02/10/10:00――サラサ・図書館の住人

 実のところ、魔術研究所という存在について、サラサは以前から知っていた。

 サラサの実家であるところの船に乗る客や、あるいは母親が乗せる客にならない人物たちは、四番目にあるこの場所を知らないではいられなかったらしい。どちらかと言えば高評価であったし、特に母親の客に関して言えば、あまり近寄らないがと、そんな言葉を最後に付け加えていた。

 改めて今日、中に入って見れば、研究員が慌ただしく歩き回っているような様子はなかった。どちらかといえば、物静かな図書館のような印象が強い。実際に二階には、実験室を併設した図書館になっているらしいとのことなので、そちらへ行く。ちなみに一階には、個人が持つ研究室がほとんどらしい。

 サラサの目的は、また後で話そうと言っていた鷺花さぎかと逢うためだったが、そもそも約束をしていないし、それほど急ぐこともないだろうとの判断から、自分は魔術師ではないけれど、どんな場所なんだろうと思って二階へ行くと、そこに。

 広いテーブルを使って、白い紙を広げたハクナが、何か作業をしていた。かなり大きなテーブルなのに、紙の方が大きく、そっと近づいてみれば、線を重ねることで設計図のような何かを作っている。

「――やあ」

 その様子を、読みかけの本を手元に置き、頬杖をしながら見ていた女性が、サラサへ声をかけた。

「ギィールと一緒に旅をするのは、君もかな? ボクはフルール、ギィールとは付き合いが長いのさ。どうだろう、ちょっと話に付き合わないかい」

「いいけど……」

「ちなみに、彼女にも声はかけたんだけど、この様子でね。素晴らしい手際だと褒めたいところだけど、きっと今は届かないだろう」

「何してんの、この子」

「図面を引いているのさ。まずはノザメエリアの全体図、そこに各所ポイントとして数字を振っておく。次に、番号を記した箇所を深く描き出す。今はどうやら、石畳の形式らしいね」

「あー、昨夜の雨には、ちょっとびっくりしたけど、その対処だよね?」

「その通り。けれど、石畳にも組み方ってのがあってね。あえて高低差を作るんだけれど、それは〝道〟だけではなく〝街〟としての設計だ。どうやら彼女には、それが見えているらしい――と、君の名前は?」

「サラサ。確かに、ギィールとは旅をするってことなんだけど、なんか聞いた?」

「旅をすることと、君たちの職業くらいはね。彼女が技師、そして君からは料理人の匂いはしない。ということは船乗りってことだ。海の香りはしないけれどね」

「そりゃお風呂入ったし――ん?」

「どうかしたかい?」

「ああ、うん」

 視界に同期が僅かに入り、耳元で囁くような声が、小さくだけれど脳内に響く。この感じはべーさんだなあ、と思いつつ。

「えっと、フルールだっけ。魔術師?」

「そうだよ。やや異端ではあるけれどね。サラサは、そうじゃなさそうだ。こうして対峙していても、なんだろうな……いわゆる、一般的な魔術師とは違うようだ。かといってギィールのような無反応とも違う。言うなれば、それもまた異端の証明なのかもしれないね」

「そなの?」

「そうだよ。サラサは魔術師じゃないのかい?」

「うん、フルールが言ったように違う。けど呪術は使うし」

「へえ――いやいや、それはまた、ボクとしては恐れ入るよ。そんな気配は一切感じないからね。そちらの彼女の方が、よっぽど魔力を感じるくらいだ。けれど呪術と言えば、そういう専門は武術家のような存在が多いと、ボクは思っていたよ。……うん、隠している何かがあるようだけれど、呪術そのものを隠しているわけではなさそうだし、だとすれば君はたぶん、呪術師としても異端なのかもしれないね」

「ほかの呪術師は知らな――くはないけど、比べたことないし。あのさ、一ついいかな」

「なんだい? スリーサイズは上から84、69、78だけど?」

「いや興味ないし」

「うん、ボクも性的な趣味として、同性はちょっとなあ……」

「じゃなくって、ちょっと不躾な質問だけどいい?」

「だったら、答えるかどうかはわからないけれどと、ボクは言っておくべきかな。こう見えて、ボクは結構不躾に言葉を重ねるんだと、そう言われたこともあるし、それを他人がやったところで、大して不満には思わないから、とりあえず言ってみれくれ」

「ああうん。フルールってさ」

 いろいろと雷のが、教えてくれたけれど、それらを総括して。

「――それで安定してんの?」

「ははは! これは本当に恐れ入った、よくわかるね。確かに、姿そのものは隠していないけれど、だからって、逢ってこの短時間で見抜かれたとは、君の経歴に興味がわくくらいだ」

「あー、一応言っとくけど、私はよくわかってない。ただ、知り合いがそれを教えてくれただけ」

「へえ? 今かい?」

「うん、今」

「ははあ、これは参った。本当にその〝前兆〟すら掴めていないボクとしては、未熟を痛感するよりも前に、君は化け物じゃないのかと、そんな逃げ道を用意しておきたくなるよ。でもそうだね、確かにそうだ。その疑問はもっともで――ボクは安定しているよ」

「そうなんだ」

 でろん、と腰から出ている竜族の象徴とも言える尻尾。そして、頭に二つできた、狼族の耳。

 フルールは、その二種族のハーフだ。

「詳しくは教えてくれたのかい?」

「えっと、人間とのハーフなら、それは問題ないってことは、教えてくれたよ。で、他種族における、人間以外の異種族間の子は、どちらかに偏りやすいってこと」

「その通りだ。人間の存在は、いわば中立であって、人間に寄っても、他種族に寄っても、中途半端になることはそうない。異種族間の場合は、どちらかに偏りやすいとはいえ、血混じりにおける反応が強くてね――そもそも、五歳まで生きられない場合がほとんどだ。だからこそ、生きているハーフは、どちらかの血が強くなる。強くなくては、生きていられない。そう考えると、人間というバランスの良い生き物の在り方については、ある種の完成品とも、あるいは未完成の中和剤とも、言えるかもしれないね」

 だから。

「ボクのように、二種族の血が具現する形での生存は、実に希少だ。しかも身体能力が狼寄りであって、寿命な竜族に寄っている。その上、地上で狼になることもできれば、飛び上がって竜になることだって可能だ。非常に恵まれている――からこそ、であればボクは、狼としても、竜としても生きられず、こうして一人でいるしかなくなった。ボクにとっての同族なんてのは、いないのも同じさ。何しろ、中立である人間とだって、ボクは同じになれない」

「他人とは違うなんて、そんな当たり前なことを言われてもなあ」

「身も蓋もないね、君は」

「狼族は逢ったことないけど、竜族は知り合いいるよー。キリエちゃん元気かなあ」

「竜族に知り合いがいる方がおかしいんじゃないか? 狼族はあれで、地上を歩く生き物だからね、人間そのものとの交流は盛んだけれど、竜は毛嫌いしているケースが多い――うん? ちょっと待ってくれ。今、誰の名前を?」

「え? キリエちゃんだけど」

「……キリェラではなく?」

「そんな名前――……だったような気もするけど、覚えてない、かな。どっちかっていうと、両親の知り合いだし」

「古代竜族のはぐれモノに、そういう名前の竜がいてね。今では多少緩和されたらしいと聞いているけれど、以前は人間への干渉を絶っていた。いわゆる選民意識に近いんだけれど――それが嫌になって飛び出したって聞いたことがあるんだ。ボクも逢ったことがある」

「あー、可愛いのに結婚できない、すぐ泣きそうになって涙目になる、医者のキリエさんだけど。私が産まれた時も手伝ってくれたんだって」

「ボクには一切理解できないけれど、医者ならば確かに、あのキリェラだ」

「そう?」

「そうだとも。というか君は、キリェラが怖くなかったのか?」

「ぜんぜん」

「うん……?」

「好きだけどねー。この前、尻尾の先をちょっと切ったらすげー怒られたけど、から揚げにしたら美味しかった!」

「……ちょっと、待って、くれるかい」

「え、なに」

「竜族の尻尾を、切った? そして食べたと、君は言うんだね?」

「うん……トカゲと一緒で再生するからいいじゃん、と思って、ちょっとだけね?」

「本当かい? 実は今、このノザメエリアに来ているから、ボクは確かめることが可能なんだけれど?」

「あー、キリエちゃんいるんだー。じゃあ顔見せなきゃ」

「本当なんだね……尻尾は竜族の象徴でもあるし、結構重要なファクターであることは間違いないんだけれど、しかし、竜族そのものの身体能力の高さから推測したところで、そう簡単に切れるようなものじゃないし、そもそも竜変身してしまえば人間の手から逃れるなんて真似は難しくないはず――」

「……? 人間相手に竜変身する方が、情けなくない?」

「ぐ、ふぬ、……なあ、いいかい、サラサ」

「なに?」

「君は正論が過ぎるって、言われたことはないかい?」

「ないけど。もっと考えろって言われたことはある」

「ああそう……なんだろうな、ボクはなんだか負けたような気分で落ち込みたくなるよ。ええと――ああ、来た、キリェラだ」

「あ、ほんとだ」

 階段を上がって来る人影に、フルールが手を上げた。

「やあキリェラ」

「ハイ、フルール。調子は?」

「問題なしさ、相変わらずね。君がこの町に来たのは三日前なんだろう? もっと早くにボクのところに顔を見せたっていいじゃないか」

「そうは言うけれど、これからしばらく住むことになる診療所の下見くらいは必要でしょ。といっても、ここじゃそれほど患者が――え?」

「やっほー、キリエちゃん」

「ちょっ、なんでここにサラサがいるの⁉」

 勢いよく、白衣の裾から出ている――術式で隠してあるが――尻尾を両手で押さえると、キリエは大きく間合いを取った。

「んー、旅の途中かな?」

「旅……? サラサが? うそ、どーして。っていうか一人?」

「一人じゃないけど、説明がめんど。それよりキリエちゃん、ここに住むの? いい男が見つかって、腰を落ち着けるの? オメデトウ!」

「なにその嫌味! あんたシュリの悪影響受けてるでしょ⁉」

「だって母親だもん、仕方ないと思うし……でも、キリエちゃんの尻尾食べたって言ったら、コノミさんがすげー褒めてくれたよ?」

「あいつは問題外だから!」

「うるさいよ、キリエちゃん。図書館では静かに」

「くっ、この子は……!」

「なんだい、形無しじゃないかキリェラ。ほら座ったらどうだい? ちょっとなら愚痴にだって付き合ってあげるよ」

「ああうん……いやね、そりゃ産む時に手を貸したから、付き合いは長いし、一年とちょい前にも逢いに行ったし」

「そん時にから揚げ食べたんだよねー」

「これよこれ、母親に似て一言多いのよ」

「君が苦手意識を持っているのはよくわかったさ。けれど疑問だね、言ってはなんだけど、こんな小娘を相手に、古き竜族である君が尻尾を斬られるだなんて無様、もしも知られたら大騒ぎだ。そもそも、竜族の鱗を貫ける刃物なんてのはあるのかい?」

「え? そこらへんの包丁でもできるよ? ちょっと買ってこようか――」

「だからやめなさいって! あんたも煽らないの。あれ結構痛いんだから……」

「へえ、そんなことが可能なのかい、サラサ」

「うん、簡単だよ? 魚下ろすのもトカゲもそう変わらないし」

「大違いよまったくこの子は……」

「あはは、冗談だって。本当に切らないよ? 今怒ってないから」

 つまりそれは、怒ったら切ると言っているようなものだ。

「武術家じゃないんだろう?」

「違うよ」

「武術家じゃなくて、武術使いが近いわよ。何しろ、母親は武術使いの呪術師で、父親は武術使いの魔術師だもの」

「あー、うちの両親はねー、ちょっとおかしいから。あれ、絶対に変。どうかしてる。馬鹿みたい。怖いし」

「どうやら君が大変な環境にあったことは理解したよ。けれど何故だろうね、こうして話を聞いていると、なんだかキリェラには全く同情できないどころか、こう、ざまあみろと言いたくなるような気分でハッピーだね」

「なんであんたまで……!」

「可愛いよねー、キリエちゃん」

「おい、おいキリェラ、随分と年下の子にこう言われる気分はどうなんだい?」

「情けなくて泣きそうになる……」

「だってキリエちゃん、泣きそうな顔が可愛いじゃん。でも泣くと鬱陶しいから部屋の隅に行ってね」

「…………、……すまない、キリェラ。ボクも乗って遊んではみたけれど、さすがにここまでは乗り切れなかったよ。苦労しているんだね」

「ええそうなの、この子たちの系列には、本当にね……」

「――あら、ここにいたの、サラサ」

「あー、鷺花さん。いたんだ」

「まあね。それより話、いい?」

「あ、うん」

「じゃあ行くわよ」

 行くってどこに、という前に、二人の姿がその場から消えてしまった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る