安心する。つっても……ここでの用事が終わったら、六番目を目指すみたいなことを言ってたけど」

「お前もか」

「ま、そのつもり。いつかは通る道だと思ってたからな」

「……」

「んなことより、まずは目の前のことだろ。コウノさんはここで、サクヤさんとハクナさんを頼むよ」

「俺が手を貸すような事態にはならん」

「買いかぶりだ」

「いや、お前らならどうにかする」

「ああそれなら間違いはない」

 チィマ一人ではなく、全員を指すのならば、それは正解だ。

「チィマ」

「ん?」

「どうせなら、全部見せてやれ。お前の〝やり方〟を、教えてやれ。旅をする仲間なら、そのくらいは明かしておいた方がいい」

「……諒解だ。引かれなきゃいいけど」

「その心配は必要ない」

 二本目を口にしたコウノは、押し付けるようにしてチィマの手に煙草の箱を乗せた。

「やる」

 それだけ言って、コウノは背を向けてしまった。師匠であるリンドウに拾われてからは常習しなくなった煙草なので、どうしたものかと視線を落とすが、少し考えてから外套のポケットに入れておく。

 しばらくは、ぼんやりと天気の様子を見ていたが、人の出現した気配に振り返れば、サラサたちが姿を見せていた。

「お待たせー」

「おう」

「そっちの準備は終わったみたいだね」

「術式での映像経由関係だけど――あれ、なにその外套。格好いいじゃん」

「ありがと姉ちゃん。まあ、俺の戦闘衣みたいなもんだ。目立つのも含みでね。ギィールさんたちはもう出たけど、こっちも?」

「うん。このペンダントつけて。離れてても会話ができるから」

「電波通信。一定周波をキャッチしてリンクする機械。私が作った」

「へえ――凄いな、それは。離れていても状況伝達ができるなら、好都合じゃないか。サラサ姉ちゃんに愛を囁くのも、じゃあ駄目ってことだな」

「え?」

「……え?」

「聞かれてもいいけど」

「こっちに聞く趣味はねえよ!」

「俺も聞かせる趣味はないんだけど……」

「あはは、じょーだん」

「ってことで、行ってくる。後ろはよろしくな、サクヤさん」

「おう、補給食にも期待しとけ」

 挨拶は軽く、ここからはサラサと二人で歩いて行く。それほど早くはないが、一応は計算された速度だ。

 そういう細かい部分において、計算もせずに〝合わせる〟のが、サラサという女である。

「姉ちゃん、こっちのフォローはいらないからな」

「うん。私のフォローもしなくていいよ。でも、チィがどんな戦い方をするのかは気になる」

「俺の、か」

「だって見てないもん」

「それを言うなら俺だって姉ちゃんの戦闘は見てないぞ?」

「じゃ、――予想がつかない、でいいかな」

「ははは。……さっき、コウノさんに言われたよ。旅をする気があるなら、とりあえず全部晒しとけって」

「お、前向きになった?」

「まだ考えてはいるし、それはたぶん、ぎりぎりまで考えたままだろうな。けど、手の内を隠すにしたって、程度がある」

「でも戦場経験ないんでしょ?」

「まあな。でも――俺の〝やり方〟は、あまり褒められたものじゃないと、そう思う。できるだけ被害は少なくするつもりだけどな」

「じゃ、そのつもりでいるね」

『こちらアルファ、デルタ。地上にて目標発見。想定通りです』

「お」

「はーい。ブラボー、チャーリー共に進軍中。接敵したら報せるね」

『なんで自然にフォネティックコード使ってんだよ……まあいい。本部諒解、気楽にな』

 お互いに声が届くのかどうかを確認しただけだが、この様子なら連携にも問題はなさそうである。

 他愛もない会話をしながら一時間も移動をしただろうか――部隊の姿が見えたので、報告をサラサに任せてチィマが先頭に出た。相手はというと、一度足を止める選択をしたようだ。


「――遠足かよ」


 小さく、言葉を吐き捨てる。風が少し出て来た、天候の変化を後で言っておこうと思っていると、百人前後の部隊から一人だけが、こちらに出てくる。軽装、だが大剣。そういやリケーゼも似たようなスタイルだったなと――。

「何者だ?」

 誰何に対し、詰まらなそうにチィマは自分の騎士証を見せる。サラサも同様にしていた。油断を誘うには楽な判断だが、しかし。

「あんたらを今から潰そうって連中だよ。実働は俺らを含めて四人ってところだ」

「……はあ?」

「わからないなら、はっきり言ってやろうか、クソ野郎。でけえ声で言ってやる――てめえらと戦争をするのは俺たちだ! はははは!」

 サラサが跳ねるようにして後退して間合いを広げた直後、地面が波打ったかと思えば、百メートル範囲で沼地へと変化し、気付いた時にはもう腰まで沈んでいる。抜け出ようともがけばもがくほどに深くなり、ついには、一人残らず肩ほどまで埋まってしまうと、すぐに術式を切って元の地面に戻してしまった。

「――よう、クソ間抜けども。遠足と戦争は違うものだぜ? 何しろ、賭けてるものが違う。こいつは遊びじゃない……てめえの命を賭けた、戦争だ。指揮官のお前は、その肩に随分と、命を背負っていたはずだが、どうなんだ?」


 笑う。


 できるだけ大げさに、声だけで笑う。決して楽しさを表現するためではないことを、相手に教えるように。

「さて――ここに一本のナイフがある。聞こえるかお前ら、つーか聞いてないと死ぬから気を付けろ。そら、よく見ろ、こいつを空に放り投げると――」


 一気に、ナイフが具現した。まるで空を覆う障害物のような、それは。


 その数は、百本ある。


「酒場でダーツ、やったことあるか、お前ら……」

「や、止めろ」

「なんだ、遺書の用意がまだか? だったら仕方ない、遺言を考える時間をやろう。俺は優しいからな」

 やはり、笑いながらひょいひょいと中に入ったチィマは、軽装の相手を適当に見つけ、露出した肩を握って軽く引っ張り、土から取り出した。

「あ……」

「あんた運がいいな。回れ右して、情報を伝達する役目をやるよ。ただし、俺が話し終えて三十秒後に、ナイフは全部地面に落ちる。それまでに範囲外へ逃げないと――まあ、よくない結果になるな?」

「――っ」

 くるりと、そこで背中を見せれば、状況に呑まれた男はすぐに背を向けて走り出す。ここでチィマに挑むだけの気概があったのならばそれも一興だったが、そもそも、その男への文句を誰も言わない辺り、錬度の低さも窺えた。

「さて諸君、遺言は考えたか? ――だが残念なお報せがある。悪いがその遺言を届ける相手がここにはいない。戦争を始めた野郎と、ここまで来ちまった己を恨め」

 ぱちん、と手を叩けば、ゆっくりとナイフが落ちる。最初は六本、続いて十二本、悲鳴をかき消すようにして次第に勢いを増したすべてのナイフが――突き刺さった。


 すべて地面に、致命傷を与えずに。


 引きつるような、荒い呼吸の音だけが、残った。


「――よく考えておけ。〝現実〟はこんなに甘くはない」


 突き刺さったナイフを一本だけ引き抜いたチィマは。


「そして、指揮官ってのは〝責任〟を取る人間だ」


 最初に話しかけて来た男の首に、そのナイフを突き刺した。


 サラサと二人で、ほぼ首だけの場所を通り過ぎながら、階級の高いだろう相手を六人だけ殺害して、その場を抜ける。渓谷に到着するまで、このペースで歩けば三十分くらいか。

「本部、こちらチャーリー」

『おう。えげつねえ真似をしやがるぜ』

「でも最小限の被害じゃん」

「フォローありがとな、姉ちゃん。首だけ出して埋まってるから、三時間後くらいに救出してやってくれ。もしも抵抗するようなら殺して構わないからな」

『オリナに手配させる。渓谷に到着したタイミングでギィールが動くからな』

「はいよー」

「諒解。……っていうか姉ちゃん、避けたな」

「すげー嫌な感じがしたから」

「そう? 被害を最小限にして、楽な方法でって考えた結果だけど」

「私だと指揮官殺して、どうしようって感じだったから」

「散られると厄介だからな、ああいうの。心を折りに行った方が楽だ」

「でも、どうして一人逃がしたの?」

「予想はできてるけど、相手の対応を見たかった。まだこっちは〝旅人〟であることを明言してないからな、あくまでも10等と8等の騎士二人。そんな相手にこのザマなんてのを、果たして真に受けるか?」

「おー、さっき言ってた甘くない〝現実〟ってやつか」

「まあな。どっちにせよ〝気構え〟をさせることはできる。冗談だろうと取り合わなくても、真面目に受け取っても、情報が渡れば対応する。しなくても、俺らが行けば対応せざるを得ない。――ぽんと、落ちた目の前の〝現実〟に反応を見せれば、こっちは簡単に釣れる」

「動揺を誘うってこと?」

「そんなもん。感情の揺れ動きってのは、それがどっちであれ〝傷〟になるからな」

「そう……かな?」

「ん、ああ、そうだな。対一戦闘の場合はまた違うんだけど、相手が部隊ならね」

「そっか」

「――で、戦場の流儀を一つ教えようか、姉ちゃん」

「ん?」

 笑いながら、チィマは足を止めた。サラサもそれに気付き、こちらを振り向く。

「渓谷で二手、出口は一つ。こういう場合は撃破数じゃなくて――」

「あ、突破して先に到着した方が勝ち?」

「負けた方は一杯奢るって寸法だ。乗るか?」

「同時だったら?」

「そん時にはサクヤさんに奢ってもらう」

「おっけ」

 じゃ、お互いに死なないように。

 ――始めようか。


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