06/19/12:00――サクヤ・大きな流れ
クインティに到着しても、すぐに観光なんて気分には到底なれなかった。
何が起きたのか、どうなったのかもさっぱりわからない。それこそ、考えるだけ無駄だと、そんな結論を抱くほどである。けれど現実として、今まさに経験したものが、偽りだとは思えない。
もやもやする。
けれど、文句を言うのも違う気がして。
「ハク、ちょい付き合え」
「なに?」
「食材を買う」
考えるだけ無駄ならば、せめて自分にできることをやって、没頭しようと思い、歩いた先にある市場で食材を買い漁った。金なんて気にせずに、とりあえず買って、適当に入った宿で厨房を借りて、サクヤは料理を作り始める。
「え、なに、どしたの」
「よくわかんねえって感じだ。今までも何度か……つーか、何度も巻き込まれたことはあってもさ、なんとか切り抜けても、そこに〝何か〟があったように思う。けど今回のはちょっとスケールが大きすぎて、思考が追いつかない」
「そうだけど」
「だからとりあえず、飯だ。腹減ってるだろ?」
「でも多い」
「いいさ、そこらにいる連中に振る舞えばいい。何かをしてないと、なんかこう、落ち着かないんだよ。興奮してるのか、眠気もないし」
「わかるような、わからないような……」
「ハクはいっつもそんな感じな?」
「うん。サクヤが生きてるし、傍にいるし、うん、それでいいかなって」
「……ま、いっか」
「いいの?」
「とやかく俺が言うことじゃねえってこと」
「ふうん……」
それはそれで、少し寂しい気もしたが、ハクナは言わないようにした。
サクヤは没頭した。たぶん二十人分はゆうにあるだろう食料を使い、今、目の前にある料理を作る。昼食の時間ではあるものの、ここの宿は自家用の厨房でしかなく、料理の販売はしていないのが功を奏した。余計な雑音も聞こえず、ただハクナに見られながら、洗い物まできちんと済ませ、それでもギィールが戻るまでは取っておけないと――。
一息。
落とした。
「――あ?」
振り返ってハクナを見た瞬間、景色として映っていた周囲の光景が黒く変化した。
最初は眩暈なのかとも思ったが、ハクナの姿はきちんと捉えている。足元を見れば黒く、けれど横を見れば今作ったばかりの料理が、石造りのテーブルに沢山並んでいる。よくよく見れば周囲には岩のような椅子が並べられており――。
「
「あ、いや、ちょっと感じが違うし、対象範囲がちょっと広い――」
「サクヤさん?」
背後の確認を忘れていたとばかりに振り返れば、調理場がなくなっており、そこに。
「ギィール⁉」
「ハクナさんも……」
「ここどこ」
「いえ、自分も今来たばかりなので、何とも言えません。空間転移よりもおそらく、限りなく〝召喚〟に近いような具現ですね。
「だがこいつは……」
現実的に、サクヤの存在自体を考えたのならば、移動したというよりも、呼ばれたといういか、それは。
――彼らは、体験するのは初めてだけれど、知っている。
サラサがよく、ふらりと目の前から消えることがあったから、すぐにそこへ繋げられた。
「迷子か?」
「おそらくは、ですが」
ようやく目が慣れてきて、黒ではなくただ暗い場所であることがわかった。周囲を見渡しても、遠くまで視認はできないが――。
「理解が早いのう」
その暗闇から、杖を片手に持った老人が、顔を見せた。
「あなたは……」
「呼んだのは儂じゃよ。お主らでは見えんじゃろうが、サラサもこの場にて、今は眠っておる。そこらの事情も説明してやるが、いささか儂も疲れておってな。どれ、この料理を食うのも初めてだ。貰っても構わんか?」
「あ、ああ……っと、悪い。サクヤ・
「ハクナ・コトコ」
「自分はギィール・
「うむ、儂のことはベルゼと呼ぶといい。見ての通りの爺じゃ、ほかの連中と違って小娘――サラサに手を貸すことは、まずない。今回の件を除けばのう」
どれと、杖を立てかけて岩に腰かけたので、三人は目くばせをしてから、大きなテーブルを囲むよう腰を下ろした。
「ふむ、久しく忘れておったが、――美味いものじゃな、食べ物というのは」
「そう言ってくれりゃありがたいが、ベルゼさんは食べないで生きてけるのか?」
「かっかっか、儂のような存在は、そもそも食事なんぞ必要ないからのう。立場としては冥龍ジェイキルの名を冠しておるが、味がわからんのではない。良いかサクヤ、生きることと存在することが、儂らにとっては別物じゃ」
「……、世界の中に存在することを、強制されているけど、そいつが生きることとイコールじゃない?」
「誤魔化しよ」
生きていては耐えられんと、ベルゼは笑いながら言って、ギィールはその言葉に視線を逸らした。
「さて、少しスケールの大きな話にもなるが、まずはこの場の説明からしておこう。サラサが言う〝友人〟の類は知っておるか?」
「直接見たのは、玉藻さんだけだ。つっても、さっき揃ってたみたいだけど、あれがそうだよな?」
「ええ、自分はその内の何人かの顔は知っています」
「うむ。ここはいわば、連中の棲家じゃ。現実的ではない方のな。当初は城という表現を使っておった。複数の部屋があり、通路を行き来して、他者の部屋を訪ねる。また広間に顔を出すこともあろう」
「なるほどな――ん? どうした、ハク」
「――ここ、海の中。部屋より心象風景が近い。じいちゃん、サラサは鍵? 認識の錠?」
「ほう……そうじゃ、認識の錠じゃ」
「そっか」
それで満足したらしく、うんと仰仰しく頷いたハクナは料理に手を伸ばした。
「……いや待てよ。なんだその認識の錠って」
「人の認識における効能の話じゃよ。サラサの認識によって、場は作られたと、そういうことじゃ。例外もあるがのう。そして、であればこそ、自己認識の曖昧さをここで語ることもなく、理解しておるじゃろ。今まではこのサラサの場は、作られておらんかった。じゃが怪我をして休むなら必要じゃろうて、狐からサラサを奪った儂が、この場を認識してやって、わざわざ――旧友を呼んでまで、快復させておる」
「……この威圧、いえ、支配感とでも言えばいいのかと思うのですが、これもその方のものですか」
「威圧――あるか?」
「簡単に言えば濃いんです、サクヤさん。それこそ煮詰まったスープのように。見える範囲は、ベルゼさんのご厚意なのか、ありませんが、見えない側にあります。自分の〝手〟も、途中までしか届かない」
「
「なるほどと、納得しておきます」
そんな大物の名前を出されても実感がわかなかったので、小さく肩を竦めておいた。
「ギィール、まずは報告をしたらどうじゃ」
「あ、そうですね。先ほどの件ですが、どうやら亡くなったのは
「五神……? 待て、現行のってことか?」
「どうやらお二人に関しては、遥か昔から現行で、継承者はいなかったようです。ですから、五神というシステムそのものが、これで欠けてしまったと、そういうことでしょうね」
「――否」
ベルゼはそれを、断言する。
「終わったのじゃよ。欠けては仕組みが回らんことは、ハクナがよく知っておろう」
「……うん。直せないものなら」
「――であればこそ、認識なのですね?」
「ほう、どうやら主らは察しが良いらしいな。その通りじゃよ。お主らは、観客に選ばれたと、そういうことじゃ。辿れば――そうじゃのう、一因はサラサにあり、それに巻き込まれた形にもなる」
「であれば、サギシロさんは?」
「ああ、すまん、そうじゃった。――あれは儂の意図じゃ」
サクヤもハクナも、サギシロのことは少なからず知っている。どういうことだとギィールに目を向けるが、しかし、ギィールはずっとベルゼを見ていた。
「何年と、実際に時間を説明するのは後にしておくが、鷺城鷺花もまた、ベルやマーデと同じく、長い時間を生きておった。結果としてベルとマーデは死んだが、鷺城鷺花はそうもいかん。そして、連中と違って鷺城鷺花は、殺すことが、そもそもできん」
「自殺を禁じているのも、知っています。サギシロさんは、肉体の経過時間が極端に遅いとのことで、つまり老化しにくい躰であるため、長生きだと聞きました」
「そうじゃ。そして、――鷺城鷺花は魔術師なのじゃよ。それは〝人間〟であるのと、同義でもある。あやつはベルやマーデのように、化け物ではない。言うなれば、お主らと同じじゃ。ただ老化しにくい躰を抱えた結果として、時間に余裕があっただけで、鷺城鷺花という本質は、いわば努力と経験の積み重ねに在る。度を超してはおらんし、世界から除外もされておらん。まあ人の尺度で見ると、やや常軌を逸してはおったがのう」
「しかし、どうして……」
「儂と鷺城鷺花との、まあ約束に似たようなものじゃよ。儂はな、正直に言って見ておれんかった。長すぎる時間を生きているあやつが、壊れないまま正気でいることが、どうしようもなく、不安じゃった。しかしな、あやつも使えたであろうが、肉体の老化を人の基準に〝戻す〟ような術式もあるのじゃよ。そして儂も使える――が」
「サギシロさんは、それを〝防げる〟ということですね?」
「そう、拒絶でもあるし、防衛でもある。じゃから儂が使った手段とは、――異世界への転送じゃよ」
「異なった世界へ?」
「うむ。ここの詳しい話を始めれば時間もかかるし、そっちの二人であろうとも理解はできんじゃろう。ただ――契機じゃった。昔馴染みである二人の死亡に直面し、異世界で行われた〝召喚〟が合致したタイミングで、精神の隙間を縫うようにして……簡単に言えば、意表を衝けた。油断を刺した。そして、そちらの世界では、鷺城鷺花の肉体に施された仕組みは、効力を持たない」
つまり。
「これからは普通に老いて……それこそ、百年後には死ねる、ということですか」
「そういうことじゃ。ま、感謝されることも、なかろうが……すまんのう、ギィール」
「いえ、いつまでも親の世話になっていては、成長できませんから。むしろ、感謝を、ベルゼさん。ありがとうございます」
「うむ。さて――話を戻すがのう、実のところ儂は、サラサと出逢った時点でこの結末は察しておった。あるいは、浮遊大陸が落ちてから、かもしれん」
「ベルゼさん、なあ、そんなことが関係してるのか?」
「関係がないことの方が少ないのう。たとえばだサクヤ、お主は料理で火を使うじゃろ」
「そりゃ使う」
「じゃが、今の世界では、どの大陸に行っても、火は火として使えよう? 浮遊大陸があった頃はのう、同じ火という名称ではあったも、大陸を変えれば、火にも違いがあったのじゃよ。簡単には強弱、じゃがの。いや、話が前後しそうだから、最初からにしておくか。良いかお主ら、これは――ベルと、マーデ、そして鷺城鷺花と呼ばれた者たちの話じゃ」
しかしどこから話したものかと、ベルゼは少し黙って食事をとる。もしもここにサラサがいたのならば、なんでそんなに優しいんだ、それを少し分けてくれ、とでも言っていたことだろう。
それはきっと、優しさというより、感傷だ。
「そうじゃのう」
やがて、そう言ったベルゼは、立てかけた杖を右手で持って、二度ほど地面を軽く叩く。それだけで頭上付近に、大きな地図が投影された。
その地図を、三人はもちろん、知らない。
「今からじゃと、……よく覚えておらんが、三千年くらいは前のことになるやもしれんのう。かつて世界とは、こうじゃった。一つの平面であり、複数の大陸があり、海も渡れれば空も飛んだ。どちらかといえば、機械技術の発展に目覚ましいものがあったのう」
「アルケミ工匠街みたいな感じか?」
「否、――あれよりも数段レベルは高い。逆に魔術やらは表にあまり出てこなかったがのう。しかし、知っての通り、今はこの地図を知る者は、おらん。崩壊したからじゃ」
「技術レベルが上がり過ぎたせいですか?」
「それも違う。原因を突き詰めれば、人ではなく世界よ。――世界という器に綻びが出たのじゃ。このままでは器それ自体が安定せん。長く続いた物品がやがて摩耗するのと同じじゃよ……そして世界は、摩耗したのならば新しく作り替えようと、そう動いた」
「いまいちピンと来ないが、理不尽だなそりゃ。勝手に決めて、勝手にやられて? ふざけんなって感じだぞ。もちろん、感情だってのはわかってるけどな」
「うむ、そうじゃのう。であればこそ、それに気づいた一部の人間が、抗った」
もう一度杖で叩き、今度は三人も知っている地図になる。今の大陸分布だ――が、しかし、浮遊大陸は存在していた。
「おおよそ三千年前、このような形に大陸は成った。知っての通り、七つの大陸は海で隔たれていながらも、属性の象徴として七龍が在り、それは大陸の象徴でもあった。儂がそうであるように――こういうカタチに安定させたわけじゃ」
「安定させたの?」
「そうじゃ。安定させたのじゃよ――人が、このカタチに決めたのじゃ。かつて浮遊大陸に存在していた、エルムレス・エリュシオン……鷺城鷺花の師であった魔術師が、世界崩壊前に手を打って、犠牲の中でも最小限を探るようにして、この形に誘導した。七龍がどのようにしてできたのか、知っておるか?」
「自分がサラサ殿に聞いた限りでは、いわゆる、人柱に限りなく近いものではないか、と」
「それもまた、的確な表現じゃの。多くは力を持つ存在――あるいは、世界から除外されかけた、例外のような存在と交渉し、世界を支えるための柱として、儂を含めた七人に強い属性を付加した。地水火風天冥雷というのは、実にバランスが取れた分布でな、そのものが世界の成り立ちを示している部分がある。それを基本としたのじゃろう」
「だとしてだ、浮遊大陸はどういう位置づけなんだ?」
「ま、管理が近かろう。少し話は先のことになるが、浮遊大陸が落ちた影響がどう出たかという、身近な話をしてやろうか。そうじゃの、ハクナ、お主はアルケミで過ごしておったな?」
「うん」
「浮遊大陸がなくなってからになろうが、歴史くらいは多少知っておろう。何かが大きく変わったのではないか?」
「技術発展期に入った。今のアルケミになったのも、その頃から」
「そこに、疑問を抱かなかったか?」
「……?」
「浮遊大陸が落ちて、海が開かれたんだろ。だったら技術の発展だって、納得できるんじゃないのか? 技術の流入があって、新しい発想ができて、発展するものだろ」
「――あ、違う、そうか、おかしい」
「どういうことですか、ハクナさん」
「だって、本当なら、流入じゃない」
「は?」
「アルケミはかつてから、AAの開発なんかで、技術大国だった。海が開かれた、流通ができるようになった。だったら……」
「そうじゃよ、本来ならばそこから〝流出〟すべきではないか?」
「そうか――そうだ、その通りだ。確かに技術発展は多少なりともするだろうが、大きな発展があるのはむしろ、アルケミの技術が流出した他の都市か!」
「しかし現実には、七番目であったところで、他都市がそれほど発展していません。これは――どういうことですか?」
「うむ。浮遊大陸そのものにはのう、大陸崩壊前の〝技術〟が、全部ではないが生きておったのだよ。たとえばお主らも知るオトガイもまた、大陸崩壊前から続いている組織じゃ。さて、崩壊前の技術は浮いておったが、それが消えた。基本的に、文明に干渉をしない商売人のオトガイもまた、浮遊大陸がなくなったのならばそれは、かつての技術を黙している理由もなくなったわけだ。それは秘匿されていたものが、公開されることでもある。じゃが、そうだとして?」
「対応できる技術レベルがないと、応用もできない」
「適応が早かったのは、アルケミだったと、そういう話じゃ。無論、そこだけの話ではない。ないが、身近でわかりやすかろう。――浮遊大陸は、世界の安定を見ておった。だがそれは最初だけでのう、途中からはただの惰性よ。いつか誰かが、その仕組みに気付き、それはおかしいのだと――もう必要ないと、そう言われるのを待っておった」
「じゃあ……だからなのか?」
「そうじゃよ。前文明の崩壊と共に世界が作られ、それでも前文明の名残が消えるのに、ざっと二千年を要した。ざっとじゃ。それからしばらくして、崩壊前の時代から続いていたオトガイ、五神といった、継承していた者たちと連携して、空歴元年という年号を作る。名の意味は――風化するために使った時間を、埋めるための年号、というものじゃ。空白の時間を埋める、であるからこその空歴」
「待ってくれ。ってことは、五神……いや、サギシロさんや、あの二人は」
「うむ、崩壊前から生きておる。現実にこの大陸の分布を作るのに尽力し、それを見守り、決して手出しをせず、けれど下の大陸で存在することを決めた者たちじゃ」
三千年。
それが、途方もないということだけは、理解できる。
「浮遊大陸が消え、今の大陸図になってからじゃよ、サラサが儂らを認識したのは」
「……それは、浮遊大陸が消えなくては、サラサ殿が産まれていたとしても、認識できなかったと、そういうことなのですね?」
「そうじゃ。何故か? 海が封じられていたのは、各大陸の発展を促すのと同時に、浮遊大陸が浮き上がるためのエネルギーそのものを、利用していたからじゃ。同様に儂ら七龍の持つ属性も、限定条件下でなくては、各大陸を渡れなかった」
「悪い、口を挟むけど、その限定条件下ってのは?」
「儂らは属性の塊じゃ。わかりやすく言ってしまえばのう、これはかつて鷺城鷺花の弟子がやったのじゃが、風の大陸で、ただ強い火を作ろうとして、火を集めたのじゃよ、術式で。ただただ、火で火を囲うよう、純度の強い火を望んだ結果として、――火龍の姿が二割ほどで具現した。七龍とは、そういう存在じゃ」
「ああ、そうか……ほかの大陸で雷がなかったように、あんたたちも渡れなかったわけだ」
「その理由はともかくとして、現実的にそれは、何じゃ?」
それは。
「制約、ですね」
「束縛かもな」
「動作制限しないと大変なことになる」
「機械と一緒かよ……」
「かっかっか、まあ似たようなものよ。……儂らには、制約があった。大陸を渡ってはならない、世界に影響してはならない。ただ在れば良い。もっとも、雷のはそれなりに楽しんでおったようじゃが、こうして仮初とはいえ肉体を持っておったのは、特殊な事例じゃろ。龍に限れば、水のと、天のか……人型になることは可能ではあったがのう、そういう意味ではない」
「先ほどおっしゃっていた、火を強めて二割を具現したのと、似たようなものでしょうか」
「あー、つまり、爪の先だけを人型に変えて、制御しつつ人型に似せるっていう感じか?」
「それに限りなくは近いじゃろうな。儂はそんなことを好みもせんかったが……しかし、サラサという〝鍵〟の誕生により、儂らは人型になり、こうして棲家を作られた。否、認識できたと言い換えるべきか。で、あれば? この状況をどう見る?」
「そいつは、つまり、制約がなくなった……は、言い過ぎか」
「緩んだのですね? あるいは、綻んだ」
「そう。だから儂は、お主らがノザメエリアに行った時、鷺城鷺花にこう問いかけた。何故だと。あやつは即答した。どうしてだと」
「そんだけで意図の交換ができるってのがすげーな……」
「制約が緩くなったのは、何故か。その返答がどうして、ですか?」
「うむ。きちんと言えば、――今まで制約があったのはどうして、じゃよ。答えは儂が既に知っていることを見抜いた上での返事じゃ」
儂はそれで理解できたと笑い、地図を消す。
「確信が持てた。それがいつになるかはわからんが、サラサが生きている内に、制約そのものがなくなるのじゃろう、とな。ではその制約とは? いつ、どのようにしてできた? 浮遊大陸があったのと同様に――それは、崩壊を前後して、安定のために作られたものじゃ。世の中には、永遠に続くものなど、ありはせん。いつか綻び、終わる。であれば? 浮遊大陸が落ちた。その先にあるものは?」
「その頃から続いていたものの、……終わり、ですか」
「お主らは、あるいはサラサは、それを認識するための、終わりを見届けるための因子じゃろうと、儂は当たりをつけた。これでも、世界を傍観することは昔からやっておったからのう、趣味のようなものじゃ、先のことも予想がつく。どのような形になるかはわからんが、それは訪れるのじゃろう、とな」
そして、現実にそれは起きた。
「ベルは――大きいものを背負い過ぎておった。初代ベルはそれを、人間の身で背負っておったが、二代目のベルは、吸血種の血混じりじゃ。人間とは言えん。大きいものは、次代に預けることが難しい」
「だから、続けるしかなかった?」
「鷺城鷺花と仲が良かったのもあるがのう。また、マーデは、性格上、生き続けることに不安があった。長い時間起きていることも、性格が原因でもあるが、面倒だと思っておったのじゃろう。かつては浮遊大陸にあり、今までは海の上に浮いていた、炎に包まれた都市の中で眠っておったよ」
「ああ、それはサラサに――シュリさんだったか? 聞いたことがあるよ。なんでも、初代炎神の、確か鎮魂の炎? だとか」
「今はもう消えて、街自体も海に沈んだがのう。あれもいわば制約で守られていたものの一つじゃ。五神がなくなったのならば、もう必要なかろう。ともあれ、人の手には余る荷物を持っていたベルが、おそらく人に食われたのじゃ、暴走もする。それがお主らが直面したあの場面よ。サラサを媒介にしたとはいえ、儂ら全員が出ておらんければ、大陸が二つか三つは滅んだじゃろ」
「気軽に言ってくれるぜ……すげえ怖かったのもあるけど、マジでそんなんかよ」
「はは……逆に言えば、ベルさんはそれだけの力を有していたのですね」
「うん、怖かった」
「ベルとマーデは、お互いに因縁もあって、付き合いも長かったからのう。悪態をついて、殺し合いをすぐ始めるような間柄ではあったが、それも信頼の裏返しじゃ。であれば、マーデにとって、命を賭けてでも、場を収める理由があったのじゃろう。それもまた、必然じゃ。――ここまで話せば、鷺城鷺花を異世界に転移させた儂の気遣いも、それなりに理解できよう?」
「はい。それは――彼女たちの終わりであると同時に、サギシロさんの終わりでもあったと、そういうことですね」
「そうじゃ」
「んで、俺らは変化の〝転機〟に触れちまったと、そいういうことか……」
「どう変わる?」
「どうじゃろうな。先のことはわからんが、もう変わったことならば儂の口からも言える。たとえば、世界に配置されていたオトガイは、既に撤退が始まっており、おそらくお主らが戻る頃には、なくなっているじゃろうな」
「――、そうか、オトガイもまた、続いてたって言ってたもんな」
「仕組みじゃがの。あくまでも技術の伝承、仕組みの継続じゃった。本来ならば失うはずの技術を守る仕組みじゃ――終わった今となっては、もう必要ないじゃろ。これからの世界において、オトガイの看板はもう、見ることはない。それは、ギィール、お主が持っている二本の刃物にも関わることじゃ」
「これは……」
「鷺城鷺花から渡されたものか?」
「はい。好きにしてもいいと、そう言われました」
「かつて鷺城鷺花が、鷺城という名を貰った、祖父のように慕っていた者がおってのう、名はエミリオンと言う、魔術師だった。その者は生きている内に、五本の刃物を創り上げた。一番目は強度を求め、二番目は複製を求めた。三番目は携帯性を求め、そして四番目は法則を切断した。五番目は利用者を限定した」
「ということは、この刃物は、三千年も前からずっと……?」
「そうじゃよ。しかし、役目を終えた。これも終わりじゃ。一番目は喪失し、その二番目も四番目も、ただの刃物になり、なんの効力もない。刻印も消えておる。三番目もまた、その携帯性を失い〝朝霧〟と呼ばれていた継承も、今の代で終わりじゃ」
つまるところ――サクヤが言ったように、転機なのだ。
あるいは、一つのオワリなのだろう。
「流れとは、人が作るものじゃよ。そして、作った大きな流れが、ようやく――ようやく、あやつらの手から離れることになった。もう良いと、次の世代に任せると、もう必要なかろうと、あやつらは、終わりを迎えられた。切望を誤魔化し、忘れた振りをして、ずっと続けられたそれが、終わったのじゃ……これほど、嬉しいこともない」
そして、これ以上に悲しいことも、ないのだろう。
だって、彼らはそれでも、今まできちんと、生きていたのだから。
「良いか、だからといってお主らが気にする必要はない。何故ならばお主らは、あの事態において、何もできんかったからじゃ。サラサも同様に、儂らを呼ぶことしか、できずにいた。それは喜ばしいことじゃよ、儂に言わせればのう。じゃから間違っても、あやつらのようになろうと、そう思って欲しくはない」
「一つ、質問をしてもいいですか」
「なんじゃ、ギィール」
「自分とサラサ殿は、レーグネンという人に逢いました。ご存知ですか」
「うむ」
「レーグさんは、妙な流れがあると、忠告してくれました。手に負えないだろうと、そんな言葉と共に。どうしてあの人にはそれがわかったのでしょう」
「あれは経験じゃよ。今はレーグネンと名乗っているあの男は、鷺城鷺花の父親じゃ。眠っておった時間が長いがのう。あれの性質も関係はあるが――おそらく、違和を覚えたのは顔を合わせた瞬間じゃろう」
「自分とサラサ殿が遭遇した時、ですか?」
「そうじゃよ。あの男が見つけることは多いが、その逆は珍しい。珍しい状況ならば、そこから類似性を経験の中から見出すのは必然。そして出逢いには縁が必要じゃ。その縁はどのようにして、誰と合った? それが見つかったのならば、その先の流れもまた、経験で理解しよう」
そちら側の〝人間〟ができることじゃよと、ベルゼは笑う。
「俺からも一ついいか」
「言ってみると良い、サクヤ」
「これからどうなるんだ?」
「かっかっか。未来は不確定じゃよ、どうとでもなるし、どうにでもなるのが日常よ。お主らは、運よくこの終わりに触れることができたが、ではもしも、触れていなかったらどうじゃ?」
「知らないってことだろ」
「サクヤさん、それは〝いつ気づくのか〟ということです」
「あ……そうか、そういうことか」
「お主らは、今気づいた。じゃが、それは終わりに気付いただけで、変化そのものを知ったわけではない。わかるか? これから起こりうる変化は、想像でしか見出せぬ。それを語るには、お主らはまだ若すぎる」
――だが。
「それでも、確実に変化は起こるのでしょうね」
「そうじゃろうな。さて――だいたいの説明は済ませたが、お主らはどうする。サラサはまだ少し、時間がかかるじゃろうて」
どうする、と問われて、三人は視線を交差させてから頷く。
「旅を止めるなら、全員で話し合ってからです。自分はノザメエリアに一度戻って、フルール……知り合いに報告をしておきたいと思っていますね」
「だったら、俺も一度三番目に戻るか」
「あ、付き合う」
「では、自分の用事が済み次第、そちらに合流しますよ」
「ああ? おい、そりゃいいけどなギィール、お前は何も言わずにふらっと消えるような印象がまだあるから、忘れるなよ? ちゃんと合流しろよお前、わかってんのか?」
「あはは、大丈夫ですよ、サクヤさん。きちんと合流します」
「おう」
「では、最寄りの港に送ってやろう。なあに、対価はもう貰っておる、心配するでない」
そうかと、三人は立ち上がる。
「ありがとな、じいさん。いろいろと勉強になった」
「サラサ殿をよろしくお願いします」
「またね」
そうして、彼らは戻る。
日常へ?
いや。
そんなふうに、簡単に割り切れない〝現実〟へ、戻るのだ。
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