08/11/14:00――サクヤ・料理人の暇な時

 元より、両親というやつが旅に取りつかれた人種であった。

 サクヤ・白舟びゃくしゅうが物心ついた時から、ちょっと行ってくる、なんて言葉を残して、一ヶ月も帰ってこないことが、父母共にあり、どちらかは必ずサクヤと共にいたけれど、一か所に留まっているとどうにも落ち着かない性質を持っているようだった。

 そんな両親と共に生きていれば、似たような性質になるか、逆に腰を落ち着けたくなるか、どちらかだろうけれど、サクヤは結局のところ、どちらにも拘泥していない。だからといって、文句なく従っているわけではなかった。

 いや、結果的には、ある意味で従ってしまったのだけれど。

 去年のことだ。八歳になったサクヤに、ちょっと行ってくる、なんて同じセリフで、今度は二人一緒に出掛けようとするものだから、それこそちょっと待てお前らいつまで戻らないつもりだと、ガキながらに言及したのは、ひとえに両親の教育の賜物だろう。さすがに最低限は生活できるよう手配したらしいが、それでは満足にやりたいこともできない。

 だから――酒場での下働きの許可を取った。

 サクヤにとってここ一年は、決して楽だったとは言えない。下働きなんて小間使いと同じで、使い走りにされるだけ。料理の腕を磨くどころか、そもそも厨房を使うなんてこと、ここ一年では両手の数あったかどうかだ。もちろん、最近では賄いを作る機会にも触れることができるようになったけれど。

 本当にやる気があるかどうか、過酷な労働に従事させることで店長が見極めたのだ、なんてことがわかるほど、サクヤは大人になってはいない。ようやくスタート地点に立ったのだ、くらいの気持ちである。

 どうして料理かと問われれば、冒険者の多いここ、三番目の大陸ドライにおいて、酒場で楽しそうに食事をする彼らを見ることは多く、そんな料理が作れる人は凄いと、単純に思っただけのことだ。自分もそうなれれば、とは思ったものの、だからといって店舗を持ちたいとは今のところ思わないし、自己満足だ。いや、幼馴染とも言える友人に食わせて、美味しいと言わせたい、なんて気持ちも、あるにはあるが、あいつは何を食わせても美味しいと言うからなあ、とも思う。

 この時間になると、酒場は閑散としだす。既に準備中の看板を表に出してあるので、二組の客がはければ、夕方と夜の仕込みをしなくてはならない。冒険者の多くは夕方から夜にかけての来客であるし、そもそもここは酒場なのだ。営業時間も、十一時から十四時、次の開店は十六時からになっている。

「――おう」

 カウンターを背もたれにしていたサクヤは、かけられた声に背中を離し、やや高いカウンターから離れるようにして顔を上げれば、厨房から出て来た店長が、皿を置いた。ぱっと見た目は細い男性だが、格闘術にも覚えがあるらしく、それなりに鍛えられており、体力もあるのはサクヤがよく知っている。高価な料理店ならともかくも、場末の酒場なのだ、腕力で解決するような事態も、たまにある――らしい。

 らしいというのは、どうも深夜帯らしく、サクヤが働いている時間では、まだ見たことがないからだ。といっても、半年に一度あるかないか、という程度らしいけれど。

「飯だ」

「あいよ。ちょっと早いじゃないか、まだ二組残ってる」

「片づけは俺がやってやるから、構わず食え。ガキが一丁前に言うな」

「そりゃ俺はガキだけどなあ……」

 言いながら、一応エプロンを外してから、カウンターの席に座る。それほど高くはないが、サクヤの背丈に合わせてあるわけではなし、座りにくいのは事実だ。何しろ、まだ九歳なのだから、当然だ。

「つーか、今日はそんなに客こなかったよな、店長」

「いや、平均的な集客だ。そう思えたんなら、お前が慣れたってことだろう」

「そうなのか? あんまし、そういうのは考えなかったけど……」

 炒めた白米が乗った皿を前に、まずやることと言えば、伝票に使っている紙を一枚拝借し、その裏側に使われている食材を書き出すことだ。最初は見てわかるもの、匂いでわかるものを記す。それが終わってからは、いただきますと言って食べ始め、更にリストへと追加していく。食べ終えてからは、それらの分量を概算で記しておき、レシピにするのがサクヤの修行である。ちなみにこれは、最初にここで働くことになってから、すぐに言われたことだ。

 だから、似たような料理を出されても、同じことをする。自宅に帰って、暇がある時は、それらをもとに作ってもみるが、未だに納得するような料理は作れていない。そのことへ文句を言えば、焦るなと、店長は笑いながら言っていた。

「あー美味い……魚の切り身か、これ。店長?」

「ああ、趣味人が釣ってきたのをくれたんでな、賄い用として使ってみた。さすがに俺も、魚料理自体は、あまりしない。ここは海が遠いしな」

「魚料理か……基本は焼き、蒸し、煮付け」

「港じゃ生で出してる」

「――そうなのか?」

「ああ、鮮度が高いからな、あっちは。〝醤油〟で食う」

「あー、あれ高いよな……調味料としてストックができる金額じゃないし、うちにはないな」

「使ったことは?」

「親がいた頃、何度かある。味も覚えてるけど、一応って感じか」

「……言っておくが、お前には賄いくらいしか作らせん」

「え、なんでだよ。駄目か?」

「駄目だ」

「理由はなんだよ!」

「落ち着け馬鹿。あのな――うちのメニューを教えれば、お前の料理はうちの〝味〟になっちまうだろうが。俺は跡継ぎを作るつもりはない。だから、お前は厨房に入れない。使う時は賄いだけ。わかるか?」

「……釈然としない」

「難しい言葉を使わなくても、馬鹿なのは知ってる」

「うっせ」

「今はわからなくてもいい。どうせ二年後に納得できる。技は教えてやるし、指導くらいなら賄いの時にやってやる。味は盗め。それで十分だ」

「って言われてもな……」

 店長としては、いつかここを出て行って、新しい一歩を踏み出すような相手に、留まるような理由を作りたくはないのだ――が、それを今言ったところで、納得はするかもしれないが、大人としてはなかなか癪だ。

「簡単に教えてやる。お前が料理屋に行ったとしよう。隠し味がわからない。そこの店長にお前はこう言うわけだ――隠し味が知りたいから厨房に立たせてくれ。どうなる?」

「そりゃ……断られるだろ、ふつう」

「それと似たようなもんだ。お前が俺と同じ料理が作れるようになったからって、面白くも何ともない。無駄だとは言わないが、知ったことじゃない。だが、俺より美味い料理や、俺が作れないものを作られたら、悔しいだろう。そういうことだ」

「はあ? 悔しけりゃいいのかよ」

「わからんか」

「わかんね」

 それもそうだろう。その悔しさと共に、一人前として認められる嬉しさなど、今のサクヤには伝わらないし、言ったところで理解はできまい。

「そういうものだ、と思っておけ。どちらにせよ、お前の両親には、俺の味を教えろとは言われてない」

「へいへい……ご馳走さん」

「早いな」

「だから、あと二組まだいるっての。さすがに客がいる状況で、のんびりはしないって」

「まったく……まあいい、二組がはけたら、飲み物とデザートくらい用意してやる。適当に休憩してろ」

「あいよ。つっても、仕込みの時間は俺も休憩なんだけどな」

「なんだ、暇か」

「暇っつーか……」

 食べ歩きをしようにも、食事は今したばかり。二時間弱の時間が空いたところで、自宅に戻って昼寝をする、というわけにもいかない。

「なら〝課題〟を出してやる」

「ん?」

「今、書き出した材料で、違うレシピを考えておけ。同一材料、量に関しては不問だ。そこまで限定すれば、数が限られる。ただし、可能な限り全種類使え」

「これを全部使って……?」

 ちらり、と書き出したメモを見る。それなりの数が書かれており、今日は駄目だしがなかったので、足りていない――つまり、舌で読み取った部分に欠けはなかったようだけれど。

「うちでも、不人気なメニューは一定期間で変更する。つまり、新しいメニューを考えなきゃならん。既存のものを入れ替えるのも良いが、できれば目玉商品になった方が得策だ。何しろ俺は、商売をしているんだからな」

「それの勉強ってことか……」

「もっとも、さっき言った通り、だからといってお前の新メニューをうちで出すことはないがな。そうやって増やしたレシピを、いつか俺に見せてくれりゃ、それでいい」

「よくわかんねえけど、まあ、わかったよ――ん?」

 入り口の扉が、開いて。

「客じゃないな、あれは。お前の友達だろう」

「まあそうだけど……いいか?」

「好きにしろ。客の片づけは頼んだぞ、サクヤ」

「あいよ」

 扉が閉まり、入ってきたのはサクヤと同い年の少女だった。小柄でありながらも、恰好はつなぎ。腰に巻いた工具入れには、ドライバーやら何やらが差さっている。頭に乗せた帽子の上には、眼鏡が置いてあった。

 ハクナ・コトコ。

 付き合いはここ一年、サクヤが働き始めた頃からの知り合いだ。お互いに両親が家を空けており、一人で好き勝手働いているよしみ、といった感じで意気投合したのが切っ掛けだ。

「おう、ハク」

「ん。ちょっと」

「なんだ?」

「外に出てくる。挨拶だけ……」

「そうか」

 相変わらず端的な物言いだなと苦笑しながら、頷く。見れば、一組の客がご馳走さんと席を立ったところだった。

「うん、そんだけ」

「おう」

 さて、とっとと片づけ――と思った直後、反射的に振り返り、出ようとするハクナの襟首を強引に掴んだ。

「ちょっと待て。――ちょっと待て! いいから座れ! 座って動くな! 俺が戻るまでここにいろ! いいな⁉」

「……? うるさい。わかったけど」

「動くなよクソッタレめ!」

 言うだけ言って、軽い挨拶をして退出をさせれば、すぐにテーブルを片づける。食器類は水場に持って行き、洗うのも当然、サクヤの仕事だ。手早く、しかし、手抜きはしない。使い捨てではなく、次も使うのだから当然のこと。そう思って戻れば、ちゃんとハクナは席についており、暇そうな顔をしていたが、立て続けに二組目の客も終わったようで、そちらも手早く済ませた。

 そうして戻ったサクヤは、エプロンを外し、一息。

「――外に出るって、なんだよ」

「うん」

 散歩に行くだけなら、挨拶などしまい。いや、最初はそのくらいのものだと思って、あっさり受け流そうと思ったのだが、よくよく考えてみればおかしいことこの上ないのだ。

「ちょっと七番目まで……」

「外に出るってレベルじゃねえだろ! おいハク、そりゃ旅か旅行か出張の類だろ! あぁ? 間違ってんのか俺は、どうなんだこの野郎!」

「う、る、さ、い」

「すまん」

 睨まれたので、素直に頭を下げておけば、厨房から店長が顔を出した。

「奢りだ」

「おい店長、甘やかすなよ。俺のぶんっていうのなら、いいけど」

「甘やかしてるのはお前だ。いいから食って飲め。サクヤは次の開店まで休みだ」

「へーい。手伝いはいらないってか」

「満足に手伝えるようになってから言え。――それより、ハク、出るのか?」

「うん。七番目まで」

「いやだから、なんでだよ」

「……修行?」

「どうして疑問形なんだと、俺は言いたい。親に呼ばれたとかじゃなく、自発的にか?」

「うん。旅人が、技術関係なら七番目って言ってたから、行ってみる」

「なんつー安直な……」

「――いや、事実だ」

「店長? 知ってんのか?」

「お前らの倍以上は生きているんだ、若い頃はあちこち出歩いて舌を肥えさせたもんだ」

「煙草吸うくせに、よく言うぜ」

「ハク、七番目のどこに行くのかは決めているのか?」

「ううん、決めてない」

「そこ決めろよ! 金の心配は俺がすることじゃねえけど……」

「決めたら即行動か、若いうちの特権だな。だったら、アルケミ工匠街に行ってみればいい」

「アルケミ?」

「機械開発のメッカだな……俺が行った頃には、なんでも、電子化? とか呼ばれる分野への開発にかなり重点を置いていた。確か、浮遊大陸が落ちて落雷頻度が下がったこともあって、アンカー・アタッチメントと呼ばれる、避雷針に似た機械の開発に手がかからなくなったとか……言ってることわかるか?」

「なんとなく。AAは知ってるし、七番目は落雷が多いことも聞いた」

「そうか。俺なんかは、飯が不味くて連中は油でも食ってんのかと、そう思ったもんだがな。工匠街では、機工技師をアルケミストと呼んでいる。そうした連中を探せば、技術を盗むこともできるかもしれん」

「そっか。ありがとう……うん、やっぱ行く」

「行くのかよ……」

「サクヤは反対?」

「するかよ、しねえよ、好きにしろ。そういう間柄じゃないし、お前が根っからの技術屋なのはよーっく知ってる。今生の別れってわけでもないだろ」

「……たぶん?」

「ったく」

 引き留めたい、とは思わなかった。だが、いちいち挨拶にきた気持ちは、最低限受け止めてやらねば、失礼というものだろう。

「――行ってこい。んで、またツラ見せろ」

「うん」

 行ってくる、という言葉を最後に、ひょいと椅子から飛び降りたハクナは、そのまま背中を向けて店を出て行った。

「いいのか」

「わかんね。ただ、引き留める言葉はなかったよ。比較的、この街は安全だ。二十年くらいは残ってるだろ」

「ふん、わかっちゃいないな」

「そうか?」

「残っていないのは、街じゃなくお前かもしれん」

「……どうだかなあ」

 いずれにせよ先の話だと、空いたグラスと皿を片手に、席を立った。

「今生の別れだったとしても、お互いにまた思い出すこともあるだろ。そん時にまた考えるさ」

「ははは」

「なんだよ、どうして笑う」

「若さってやつを目の当たりにすりゃ、笑いたくもなる。まあいい、見送りに行くなり、なんなり、休憩時間は好きに使え」

「うるせ。片づけを終えたら、課題に取り掛かるさ」

 お互いに研鑽しようと、そう約束した相手だ。であるのならば、お互いに離れていたところで、やることは決まっている。

 次に会う時があったとして、その時に料理人として不甲斐ない姿は見せられない。結局それはお互いさまだけれど――だとすれば、いつか。

 また、再会することがあるかもしれない。だったらその時を楽しみに、今の研鑽を積むだけだ。


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