06/19/20:00――ギィール・五年越しの報告
五年の間、一度もギィールはノザメエリアへ戻ることはしなかった。
それは必要がなかったからであり、けれど、フルールには逢いたいと思ったことは、それなりにある。だが、いざ港からノザメエリアに近づいて行っても、沸き上がるような気持ちはない。それはきっと、報告内容がそれなりに深刻なものだからだろう。
ノザメエリアに近づけば、おうと、声をかけられた。
「なんだ――へえ、見違えたぜ。久しぶりじゃねえか、ギィール」
「マッテオさん」
「おかえり。なんか縁が合うな」
「ただいま戻りました。確かにそうですね、以前もそうでした」
「一人か?」
「はは、報告に戻っただけで、旅はまだ続けるつもりですから、一人です。変わっていませんか?」
「まあ、だいたいな。しばらくいるのか?」
「といっても、せいぜい二日くらいですよ。なんというか、自分はふらっと挨拶もなく消えるように思われているらしく、あまり時間を空けると心配させてしまいますから」
「はは、笑い話だな、そりゃ。まあゆっくりしてけ」
「はい」
かつてはほっとしたものだが、中に入っても、どちらかといえばギィール自身が異物のように感じられてしまい、帰ってきたと、そう強く想うことはなかった。
それほど街並みに変化もないなと、ザックを背負ったまま、真っ先にギィールは研究所へ足を向け、挨拶をしながら――自宅に、戻って。
「ただいま戻りました」
しんと、静まり返ったその部屋の主が、やっぱりいないことを、再確認する。
もう、いないのだ。
どこにもいない。
暗い部屋のままでは嫌だったので、明かりを点けるけれど、妙に部屋が広く感じた。
――ああ。
これが、寂しさか。
「あの人にとっては良かったのでしょうけれど、自分は……」
どうだっただろうか。
やはり、戻ればいつも居ると、信じていたのではないだろうか――。
「――、はい?」
ノックの音が聞こえたので振り向けば、扉が開いて。
「やあ」
「フルール……ただいま戻りました」
「おかえり、ギィール。いいかい?」
「どうぞ」
言って、思い出したようにギィールはザックを下ろす。それから一息落としてから、お茶の準備を始めた。
「明かりがついたからね、もしかしてと思ったのさ」
「ええ、報告に戻りました。二日くらいでまた出ますけれど」
「そうかい。五年ぶりくらいかな? こう言っては何だけれど、大きくなったね、ギィール」
「ありがとう。お茶です、座ってください。先に報告を済ませます」
「うん?」
「サギシロさんが、消えました」
「……――ギィール」
「すみません、亡くなったのではなく、消えたという表現しかできませんので。ほんの数時間前に起きたことを、お話しします」
「詳しく頼むよ」
順序立てて、知っていることを話す。もちろんその内容は、ベルゼから聞いたことも含まれていて。
やや長い時間をかけて説明したあと、ギィールは深い吐息と共に俯いた。
「これほど、人を失うのが辛いのだとは、知りませんでした……」
「そうだね。サギシロにとっては満足だったかもしれないし、そこを否定するわけじゃないけれど、だからといって今の気持ちを誤魔化す必要はないんだよ、ギィール。それほど付き合いのなかったボクですら、どう反応していいのかはさっぱりだ」
「まあ、落ち込んではいませんよ」
「ならいいさ」
「そうだ、行った街の地図が溜まってます」
それを置きに来たのだと、足元のザックから紙を取り出してテーブルに重ねていく。
「大雑把に、どの辺りを回ったんだい?」
「あれから、とりあえずは四番目だと巡って、そこから五番目に渡りました。しばらくしてから、二番目に戻って挨拶をしたあと、こっちはまだだったと巡りまして、そこから七番目に行った、という順序ですね。とりあえず合流は三番目になるので、そこからはどうするか、また話し合いです」
「三番目か……ボクは反対かな。いっそのこと、一番辺りに行ってみようじゃないかと、意見具申するよ。まだボクにとっての帰郷は、鬼門になってるしね」
「へえ。――はい?」
「うん?」
「フルール」
「はは、まあそうだね、まずは先に聞こうか。ボクもその旅に付き添っていいかい?」
「自分は構いませんが、しかし、どういう心境の変化ですか?」
「それはね」
「――まさか、自分と離れている時間が寂しかったから、なんて理由は論外ですよ?」
「おや、言うようになってね、ギィール。けれど念のため言っておくけれど、それは嘘じゃない」
「知っています。自分もそうでしたから。けれど、理由にしてはいけないものでしょう?」
「やれやれ、降参だ、その通り。簡単に言ってしまえばね、サギシロがいないのならば、ボクがここに留まる必要もないのさ。それに今の君を見て思ったよ。旅というのは、成長を促せる――いや、成長しなくてはできない、かな? まあともかく、自由の身になったのならば、右も左もわからないボクは、君たちにいろいろと教わろうなんて、そう思ったわけさ」
「本音は?」
「楽しそうじゃないかこの野郎、ちゃんとボクも混ぜろ」
「あはは」
「笑いごとじゃなくてね。――失くして気づくものもある」
吐息が一つ、落ちた。
「サギシロがいないこの場所に留まる方が、ボクにとっては苦痛だ」
たぶん、それが本音なのだろう。
「それにね、ギィール。君との関係も進めなくちゃならない」
「――え?」
「君はもう子供じゃないんだ、ギィール。ボクにとっての君は、まだまだ手のかかる子供だった。でもどうだろう、五年も経過して君は随分と落ち着いて、ああ、……そうだね。はっきり言おう。ギィール、君は逃げるのをやめたんじゃないのかい?」
「……いえ」
少しそれは違う。決意もまた、つい先ほどのもので。
「やめたわけではないんです、フルール。ただ自分は、そろそろやめてもいいんじゃないかと、そんなことを考えていました」
「そうだ、君はそうやって、考えるようになれた。自立のための一歩? 違うよ、それこそが、その思考の差異こそが自立そのものだ。五年という歳月には、君がそうやって一歩を踏み出すだけの時間だった」
「随分と時間がかかったかもしれませんね」
「かかった時間ではなく、踏み出した一歩を考えるべきさ。そちらの方が価値はあるとボクは思っている。そして、どれほどの話を聞いても――君の五年間を、ボクは知らない」
大真面目な顔で、彼女は。
「それがこんなにも我慢ならないなんて、思わなかった」
そんなことを言うものだから、思わずギィールは吹き出してしまった。
「……ギィール」
「あはは、いや、はは、ごめん、ごめん。フルールがそんなことを言うだなんて、思ってもみませんでしたから」
「ボクを何だと思ってるんだ……」
「知っていますか?」
「なにが」
「――嫉妬と、そう呼ぶんですよ。あるいは独占欲」
「…………」
「え、なんで睨んでいるんですか、フルール。まあ可愛いですけど」
「今までボクが知らなかったそれを、教えたのは君だぜ?」
「自分にはちゃんとありますので、ご心配なく」
「……なんか強くなってないかい、ギィール」
「いつまでも子供じゃないと、そう言ってくれたのはフルールですが?」
「そういう切り返し、どこで覚えたのか、教えて欲しいものだね」
「自分の記憶にあるフルールの態度ですが」
「……」
「――、く、あははは! 普段から言葉数の多いフルールが、こうして沈黙するだなんて、これはなんていうか、珍しいですね、本当に」
「黙らせたのは君だよ、まったく……しかし、五年も続いたのならば、これから先も問題はないだろうね。いや、逆にあるのかな?」
「五年の間に問題が沢山あったと、そう言い換えていただければ」
「へえ?」
「まず、自分のサラサ殿が二人で行動していると、まず厄介なトラブルが起きます。これは街に入って、安全を確認した後……つまり、様子を見て観察した後ですね、だいたいは自由行動なのですが、自分とサラサ殿は行動が似てしまいますからね、ええ……」
「どういう類のトラブルなんだい?」
「とにかく厄介なんです。今回のことだとて、発端を辿れば、そこに行きつくのですが……彼女にその自覚がなかったのも一因ですね」
というか。
「……あれ、おかしいですね」
「うん?」
「トラブルの九割はサラサ殿が発生させていたような……自分あまり関係ありませんね、これ」
「犯人はお前だ! ――というやつか。ふむ、だがそれすらも楽しんだり経験になったり、そういうことじゃあないのかい?」
「フルールは楽しむかもしれませんね。思い出ですから、もちろん、そんなこともあったかと――割り切れ……ええ、なんというか……――」
口から言葉が出てこなくなり、ギィールは俯きたくなかったので、天井を見上げて、しばし黙ったあとに。
「そういえば」
「ギィール、話をここで逸らされると、ボクはちょっと怖くなるんだが……?」
「いえ、なんというか、解決そのものもサラサ殿がやるので構わないのですが、その解決方法もやや乱暴で、どう言えばいいか……これを機にもう少し、落ち着いてくれたらと願っているのは、きっと自分だけではないのでしょうね」
「頭が痛いのかい?」
「面倒なので直截しますが」
というか、今気づいたのだが。
「なんだかフルールに似ています」
「……――え? それってつまり、ボクに対して遠回しに、お前はもうちょっと落ち着いてろよっていう催促かい?」
「あれ、遠回しに聞こえたのなら、医者に耳を診てもらうといいですよ。キリエさんは、もうこっちにはいないんでしたか」
「言うようになったなあ……」
「昔の自分を引き合いに出して、しみじみと頷けば、年齢の話題になりますが?」
「嫌なふうに育ったな君は!」
「何を言っているんですか、ちゃんと自分はフルールが好きなままですよ。これは冗談ではなく。――そうでなければ」
その想いがなければ、乗り越えられない〝事件〟も、経験したのだと、ギィールは苦笑して言った。
「サクヤさんには、ハクナさんがいた。逆も然りです。サラサ殿には守護がついている。自分にはフルール、あなたがいました。だから」
そう、だから。
「サギシロさんがいなくなって寂しいけれど、――それだけで済んでいるんです」
「――」
気持ちを伝えれば、フルールは一度天井を見て、おもむろに立ち上がったかと思えば、椅子を手に取り、ギィールの隣に設置すると勢いよく座り込んで、――しかし、少し俯いた。
「ギィール」
「はい?」
「勘弁してくれ……ボクは今、泣きそうだ」
そうなのかと横を見るが、切りそろえられた前髪のせいで表情はわからない。頭の耳が少し垂れているような感じはした。
「君がいなくなってから、間違いなくボクは寂しくなったよ。とても……この五年間、寂しかったんだ。サギシロには笑いながら言われたよ。そんなふうになるくらいなら、どうして一緒に行かなかったんだと。もちろんその時の選択を後悔してない。いないけれど、でも、感情というのは厄介だね。けれど、君はボクがいたからと、そう言ってくれた」
嬉しくて、どうにかなりそうだと、本格的に俯いてしまったので、ギィールは微笑みながら、その頭を軽く撫でる。
「弱さだなんて思いたくはないんだ。けれど、君がそうであったように、――ボクも一人の時間が長すぎた。ギィール、君と同じものを見たいとは言わない。けれど、手を伸ばして届かないのは嫌だ」
五年。
ギィールにとっても、それなりに長い時間だった。先ほどフルールを見た時、変わっていないなと安心したものだが、それは逆に、フルールにとっては、成長したんだなと認めると同時に、寂しさを感じていたのかもしれない。
「君は、ボクをちゃんと認めてくれているんだね……」
「今更ですよ、フルール。それはフルールが、自分を認めてくれたからです」
「……ありがとう」
頭を撫で、もたれ掛かったフルールの重さと温かさを感じながら、さてとギィールは思う。反対されるかどうかもわからないが、どう論理武装してやろうかな、と。
……まあ、なるようになりますか。
この様子ならば間違いなく、また旅を続けることになりそうだ。それはきっと、良いことだろうと――良くなればいいと、そう思えた。
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