06/15/18:40――サラサ・考えること
食堂がある、ということを聞いたので、ハクナに案内されていたのだが、ハクナ自身が戻ってきたことが全体に通達されたのか、好奇の視線が多かった。見ればギィールはずっと苦笑しているし、サラサは気になって少しイライラしている。たまに真正面から、頭を下げるようにして挨拶する人もいて、そちらの方が多少はマシだ。
しかし――。
「ん……人多い」
「え、なに?」
「食堂」
なんだけどと、ぴたりと足を止めた先に、妙な人だかりができていた。というか、通路にまで人が溢れている。
「賑やかですね」
「いつもはこんなことない」
「つまり」
「サクヤでしょ、これ」
間違いないとばかりに、三人は頷いた。声をかけながら中に入れば、テーブルの席は全て埋まっており、料理の受け渡しが行われるカウンターには人が集まっている。仕方ないので、通用口側から回り込み、ひょいと食堂を覗き込めば、エプロンをつけたサクヤが指揮を執っていた。
「馬鹿野郎! 小さじ一杯って言っただろーがクソッタレ! 紙も読めねえなら今すぐ厨房を出て辞書でも引いてろ! そっち火が強いぞ馬鹿! 煮込みなんてのは時間がかかって当然だ、ちっとは頭使え間抜け! 強くすりゃ短時間で済むなんてのは料理じゃなく力仕事で勝手にやれ! ――おい盛り付けに気ぃ遣えや! 見た目だって料理だぞクソッタレ! 手ぇ動かせ文句があるならとっとと出てけ! 役に立たねえなら足手まといだ、いらねえよボケが!」
などなど、汚い言葉を使いながらも、誰よりも手早く仕事を片付けている。こういう姿は新鮮だ。たまにはあったけれど、基本的に彼らはサクヤの仕事に対して手伝ったことがない。多少の質問くらいはしたが――誰かに何かを教えているところ、というのが、まあ、あまり見なかったのだ。
三十分くらいぼやっと見ていただろうか。人も落ち着いてきた頃、こちらに気付いたギィールが包丁を持った手を軽くあげた。
「もうちょい待ってろ、飯を作ってやる。そうすりゃ俺も上がりだ」
「わかった」
表側に回って、人が減ったカウンター側から中を見る。
「でも、どしたの」
「ああ? ここにいるクソッタレどもに、料理を教えてくれってハクのじーさんに頼まれたんだよ。つーか、最初はまず、飯を作ってみろって言われたんだけどな。はは、ひでえもんだ。ここの料理も、食べる側の舌もな」
「珍しーじゃん。手を貸したんだ?」
「そうか? まあ、そうかもな。けど、ここの腕もわかったし、ここの料理もわかった。これ以上の収穫はねえだろ。今日の日記に書いておくさ、原材料は石油でしたってな。ははは――てめえらは基礎から学びなおせ。ガキだってもうちっとマシな飯を作るぜ」
そう言って、呆れたように吐息を落としてから、エプロンを外した。全員で空いているテーブルに料理を運び、そうしてようやく、落ち着いて食事ができるようになった。
「――で? そっちなんかあっただろ」
「わかりますか?」
「そりゃ」
「うん」
わかるだろうと、三人の視線がサラサに向く。当人は気付かずに食べているが、とにかく顔に出やすいのがこの女である。
「正直、よくわかっていません。面倒な〝流れ〟があると忠告はされましたが、それが何を指すのかはさっぱりです」
「ふうん? まあ、お前らが拾ってくる面倒ごとは、基本的に俺らは関係ねえってのが多いんだが」
「ははは」
多いのだけれど、結局それにハクナもサクヤも巻き込まれるのだから、どうにかして欲しいと思ってしまう。慣れたけれど。
「しかし、技術の発達レベルがすげーことになってんな、ここ。そろそろ説明してくれよハク、なんなんだ」
「ん……どうだろう。発展そのものは海が開けてからだし、私は思いつくままに好き勝手やってただけ。べつに、私が貢献したわけじゃない」
「そうなのか?」
「うん。私の技術を解明してる研究者もいるし」
「つまり、まだハクナさんのレベルに達することができていない?」
「そう。でも全員がそうじゃない。知ってる人も…………いるかも?」
ほとんどいないようだ。
「統一規格そのものも、程度をどこへ持って行くか、ですね」
「中間を取れば劣化するってのが、最終見解だったか? だからといって統一しなきゃ発展はねえ。個から全へ、いわば伝言ゲームと同じだ。どっかで間違える。間違えは劣化だ。稀に進化したところで、やっぱりそいつは全の中の個が保持する」
「個で完結すりゃいーじゃん」
「体系そのものが縮小できるならな。サラサだって技術を親から教わっただろ? それをお前が誰かに教えることはあっても、その誰かだって個人だ。大勢に教えることは劣化を招く」
「いけないこと?」
「ハクナさん、良し悪しではないんです。学校というものはそもそも、大勢を均等に教えるものを理想としていますから。その中で進化した者を、――異端と呼ぶんです。外れてしまった一人。あるいは、自分たちと同じかもしれませんが」
「でも理想は理想でしょ。体裁があればいいんじゃない?」
「だな。教える側も教わる側も、満足してりゃそれでいい。だとして? そこには進化もなけりゃ、発展もない。つまりそれは、極論だが学校なんていらねえだろって話になっちまう。ちなみに極論言ってんのはお前だぞ、サラサ」
「うぬう……」
「まあハクナみたいなのが全体を引っ張るってのも効果的ではあるんだが――サラサの言った通り、異端は個で完結しがちだ。んで、自分で見つけて進化した事実を持ってたところで、やっぱそれを〝教える〟ってのは難しいもんだ。あっちに言わせれば、さっぱりわからない。で、こっちに言わせれば、何がわからないのかが、そもそもわからない」
「同じ場所に至る道だとて無数にある、という証明ですね。何より己と同じものを作りたいのならば、己の必要性がなく、相手も人である必要がなくなります。それは進化ではなく、穴を掘って埋める作業と同じようなものでしょう」
つまり、この男連中は何が言いたいのかというと。
「じゃあここは、どうなのって話?」
「ま、そういうこった」
「基本的に独学。意欲で決まる。講義もたまにやるけど、研究者の下について現場で学ぶ。……許されれば、だけど」
「意欲ねえ」
「なに、サクヤ」
「独学ってことは個に依存する形式だろ。だとすりゃ意欲は必要だが、だったらそれ以外には何が必要になる?」
「……?」
「次に必要なのは――発想になるんですよ、ハクナさん」
「あー、あれか。師匠のやってるのと同じことができたって、越えることはできないってやつ」
「まあな。越えなくたって、違う道で追い越すことだってできる。……少し主題から反れてんな」
「それもそうですね」
「主題?」
「ハクナ、質問だ。――学び方は誰が教えている?」
「……え、なにそれ」
「これだ、話にならねえ」
ため息を、一つ。
「それと――何を集まってんだ、お前ら。ああ? 旅人が休憩のついでに歓談中だ、聞き耳を立てるなクソッタレ。それとも何か、講義か何かと勘違いしてんのか? だったら金払え」
「まあまあ。聞くのは構いませんが、あくまでも個人的な意見です。この中に、他所から来た旅人が好き勝手言っていると思った人がいたら、さて、サクヤさんなら?」
「はあ? 実際に中で過ごしてるのに、この程度の着眼も持てねえなら、とんだ間抜けだ。好き勝手? はっ、くだらねえよ。関係ねえ俺らが勝手に言うのは当然だ。それを受け止められねえなら、俺らがいなくなった後で文句を壁に向かって言ってろ」
「自分たちは教育者ではありませんからね。――ご馳走様です」
「おう」
「私もご馳走様。ギィールと先に戻ってるけど?」
「後片付けくらいやるさ。なあギィール」
「命題ですよ。教育者をどう作るか? あるいは、笑い話かもしれません」
「難しいよなあ……」
まったくだ。
食堂から出れば人は少ない。たまにすれ違うくらいで、二人は迷わずに部屋までたどり着ける。一応は客間ということだが、大した設備はない。ないが、お茶が飲める妙な機械の操作は教わっていたので、とりあえずとギィールはお茶を淹れた。中にはベッドが二つある、いわゆる宿泊施設と似たようなものだ。シャワーだけなら、隣室に備え付けられており、大きな街だということを理解させられる。
小さい町だと大抵は共同浴場であるし、手洗いも共同になっている場合が多い。それはそれで慣れたものだが、便利であることを実感できたのならば、それはそれで問題ないだろう。不便に馴染んでいる証左である。
「ねえギィール」
「はい?」
お茶を手渡し、ベッドに腰かける。部屋割りはいつも適当で、こうして二人が一緒になることもあるが、異性としてお互いに意識したことはない。今も違うベッドに腰かけているし、そもそもギィールには心に決めた人がいることを、サラサは知っている。
というか。
サラサとギィールは似た者同士だ。お互いの傷を舐めあうようにした先は、堕落しかないし、それはお互いに嫌っている。
「終わりがあれば始まりはある――ってことを、ちょっと思い出した」
「思い出した、とは?」
「鷺花さんに言われたことがあった。で、たまに思い出してはいたんだけど、いつものように私ってほら、目の前のことで精一杯だったから」
「それは自分もそうですが……」
「とりあえず、先にね? レーグさん、どう見た?」
「あの人の基準がどうなのかは定かではありませんでしたが、まったく敵いませんね。少なくとも境界を越えているタイプです。ただ……」
「ただ?」
「自分の手は〝届く〟のだと、そう思えました」
「うん。私もその意見には同意。途方もないことだろうけど、なんて言うんだろ……可能性の話だけに限定するなら、いつか至るだろう場所にいる?」
「はい。そして、妖魔と混ざったのも、おそらくは混ざったから強くなったのではなく、強さを持ったから混ざってしまった、あるいは、混ざることができた――と、そういうことなのだと思います」
一つの証明ではあるが、それが強さを持った切欠にはならない。そして、強さそのものでもないのだ。
「見ている時間が違う」
「――、それは?」
「あー、いっちゃんが助言くれたんだよ。まあ私なりに考えてはみたけど……一秒って時間は、基本的に私もギィールも同じなわけ。でも、じゃあ〝一手〟ならどうだろう? 昔さ、母さんと鍛錬してた時に、よく言われたんだよね。まだまだ一手が〝遅い〟ってさ」
「それは何度か自分も耳にしたことはありますが、速度の話では?」
「うーん、私もそう思っていたんだけどね。なんだろう、たとえば」
お茶を左手に持ち、ふらりと立ち上がったサラサは、振り向く動作と同時に腰の裏にある小太刀へと右手を乗せ、そのまま逆手で引き抜く。
「今、抜いたよね。これってさ、ギィールもたぶんわかるとは思うけど、錬度が低いヤツと高いヤツとじゃ、たったこれだけの動作で〝差〟が出るじゃん」
「出ますね。ぎこちなさ……慣れもあるのでしょうが、錬度が高い人は滑らかです。今のサラサ殿のように」
「あんがと」
慣れている。
今のサラサは、鞘の位置を確認せず、ほぼ意識しなくたって、そのまま腰裏の鞘へ納めることもできるわけだ。
「だいたいの感覚としてはさ、二つなんだよね。あ、三つかな? 得物に手をかける、抜く、構える」
「……なるほど」
「うん。これって本当に三手なのかなって」
「そうですね、自分としては三手です。しかし――」
もしも、三手ではないとしたら?
この動作に対して、一手であると認識されるのは、べつに構わない。同じ三手であっても、たとえばギィールならば踏み込み、握り、殴るといった三手が行える。つまり手数とは、お互いにとって、一つの動作の〝範囲〟なのだ。
だが、相手はこれを五手と数えていたのならば?
得物に手をかけ、抜いて、構え、相手を見て、踏み込む。
こちらが構えるまでに、これだけの行動が行えることになる。
「単純な総数ではありませんね」
「うん、先読みも必要になる。でもさ、抜いてもないのに小太刀を持ってるって見抜かれたんだよね、私。ということは、抜くってことは――」
もう一度、ゆっくりと右手を動かす。
「――肘を上げる、後ろに回す、手をかける。これって三手なのかな?」
「それを三手だと認識できるのならば?」
「重心を前に倒す、地面を蹴る、次の一歩を前に出す?」
そこは速度の問題にもなるが、時間的にはまあ、そのくらいだろう。
見抜かれていたのならば。
小太刀を抜く、構える。
二歩目が地面につく、より強く蹴る。
――構えた時点で接敵されていて。
次の攻撃は、最短である〝突き〟しか残されていない。それを読まれれば回避され、次の一手は?
「速さもあるけどさー、たぶんこれ、認識ができた時点で、速度はもう追いついてるってことだと思うんだよねえ」
「小太刀を抜くまでを三手として捉えられる速度なら、相手にとって……レーグさんにとっては、何かしらの三手がその間に打てる、と」
「うん。話してて気づいたけどさ、さっき言ったけど、私にとっての一手って、得物に手をかける、抜く、構えるなわけじゃん?」
「……そういうこと、なのですか」
「たぶんね。父さんが得意な居合いって、レーグさんもできるだろうけど、手をかける、構える、抜くでそれが攻撃になるわけじゃん? 同じ三手」
大きな差がある。認識の差だ。
相手は小太刀を引き抜くまでを三手と認識していて。
こちらは手をかけ、構え、攻撃をする動作を三手と認識していた。
だったら?
それは同じ三手として、現実になりうる。
「つまり自分の不意打ちも、結果的には〝遅かった〟の一言で済ませられますが……」
「ありきたりな表現だと、五回くらい殺せた? とか、そういう感じになるよね。一手が遅いかあ……」
「速度の問題もありますが、そこまで認識できるものでしょうか」
「わかんない。ちょっと意識してみようかなって」
「はい。自分も勉強になりました」
「んでさ、質問」
再びベッドに腰を下ろしたサラサは、首を小さく傾げる。
「――レーグさん、どれだけ生きてると思う?」
「……」
「あ、やっぱ気付いてた」
「まあ、そうですね」
隠しているつもりはなかった。というか、その点にサラサが気付いていたのかと、逆に驚いたくらいだ。
「人と妖魔が混ざっているのは初めて見ましたが、どうなんでしょうね。見た限りでは人でしたが――混ざってしまっているのならば、その本質は、やはり別物。そもそも妖魔には、寿命がありません。だとするのならば」
「いつ死ぬのかもわかんない、だよね。想像できる?」
「いいえ。こう言っては何ですが、自分は百年も生きればそれで充分だと思いますよ」
「そこから先、なんだけどさ。やっぱり――諦めなのかな」
「そう……ですね。実際に聞いたことはありませんが、どこかで持て余すと思います。時間に倦む、とでも言えばいいのでしょうか」
「――終わりたいって思うかな?」
「それは」
「終わりたいと、
「……誤魔化せたとしても、どこかにはあるのでしょう」
「だよね。始まりが必ずしも、良いものじゃないように、終わりもまた、必ずしも、悪いものじゃないんだって。でさ、ここが問題なんだけど」
「はい」
「たとえば、レーグさんを終わらせるのって、私じゃ無理だし、ギィールもできないよね?」
「まあ、そうですね。そもそもああいう方は、自殺は禁じていますし、あえて殺されようだなんて考えないでしょう。一手の読みが違うように、自分では――」
「そう」
「――」
ギィールも、気付いた。
「私たちじゃ、できない」
この話の関連性に、気付く。
「〝手に負えない〟よね?」
そう言ったのは。
――レーグだ。
「どうしようもない、もの」
「うん。だから、もしもこの予想が当たってるなら、さ」
厄介な状況が訪れる。けれど、でも、レーグの言葉を信じるのならば。
「彼らの終わりなんていうのは――世界そのものが動く状況になる、かも、しんないってことなんだよね」
人の手には余ると、そう言っていた。
そして、それは。
もうすぐ、目の前にまで訪れている。
――避けようがない場所に。
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