08/16/09:00――カイドウ・友人の槍使い

 負傷したのは左肩と脇腹ということもあって、ベッドで寝ながら上半身を起こすのには苦労したものの、起こしてしまえばどうということもなくて、俺、カイドウ・リエールはその姿勢で本を膝に置き、ぺらぺらとめくりながら、ぼうっと思考に没頭していた。

 現象としては逆だった。

 円運動を行ったのは、もちろん意識してのことだ。というのも、刀を形代としている村時雨の助言があってこそで、居合いという攻撃方法において円運動は効率が良い。だから俺も納得してやったが、しかし――。

 俺が早く動けば、視界もまた早く動くのが世の常であるというのに、俺の目には周囲の光景がゆっくりと映っていた。その中で俺だけが、普通の行動をしていた――なんていう感覚があったのだ。二度目に試した時もそう、けれど三度目にやって、シュリが同じ動きをした時は違った。およそ同程度の速度で、シュリもまた動いていたのだ。だから俺はその感覚を知ろうと、一度回避に専念してその動きを見てやろうと思ったのだが、しかし、そうしたところで何かを掴むことはできなかった。

 術式を使っていた実感はない。ないが、いつでも使えるようにはしていた。その点では、つまり術式の戦闘運用という点においては、未だに錯誤が足りない状態である。

『まぁだ、そんなアマチュアみてえなことを考えてんのかよ、お前は』

 僅かに顔をしかめ、脳内に響くような声に意識を向ける。そして、あえて口から言葉を発して、それに対応した。

「なんだよ」

『カイドウちゃんは理解が遅くって、たまらなくじれったいねえ』

 笑い混じりにそんなことを言うのは、この魔術書である。馬鹿にした物言いはスタンダードで、付き合いはまだ短いが、もう慣れた。慣れたというより諦めた。そういうやつである。

『いいかい、カイドウちゃんよお、ありゃあ一種の魔術領域ってやつだ』

「そうなのか? 術式を使っていた覚えはねえし、それにシュリもやってただろ。あいつ、魔術師じゃねえぞ」

『やれやれ、本当にそんな初歩も知らないんだなあ。人はそこに在るだけで領域を持つなんてのは、自己境界線の把握と共に覚えて当然のことだろうに……こりゃ、あいつが嘆くわけだ。つっても、そこまで詰めた戦闘なんても、必要のない世界になっちまったってことかねえ』

「おい、勝手に納得すんな」

『魔術師だろうが武術家だろうが、そうでなかろうが同じってことだ。呼び方が違うだけでな。カイドウちゃんにもわかりやすく言ってやると、自己の領域のことだ。パーソナルスペース、わかるかい? ここまでは近づかれても問題ないってライン』

「不快感を覚える境界線のことだろ。相手によって違うってやつ」

『だーかーら、それは何故だ? 境界を引くのは他者に対してじゃなくて、自己防衛の一種だろう? それが自分の領域だ。速度が遅く見えたのは、見えるような領域をカイドウちゃんが作っていたから。あの小娘は、それにあろうことか〝同調シンクロ〟して見せたってわけ。感謝しとけよ? それだけカイドウちゃんを理解してくれてるってことだぜ、こいつは』

 いや、事実そうであっても、なんというか簡単には頷いてはいけない気がする。特にシュリ関連は、認めたら何かが終わる気がするのだ。

「領域か」

『そういうこった。一口に戦闘領域なんて言ったところで、そいつは千差万別だ。持つ人間もいりゃ、持たないヤツもいる。持っていても極端に狭いってのが正解だろうけどな。聞いた話じゃ、槍使いの極致ってのは、その領域に飲まれたが最後、ただ一突きだけが吸い込まれるように喰らっちまうってよ。気を付けろよカイドウちゃん、所持者が死んでどっか行くのはさすがの俺も御免だ』

「へいへい……つーか、有用なアドバイスをしてくれるのは助かるから、もうちょっと真面目に話してくれよ」

『おいおい、内容は真面目だろ? 馬鹿にしてるだけだよ、カイドウちゃん。甘い、甘いねえ本当にまったく』

 こいつが口を開く時は、本の内容と関係がないことばかりだ。それでいてこいつは書物なんだから、よくわからない。

 ノックがあったので、会話は終わりとばかりに本を閉じて、開いてるよと声を上げれば、入ってきたのは白衣をひっかけた姿の、キリエ・ノドカであった。馴染みの医者である。どちらかといえば、ウェパード王国つきの専属医だが。

「おはよう、カイドウ」

「おう、どうしたキリエさん。回診か? ……うん? そういや久しぶりだな」

「厳密には昨日ぶり。意識のないあんたたちを診たのは私だから。レグホンが急にきて驚いたんだから……あの子、鷹って自覚あんの? 私の頭に着地するんだけど……」

 親父の使い魔なんだから、そっちに言って欲しいものだ。俺はそもそも、頭が上がらない相手だし。

 というか、本当に竜族なんだな、この人。なかなかでかい尻尾が、複雑な術式で隠されている。隠されている、というのがわかる時点で、尻尾も見えるのだけれど。

「で、調子は?」

「左肩の固定、もうちょっと緩めてくれよ。これじゃ動かしにくい」

「ばーか。動かさないために固定してんの」

「そりゃそうか。……シュリは、どうだ?」

「ん?」

「太もも付近を二センチくらい斬ったはずだ。できれば上手くやって、傷を残さないようにしてやってくれ……」

「それは、まあ、対処するつもりだけど、なに、あんたがやったんでしょうに」

「だからだろ。俺がつけた傷が残れば、否応なくあいつは意識する。それは余計なものだ」

「そう?」

「新しい傷をつけることに、抵抗を覚えるようじゃ、俺らは喧嘩もできなくなっちまう。次があった時、同じ位置に傷つけるのは嫌だと思うのも御免だからな」

「ふうん……変な間柄ね」

「ただの同業者だ。つーか、意識なかったから夜中に起きて気づいたけど、キリエさんが治療してくれたのか……」

「私が暇で良かったわね」

 言いながら、眼鏡をかける。ただそれだけで、彼女は医者の顔になるのだから不思議なものだ。

「うん、もう回復方向には進んでる。何針か縫ったから、抜糸するまでここに居なさいよ」

「努力する」

「あんたね……」

「脇腹はともかく、肩はちょっと深かったな。鎖骨付近まで突き立てられて、そのまま背後にまで抜かれた。すぐに知ってる限りの術式で〝繋げ〟といたが、その場しのぎだなあ、と思ったところで、倒れちまったんだよ」

「そこらも処置はしてあるわよ。というか、戦闘の時にそこまでわかるものなの?」

「そりゃ俺の躰だし」

 そもそも、初めてでもない。まあ図体のでかいトカゲでは、末端の傷なんてのは傷に入らないのかもしれないが。

「ん? おいキリエさん」

「なに?」

「こうして見れば、あれだよな。結構な……上位の竜だよな、キリエさんって」

「――……」

「ああ、誰かから聞いたわけじゃない。見えるだけだ」

「……そう。一応、隠してるんだけど」

「残念ながら、俺の目はちょっと異質でね」

「まあ、血統としては古い純血種のものだから、それなりにね。それなりのはずなんだけど……なんで見てわかるかなあ」

「隠してるのは、生活のためか?」

「面倒を起こしたくはないからね。それに、こっちじゃ竜族は珍しいから。実際、隠してる理由なんて、その程度なんだけど。よし、ちょっと薬を処方するから」

「おう」

 鞄から商売道具をいくつか取り出して、調合を始める。手際は良いが、俺には何を使っているのかさっぱりだ。

「そういえば、竜族ってことはあれか、三番目に故郷があんのか?」

「そうだけど」

「あー……うちの親父よりも厄介な魔術師が、場を借りるとかなんとか言ってたぞ」

「――」

「俺を睨むな」

「うるさい! コノミに引き続きなんなの……? 私、もう実家帰らない。知らない!」

「だから俺に言うなっての……ん? 誰だ、開いてるぜ」

 ノックの音に声をかければ、入ってきたのはオボロだった。

「失礼、治療中ならば出直しますが……」

「気にするなよ、オボロ。つーか悪かったな、お前との鍛錬のはずだったのに」

「いえ」

 入ってきたオボロは首を横に振り、槍を傍の壁に立てかけた。

「自分は未だカイドウ殿に至らずと、痛感しました。自分の槍はまだ届かない」

「そう――か?」

「あの攻撃を受ける時、自分は失敗したと思いました。何故ならば、鍛錬であるのにも関わらず、貫くと、そうした思いがあったのです――が、それは現実にならなかった。自分が持つ〝目〟以上の動きをされたのです、未熟の証明かと」

「そうか。お前の未来視を超えた動きねえ……どうかな。それもまた一つの領域なんだろうが、まあ悪かったよ。次やる時は、邪魔が入らないようにしねえとな」

「いえ――そう言っていただけるのは嬉しいですが、もし次があった時、果たして自分は首を縦に振るかどうかも怪しいところです」

「なに言ってんだよ。俺の評価はともかくも、自分を過小評価し過ぎだろ」

「――はは、それはカイドウ殿に、そっくりそのままお返ししますよ」

「言うねえ」

 落としどころに落ちたと、そう捉えておけばいいのだろう。どちらにせよ、本気でやり合ったらどうなるかはわからないし――オボロに勝つ俺なんてものは、想像もできない。

「オボロ。俺は相手に合わせてるって言われたんだが、どうだ?」

「今ならば、確信をもって頷けます。以前は疑問止まりでしたが……良く言えば律儀、悪く言えば愚直といったところでしょうか。あえて自分の得意な間合いに踏み込み、それが自分を試す行為ではなく、かといってカイドウ殿も窮地に身を投じているわけではないのでしょう」

「自覚はなかったんだけどな……」

 だが、自覚はできた。ここからは意識できる――と、思う。

「しかし、フォウジィール殿とのご関係は?」

「関係って、なにがだよ。同業者だが」

「いえ、なんというか、夫婦喧嘩に居合わせたような居心地の悪さを感じたもので」

「あいつは妙に乗り気なんだけどなあ。ただ、少なくとも戦闘においては見ての通りだ。参る話だぜ」

「海の上はそれほど危ういのですか」

「普段の海ならともかくも――ほら、荒れただろ、ちょっと前に。その渦中にいたんだ、今のままじゃ生き残ることもままならねえと、そう思うさ」

「それが今回の鍛錬ですか……」

「まあな。このていたらくじゃ、まだまだってところだ。そういや、オボロは海に出ねえんだな?」

「はは、自分はまだこの大陸ですら回っておりませんので」

「まずはそこから、か。こっちも、お前が知ってる槍の使い手らしい客は乗せたことがねえしな」

「そうでしたか」

「もし見つかったら、何か言伝でもしとくか?」

「そうですね……いえ、自分がまだ槍を持っていることをお伝えいただければ、それで十分であります」

「わかった」

「――はい、お待たせ。不味いけど飲んで」

 言いながら差し出されたのは、水とそう変わらない液体であった。コップ一杯ほどで、とりあえず一口と飲めば、確かに不味い――が、飲めないほどではない。

「体調は良くなって、回復力も上がるけど、怪我自体が治るわけじゃないからね、気を付けること」

「へいへい。――あ、そうだ、キリエさん。船酔いの特効薬ってのは、ねえのか?」

「あー、船酔いねえ」

「そういえば、あるのですか? 自分のように地を歩く者にとって、簡単に引き返せない海の上での体調不良は厳しいものなのでありますが……」

「実際、乗せた客でもそういうのがいてな。三半規管が弱いのもあるんだろうが、そもそも海上ってのものを想像すらしてねえヤツも多い」

「そういう場合はどうするのでありますか?」

「船室で寝かす。それしかねえんだよ……」

「うーん、特効薬となると難しいねえ。酔い止めって呼ばれる部類の丸薬もあるけど、あれも結局は予防薬的なものでしかなくて、水薬じゃないから効き目も人によって変化はあるし、時間帯もいろいろ。気休め程度ってのが医者としての評価かな」

「そんなものでありますか。カイドウ殿はいかがですか、やはり陸地では不安定ですか?」

「んや、基本は同じだ。常に動いてるものに対して、こっちが合わせてやりゃいい。船が揺れても、海を〝面〟として捉えて、そこから垂直を割り出して立つんだよ。まあ、小難しいことよりも、慣れだけどな。体幹が意識できてるオボロなんかはすぐ馴染む。俺としちゃ、踏み込み時に〝沈まない〟って感覚に慣れるのが最初だぜ」

「はは、確かに。船でしたら沈むのでしょうね」

「私の場合、あんまり商売としては動いてないから、そっちに意欲的な医者に声はかけておく。特効薬でも開発されれば、かなり儲けも出るでしょうしね」

「おう、それでいい。つってもまあ、大型船舶なら多少は楽なんだけどな」

「そういえば、カイドウは客を乗せて稼いでるの?」

「最高三人までの輸送だよ。俺の場合、素性は問わない。ただし、船の上でルールを破った馬鹿は、弁明の余地を与えずに海に突き落とす」

「……私も突き落とされた」

「はあ? シュリにか、なんでだ」

「超高高度からコノミを見つけて、急降下したら、反撃喰らって船の上に落ちたんだけど、船を壊そうとすんなーって」

「そりゃ当然だ。俺だって蹴る」

 船は家だ。海の上では半身と言ってもいい。それを壊そうなんて輩がいれば、間違いなく海に落とす。

「――ん、飲んだぜ。クソ不味いな、こいつは。その方が薬のありがたみがわかるってんなら、考え方を変えろよ」

「子供用に甘く調合するなんて面倒、するわけないじゃない。じゃ、また明日くるから、安静にしてなさいよ。せめて今日くらいはね」

「へーい。シュリのことは頼んだぜ。――おいオボロ、今日はなんか予定あんのか?」

「午後からは、まだ決めていませんが」

「だったら、そっちの椅子に座れよ。話をしようぜ。俺は海の話、お前は陸の話だ。なあ?」

「はは、なるほど確かに、そうですね」

 お互いの旧交を温めるのなら、そういった話でいい。実際、俺が船乗りになろうとした時、オボロには相談もしていたので、嫌っているわけでもなく。

 なんというか、友人なのだろう。少なくとも俺にとっては、コノミなんかよりも、よっぽどオボロの方が友達だ。顔を合わせる回数は少ないが、それでも、こうして他愛ない会話をして楽しめる相手なのである。

 キリエ? あんなトカゲの医者は知らん。


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