02/09/16:30――ギィール・ノザメエリア

 波止場はとばから出てしまえば、街道が整えられている。ギィールにとっては逆から見る光景の方がなじみ深かったし、一ヶ月も経たずして戻ってきたのだから、大した感慨はない。馬車が通れるほど広い街道ではあるものの、目視距離内にあるため、ほとんど徒歩での移動になる。左右を見渡せば平原が広がっているのも、整えられたからではなく、元からこうなのだ。

 さて向かおうと、四人揃って半ばまで歩いた頃合いだろうか。ふいに左右を見渡したサラサが立ち止まり、首を傾げた。

「ん? どうかしたのか?」

「あー……四番目なんだなって思って。ごめんギィール、ちょっといい?」

「――ああ、もしかして〝迷子〟ですか?」

「うん。先に行ってて、あとで合流するから。宿の手配とかは気にしなくていいよ、たぶんその頃には戻るだろうし……最悪、野宿するか、波止場まで戻るから」

 しかし、戻ったところでサラサの両親の船はもう出ている。おそらくは、一番目に向かうのだろう。けれど、そんなことよりも、優先したい事情があるのだ。

「わかりました」

「うん。じゃ、ちょっと迷子になるね」

 そう返事をしてすぐに、サラサの姿はその場から忽然と消えた。

「――はあ?」

「術式……じゃ、ない」

「迷子って、おいギィール、なんだこりゃ」

「はは、自分もまだよくわかっていませんが、サラサ殿はこうして迷子になることがあるそうです。それほど危険はないようですし、先にあちらへ向かいましょう」

「……ま、そういうものだってわかってんなら、それでいいか。しかし、城壁みたいなので囲われてないか、あの街」

「ええ、囲まれています。それなりに高い壁ですよ。ノザメエリアは雨も多く、海も近い上に、比較的空を飛ぶ妖魔の襲撃も多いのです。そのために駐在するハンターの数も多いのですが、防衛手段として、壁で囲っています」

「でも空からなんだろ?」

「はい。自分は詳しくありませんが、街全体を覆う結界のような術式には、壁のような〝仕切り〟があった方が布陣しやすいそうです。ノザメには魔術研究所と呼ばれるものがありまして、そこが中心となって街を切り盛りしていますからね、防衛も担っています」

「へえ……こう言っちゃなんだが、やっぱり場所によってそれぞれ、特色? いろんなものが違うんだな」

「環境などの条件そのものが違いますからね」

 会話をしながら足を進めれば、数分もいない内に入り口へ到着する。こちら側は物流も少ないため、入り口で立っているハンターは一人だけだった。

「――ん? よう! 戻ったのかギィール!」

「どうも、マッテオさん」

「お前がいねえ間に、棟梁が出張つって他所に出てったぜ。また戻るだろうけど」

「そうでしたか。では若大将が今は?」

「張り切ってるよ。さすがに俺らも補助に回ってやらなきゃいけねえけどな。つーか、いつの間に案内人に転職したんだ、お前は。とっととハンターになって一緒に仕事をしようぜ」

「はは……いろんなハンターからお誘いは受けていますが、自分には荷が重いですよ。それに彼らは、これから一緒に旅をする仲間です」

「――旅? お前が?」

「はい」

「そっか――おい、数日はこっちにいるんだろうな」

「早くても五日は滞在予定ですよ」

「おーし、なら今日の夕飯はセンシズだ。いいな? 祝いにぱーっと派手に騒ごうぜ」

「ありがとうございます。じゃあマッテオさん、お仕事がんばってください」

「おう。そっちの二人も、楽しく過ごしてくれ。ノザメエリアへようこそ」

 どうもと、軽く頭を下げて中に入る。

「……、なあギィール。あれって見張りじゃないのか?」

「見張りもかねていますが、どちらかといえば案内人に近いですよ。夜間警備の場合はまた違いますが、そのあたりはローテしているようです。日中は、荷物の運搬などの指示や案内が主だった仕事ですね。ハンターはなんでも屋です、報酬は魔術研究所から出ますから」

「へえ……いや、ウェパードもそうだけど、本当に違うんだな」

「そんなものです――と、ここの噴水広場が一つの目印になっています。正面に進めば魔術研究所、右手に進めば商店街、左手側は住宅区。といっても、大雑把な括りで、この街はいろいろと混ざっていますから。道自体は複雑になっていないので、大通りに出れば迷うことはないでしょう」

「ありがと、ギィール。宿は任せたサクヤ」

「お前ね……迷うかもしれないから、宿までは来いよ」

「ぬう」

「唸ってんじゃねえ。とりあえず迷ったら声をかけりゃ、誰かが案内してくれるんだろ?」

「ええ、問題ないと思いますよ。自分は魔術研究所に用がありますので――失礼、そうではなく、自分の住居があそこの研究室になっているんです」

「研究室? お前のか?」

「いえ、自分の――保護者の、研究室です。その人に拾われてからはずっと、そこで過ごしていたので」

「諒解。じゃ、何かあったらそっちにも顔を見せるよ。とりあえずは好きにやるさ、ありがとな」

「じゃ、また」

「はい」

 二人の背中を見送ってから、ふらりと揺れ動くようにして研究所へ向かう。人目を避けたのは、日課の時間が迫っていることを知っていたからだ。その日課こそ、挨拶に代わると疑っていない。

 研究室兼自室のノックはいらない。元よりそういう約束があったし、ギィールはそもそも、保護者であるところのサギシロの気配を掴んだことなど、ありはしないのだ。だからこそ、入ってすぐに。

「ただいま戻りました」

 そう声を出したのだが、どうやら不在の様子。そういうこともよくあったが、壁にかかった時計を見れば十七時が迫っている。とっとと準備を済ませようと思い、備え付けのロッカーから、私物である音叉おんさを複数取り出して、サギシロが専用として使っている裏庭へ出て、庭を囲むように設置した。もちろん、片隅にある菜園には近づけない。

 三度ほど往復してすべての準備を完了したギィールは、十七時になるのを待ってから、再び庭に出る。中央付近で深呼吸を一度したギィールは、ゆらりと躰を揺らしつつ、左足を軽く前へ出しながら、躰を捻った。

 肘、手首の動きから発生する力が、空気という壁を〝とおし〟て、音叉へと届く。最初は高い音色、それを十六ほど数えながら鳴らしたギィールは、右足の踏み込みと共に右肩を突き出し――それは空気を伝い、徹し、低い音色の音叉へと〝つつみ〟で届く。

 音、と呼ばれる衝撃が、一気に広がった。

 ――いつからだろうか。音を奏でることに楽しみを覚え始めたのは。

 躰を動かすたびに、踏み込み、膝、腰のひねりを中心に肩、肘、手首と、無数の打撃が空気を伝い、音叉を震わして音楽を作り出す。ノザメエリア中に響くそれを聞けば、あいつが帰ってきたのかと思い、十七時なら仕事はそろそろ終わりにしよう、と動き出す。いつしかギィールの日課は、ノザメエリアへの合図へと変わっていた。

 長いとも短いとも思える十五分の鍛錬を終えれば、ギィールは汗だくになっており、口から出した吐息が熱いのを感じた。視線を感じて顔を上げれば、二階にある研究室から顔を出した二人が手を振っていたので、ギィールは笑いながら小さく頭を下げ、音叉を回収してから、備え付けの風呂でシャワーを浴びて着替えた。

 着替えが終われば落ち着きを取り戻す。ぐるりと室内を見渡してから、ギィールはそのまま廊下に出て、研究員たちに挨拶をしながら二階の書庫へ向かい、そして。

「――やあ、フルール。戻りました」

 彼女に、挨拶をする。

「やあ」

 同じ挨拶をしながら、彼女は眼鏡をずらして本から顔を上げる。頭の上には二つの耳、けれどそれは猫族のものとは違い、茶色がかった髪は肩までと短い。そして椅子からは、竜族の象徴でもある太い尻尾が、でろんと姿を見せていた。

「知っているよ。さっきの音色はボクも聞いていたからね。いやいや、たった十数日とはいえ、あれがないと落ち着かないくらいには、どうやらボクも馴染んでいたらしい。おかえり、ギィール」

「そう言ってくれるのならば、自分としても嬉しいですよ、フルール。心配はしていなかったけれど、元気そうでなによりです」

「君もね」

「ありがとう。でもまた、旅に出ます」

「おや? そうなのかい?」

「旅を勧めていたのはフルールじゃないですか」

「そりゃあね、何しろボクはこのありさまだ、副所長なんて肩書まで身に受けてしまえば、そう気軽にあちこちと出歩くことはできない。たとえ研究員が優秀で、ボクはボクの思うがまま研究を続けられるとしても、ここから離れれば緊急時の対応がおざなりになってしまう。加えて、本の中身で世界を知った気になるのは愚か者のすることだからと、これは以前にも伝えたはずだよ」

「そうだったね」

「一人旅かい?」

「いえ、自分を含めて四人になりそうです。二番目からこちらまで、一緒に来ました」

「なら、あとで紹介して欲しいものだね。けれど四人か、ふむ、これは旅に関係するかしないか定かではないけれど、四という数字が安定しないことは知っていたかな」

「安定しない? ……逆に、では、安定する数値というのもあるのですか」

「そうだね。少なくとも三は安定する。五もそうだ。けれど四や六はいけない。けれど二はいいんだよ、一は駄目だけれどね。魔術的な思考分野にもなるけれど、理解を早めるのならば四足の椅子を思い浮かべるといい。これの一本が短くなっていたら?」

「安定しませんね、がたがたします」

「けれど、それが三本足の椅子ならば? 座りにくくはあるけれど、どれかが短くても安定する」

「ああ、三本ならば描かれる面は常に一つですね」

「そういうことだ。まあ旅ならば、その限りではないけれど、一つだけボクから助言をするのならば、劣等感を抱くのはギィールの趣味だとしてもだ」

「趣味ではないですよ」

「そうかい? ボクに言わせれば、ギィールはマゾだからね、何もかもを内側に抱きたがる。言いたいことを言っているのに、未熟とは違う部分を飲み込んでしまうんだ――曰く、自分が悪いのだろう、とね。それをボクは否定しないよ? そこが可愛いんじゃないか」

「そろそろ、自分に対してその表現は、やめてくれませんか、フルール。可愛いのはそっちだと自分は思っていますよ」

「それはどうもありがとう。ともかくだギィール、いいかい、君は一人になるんじゃないよ」

「……? どういうことです?」

「嫌ってもいい、嫌われることも良いだろう。君はどちらかといえば、それこそ皮肉だけれど空気を上手く読む。一歩引いて全体を見るのも、前を歩く誰かについて行くのも、それで構わない。けれどね、君がそれをやることで一人になってしまうのならば、旅を止めるべきだと、ボクは思う」

「そう、でしょうか」

「そうだよ。思い出してみるといい――君は、サギシロに拾われてここへきて、ボクに出逢って馴染むまで、ずっと一人だった。旅先で一人になるというのは、あの頃に戻ることと同じようなものだ。ボクはそれを避けたいし、ギィールだとて望まないだろう。けれど、一人でいなくなれるのは、こう言っては傲慢かもしれないが、ボクの傍にいれば大丈夫だと、そう思っている。だからその時は戻っておいで」

「ありがとう。嬉しいですが、しかし、そうならないことが第一ですね?」

「はは、ボクが慰める前に、まずはサギシロが蹴り飛ばしそうなものだ。ところで、詳細は後にとっておくとしても、残りの三人というのは?」

「女性が二人、男性が一人です。職業は順に船乗り、技師、そして料理人ですね」

「へえ……? 関係は?」

「どうなのでしょう。技師と料理人は昔馴染だそうですが、最近までは別の生活をしていたようですし、船乗りと自分も似たようなものです」

「ああ、こちらへ来た時に乗り合わせた船に、そういえば女の子がいたとか、そんな話を聞いた覚えがあるね」

「どうでしょう?」

「どうって、なにが?」

 さて、どう問えばいいのだろうかと、立ったままのギィールは小さく首を傾げて、言葉を探るよりも率直で良いかと、頷きを一つ。

「感想ですよ、フルール。自分たち四人が旅をしている、あるいは、するという状況についての、感想をいただければと」

「ふうん? そうだね、当人をこの目で確認するまで詳細は控えるけれど、単純に――そう、面白いとは思うよ」

「なるほど」

 苦笑し、軽く肩を竦める。

「ここに戻ってくるまでに、三人――船乗りの両親と、その知り合いにも同じことを言われましたが、やはりフルールもそう思うのですね」

「何が面白いかは聞いたかい?」

「ある程度は。けれど、フルールにとっての面白いことを、まず聞かせてもらいたいです」

「うん。ボクにとっての一番の理由は、いわゆる目的意識そのものがばらばらであること。そして、それがきっと、君たちにとっては〝障害〟にならないだろうことが挙げられる。君にとっては過去の清算なんだろう。できるかできないかは別にして、かつてボクに言ったよう、ギィールは今もまだ逃げ続けている。逃げ切ってここへ来たというのに、それでも、後悔を抱くのではなくて、地続きであり、それは継続であるという認識だ。その行く先を見定めようと立ち、前を向き、空を見上げたギィールを、ボクは好ましく思っているよ」

「ありがとうございます」

「けれどそれは一転、見方を変えてしまえば非常に危ういものだ。何故ならば、そうして足を進める君は、それはきっと――ボクが言ったところで、なんの解決にもならないけれど、足元が見れない、ということに他ならないからだよ。見ないのでもなく、見えないのでもなく、見れないんだ。そうしてしまえばきっと、がらがらと足場が崩れ落ちる錯覚に陥って、何もできなくなることを、本当の意味での逃避をしてしまうのだと、気づいているからだろう?」

「……」

 返答は避けて、曖昧に笑って受け流す。いや、受け流すというより、その行為だけを見れば、認めたのと同じだ。

「料理人が旅をするのはどうしてか? これは簡単だ、各地の味を覚えるためにある。どうしてそれが必要なのかと問われれば、味を知らなければ探求が難しいからだ。つまり料理人が目指す先、その目的の傍には、必ず街であり国であり村がある。人がいる。食生活そのものが作られる場であることは確かだ。そして技師はこの理由に似ているけれど、目的そのものに〝人物〟が必ずしも絡まない点が、大きな差異として存在している。最後に船乗りだけれど、これは明快だ。――陸地は海ではない」

「改めてそう言われれば、大きく見ている方向は違いますね」

「その通りだ。けれどね、だからこそ旅ができる〝理由〟になる。逆に共通している部分はどこか? それは、新しい場に、つまり旅として違う場所へ赴くという、行為だよ。とはいえだ、現状ではギィールはともかく、船乗りの目的については曖昧だけれどね。曖昧とは恐怖でもある。ボクとしては不安要素、とでも言っておこうか」

「うん、そうですね。ありがとう、やっぱりフルールの話は面白いよ」

「そうかい? ボクは会話を好む傾向にあるけれど、付き合ってくれるのはギィールとサギシロくらいなものさ。益体のない話も好きなんだけどね。何故だろう、ボクの言葉数が多いからかな」

「時に会話が発想と同じく、飛躍する傾向にあるからですよ。それを修正できる相手でないと、付き合うのが難しくなりますから」

「そうかもしれないね」

「夕食は?」

「うーん、ボクはまだ、調べものがあるからね、そっちに集中しようかな。どうせ自室に戻れば食料はあるんだ、問題ないよ。ギィールはどうするんだい?」

「センシズに誘われていますので、そちらへ。その前に、お土産を」

「うん?」

 ポケットから取り出した八つ折りの紙を取り出して渡せば、フルールは眼鏡の位置を戻しながら、すぐに広げた。

「へえ――おお! なるほど、なるほど、ウェパード王国の概略図か! さすがに詳細に書き込まれているものは、国が所持していて外部には出さないのかな?」

「おそらくは、そうでしょう。詳しく聞き込んだわけではありませんが、年に一度くらいの頻度で、調査は入っているようです。ここ、という日付までは聞き及んでいませんが」

「小さな水路がこれほど街中を通っているとは、この地図を見るまで思いもしなかったよ! 王国外部、陸地側に広がっているこの大きい水路は、元は塹壕にしていたのかな? 跳ね橋があれば十分に軍事利用可能だ。だからこそ堅牢だ、とは言わないけれどね。王国の周囲ではなく前方に街ができている――ふうん? 思想そのものの介入だな、自然発生的なものならば、城の周囲に街ができるものだ。それにこれは術陣の意味合いもあるね、効力そのものは薄いけれど、結界というより妖魔避けのような? いやいや、しかしそれはないな、ありえない。ウェパードの名を冠した場が、龍を呼び込むのは明確であるのなら、それを避けるなんてのは矛盾してる。――ははは! ありがとうギィール、これは面白いお土産だよ。ボクは嬉しくて君にキスをしたくなるくらいだ!」

「それは嬉しいけれど、また後にしてくれると助かります。自分はサギシロさんが戻っているかどうか、一度戻ってから、食事に出かけます。しばらくはいるので、また話し相手になってください」

「諒解だギィール、出る時はまた声をかけてくれよ」

「もちろん」

 相変わらずの様子が確認できただけで、今はいい。

 ――笑うだろうか?

 フルールのためならば、人生を賭けても良いと、ギィールの本心を口にしたのならば。

 いや。

 きっと、笑うだろう。

 本気を受け止めた上で、笑って。

 まだ早いと――そんな応えを返すに、違いない。


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