08/16/09:20――シュリ・巻き込まれたキツネ
傷は足ということもあって、お手洗いに行くのが難点ではあるものの、それ以外は筋肉痛というか、そういった疲労だけというのが、私、シュリ・エレア・フォウジィールにとっては運が良かったのだろう。こうして起きて時間があれば、本を読むか、今のように糸細工の練習をすることができる。
三本というのが、私にとって楽な本数であった。いわゆる編み物と同じで、どうやって糸を絡めれば作れるのかを把握して、その通りに糸を動かせばいい。だがどうしたって、先端から編めば途中で動かなくなるので、糸の根元から順番に編んでいかなくてはならず、まだ大きな平面細工はできないものの、片手に乗る程度のものならば、どうにかなりそうだった。
なりそう、というのはつまり、道筋は見えたものの、未だ完成には至らず、といった具合だ。その前に、補充用の糸を手配しておくべきかもしれない。四回も失敗をすれば糸に癖がつく、というのを理解したところである。
こうやって実際にやれば、センセイがどれほどの技量を持っているのか、否応なく理解できる。なんなんだ、あのヘンタイは。どっかおかしいぞ。
「ん? はあい、開いてるよ」
「元気そうねー」
「あれ、なにキリエ。医者みたいな恰好して」
「あのね、私は医者なの。昨日治療したのも私なの。足の傷は?」
「もうちょっと固定を緩くして欲しいんだけど。歩きにくいし」
「あんたは……」
「それよりさあ、カイドウはどう? 傷、残らない?」
「なんでそんなこと、気にするのよ」
「嫌だから。私、傷つけて喜ぶ趣味はないし、次に喧嘩する時に気にするのも嫌だ。気にされるのも。ついでに言えば、抱かれてる最中に意識が向くのも嫌だ。医者だったら綺麗に治してやってよ」
「…………」
「え、なんで睨むのか、よくわかんないんだけど」
「はいはい。ったく、カイドウも似たようなこと言ってたよ。あんたの場合は縫ってもないし、傷が残ることはないでしょうけど……治るまで安静にしてればね」
「あー、海に出たいから、その限りじゃないかもね」
「馬鹿言ってんじゃないの。ん……経過は順調のようね。というか、まあ、あんたは自己治癒能力が高い〝理由〟について、察しているの?」
「私? まあ、出自の問題と、躰の仕組みの問題ってことくらいは。……そういえば、医者にかかったことないけど、中身見たんでしょ? 私、安定してるよね?」
「ああ、それは大丈夫よ。私は純血種だけれど、シュリの場合は混血種になるのかしらね。といっても、その血は薄いんだけど……」
「詳しくわかるなら、一応聞いとく。私のことだし。というか、遺伝とかじゃなく?」
「んー、外部からの混じりなのか、遺伝的なのかは定かじゃないし、私としても多くを見てきたわけじゃないから、なんとも言えないのが実際ね」
「……つまり役立たず?」
「なにその言いぐさは」
「だってそうじゃん」
「あのねえ……」
「ただの軽口なんだから、そろそろ眉間に寄ったしわをほぐさないと、あとが残るよ?」
「あんたのせいでしょうが! まったくもう……ともかく、
「それだけ?」
「それだけ。しかも、人の二倍には至らないって程度の薄いものだし、身体能力の底上げも見られない。存在の危うさ、あるいは薄さって点は、あんたが言うところの出生に関わるんでしょうけれど、私が見る限りは不安定要素はないよ。見た人が見るままの、シュリで変わらないし、変わることは、まずない」
「おっけ。……馬鹿なトカゲだと思ってたけど、コノミが言ってたみたいに、ちゃんと医者の顔になってるじゃん」
「そんなことを思ってたのか、あんたは……」
いやだって、船の上だとそんな感じだったし。
「一応、薬は出すから飲みなさいね。出すっていうより、今から作る」
「はいよ」
「あんたとカイドウは、いつもこんな感じなの?」
「あー、いや、二度目だよ。最初の時はもっと酷かった。というか、こんなに早く終われなかった。お互いの攻撃も届かなかったって感じだったしね」
「ふうん? 今回は短かったってこと?」
「うん。だから細かい傷なんかもないでしょ」
「三センチも刃の侵入を許しておいて、細かいも何もないでしょうが……筋肉も繋がってるからいいけれど」
「結果オーライってことで。っていうか、キリエはここに住んでんの?」
「そう、ウェパード王国の専属医って感じ。とはいえ、今はもう必要ないって部分も大きいんだけどね。先代の王様が怪我人だったから、定期的に診てただけだし。だからといって、他所へ行こうって気も、今はまだ、それほどないの」
「王国かあ……そういえば、私、そういう場所に行ったことないかも。図書館にしか顔を出してないし、街も回ってないなあ」
「怪我が治ったら、カイドウにでも案内してもらえばいいじゃない。それともなに、海にすぐ出たい?」
「んー、それもそうだけど、多少は陸地も知っておかないとなあって」
「そっちが先って人の方が多いんでしょうけれど」
「まともに歩けるようになったら、そうしようかなあ……」
「しばらくは安静だからね。言っても聞かないのは承知してるけど、聞かないなら知ったことじゃない。はいこれ飲んで。不味いよ」
「んー」
受け取って口にするが、確かに不味い。だからといって文句を言うほどガキじゃない。
「そういえば、シュリは人を乗せてんの?」
「仕事は荷物の運搬かな。人を乗せても、仕事にはしてないのが現状」
「ふうん……カイドウとの関係は?」
「同業者で、私はだいぶ好き。愛してる」
「はっきり言うわねえ、きっかけは?」
「いろいろあるけど……知ってる? カイドウってさ、自然体のままで人を寄せ付けるの。もちろん、悪い意味じゃなくね」
「あの性格だから、わからないでもないけど」
「羨ましくはなかったんだ。でも……私は、その中の一人になることが、許せなかった。だから最初は近寄らなかったんだけど、それってさ、私を見て欲しかったってことで――まあ、惚れたら負けだよね」
飲み干したコップを返せば、道具一式が鞄の中へ。どうやらこれだけらしい。ご苦労なことだ――と、窓が外からノックされ、私はセンセイの姿と共に、小雨が降りだしていることに気づいた。
「センセイ」
「おう。……なんだ、そっちの竜は久しぶりだな」
「え? だれ?」
「馬鹿、覚えてろよ。四十年くらい前、顔洗いの滝で、逢っただろ」
「どこそれ」
「竜の顔が洗えるような滝があるんだよ」
「――あ! 水浴びして眠そうだった時に、ぼうっとしたまま食べようとした人だ!」
なにやってんだ、このクソトカゲ。あれか、自殺志願者か。
「そ、その節はどうも……」
「気にしてねえよ。エレア、表に出ろ」
「はいよ」
「……――はいよ、じゃないでしょうが!」
「うるさい、だったら肩くらい貸しなさいよ間抜けめ」
「くっ、この……!」
「はーやーく!」
「ああもうっ」
これで貸してくれるから、このトカゲは甘いよなあ、なんて思いつつ、居間を通って外に出れば、リンドウがいて、椅子に座るよう勧められる。軒下なので濡れる心配もなさそうだ、
「エレア」
「うん」
「今から小太刀の技を見せてやる。お前は見て、覚えろ。それを使って学べ。実戦で自分のものにしろ。いいな?」
「わかった」
「と、その前にいくつか説明はしておくか。今から見せるのは雨天流の小太刀二刀術だ。で、雨天流には基本的に、始ノ章、追ノ章、終ノ章の三つを一括りにした、一幕がある。小太刀は十五幕までだが――それをすべて見せるには時間が足りない。で、更に言えば五つある中の、水ノ行と呼ばれる類だな」
「ちょっと待って……え、そんなにあるの?」
「単純計算すりゃ、まずは五ノ行に、それぞれ十五幕くらいで、一幕が三つの章ってことだろうぜ。実際はもっと多い。ともかくだ、今から見せる水ノ行はなんつーか……本来ならば一幕で括れる部分が曖昧でな。どこからでも基本的には繋がるんだ。戦闘における流れ、いわば〝一連の動き〟と呼ばれるものが水ノ行の本質でもある。特に小太刀二刀はな……で、いいか?」
「あーうん、今のは覚えておくよ」
「それでいい。んじゃ、頼むジェイ」
「うん」
相手はリンドウがするのかと思えば、ふらりと小雨の中に出たセンセイの前に、黒色の甲冑が出現した。ぎくりと躰を強張らせたのは、なんだかその異質さが――人間が持つ何かに酷似していたからだ。
「僕の術式だ、あまり気にしなくてもいい」
「あ、うん」
とはいえ――その両手に、青色の刀じみたものと、赤色の……なんだろう。卒塔婆に似た剣が出現すれば、余計に恐怖を煽られる。
「レーグさん、とりあえずは自動設定でやるよ」
「おーう、そこらは好きにしていいぜ。術式は使わねェし、加減も必要がねェッてことで、俺も遊べるしな」
言いながら、どこからともなく取り出した小太刀を、右の腰に佩く。そうだ、センセイは左利きだったっけか。
さてと、踏み込みの動作を見せた瞬間、私たちはセンセイの領域に呑まれた。
ぱっと姿を消した甲冑が、次に姿を見せたのはセンセイの前。かなりの速度で振り下ろされる剣に対して、センセイが動いたのだが、その瞬間から状況が妙にゆっくり見えた。カイドウとやり合っていた時の感覚に似ている――あの時とは逆だが。
振り下ろされた大剣を首で回避したかと思えば、振り下ろしの最中である剣の側面に肩と肘を続けて当てるようにしながら踏み込み、左の小太刀で肘から先を切断――そのまま空いた側を回転するように移動しつつ、背後に回って首を一閃したのは右の小太刀、そして最後に、元の位置に戻るよう大きく踏み込みつつ、両の小太刀で脇腹付近を斬った。
斬って、一拍。は、と呼吸を意識すれば、スローだった光景が嘘のようにも感じる。
ざらざらと崩れていた甲冑が元通りになるのに数秒、やや離れた位置で仕切りなおしたセンセイは、左腕を強く引き、右の小太刀の切っ先を甲冑へ向け、踏み込んだ。そしてまた、動きがゆっくりになる。
甲冑は刀と剣で応戦したが、それらを冷静に右の小太刀で捌く。そして間合いの中、放たれた突きが、ずるりと甲冑の胸部に吸い込まれる――爆発したような、破裂したような、小太刀とは思えないほどの大きな穴が開いたかと思えば、左腕を再び引く動作で展開していた
「ちょっと待ってくれ、レーグさん。すまない」
「んー? おう」
見れば、リンドウはうっすらと脂汗を浮かせていた。
「今から改良するよ、ちょっと時間をくれ」
「これ以上加減するのは、さすがの俺でも難しいぜ。とりあえず軽くやったが、わかったか、エレア」
「あー……見えたのは確かだけど」
「それでいい。使えば見えてくるものもあるからな。特に〝突き〟は腕力じゃない部分が大きいから、上手くやれば連携に加えられる」
「ただし、足の運用だけは見逃すな――でしょ」
「覚えてたンなら上出来だ」
自分で閃きを探そうとするな。まずは物真似からやれ――というのが、私にとっての教訓である。本当、自覚してるけど、どんくさいなあ、私って。そういう地道なところからやらないと、身につかないんだから。
「っていうか、私いらなくない……?」
「うるさいトカゲ。黙って見てなさいよ。帰りに肩借りてあげるから」
「偉そうに……」
「つーか、やっぱしんどいか、ジェイ」
「あれだけ簡単に破壊されたら、構成する魔力の補填がかなりのものになるからね。集積陣でも作ればいいんだろうけれど、それも――ああ、いや、一つ良い方法があった。相手が僕じゃなけりゃいいんだ」
ははは、と笑ったところに、女の人がふらりと姿を見せ、驚きに目を丸くしたかと思えば、三歩ほど近づいて足を止め、引きつった笑みを浮かべながら、額から流れようとする汗をぬぐった。
「――待ってくれ」
私は知らない人だけれど。
「リンドウ、いや、ちょっと待とう。いいから待つんだ。久しぶりね、いや逢いたかったとは口が裂けても言えないけれど、君がどうやらジェイでいられるようで安堵したような、しないような、――で、なんだいこれは」
「久しぶりの再会で申し訳ないと思わなくもないけれどね、ちょっとした実験台になって欲しいんだよ。なに、大丈夫だ、そこに在るだけでいい。逃げ出さなければね」
「言うようになったね! いや、昔からそうだった気もするけれど――」
「おい、ジェイ」
「ああ、すまないレーグさん。彼女は……そういえば?」
「うん、まあ、今は私が〝キツネ〟だ、間違いない」
「キツネか! ははは、なんだまだ残っていやがったのか、あのクソ爺の残滓が! だったら――初代キツネの爺に届かなかった俺が、見てやんなきゃなァ!」
「……おい、おいリンドウ、なんだこの人。マジで。逃げていいか?」
「再会が遠のくね」
というか、たぶん逃げられない。既にセンセイが領域で囲ってる。
「っていうか、あんたは?」
「俺か? 俺ァ――雨天だ。今はレーグネンと名乗ってる」
「――」
「知ってンのか」
「聞いてる。武術の総本山である雨天――それが騙りじゃなさそうなのが、今の私の問題だ。これなら、コウノの相手をしてた方がマシだよ……」
「俺の方が楽だろ。で、俺は小太刀の技をこのガキに見せなくちゃならねェ――だから、相手になれよ、キツネ」
「へいへい……どうせ断れないんだよなあ、この流れ」
「多少の加減はするが、――死ぬなよ」
「そん時はもっと加減しろ!」
甲冑を消したリンドウは随分と身軽になったようで、椅子に座って足を組んだ。
「昔の知り合いだよ。ある意味では武術家と同じだ。面白い相手だよ。ただしその本質は大きく違うけれどね」
ま、どうだっていいか。私としては小太刀の技を見逃さなければいい。
ほかのことは全部、後回しだ。
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