06/15/13:00――ギィール・雨の名を持つ男

 久しぶりといっても、たかだか数ヶ月ぶりの二人での行動にはなったのだが、特に意見を交換せずとも、街の中を歩いて見物するくらいならばなんの問題もなかった。

「問題というかさ」

「はい?」

「なんだろ、ここのご飯が不味いの。やっぱサクヤの料理に慣れ過ぎてんのかな?」

「はは、それもあるでしょうね。サクヤさんの影響でしょう、自分もどこか、一般の食事を口にする際、何が違うんだろうと考えてしまいます」

「美味いんだよねえ、サクヤの。こっちの好みに合わせてもくれるし――あれ? なんか開けたね」

「広場? いや……しかし、裏路地でしたよね、今来たのは」

 機械ばかりが山ほどあるような空間から、まるで外に出てしまったような感覚があった。出てくる時に見た地図を脳内で広げれば、アルケミ工匠街の隅だ。

「もしかしたら、家が建つ前なのかもしれませんね」

「移動が面倒だから放置? でも、街なら空き地なんてマイナスにしかなんないじゃん」

「利益を目的としたのならば、ですけれどね」

 だが、どこか落ち着くのは確かで、思わず足を止めて話をしていたのだが、横にある通路からふらりと、男が姿を見せた。

「――うわ」

「自分ですかね、それともサラサ殿が?」

「磁石じゃないんだし、とよく思う」

「はは、面白い表現ですね」

 実際、旅を始めた頃は二人での行動も多く、そのたびにこうして――引き寄せられたように、熟練者の顔を見ることが多かった。

 たとえば槍使い、オボロ・ロンデナンド。

 たとえば無手の、キツネ。

 たとえば剣を扱う〝炎神〟エイジェイ。

 そうした連中とよく遭遇して、まあトラブルはそう起きないけれど、いろいろと複雑な想いを抱いたものだ。しかし、傍にサクヤかハクナがいると、遭遇率が下がるのだが、どちらが良いとは一概に言えず。

「おう――」

 相手から声をかけられれば、応じるのがギィールだ。

「こんにちは」

「旅人か? ここらじゃ見ないな」

「ええまあ。自分はギィールと云います」

「挨拶か。俺はレーグネンだ。レーグでいい」

 そうですかと、ギィールは微笑みながら、白髪の男を見る。五十代後半くらいに見えるが、精悍な顔つきをしており、袴装束は乱れがない。近寄ってきたレーグがぴたりと足を止めた瞬間、ギィールは踏み込んだ。

 最初から全開である。

 踏み込みの一歩目が地を叩いた瞬間、そこから波紋のように衝撃が拡散するが、それを両手で〝掴む〟ようにして手繰り寄せ、あえて拳を作って肘、手首、その先へ――。


「っと、物騒だな」


 ほぼ不意打ちに近かった一撃は、間違いなくレーグを〝壊す〟つもりだった。かつてと同じく、今もギィールは、人を壊すことに対してはぎりぎりまで躊躇するのだが、しかし。

 一撃。

 結論から言えば、届かなかったのでも、通じなかったのでもなく、そもそも〝完成〟させてはくれなかった。そう、両手で衝撃を掴む前に消され、肘と手首で〝把握〟したものも、拳を突き出した瞬間に、霧散するようにして消えたのだ。

 肌で感じたギィールにはわかる。

 声による空気振動だけで、こちらの扱う〝力〟そのものに干渉し、無効化したのだ。

「――、失礼しました」

「ん? なんだ、続きはなしか?」

「ああいえ、続けてもあなたは楽しめるかもしれませんが、自分はとにかく疲れるだけでしょう」

「へえ……」

「レーグさん、ですね。自分は旅を始めて五年になりますが、その時に保護者である方から、こんなことを言われました。――レーグネンを名乗る男がいたら、初手で全力を出して壊せ。壊せなくとも一手が届くようなら、耄碌したと笑ってやれ……と」

「誰だ?」

「サギシロさんです」

「なんだ、サギの仕込みか。いや仕込みなんて言ったところで、あいつの〝教育〟は、またアレなんだろうけどな。対武器破壊か?」

「はい」

「だったら、俺から助言しといてやる。〝空〟の把握ができたら、次は〝行動〟を把握しろ。この時点で、今俺がやったくらいのことはできる。で、その先にあるのは〝場〟の把握だ。こいつは教えることはできんが、まあ、いつか至るかもな」

「そうですか……ありがとうございます。しかし、簡単に無効化されましたね」

「お前くらいに技術を持ってると、綺麗なんだよ。整ってる。そこに泥をちょいと混ぜてやりゃ、そいつは整合性を失うわけだ。逆に素人が真似たノイズ混じりの技術だと、そういうわけにもいかないが」

 逆に、そんなものなら受けてやる必要もなく避けられると、レーグは笑った。

「レーグさんは〝武術家〟なのですか?」

「袴装束を見てそう言ってんなら、そうだ。誇張でもなんでもなく、世界中で俺以上の武術家はいねえ。武術家とは、俺のことだ」

「――む」

 その言葉に、サラサが組んでいた腕をほどき、唇を尖らせる。

「そうかもしんないけど、ほかの武術家を否定しないで欲しいなあ」

「お前は?」

「サラサ」

「いや、そうは言うがな、実際に半端者が多いんだぜ? まあ、ちょっと前なら楠木とかもいたけど」

「わかった。証明する。――私じゃないけど」

 そう言って、サラサは親指の付け根をお互いに合わせ、立体を作るような風の印を組む。

「あ? なんだそれは――」

 そのまま、皆、刀、在、風、そこから手の甲を合わせて掌を上下にして、親指と小指をお互いに交差する天の印、前、在、風、天と繋ぎ。


「――なに⁉」


 一割の具現率で、天龍ミカガミと、風龍エイクネスを呼んだ。

「はい、レーグさん、もう一回どぞ」

 にやにやと笑う、二つの姿の前で。

 レーグは驚きから、一度足元に視線を落とし、苦笑した顔を見せたかと思えば、そのまま。

「――武術家とは、俺のことだ。そうだろ?」

 言って。

『……ふん、雨の小僧が、まだ生きてやがった。なあ、風の』

『久しぶりだな。変わっていないようで何よりだ』

「うるせえよ」

 まるで子供のように、三人は笑って、――龍の姿は消えた。

「ったく……」

「あんま長く姿を見せると面倒だから、ごめんねー。ゆっきーもいっちゃんも、さっきから顔を見せたいってうるさくてさ」

「いや、いいさ。つーか、ほとんど呪力の発現がなかったじゃねえか」

「うん、そういうものだから。私はただの触媒で、力を借りてるだけ」

「借りるとはいえ、凄まじいものですよ、サラサ殿」

「そっかな?」

「ええ。お二人を見たのは久しぶりでしたが、そうそう見せるものでもなかったでしょう」

 事実、ここにはいない二人は知らないはずだ。

「しかし――レーグさんも、どこか似ている。姿ではなく、存在が、ですが」

「あー、妖魔混じりに近いのかな? 存在としては二つなんだけど、限りなく一つに近いの」

「血混じりではなく、存在自体が混ざっていると?」

「うん。ほかに実例はない――みたいなことを、べーさんが言ってる」

「なるほど、そうでしたか」

「ま、人間じゃねえと、そう受け取ってもらっても結構だ。あいつら七龍だろ? 契約……でもなさそうだし、単なる知り合いに近そうではあったが」

「危険はないよー、今のところね。うん、知り合いっていうか友達かな。みんなが住んでる場所と私が繋がってる感じ? っていうか、レーグさんが知ってるっていう方が、おかしいんじゃ……?」

「長く生きてるからなあ。百眼もいるのか?」

「――あ。思い出した、千鶴ちづさんと長くいた人って、もしかしてレーグさんだったの?」

「おう」

「それでかー……」

「ま、それでも俺はこっち側だ。サギはもう外れちまってるが」

「その言葉をたまに耳にしますが、具体例をお聞きしてもよろしいですか?」

「なんだろうな。たとえば俺は、武術を教えることができる。けど相手によって、どこまで習得できるか、あるいは完成がどこにあるのか、なんてのは見えちまうし、そういう点では相手を選ぶことになるな。けど、自分の持っているものを教えるって部分において、サギは最初から制約を持ってる。教えてはならないと自戒している。何故? ――そうだ、その何故こそが、俺とサギの違いだよ」

「知っていても、教えることができない――ですか」

「まあな。そういう連中は、まあ、それなりにいる。教えられることが限られて……まあ簡単に言えば、制約を入れて実力を限りなく落とした状態じゃないと、まともに対峙することもできねえ化け物ってことだな」

「しかし、レーグさんは違いますよね。同じ状況であっても、たとえば自分に〝合わせ〟るために実力を落とすことはあっても、それが制約ではないと?」

「制約じゃなくて、制限でもねえよ。そんなのは俺にとっちゃ気遣いでしかない」

「そうですか……ありがとうございます」

「いいさ。で、旅をしてんのか?」

「ええ。といっても、メインは自分たちではなく、技術屋と料理人のお二人ですが」

「ふうん。一応聞いておくが、武術家に逢ったことは?」

「あ、はい、あります。記憶に新しいものだと……」

「五番目の闘技大会」

「ああ、あの時でしたね」

「どんな相手だ?」

「そうですね」


 あれは――そう。


 ――これは、闘技大会の予選として行われる試合であった。

 闘技場は観客で埋められ、大きく三つの四角形のリングが配置され、次次と勝敗が決まっていく中、中央のリングに立ったのがギィールだ。もちろんこの時点で、大会優勝など考えていないし、ギィールにしてみれば暇潰し程度のもので、本気の度合いは低く、また大会を荒らすつもりもなかった。

 対戦相手はフジカという女性である。年齢としては三十には至らないほどで、袴装束の腰には刀を一振り佩いており、リングで対峙した瞬間に、ギィールは理解した。

 難しい手合いである、と。

 そもそも対武器破壊を前提とするギィールにとって、得物を持つ相手の方がやりやすい。だが逆に、であればこそ、得物を見定める〝目〟が鍛えられており、一瞥しただけでその刀を壊せないこと、そして業物であることがわかった。

 距離を置いて対峙してすぐに、相手の女性がちらりと横にあるリングへと視線を投げ、こちらを見たので、ギィールは小さく頷いた。それだけで意志の交換ができる――つまり、左右の戦闘を邪魔したくない。そちらが一段落ついてからにしよう、と。

 多少のブーイングはあったが、右から左へ受け流す。ただお互いに探るような視線を向けながら――やがて、片方の決着がつき、もう片方もリングを下りるタイミングで、ギィールは迷わず構えを取った。

 最大警戒の意味合いもある。左半身、肘を突き出すようにしつつ、けれど右腕は体幹に隠すようにして下ろしたまま。相手の女性はすらりと刀を引き抜き、正眼で構えた。


 ――その瞬間、闘技場内部から一切の音が消えた。


 二人が集中に入ったわけではない。ただ、威圧と呼ばれるものが空気を伝播し、固唾をのむような雰囲気が発生しただけだ。

 あえて遠距離を否定したギィールは、じりじりと間合いを詰める。この時点で最も厄介だと思えたのは、正眼の構えそのものであった。

 何しろ、その切っ先は、常に、ギィールの喉元へ向けられている。精神的な重圧はもちろんのこと、自然体でそれを維持するフジカに対して、じわりと恐怖が汗となって背中を濡らす。


 ――思えば。


 この時のフジカも、同じ思いを抱いていただろう。ギィールの奇妙な構えもさることながら、そのまま間合いを詰めてくる相手に対して、探りを入れている段階だ。

 そして、間合いに入れば、ゆらりと切っ先が揺れて持ち上がる。現実的には速い動きだったが、ギィールの体感としては空気を押しのけるような、滑らかな動きだった。

 持ち上げられた刀は、肩口から胴体へ向かう軌跡で振り下ろされる。

 肩に触れる前に、ギィールは左手で刀の腹を横から触れた。触れてから、左腕を伸ばすよりも前に、左足を外側に開き支点として、円を描くように右足を回して、真横から踏み込みを行う逆手順。

 本来ならば、触れる前にそれを行うべきだが、そんな暇はなかった。

 全身を使った衝撃はしかし――刀には届かない。

 掌に集まった〝衝撃〟が、あろうことか刀に当たることもなければ、徹ることもない。故に、力は溜まり、まるで鏡のように跳ね返る。それを受け流すこともできたが、しかし、ギィールはこの時点で一つの結論を抱いていた。

 つまり。

 この刀は、壊せない。壊せないどころか、そもそも、自分の攻撃は届かないのだと痛感した。

 だから、その衝撃に弾き飛ばされることを選択し、リングの隅に着地すると、ぴょんと飛び跳ねて自ら棄権したのだ。


「とまあ、そんなことがありまして」

「そのあと、ギィールはフジカにめっちゃ説教喰らってたよねー」

 そうなのだ。なんで止めたんだと理由を説明させられた上で、いかに自分が楽しみにしていたのかを説かれ、仕方なく街の外で軽く手合わせをした。

「俺の知らない手合いだが……得物については何か言ってたか? 銘は?」

「リウ、と」

「あれか――……お前はどう見た」

「刃物に作り手の心が見えることはありますが、紛うことのない魂に触れたのは初めてでした」

「ふん、よく見てやがる」

「でも、フジカ以外って、そういないよね。逆にレーグさんが知ってる人は?」

「んー? ちょいと前なら楠木だが、今となるとどうかなあ。俺が教えた直近っつーと、小太刀二刀と居合いくらい……そういやサラサ、お前も小太刀持ってんだな」

「うん」

 それはまあ、そうだろう。気付いたギィールは苦笑して、サラサに続きを促している。


「だってシュリとカイドウの娘だし」

「――」


 言えば、驚くかと思ったのだが、どういうわけかレーグネンは視線を足元に落とし、難しそうな顔をした。けれどそれも一瞬のことだ。

「なるほどねえ」

「え、なに、どした? 怖い顔になってたんだけど?」

「気にするな、こっちの事情だ。まあエレアがどう言ってるのかは知らないが、あいつは昔っから真面目にやらなかったからな。素質はあるって言ってんのに聞きやしねえ」

「それは本人に言って」

「それもそうか。で――ギィールは、無手なんだな」

「ええ、そうです」

「本来その体術は、得物を持ってこそのものなんだけどなあ。特にナイフ系とは相性が良い。素手でやるより破壊率も上がるしな。あとは――同じ手合いと対峙した時に、見えるものがある」

「そういえば、ギィールと同じような相手っていなかったね」

「そうですね……」

 ちなみに、ここできちんと言っておくが、闘技大会を荒らしたのはサラサだ。小太刀一本で準決勝まで進んで、お腹痛いんで辞める、などという明らかに嘘の言い訳で途中辞退した。外でやってた賭けが大変なことになったらしい。

 そんなサラサも、考えればフジカと似たような手合いだ。体術に限れば、だが。

「さっき言っただろ、場の掌握だよ。つまり、使う〝空〟をお互いに奪い合うことになる」

 空気を徹すのが基本ならば、その空気そのものを、どちらがどう使うか、という戦闘だ。使われているところを壊すのか、使われていない部分を抜くのか――。

「一通り基礎を終えた武術家なら、そのレベルに達する。エレアとカイドウも、その領域は越えてるぜ。場の支配までには至らないけどな。こう言うと誤解するかもしれねえが――ギィール、お前の攻撃そのものを、一つの〝流れ〟として処理できるっつーことだ」

 流れを掴んで戦闘をするギィールすら、流れの中の一つとして掴まれる。

 そういうことだ。

「そうなると、技術の問題ではなくなりますね……力の強さ、速度、そういったものとは違うのでは?」

「違わないが、まあ、そういう小さい視点じゃなくなるな。楠木の場合は、それすらも速度で突破できるが、それだって扱えるからこそのものだ。ま、経験だな。俺が教えられるのは、とりあえず、そんくらいか」

「ご教授ありがとうございます」

「いいさ。――でだ、俺はこのまま街を出るつもりだが、お前らはまだ遊ぶんだろう?」

「うん、そのつもりだけど」

「一応警告しておくが……少し、妙な流れがある」

 言いながら、彼は頭を搔いた。

「といっても説明は難しい。たぶんお前らじゃ感じることもできないし、何がどうなるかなんてのも曖昧だ。お前らだけなのか、それともこの街そのものか――あるいは、世界なのかも定かじゃない」

「失礼、それはつまり、世界そのものが動く状況にもなりうると、そういうことですか?」

「あるいは、な。だから俺も手を打とうとは思うが、たぶん間に合わないし、効果的じゃないんだろうな。こっち側の限界ってやつだ」

 であればこそ、レーグは、武術家として生きていられる。

「その上で、お前らの手には余る。とてもじゃないが解決できないだろうし……ま、脅すつもりはねえけどな。判断は任せる。――だが」

 それでも。

「何をするにしてもサラサ、呼べ」

「――」

 その意味がわからないほど、子供ではない。

 サラサだとてこの五年間、旅をして過ごしてきた。

 そして――。


「手に負えませんか」


 ――その意味がわからないほど、ギィールは馬鹿ではないし、付き合いも短くない。

「ああ無理だ。……人の手には、余る。何を守るのか、何を壊すのか、そもそも守ろうとするのか挑もうとするのか、言った通りその判断はお前らの自由だ。けれど、どうであれ」

 進む方向を、決めるのは彼らだけれど。

「――どうしようもねえモンってのが、世の中にはあるんだよ」

 言って、仕方なさそうに、レーグネンは笑った。


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