06/19/22:30――サラサ・もう疲れた腹減った

 躰が鉛のように重くなってしまっている。瞼を開くのすら億劫だ。

 意識を失っていた時間そのものは短かったサラサは、ぼんやりとだが、ギィールたちが話していた内容を聞いていた。というか、寝たかったのだけれど、そのタイミングで布団を作ってくれていた――とぐろを巻いていた――レヴィアに起こされたのだ。とりあえず聞いておけと、そういうことだったらしいが。

 あれから、どれだけ時間が経過したのかも定かではない。だが間違いなく、サラサは空腹だった。サクヤが用意した料理があるんじゃないかと訊けば、そんなものは全部食べたとベルゼは言う。なんだこの野郎と文句を言うものの、やっぱり躰が動かなかったのである。


 だが腹が減った!

 眠れん! どうしてくれようこの爺!


 と、文句を言っていたら、抱き上げられてどこかへ連れて来られた。

 とはいえ、ベルゼ自身は飯を食わせるつもりなど、あまり考えていなかった。どちらかと言えば事後処理に近く、鷺城鷺花が持っていた領域の処分をどうしようかと、こうして来てみたわけだが――。

 がらりと、母屋の障子戸が開かれて、白髪の男が顔を見せた。

「――おう、ベルゼか。久しぶりじゃねェか」

「雨の……か? 老けたな、お主。レーグネンなどと名乗っているようではないか」

「まァな。鷺花は?」

「肉体が停滞する式が〝ない〟異世界に送ってやったわ」

「そうか。まあ、ありがとな」

「うむ」

 縁側に近づいたベルゼは、サラサを下ろす。ぼんやりとした視線を送れば、レーグは一度母屋に入り、しばらくしてお握りをいくつかと、お茶を持って戻ってきた。

「ベルゼは食うのかよ」

「儂はいらん」

「ならこの数でも充分か。おいサラサ、食え」

「ぅあいおー……」

 ごろんと、一度うつぶせになってから、肩の力を使うようなんとか上半身を起こし、縁側い腰を下ろした状態で、吐息を一つ。妙に頭が重いまま、けれど空腹に負けて手を伸ばし、食べ始めた。

「見ておったのか?」

「それなら、鷺花とツラを合わせることもあっただろ。終わった後、火の手が上がった時点でいろいろと察して、実家――ここに直行しただけだぜ。虚眼きょがんがどうしてンのかも、見ておきたかったし。なァ?」

 肩越しに振り返れば、和装の女性は小さく微笑む。掃除をしていたのか、和装というよりも割烹着だ。

百眼ひゃくがんの一つか。お主は確か涙眼るいがんじゃったのう」

「あいつの手から離れた〝眼〟は、こいつら二人だけだ。まァ涙眼はともかくも、こいつァ一つの〝終わり〟だ。虚眼はどうすッかなァと、そんな話をしてたんだよ、さっきまで」

「決まったのか」

「いんや、決まってはねェな」

「じゃろうな。そうよのう、形代に心当たりはあるが、どうじゃ」

「あァ?」

「エミリオンの刃物が、力を失い、ギィールの手にある」

「空っぽか……ッつーことだ、虚眼。しばらくしたら、ここは閉じる。それまでには決めておけよ」

 返事はあったのか、なかったのか、レーグは小さく苦笑した。

「で? お前が説明役か?」

「儂以外に把握できてはおるまい」

「んあー、ルゼじい、私には厳しいのにー……」

「喧しいわ、小娘。厳しくされたくないのならば、少しは頭を使ったらどうじゃ」

「ぅあーい」

「ふん」

「変わらねェな、ベルゼ。お前が厳しく当たらないのは、理解ができている相手と、――育てる気のない相手だけだ」

「余計なことを言うな、雨の」

「へいへい。んで? どうするんだお前は。人間と対峙する側になっても、俺ァ手を出すつもりはねェぜ。もっとも、俺が目当てッてンなら、相手にもなるが?」

「よせよせ、儂はそういう面倒が嫌いじゃ。もっとも、そのくらいの〝自由〟は今後得られるじゃろ」

「今までは窮屈だったか?」

「知っておるじゃろうが……儂は傍観者としての立ち位置を、昔から放棄しておらん」

「ッたく、そんなだから鷺花も影響を受けたンだろうぜ。まったく似てやがる」

「かっかっか! それをお主が言うか?」

「なんだよ」

「お主だとて似たようなものじゃろ。自己の研鑽なんぞ、随分と前に終えて、今は人知れず呑気に〝教育〟をしておろう」

「ふん。で、おいサラサ、呪力の安定はどうだ?」

「あー……わかんないけど、知ってたの?」

「魔力も呪力もない〝人間〟は、存在しない。使えないヤツはいるけどな。つまりそれは封印に限りなく近いものだ。で? 一度も抜かなかった腰の得物が、今は壊れてやがる。ここまで見えていて、現実を直視しねェ馬鹿なんぞいねェよ。ま、エレアが選択しそうなことだ」

「正解じゃろうよ。儂らを認識できるだけの存在モノじゃ、そこらの妖魔よりも力を持っておって当然。――あるいは」

「お前らと同じ〝容量〟ッてわけか……」

「……あのう」

「どうかしたか?」

「すげー不穏な空気なんだけど」

「馬鹿、お前のことだ、ちっとは危機感を――ああ、それはもういいのか。ま、上手くやれ」

「あーでも、ガーネから貰ったものだし、直したいなあ」

「へえ? でも、もうガーネいねェぞ。あとオトガイもなくなった」

「ああうん、ガーネのことは初耳だけど、オトガイさんとこね……私は使ったことないからいいんだけど、でもなあ。せっかくもらったものだしなあ」

「ふん、だったら鍛治師でも探せば良かろう。そんな結論すら思いつかんとは、何度儂を呆れさせれば気が済むのだ、小娘」

「ルゼじい……あー、うん、めんどい」

「はは、こりゃまた回復には時間を要しそうだな。どうしてるんだ?」

「レヴィアの揺り籠じゃよ」

「そりゃまた豪勢な――いや、そんくれェの条件じゃなけりゃ、ここまで復帰はしねェか。セツの残滓に対してお前ら全員がご登場? 残滓で良かったなァ、マジで」

「儂も出たからのう」

「うん。ルゼじいが、呼ぶ前に来てくれた」

「お前が出たなら、ほかのいらんだろ」

「馬鹿者」

 お茶を片手に、レーグが首を傾げる。

「え、ルゼじいそんなに凄いの?」

「少なくとも小娘よりはよっぽど凄いわ、間抜けめ。そんな縮尺度合いもわからん単語を平然と使いおって……」

「――ああ、サラサを触媒にしてるからか」

「遅いぞ」

「いや、周辺状況を整理してただけだ。まァそりゃそうか、仮にも雷の野郎と同様に〝王〟を名乗ってた上に、あいつと違って〝変質〟を抑えた時点で、そうなるか……」

「じゃから、あやつらに任せた」

「任せた、ねェ……教育者ッてのは、回りくどいことをするもんだ。初動の時点で気付きもしなかった連中を呼んで、任せたッてか。俺も人のこたァ言えない立場だが」

「助言は、したのじゃろ」

「最低限、俺ができるのは、そのくらいなもんだ。本来なら、雷のに直接言ってやろうと思ってたんだが――その矢先だったンでな。俺が手を出すような状況じゃなかったッてのは、まあ、助かったよ」

「……助かった? どして?」


「俺が手ェ出しちまったら、お前らの旅も〝無意味〟ッてことにならァな」


「――」


 それは。


「……それは、嫌だ」


「だろ? だから、お前らが生きて見届けられたッてのは、良いことだ。つっても、旅を続けていたところで、次があるとも思えねェけどなァ」

「次……か」

「お前、エレアとカイドウがどうして、あんなに戦闘の腕が立つのか、知ってるか?」

「え、いや、知らないけど……ただ、えっと、ゆっきーとべーさんが海の上で戦った? とか、それに巻き込まれてから、本腰を入れたとか、なんとか」

「次だ」

「……うん?」

「あいつらは、もしも〝次〟があった時、生き残れないことを知った。現実の非常さに悔しさを教えられた。その上でこう考えた――〝次〟があった時」


 もしも、その時に。


「――お前を守れなければ、子供を作ることはできない」

「あ……」

「その想いが連中を強くした。……ま、その期間は俺がエレナを見てやってたからなァ、その取られた時間の意趣返しッてやつだ。忘れてもいいぜ」

「……うん」

「ふん、貴様も言うようになったものだな、小僧」

「そろそろ知っても良い頃合いだと思ったが、早かったか?」

「――否、問題はあるまい」

「ならいい――ッと」

 お茶を飲んだあたりで、サラサはこてんと、横になってしまった。レーグはがりがりと頭を搔く。

「――レヴィア、ツラ見せろ」

 言えば、黒色の外套を羽織った長身の、いやに輝く青色の目をした男が、ふわりと姿を見せ、周囲を見渡した。

「珍しいこともあるもんだ、なァ? こんなところに、徹底した傍観者が二人も揃いやがった」

「……儂は、こやつほど考えてないわ。禿げてもおらん」

「なんじゃ、気取った話し方をしおって。昔は俺と言っておったろう、クソガキ」

「一人称など、何でも良かろう……俺と言っていた覚えも、ようわからんわ」

「で、サラサにご執心か?」

「いや、エレアとカイドウに頼まれたのじゃよ。儂……俺も、そろそろ頃合いじゃと思ってな、目と牙を返させたのじゃが、その見返りでの」

「お主はまたそんな暇潰しを……」

「で、なんぞ用か、雨の」

「いやべつに。とっとと引き取って行けよって話だ。ここは閉じるからな」

「そうか。まあ俺にはあまり関係のない話だ」

 言うと、ひょいとサラサを抱き上げたかと思えば、すぐに消えてしまった。

「相変わらずだな」

「まあのう……」

「というか、お前もだいぶ疲労してるなァ。八割がた使ったンじゃねェか?」

「相手が鷺城鷺花であれば、安いものじゃろ」

 受け取った二杯目のお茶を片手に、ベルゼは肩を揺らすようにして笑う。

「式陣を用意して六百年。儂の八割で〝アレ〟を異世界に遅れたのならば、こんな運の良いこともあるまいよ」

 異世界へのゲートを開くための式陣に加え、転送時における〝存在〟のやり取り、その規模にふさわしい魔力行使。鷺城鷺花のような重い存在を転送できるのは、次がなかったとしても、それこそベルゼくらいなものだろう。

「どうしてそこまで、鷺花にしてくれたんだ?」

「儂のような立場の者は、儂だけで充分じゃよ。人が負うには重すぎる。どれほど上手い誤魔化しをしたところでな」

「……ありがとな」

「そういう貴様はどうするつもりだ、雨の」

「そうだなァ――お、決めたかよ虚眼。……ああそう、刃物を形代にする方法はわかるか? あー、場所な」

「ノザメエリアにおるじゃろ」

「だってよ。四番目と二番目、どっちか持ってるだろうし、お前なら気付かれずにいけるだろ。何しろ、〝虚〟なんてのは、そこに在ってないようなもんだからな。何かあったら百眼のとこ行けよ、今までありがとな」

 割烹着の女性は、ぺこりと頭を下げ、髪を括っていた紐をほどきながら、姿を消した。元は鷺花と共にいた天魔だ、これからは新しい道を歩いて行くことに、楽しみを覚えてくれたらいいとも思う。

「……ま、どうしたもんかな。鷺花を殺すのは俺だと思ってた。んで、あいつも俺を殺すのは役目だと思ってただろうぜ。それはなくなっちまったが――……まだ、死ぬ気にゃ、ならねェよ」

「であれば、続けるか?」

「正直に言って、わからん。しばらくは各地を巡るかもしれんが、俺のできることなんてのも、もう少ねェしなァ。育ててるヤツもいねェなら、俺も百眼ところで千年くらい寝るさ。まだ死ぬ気には、ならねェし――おいベルゼ、俺を殺してくれるか?」

「さてな。じゃが、もし死にたいのならば、儂に相談せい」

「その前に、百眼と話すさ。いずれにせよ、サラサたちには関係のねェ話だし――変わらず、旅をして欲しいとも思うね」

「親心か?」

「まさか。ただ、ああいう連中は学ぶものも多いッて話さ。――さあッて、ベルゼも戻れよ。ここを閉じるぜ。それとも、形見分けがいるか?」

「いらん。それは儂の流儀に反するからのう」

「知ってる」

 はは、と小さく笑ったかと思えば、ベルゼの姿もなく、レーグは一人、庭に出て空を見上げた。

 空間をズラしてあるため、外の世界とはやや違うが、こうして見上げたところで、そこに紅月はない。


 ないのだ、今は。


 ――そこに、紅月は、ない。



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