空歴467年

01/30/09:00――サラサ・マルセル廃坑奥地

 旅の始まりは二番目の大陸ツヴァイから――。

 どうしてここを選択したかと問われても、そもそも、十四歳になったばかりのサラサにとって、最初から選択権はなかった。まだ独り立ちするにはいささか早い年齢であるものの、自分の選択における〝責任〟を自覚できる年齢になったことも確かだ。けれど、圧倒的に経験が足りない。

 だから、旅をしてみたいとは口にしたものの、どうすべきかはまだ決定していなかった。とりあえず〝依頼〟があったので、二番目の大陸へと降りて、目的地へ行きたいと両親に打診したところ、だったら条件が一つあると言われた。

 その条件というのが、ギィール・ラウの同行である。

 元気そうで何より、なんて世間話は四番目の港からここまでの間に済ませた。髪は短く刈っているものの、服装は一般的なものでしかない。ただ以前から七年くらいは経過しているのだ、お互いに身体的に成長はしている。多少の戸惑いはあったものの、とはいえだ、かつて出逢ったのもほんの数日でしかなかったのだから、今回が初めて、くらいの気持ちで付き合えば、そう難しいことはなかった。

 ただ、違いというか、印象としては。

「ギィールは、笑うようになったね」

「――? そうですか?」

「うん、以前はほら、あれだったから」

「そうですよねえ……あの時の自分は、それこそ逃げることに自覚的であっても、いわば追い込まれたような状況でしたから。今もそう変わりはしませんが、それでも、受け止める余裕くらいはできました」

「そんなもん?」

「そんなものです」

 お互いに交わす声が、やや高い位置で反響する。元鉱山ではあるものの、通路自体は広く取られており、手にしたライトで全体を照らすのが難しいほどだ。おそらく、奥で掘った鉱物を運搬するのに必要だったのだろう。分かれ道も多く、迷うほどではないにせよ、どちらが奥なのかわからなくなりそうだ。

 先導しているのは、当然のようにサラサだった。

「サラサ殿は、こうした探索の経験が?」

「今してる最中ってとこ。知識だけはあるけどねー。なんだろ、うちの両親の知り合いって、すごく多くて、いろいろ教えてもらったから」

「……なるほど。海の上とはいえ、客を乗せるのならば、誰かと出逢うのは日常ですか」

「うん、そんな感じ。そうやって海の上で、あれからずっと過ごしてきた。でも――なんていうか、陸地を知りたいとも思うんだよね」

「しかし、海を知り尽くしたと、そういうわけではないのでしょう?」

「そりゃあね。海の奥も深いし。今回のはちょっとした依頼だから……というか、ギィールはどうしてたの? 父さんが誰かに預けたってのは聞いたし、その誰かっていうのが、妙な人というか、知り合いが変な顔をしてたけど」

「ははは、なんというか、――厳しい人です。与えられた課題をこなしながら、自分なりの〝技術〟を研究して身に着ける毎日でした。学校なんかにも通ったし、いろいろ連れまわされましたが……」

「課題?」

「そうです。大半は継続して行う、日課のような鍛錬でした。たとえば、自室にて瞑想をするような」

「え、なにそれ。瞑想って……」

「可能な限り身動きせずに、ずっと集中するんです。昼頃になると師が顔を見せて、廊下を通ったのは何人だと問うんです。答えが違っていれば、また最初から。合っていれば、じゃあ外の道を歩いていたのは――と、そんな感じですよ」

「うわ、いじめみたい」

「最初は自分も半信半疑でした。今になってみれば、それがどのような鍛錬であり、何を得ることができたのかを、……そうですね、半分くらいは理解できたかと」

「よく我慢したねえ」

「それなりに楽しんでいましたよ。そういうサラサ殿も、どうして旅をしようと?」

「いや、ここんところ、ある筋から結構な依頼を受けるんだけどさ、どうも旅をさせようって流れができてるらしくて――と、まあ、わかんないだろうけど」

「何かしらの事情があるのだろうと、受け止めておきますが、しかし、これはカイドウさんにも言いましたけれど、果たして旅に自分が役立つかどうか、疑問です」

「え? ……どうなの?」

「どうなの、と言われても困りますよ」

「いや近接系っしょ? とりあえず――いや、なんていうか、私だってすぐに旅に出るつもりは、ないんだけどね。今回だって父さんの実家によるついでに、ここに来たわけだし」

「廃坑探索、ですか……。密閉空間なので、妖魔との遭遇が懸念されますね。昔はそうでもなかったようですが、今の妖魔は最初から具現しているカタチが多いですし」

「海でも、小物の妖魔はそうだけどねー。大物は曖昧なままだよ。曖昧っていうか、そもそも全体が見れないような相手だし」

「そういう手合いは困ります」

「そうなの?」

「というか、自分の場合は対人がほとんどでしたので」

「ふうん……」

「しかし、逆に言えば、単独でもここの探索ができるくらいには、サラサ殿も戦えるのでしょう?」

「んんー、戦いたくはないんだけど、まあ最低限はね」

 ライトが照らすのは上よりも、左右と下を中心に。特に足元に関しては重点的だ。

「湿度が高いですね」

「そりゃまあ、この下は海に繋がってるから」

「そうでしたか。自分は土地勘がないので、よくは知りませんが」

「もう随分と前に、廃坑になったらしいよ。今でも立ち入りは禁止」

「ではこっそりと?」

「いやだって、立ち入り禁止って言ってるだけで、鎖で入り口を閉めてるわけでもないしさ、迷って物好きが入ったりもするとか言ってたし……」

「逆に言えば、それほどの危険性はないと?」

「――入り口付近は、だけどね」

「……今がどの程度の深度かはわかりませんが、脇道も多い。自分の認識も届かないので、やや不安ではありますね――と」

「あ、開けた」

 一度、サラサは足を止めて、ライトで周囲を照らす。全体に行き渡らないのは通路と同じだが、いや、それ以上に開いている。ドーム状になっているのだろうか、かなりの〝空白〟をギィールも感じていた。

 ――いや。

「サラサ殿」

「うん?」

「何かが移動してきています」

「多い?」

「はい、人ではありません。――いえ、人もいます」

「人が?」

「追われている感じです。人数は不明、どういう進路を取ったにせよ、おそらくこちらに来ます」

 ふうん、と言いながらライトを周囲へ向けながら、ゆっくりとサラサは歩いて空洞を確認した。

「どうしますか?」

「さすがに人がいるんなら、放ってはおけないよね」

「――信じるのですか?」

「疑ったりしないって。それに、人がいないなら、その方がよっぽど楽。でしょ?」

 確かにその通りだったので、ギィールは頭を搔いて苦笑した。

「んでも、どーしたもんかなあ」

「指示に従いますよ。いずれにせよ、自分は付き添いですから」

「あ、ほんとだ。地響きみたいなのがしてきた。こっちくるね」

 そうして、慌ただしい空気と共に飛び込んできたのは、強い光量をまとった二人組であった。その背後からは、大きめのカニがわんさかとあふれ出してくる。

「――悪い!」

 片割れが大声を出して、まず謝罪した。

「巻き込んだ! ――手を貸してくれ!」

「あー」

 多い。

 本当に、多い。

 横幅は二メートルほど、高さは一メートルに満たないカニが、それこそ百近く蠢いて空間を圧迫している。

 すぐに飛びかかってはこないし、水鉄砲のような危険性はないが、静かにしていれば通り過ぎるようなものじゃない。

「ギィール、突破できる?」

「自分だけなら」

「ん。後ろに昇降機があるから、乗って。私が片づけるよ……めんどいけど」

「諒解です」

 有無を言わさず、ギィールは二人の両腕を掴むようにして、すぐに昇降機とやらに乗り込んだ。腕を掴めたこと、また掴んだ感触から、二人は男女であり、それほど体術を得意とはしていないのがわかる。

「――あ! 下は海になってると思うから、途中で止めないと沈むかも!」

「と言われても……操作は」

「……私がやる。大丈夫、得意」

「ではお願いします」

「っておい! いいのかよ、一人残して!」

「構いません。彼女がそれを望んだのです、自分には何とも」

 がだん、と大きな音を立てて下がる昇降機に一瞥を投げたサラサは、大きく深呼吸を一つ。そもそも状況は切迫している、あまり余裕はない。小太刀一本は腰の裏にあるが、それで持久戦をしたところで、カニが昇降機側に向かう方が早いだろう。

 手段はそれなりにあるが――ま、たまにはいいだろうと、サラサは印を組んだ。

 暇な人がいるかどうかの確認が最初だ。

 両手を合わせ右手だけ九十度横向きにする水の印、そこから狐、雷、地、吸血、天の順番で組んで刀印を眼前に示せば、すぐに反応があった。

 雷、在、闘、烈、雷、剣、刀、雷の順で印を結べば、サラサを中心にして渦巻いた呪力が、凝固から解放への順序を一瞬にして踏破――外套を揺らし、両手を開いた男がサラサの前に出現したかと思えば。

「――うわっ」

 陽光の下であっても遜色ないほどの、眩い光と轟音を発生させる雷の現象が、空間を一気に走り抜けた。思わず印を外して両耳を塞いだが、たぶんきっと正しい判断だろう。

「すげー威力……ほんとに一瞬じゃん」

 壁を這うようにして残留する雷のお陰で、全体がよく見渡せる。あれだけいたカニたちは、黒焦げになっているものもあれば、高熱で蒸発したものもあった。

『雷とは、そういうものであろう?』

「そーだけど。あんがとね、べーさん」

『いやなに、大したことはしておらん。というかサラサ、もうちょっと頻繁に呼べばいい。私たちも退屈しているんだぞ?』

「そんな状況にならないってば……あとで何か送るけど、リクエストある?」

『ならば、酒と食事だ。私からの依頼は、今のところないのでな』

「はあい。じゃ、またね」

『うむ。たまにはこちらにも顔を見せるといい』

 印をこれ以上組むことなく、半透明になった彼は、次第にその姿を消していった。まだ雷は、ぱちぱちと残ってはいたものの、それを無視して昇降機のワイヤーに軽く手を触れ、ひょいとサラサは飛び降りた。減速するため、足の裏をこすりつけるようにはしているが――。

「あ。――着地するから空けて!」

 慌てて声をかければ、軽くジャンプしたギィールがこちらの加速に合わせ、抱きかかえるようにして減速、それから着地した。

「――あんがと」

「いえ、ご無事のようで何よりです。大きな音がしたので、何事かと思いましたよ」

「そんなこともあるって。――へえ? そっちの二人は、技師と料理人?」

「あ、お、おう……なんか、すまん」

「いいって。あー、やっぱり下は海か……以前はまだ、下も開けた空間だったと思うんだけどね」

 昇降機の隅から見下ろせば、おおよそ三メートル下には海面があった。当然暗い。

「昇降機の様子は?」

「大丈夫、素直。規定重量には至らないし、シンプルな設計だから壊れにくい」

「そっか。じゃ、しばらくここに留まってて」

 腰の裏に回して、見えないよう隠した手で印を三つほど組んだサラサは、すぐに手すりへ足をかけると、海の中に飛び込んだ。

「ちょっ、お――」

 どぼんと、海の中に入る感覚は慣れ親しんだものだ。それと同時に、怖さも胸中に浮かぶ。今でも海は妖魔の巣窟だ、単身で乗り込むだなんて正気の沙汰ではない。であるのならば、怖さを抱ける内は、正気なままでいられる。

 仏術を使って呼吸は行えるようにしているし、衣類も水を吸わない。両手、両足を使って深く深く沈んで行けば、やはり暗く――予定通り、持っていた符式をポケットから取り出して使えば、僅かに発光するよう周囲が明るくなった。持続時間は二十分程度だが、さて、目的のものを発見できるかどうか。

 やがて海底に足がついた。やはり広い空間になっているし、天井つきだ。縦穴を掘ってあったのだろう。結構な広さがあるのだ、時間をあまりかけてもいられない。

 と、思っていたら、ずるりと闇が足元から頭上へと広がった。

 強い妖魔だ。しかも大きい。よくよく見れば足元に広がったのは、二本の触手のようである。たった二本でこの大きさだ、さすがは海の妖魔といったところか。

 ――手貸誰何必要てつだいいるよね

「うん、久しぶりー。どしたの?」

 ――ひさしぶり? あのね?

 ――海のおうさま、動けない。だからきた。なあに?

「レヴィがよこしたんだ」

 知っている妖魔だ。というか、付き合いは母親のシュリが長いらしいけれど、以前に挨拶くらいはしたことがある。どちらかといえば温厚であり、言葉が通じる手合いだ。

「この中に、ちょっと力があるような〝品物〟って、ないかな?」

 ――ある。あった。小さいよ? これかな?

 ずるずると闇が動く。しばらくすれば、闇の中からにょきりと、何かが差し出されたので、そっと手を伸ばして受け取った。見ればそれは、錆びた鉄の塊だ。

 いや……僅かに、刃物の形状をしているのか。

「うん、これ。ありがと。ここまでくるの大変だった?」

 ――ううん、近かった。遠くない。でも、もう行くよ?

「わかった。ありがと、またね?」

 ――またね? うん、そうだ、またね。

 ずるり、ずるりと闇が消えていく。行く先は、更に深い暗闇の中へ。

 海の王から頼まれたらしいが、敵意の欠片も見せないのは、逆に恐ろしいと感じるべきなのだろう。あの妖魔は、敵意を持たず、ただ人を食うこともある。――食うと、そう意識しないまま、サラサなど一ひねりだろう。

 だから見送ってから、小さく安堵。海流は滞っているため、流されることはなく、海底を蹴って上へ上へ。海面に顔を出して軽く手を招けば、ぎりぎりのところまで昇降機がくる。手で掴めば、ギィールは察して逆側に体重をかけていた。

「――お待たせ。ふいー、疲れた。もういいよ、上がろうか」

 懐から取り出したタオルで、錆びた鉄塊をくるむ。やっぱりリュックか何かは必要だったなと思いながら、それを抱えて上へ戻った。

 戻れば。

「うっわ……焦げてるじゃねえか。さっき逃げてる時にも思ったけど、こいつら食えるのかな、やっぱ」

「はは、試したことはありませんが、やはり料理人とはそういうのに興味が?」

「そりゃあ、新しい食材なんてチャレンジの連続だからな」

「というか、こっちはもう外に出るけど、そっちはどうすんの?」

「おう、悪い――って、謝ってばっかだけど、できれば出口まで一緒に行かせてくれ」

 というか。

「いいんだけど……俺、料理人だってわかるか?」

「匂い」

「腰にあるのはフライパンなのでは?」

「…………そう、か」

 釈然としなかったのか、妙な沈黙が落ちたが知ったことではない。今まで来た道を戻るのだし、通路は覚えていたので、そう時間はかからなかった。何しろ明かりそのものが、四つになったのだから、周囲も見えやすいのである。

 そうして、外に出て――改めて。

「助かったよ、ありがとな。俺はサクヤだ」

「ハクナ」

「私はサラサ。敬称はいらないから」

「自分はギィールです」

 ようやく、挨拶を交わした。

「俺らはこのまま、ウェパード王国へ向かおうと思っているんだ。ここに立ち寄ったのは、ちょっと水に関して敏感になっててさ、それでちょろっと入ったら、なんだあのカニって具合で」

「あ、そうなんだ。私らもこれからウェパードに行くんだけど、どうする? 一緒に行こうか?」

「ん、ああ、そうだな……いや頼もう。いいよな、ハク」

「うん」

「ってことだ。助けてもらった恩も返したいところだしな」

「あー、じゃあ向こうについたら、料理作って。それでいいから。じゃ、マルセル鉄鋼街で馬車を拾って、のんびり行こうか」

「馬車? あるのか?」

「うん。ちなみに高速貨物車じゃないから、時間はかかるよ」

「いやそれは知らん。うち――というか、俺は三番目の出身なんだよ」

「あっちは商用馬車しかないから、同乗が基本だもんね。定期運用の馬車なんて正気の沙汰じゃないし。損失ばっかかさむ」

「……詳しいな」

「まあね。あー、貨物車で思い出したけど、マルセル港から出てる運搬用の船に乗れば、明日くらいには到着するよ? どする?」

「お、そりゃいいな! 俺、案外海って好きになれそうなんだよ」

「船がいい」

「――ははは、技師の目になりましたね、ハクナさん。ではサラサ殿、交渉はお願いします。買い出しは自分が」

「はいはい」

 ならば道中にでも、親睦を深めようではないか。


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