08/16/13:00――カイドウ・口煩い魔術書
昼食後、自室に戻った俺、カイドウ・リエールだったが、食後のお茶を手にしてついてきたキツネと親父に対して、さしたる文句もなかった。どうやら表で一騒動あったらしいが、それがシュリのためのものとなれば、羨ましがるのも、見逃したと惜しむのもお門違いだろう。キリエあたりは不満そうな顔をしていたが、それこそ、俺の知ったことじゃあない。
聞けば――どうやら。
親父とキツネは、昔馴染みらしい。馴染みというよりも、知り合いだったようだ。
「というのも、七番目に行った時に、少し行動を一緒にしてね。当時は十六か、十七くらいだったかな……クズハと出逢った頃の話だよ」
「今の俺よりも若い頃かよ……」
「む。ちょっと待ってくれよ、そうなるとあれから……もう二十年以上?」
「そりゃカイドウが二十四だから、三十年には至らないけれど、近いものはあるね」
「ぬおっ……年齢を感じてちょっと落ち込みそうだ……私は結婚もしてないのに」
かなり前に知り合っただけ、というのに、二人は随分と親しいよう見える――が、俺にとってはそれどころじゃない。さっきからずっと、俺という所持者を経由して、本と刀が面白そうに会話をしているのだ。話題は、どうやらキツネのことらしいけれど、俺にしてみれば違う話題を、それぞれの二人が話しているような感じで、処理が大変だ。
「あれから無事に継承したみたいだね。今はキツネだ」
「まあね」
「……当時は別の名前を使ってたのか、キツネさんは」
「ん? そう、キツネビと名乗っていたよ。キツネは一人で充分ってところかな。とはいえ、情けないかな、うちのクソ爺には未だに至らないからね」
ああうん、などと頷きつつ、左手で頭を搔いた俺は、さてどうしようかと少し悩むが、その動作に親父が気づいた。
「どうかしたか。キツネ相手に遠慮はいらないよ」
「おいリンドウ、そりゃどうなんだ。いやそれも昔からそうか……」
「あー、なんつーか、知ったようなことを言うことになるだろうし、俺の言葉だと思ってもらっちゃ困るんだけど」
「はあ? なんだそりゃ」
「ふうん……? いや、構わないだろう。なんだいカイドウ」
「ああ」
ま、さっきから本がうるさいので、代弁というか、伝言なのだけれど。
「そもそも〝狐〟ってのは、本質こそ受け継げるが、技術そのものは時間の蓄積と共に磨かれるものだ。師に勝てない、至れないのは当然だってさ。どうせ今までも、ずっとそうやって、てめえが死ぬ時になってようやく、自分は先代に至れたかどうかを自問自答して、無理だと痛感してから終わる――おい、睨むなよ。これでも優しい物言いに変換して伝えてるんだぜ……」
直截すれば、たぶんそのまま喧嘩だ。
「あー、いや、あのなキツネさん」
「なによ」
「クソ性質の悪い野郎が、あんたを落ち込ませたいそうなんだが……言っていいのか、これ」
「え? キツネを落ち込ませるのは昔から簡単だったけど」
「リンドウ! ……その通りだけども!」
認めるのかよ。
「あのな? 親父と同い年くらいっつーことは、五十には至らないくらいなんだろ。そうは見えねえけど」
「まあ、そうだけど」
「〝イヅナ〟が二十歳の頃と比較しても、そのていたらくじゃ、話にならんそうだ」
「カイドウ、気にせず続けていいよ」
「いいのか? あー……受け継いだ本質が変わってる? 経年劣化だと笑ってやがるが――そもそもキツネの本質は、受け流すことじゃない。騙すことであり、誤魔化すことだ。俺や親父程度が〝目〟で見てわかるような、ていたらくじゃ、キツネを語るだなんて生まれた頃からやり直せ――おい、だから俺が言ってんじゃねえからな」
「そうみたいだけどね」
「あのな……俺だって苦労してんだぜ? そのまま伝えてやろうか? 仮にもキツネを名乗るんなら、狐に化けた皮を剥いでからもう一回ツラ出せよ、可愛い子ちゃん。そこから始めて三十年、死ぬ間際になったら鏡を見せてやる――」
「わかった、わかった。了解だカイドウ、うん、もういい泣きそう。ありがとう」
「わかった。しっかし、親父とはどういう知り合いなんだ?」
「七番目にあるクインティは知っているかな」
「ああ……オトガイがなかったから、ちょっと見て回った程度だけど、落ち着いた王国ではあったな。商売人が結構多かった印象だ。ほら、お袋の帰郷がこの前にあったろ? あれの中継地点として寄ったんだよ」
「かつてそこが、魔術国家と呼ばれていた頃、旅の途中で出会ってね。一時期、行動を共にしていたんだよ」
「魔術国家だあ? ……うさんくせえ」
「二年くらい前に行ったけど、かつての面影はほとんどなかったね。というか、リンドウは帰郷に付き合わなかったのか?」
「僕はまだ、海に出ようとは思えなくてね」
「はは、私だってそうだ。浜辺は利用してるよ、あれは修練の役に立つ。一口に波といっても、いろいろあるからね。けれど海は駄目だ、あれは受け流せない。重すぎるし、強すぎる。そういう点では、海に出たことのあるカイドウには頭が下がるよ。どうだった、海は」
「どうって……海は、海だろ。聞いてないんだろうけど、俺もシュリも船乗りだ。しかも個人船舶。俺は客を運ぶのがメインだが、一人で海に出て一ヶ月も遊んで過ごすことだってあるしな。キツネさんなら通じると思うけど、ちょい前に海が荒れただろ」
「荒れたね、うん、その表現は的確だ。それがあって、船乗りは敬遠してるみたいじゃないか。今の君は違う理由だろうけど」
「あのな……俺もシュリも、その〝渦中〟にいたんだぜ? 冗談じゃねえっての。俺らはなんの目印だ」
「おい、おいリンドウ。お前の息子は大丈夫か?」
「まだ生きてるから大丈夫だよ」
「化け物にでもなるつもりじゃないだろうな……? どんな人生送ってんだ、そりゃ」
「俺が聞きたいくらいだ」
本当に、どうしてこうなったんだか。
「んで、話が反れちまったような気もするが、そもそもキツネさんはどうしたってここへ?」
「弟子から逃げてる最中ってところ。リンドウがこっちの生まれなのは知っていたけれどね、逢えたのは運が……悪かったんだろうなあ、これは」
「ははは、悪かったと言っているじゃないか。仮にもキツネなら、レーグさんくらいは相手にできるだろうと、そう思ったんだけど?」
「いきなり過ぎだろ、あれは……」
俺は詳しく知らないので何とも言えないが、加減されていたとはいえ無傷のキツネを見れば、上手くやったのだろうとは思う。
『そりゃ当たり前だぜ、カイドウちゃん。言ったろ? 初代キツネに、雨のは勝ててないんだ。継続の狐、なんてのはつい最近耳にしたが、それにしたって衰えが過ぎる。そもそも五神と対等に――ん?』
「……なあ、キツネさん。一ついいか」
「どうした?」
「継続のキツネってことは、あの〝映像〟も引き継いでんのか?」
「知ってるの」
「だから、俺じゃねえっての。その映像がなんのことかは知らないが――はあ? 初代ベルの継承の儀? そりゃ想像もつかねえが、ええとな、ともかくその映像、どうもイヅナってのが記録者だったらしい……? とか何とか」
「……」
「あ、キツネが突っ伏した。降参だってさ」
「いや俺、代弁してるだけだし。つーか、キツネってのはそもそも、五神と肩を並べるくらいなもんだとか、なんとか。よくわかんねえけど、親父とはまた生き方が違うみたいだな。コウノさんとも違う」
「まあ、そうだね。僕の場合は比較する誰かもいないし、目指すべき高みも見えてはいないけれど、キツネのように道が見えていると、大変そうだね」
「見えていると、か……中途半端で、どっちつかずの俺としては、それもまた考えさせられるけどな」
「まだ劣等感は消えない?」
「――どうだろうな。オボロとも話をしたが、多少の心変わりは確認したさ」
結局のところ、俺はシュリに置いて行かれたくないだけなんだと、ただそれだけのことで進む理由にはなるのだと、確信は持てた。やれやれだ、惚れたら負けなんてのは、女の理由だろうに。
「どうであれ、俺が挑む相手は人じゃないってことは、よくわかった」
「相手はシュリかな?」
「たまにはそういうこともあるさ」
「……、カイドウ。君にとってシュリは、どんな相手になるのかな?」
「背中を合わせ、あるいは横に並んで歩ける相手だよ。んで、だからこそ、今回みたいに、向き合っちまう時だってある。あいつがどう思ってんのかまでは知らないけどな。キリエさんなんかは、似た者同士とか言ってたけど、どうなんだあれ。なんで俺が睨まれるんだ……?」
「――いいねえ、夫婦喧嘩か」
「キツネさん、夫婦じゃねえよ」
「リンドウはするかい?」
「いや、大きなものはしたことがないよ。僕は最初から、全面的に白旗を振ってるからね」
「そんなものか。あれから旅は?」
「それなりにしてたよ。今の僕はもう、腰を落ち着けて長いかな。何しろ、カイドウがもう一人前だ、となれば僕は引退したっていいくらいなんだよ」
「――って言ったら、コウノさんは大笑いしてたな。俺、あの人がマジで笑ってるところ見たの、あれが初めてだったぜ」
「ちょっと、私が笑おうと思ったところで、そういうのやめてよ。笑えなくなったじゃない」
「はは、引退してからの方が面白いんだけれどね。そういうキツネこそ、引退なんてのはそれこそ死ぬ時じゃないか」
「羨ましいとは思わないさ、それが私の生き方だからね。ただ、継承はしないのか?」
「僕はしないよ。したとしても、カイドウが相手じゃない。何故なら、僕の息子は自分の道をちゃんと選んで進んでる。横合いから口を出すのは野暮ってものさ」
そう言ってくれるのは嬉しいが……なんつーか、いや、なんなんだこの人たちは。そもそも、どうして俺のところで話をする。さっきから本がうるせえっての。
「まあいいや、しばらくはこっちに滞在するから話し相手になってくれよ、リンドウ。コウノにはまだ逢いたくないしね」
「まだ?」
「まだ。性格的に合わないんだ、あいつ。まだイザミの方がマシだね。ところで、シュリは隣か? ちょっとあの子とも話しておきたいんだよ。お互いに名前くらいしか交換してないんだ」
「あ――キツネさん、一応言っておくが、やめておいた方がいいぜ。今ならまだ間に合う……」
「なんだそりゃ」
「今、隣にはコウノさんの娘がきてる。というか、来た。まあ止めはしないけど」
「へえ、娘か。とはいえ朝霧じゃあないんだろう?」
「コウノさんはとっくに朝霧じゃなくなってるよ」
「それも新情報だ。ふうん……いや、好奇心が勝った。猶更、ここで引くわけにはいかなさそうだ」
なんて言いながら、嬉しそうに部屋を出て行ったが――。
「親父」
「賭けにはならないよ、残念ながら半泣きで戻ってくる」
「だろうなあ……」
なにせ、あのコノミに加えてシュリもいるんだ。とてもじゃないが、望んで入ろうとは思わない魔窟である。その魔窟にキリエがまだいることなど、すっかり忘れている俺であった。
「じゃ、僕もそろそろ戻るけれど、何かあるかな、カイドウ」
「書庫に何か増えたようなら、あとで適当にもってきてくれ」
「といっても、ほんの数冊だけれど、わかったよ」
頼んだ、と言って親父を見送ってから、吐息が一つ。
「ったく――なんだよ、因縁か?」
『因縁たぁ面白い言いぐさだねえ、カイドウちゃん。かつてを知ってる身として、ちょっとでも〝続き〟ってやつを真に迫らせたいって親心みたいなもんさ』
「だとしても、お前はわかりにくいんだよ……そりゃ、イヅナ? とかいう人と一緒にいたお前だから、そう言えるんだろうけどな」
『イヅナは、俺の親みてえなもんだからねえ。俺の性格が悪いなら、あいつの性格が悪いってことだよ、カイドウちゃん』
「文句を言いようがねえってことはよくわかった。つーか、村時雨も知ってるのか?」
『――ええ。かつての楠木が、キツネと呼ばれたご老人と対峙したことがありますので』
『対峙? 対峙ねえ、どーだかなあ。いわゆる初代ってご老体は、イヅナが師事した頃にゃもう八十間近ってところだったけどな、まともに〝対峙〟なんて、できるようなタマじゃなかったぜ』
「なんだそりゃ、どういう意味だ」
『あの方には、方法論が無駄になりますので』
「……?」
『簡単に言っちまえば、これも領域の問題だ。いいかい、カイドウちゃん。ここに盤面があったとする。駒が並んでて、そいつがいわゆる人だとしよう。指し手ってのは、その駒を動かす人間だ。あるいは盤面を持って、ひっくり返すこともできる』
「まあ、人だってところはよくわからんが、なんとなく」
『駒が人なら、指し手ってのを感じられないだろ?』
「ん……つまり、俺が好き勝手動いていたとして、それが指し手の意図であったとしても、俺自身はわかんねえってことだよな」
『そんなもんだと思っておいてくれ。その中でもキツネって駒は――もちろん、あるにはある。あるんだが、いかんせん、指し手が気づくってことが難しい。指し手に心当たりは数人いるが、連中だってあのご老体のことは〝度外視〟だったろうぜ、やれやれまったく、面倒なことにねえ』
――度外視。
駒であるのに、駒として動かせない、駒?
『いつの間にかそこに在る。けど、いつそこに居て、何をしているのかはわからない――ってね。キツネの領域は、実に特殊なんだよ。こいつは戦闘の話でもある』
「戦闘領域か」
『そこだ、カイドウちゃん』
「あ?」
『――あの方にはそもそも〝戦闘〟と呼ばれる考えがございません』
「……はああ?」
なんだそりゃ、どういうことだ。
「体術そのものは、今のキツネさんが一応、継いでるんだろ?」
『そうみたいだけどねえ、本質は継ぎきれないところじゃないかと、村時雨ちゃんと話してたところだ。何しろキツネの領域は――』
『――騙し合いの場でしかないのです』
「騙し合いって……」
『ガキってことだよ、カイドウちゃん。目の前でぱちんと両手を叩けば、相手はびっくりするだろう? やーい驚いたと喜ぶのがキツネだ。俺が人なら総毛立って、絶望に身を預けたかもしれないねえ――』
『戦闘の最中に背中を見せる。無防備な背中で攻撃を誘い、攻撃そのものが無駄になる。届かせようとした私の手は――』
村時雨と呼ばれる刀は。
『――届いていると認めるよう、握手をされてしまうのです』
「握手って……」
『当たり前のように握手して、驚いた相手を見て、驚いてる暇があるのかと笑った頃には、騙し合いは終わりだ。逃げることを騙され、防ぐことを騙され、攻撃さえ騙されちまえば、人は何もできなくなっちまう。その上でだ、キツネは面倒になるとすぐ逃げるんだよ。続きはまた今度、読みたい本があるから今日はここまで。――こいつはもう戦闘じゃないだろう、カイドウちゃん』
聞けば聞くほどに――それは。
今ここにいたキツネとは、印象が変わってしまう。
「なんつーか……それも一種の、化け物じゃねえか」
そして、本は言う。
『ちなみに、俺の所持者である二代目は――初代に届かなかったんだぜ』
それを聞いた俺は、苦笑を顔に滲ませ、今のキツネに同情した。
まったく難儀な道を選んで歩くものだ。
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