02/09/17:00――サラサ・風の道場

 真っ先に感じた足の裏の感触が固く、故に視線が落ちるのが先であった。

 靴が叩くのは床であると、サラサは認識する。けれど板張りになっており、表面は艶やかだ。けれど、一歩を踏み出してみればそのしなやかさを実感できる。固いが、弱くたわむような造りは、衝撃そのものに強い。その流れで天井を仰げば、そう、天井だ。いくつかの梁が見てとれるが――周囲を囲まれてこそいないものの、ここは何かの建物の中である。

「――?」

 動揺ではなく、訝しむような視線に気づいて顔を向ければ、そこに。

 まだ若いと表現してもおかしくはない、袴装束の男性が首を傾げ、顎に手を当てていた。

「あ、こんにちは」

「ん、ああ……いや、そうだな、こんにちは」

「どしたの?」

「すまないが、ここはどこだ?」

 知らないのかと、サラサは頷きを一つする。地龍もまた、似たような反応をしていた。

「見覚えはある?」

「ああ……どこの、という疑問を置けば、ここは道場なのだろう」

「そっか、これが道場なんだ」

 言葉としては知っていても、屋内にある道場というのは、サラサにとってこれが初見だ。そう言われてみればなるほど、衝撃に強いということは、運動をしても良い場所であることは確かである。

「なんだ? 会話はできているのか?」

「あ、うん、ごめん。えっと――私はサラサ。あなたは?」

「私は――……エイクネスだ」

「……? もしかして、人型になるのは初めて?」

「人型――?」

「風龍エイクネスだけど、そうじゃないよ。ほら、両手を見て」

「……ああ」

「もういっかい聞くけど、名前は?」

「そういうこと……なのか? ああ、私……いや、俺は」

 そうだと、頷きと共に天井を仰ぐよう遠い目をした男は、寂しさと悔しさが同居したような顔を、やがて苦笑へと変えて。

「俺は、神鳳雪人かみとりゆきとだ」

「じゃ、ゆっきーで」

「なに? なんだそれは」

「愛称だけど、嫌? ゆきりんとか、とりやんとか、かっきーとか」

「…………ゆっきーでいい」

「うん。ゆっきーは、人型にならなかったんだね」

「そもそも俺は、この俺が存在できないと、そう思っていた。そして今まで、現実だったのだろう。俺は俺だが、それはエイクネスであることと同義だ」

「んー、ちょっとそこらの事情については、さっぱりわかんないけど、まあいいや。えっとね、ここは城みたいな場所なの」

「――城?」

「そう。わかるよね、城」

「ああ、エイクネスである記憶を持っているし、城くらいはわかるが……」

「ここは、その城の中にある一室なの。住人はほかにもいるんだけど、基本的に出歩けるのは、広間まで。ほかの人の部屋に行く時は、家主の許可がいるから」

「……、ああ、そうだな、そういうものだと理解はしよう。しかし、納得できる情報量ではないな」

「そりゃ私だって手探りだし、全部わかってるわけでもないから。それに私は外で普通に生活してるから、こっちに長い人にあとで聞いて――あれ?」

「ん、なんだこれは」

 僅かに、音が響いてくる。軽く、そしてやや高い音色だ。

「あー、たぶんノックの音かな。家主によって違うんだけどねー、この感じ。とりあえず招くよ?」

「ああ……」

「どうぞー」

 サラサが声をかければ、側面の壁がない道場の中に、ふわりと横に開くタイプの扉が出現する。それはゆっくりと開かれ、微笑みを浮かべた女性が入ってきた。

 肩まである髪を小さく後ろで括り、胸の上、腹部、腰の三か所にベルトがある外套コートを閉めもせずに肩に提げているのが印象的だ。

 そして。

 動揺であり、驚きの気配を隠せもせず、男から波打つように発生する。それを感じた女性もまた、軽く目を伏せるようにして悲しみを飲み込むと、嬉しさだけを表情に浮かべて。

「――久しぶり、雪人さん」

「鷺花……なの、か……?」

「ええそうよ。かつてよりも、ちょっと老けたけれど」

「そうか――そうか、鷺城鷺花さぎしろさぎか。お前はまだ、生きているのだな」

「死にたいと思ったことはないもの。それよりも――名前は?」

「サラサ。えっと、鷺花さんでいいのかな」

「いいわよ」

「ちょっと待て、おい、いいかサラサ。どうして鷺花はそれで、俺はこれなんだ?」

「え? だってゆっきー、人間じゃないし」

「………………」

「あはは、面白い子ね。カイドウとエレアは元気?」

「うん、今も海の上にいるよ。ってことは、あー、もしかしてサギって両親が言ってたの、鷺花さんのことだった?」

「そうね」

「父さんはいいとして、母さんはいっつも変な顔してたけど……まあいっか。あのさ、二人とも、ちょっと呼ぶけどいいかな」

「構わないが、どうした」

「私よりも長くここにいる人に説明させようかなって。んっと……」

 誰がいいだろうかと考えて、男を見てから頷き、そのまま。

「いっちゃん! どーせ暇してんでしょー? ちょっときてー!」

「……俺だけじゃないのか」

「外で生活する上で、気軽に言葉を作れるような名を、あえて選択した結果でしょう。発端は定かじゃないけれど、そういう流れが作られたのね」

「そうか。……変わらんな鷺花、そういう思考を平然とする」

「そりゃ私だもの」

 仲が良いなあと思えば、すぐに扉が出現して、彼が顔を見せた。

「おうサラサ、――って新入りかよ。ははは! おいおい、なんだこりゃ、ああ?」

「服装がいっちゃんと一緒だったから呼んだんだけど?」

「――」

「そりゃ正解だ。なんだお前ら二人して、変なツラしやがってまあ、――愉快だな。あはははは!」

 見れば、やはり二人の顔は驚きで。

「覚えてねえか、鳥の小僧」

「覚えて、いる……五木の、そうだ、しのぶの親の……」

「そうか。で、そっちは見ない顔だが?」

「――呆れた。ああ、呆れたのはサラサに対してね。リウラクタが世話になったわね、天の」

「げ、つーことは、てめえがサギか」

「そうよ。……それで? サラサ、あと何人いるの、ここに」

「うん? えっとね、天、水、雷、地、風がゆっきーでしょ。それから、逢わないけど冥もいるはず。あとアルさんがいるなあ。住んではないけど、タマちゃんもよく遊びにきてるみたいだし――っていうか、どうして鷺花さんはここにこれたの?」

「私は雪人さんの気配を追ってきただけよ」

「気配かあ。そういや小夜さよさんもそんなこと言ってたっけ……」

「――、ああ、そうかアルか……なるほどね」

 頷き、鷺花は一度だけ雪人を見て、そして。

「ん。じゃあもう行くわ」

「あ、うん、ゆっきーはいっちゃんに詳しく聞いておいて? だいたい知ってるし」

「俺に丸投げかよ……」

「この前のお酒!」

「へいへい、わかったわかった、ちゃんとやっとくから、また美味い酒を頼むぜ」

「まったくもう。じゃあゆっきー、私も戻るから、よろしくやっておいてね。いろんな人に話を聞けば、だいたいわかるから」

「わかった。これからよろしく――で、構わないか、サラサ」

「うん。よろしくね!」

 そうして、サラサは複数の印を組む。目的地を絞ろうにも場所を知らないので、人物――ギィールを補足して、そのまま移動を行った。

「っと、ただいまー」

「――」

 ゆらり、とまるで水の中をかき分けて動くような所作で、ギィールが振り向いた。それを滑らかと表現すべきだろうが、さすがにサラサはそこまで見抜けてはいない。何しろ移動して戻ったばかりだ、意識して見てもいなかっただろう。

「サラサ殿、おかえりなさい。驚きましたよ」

「ごめん、言っておけば良かったね。これからもちょいちょい、あるかもしんないから――あ、そういえばここ、どこ? 部屋? あー、更にごめん。邪魔してたかも」

「いえ、構いません。ここは自分が住んでいた家で、研究室なのですが――」

「私が使ってる場所よ」

「お、鷺花さん?」

「――、……どうしてお二人とも、自分の背後に出現するのですか。しかも、サギシロさんは気配が掴めないのですから、勘弁してください」

「未熟を痛感すればいいのよ。と、まあ、ギィールの保護者でもあるの」

「おー、そうなんだ」

「そうですが……お知り合いでしたか?」

「うん、ちょっとね。あ、じゃあ私、宿の手配と食事してくるから」

「でしたら自分も同行しますよ。ではサギシロさん、自分はまだ数日はこちらにいるので」

「ん、細かい話はまた後で。サラサ、私の〝仮説〟がいくつかあるから、日を改めて聞きにいらっしゃい。であればこそ、四番目は今まで避けていたのでしょうからね」

「はあい。じゃあギィール、案内よろしく!」

「はい。では行きましょう――っと、サギシロさん」

「ん?」

「旅をすることにしました」

「ああ、そう」

 たったそれだけの返答で満足したのか、ギィールの促しによって外へ出る。振り向けば、背の高い建物だった。二階もある。

「ここは?」

「魔術研究所です。街の管理などをしているところですね」

「そっか。っていうか、鷺花さんのあれ、あんな素っ気なくていいの?」

「はは、詳しくはまた後で話しますよ。っと、あちらにあるのが宿です」

 案内された宿に入り、すぐに受付で話をして一室を借りる。さすがに宿で商売をしているだけあって、手続きは簡単だった――が、しかし。

「ここは食堂ないんだね」

「これから自分も行くところなので、そちらも案内しますよ」

「あんがと」

 街の様子やら何やらは、明日から落ち着いて調べれば良いと思い、とりあえずざっと見渡すだけにしておく。人通りはそれなりに多く、どちらかといえば仕事終わりの様子が見受けられた。

 しばらく石畳を歩いて到着したのは、センシズと看板が出ている店だった。外にいるだけで喧騒が伝わってきたが、中に入ると騒がしさに目が丸くなる。

「え、なに、祭り?」

「はは、似たようなものかと」

「――おう! ギィール、おい、こっちへ来い! つーかこの連中をどうにかしろ!」

 カウンターの中から声をかけられ、せわしない様子の店主へと向かえば、手際よく仕事をしつつも、嫌そうな顔をしていた。

「どうしました?」

「どうもこうもねえよ。ギィールの旅祝いだとか言って、ハンター連中がこぞって銀貨を置いて行きやがる。なんだこれは、うちの在庫を全部出せってか? 冗談じゃねえ――下手をすりゃ足りないくらいだ。明日から二日は店じまいになっちまう!」

「嬉しい悲鳴ですね」

「どこがだ!」

「おうい、ギィール! なんだ女連れかよ、てめえ!」

「マッテオさん、これは一体どういう騒ぎで?」

「お前を祝いに集まりやがったのさ! そっちに、小さいのが二人座ってるだろ、あいつも一緒なんだろ? そっちの嬢ちゃんもだ、ここは俺らの奢りだから好きなだけ食え!」

「おおう……」

 見れば、大人たちに紛れて小さいのが二人――というか、ハクナとサクヤが揃って座っており、雰囲気に混ざっていた。とりあえず落ち着こうと、そちらの席に向かい、座る。

「よう」

「どうも、騒がしくなってしまいましたね」

「何言ってんだ、そんだけギィールの顔が広いってことだろ。ハンターってなんでも屋のことも、いろいろ聞いたよ。つーか、どういう関係だ?」

「いろいろです。仕事を手伝ったり、自分の鍛錬に付き合っていただいたり」

「――そうだギィール、おい、鍛錬と言えば〝鬼ごっこ〟だ。明日に暇があるなら遊ぼうぜ」

「はは、自分は構いませんが、きちんと筋を通して開催してください」

「諒解だ、話は通しておくから逃げるなよ。俺らは負け越してんだ、勝ち逃げは許さねえからな」

「わかりました」

 などと、あれこれと話しかけられるが、どれも友好的なものだ。

「鬼ごっこ? 子供の遊びの?」

「基本はハクナさんが思い浮かべた通りのものですよ。ただ、ルールは多少変えています」

「え、なにそれ、どういう遊び?」

「あー? ……あ、そうか。船の上じゃできねえのか。普通、鬼ごっこって言えば、鬼を一人決めておいて、そいつから逃げる遊びだよ。捕まえたやつらから、退場って感じの」

「ふうん。ギィールがやってたのは?」

「大前提として、背後から触れられたら終わりになります。敷地はノザメエリア一帯で、自分とハンターたちとの勝負ですね」

「おいおい、人数にだいぶ差があるだろ……」

「まあ鍛錬なので。ちなみに最初の一時間、自分は逃げることしか許されていません。屋内にいる場合や途中で仕事が入った場合は、一時停止にはなりますが、屋内に逃げ込むと、そもそも出る時に捕まえられるので、あまりお勧めはできませんね。一時間経過後は、自分がハンターの背に触れれば、そのハンターは退場になります。生き残った方が勝ち、という明確なルールですね」

「はー、そんなことしてんのかよ。すげーな。サラサはどうなんだ?」

「え? あー、そういうのはないかな」

「サラサ殿の場合は、もっと〝怖い〟状況でしょう?」

「まーね……」

 思い出せば――いや、止めておこう。もう忘れたんだと、そう言い聞かせながら頷いた。

「とりあえず、数日はここにいるとして。あのさ?」

「うん? なんだよ」

「私の目的って、今のところないの。だから〝次〟は、そっちが決めてね」

「そうですね……自分の都合でここまで来たのですから、次はサクヤさんとハクナさんに決めていただければ、助かります」

「あー、そうだな。……ま、いろいろ考えておくとしてだ、目的地ってのはやっぱり、ちゃんと四人で話そうぜ。交互に決めるとか、そういうのもいいかもしれねえけど」

 それでも。

「目的は違っても、俺らの過程ってのは、同じなんだろ? だったら、やっぱり話し合うべきだ。どうでもよくても、な」

「サクヤって……」

「なんだよサラサ」

「しっかりしてるなあ」

「でしょう」

「なんでそこでハクナが胸を張るんだこのクソ女。いいかよく聞け、お前がそんなだから俺が苦労してんだよ! 楽してねえでちっとは俺を楽にしてくれ!」

「ごめんなに言ってるのかわからない……?」

「くそう、助けてくれギィール」

「あははは」

 こりゃたぶん無理でしょ、なんて思いながら、サラサは食事に手を伸ばした。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る