01/18/17:00――シュリ・初代の炎

 三日、海に出て、一人きり――ではなく、二人だけ。

 そんな状態になれば、話し相手はジェイだけであるし、ジェイにとっても私、シュリ・エレア・フォウジィールだけだ。くだらない過去の話から、差しさわりのない今の話。多少の愚痴を含んだり、酒を飲んだり――あるいは、黙って二人で過ごしたり。

 一時的なものとはいえ、友人が一人増えたような気分だ。それは錯覚だとお互いに認めて、それを演じているような〝齟齬〟もあるが、そこはそれである。どうせ短い付き合いならば、険悪になる必要はないと、線引きをしているのだ。

 あと一時間もすれば、また夜がくる。

 十五分の睡眠を断続的にとるのは、船乗りにとっては珍しくもない。もちろん最初は教えられたことだ。十五分でタイマーを稼働させ、無理やりにでも起きる。必要であることを徹底されたところで、それを躰に馴染ませるのは難しいものだ。事実、必要だとわかっていても、それが半ば馴染んでいても、私がようやく一人で海に出るようになった十九歳の時。

 一年間の下積みをあの男の元で行い、海へ出た時は、タイマーの必要はないかもな、なんて楽観していた。聞けば、誰だってそうだ。船乗りは皆、そう思う。その半年後に、あの男と話した時、教育したのと同じ口で、俺だってそうだった、なんて言いやがる。

 けれど――。

 十五分。

 その睡眠がちょっとでも長引いたせいで、妖魔の襲撃を三分ほど遅く気付いただけで、己の命が危険に晒されるような〝窮地〟を、たった一度でも体験すれば――否応なく、躰が無意識に、十五分で目覚めてしまう。

 そして、夜は、もっと睡眠時間が短くなる。それこそ、五分ほど意識を落として覚醒するような、うつらうつらした状況が単発的に、一時間に二度ほど訪れる。十五分眠れるのは、比較的安全とされる日中だけだ。

 だというのに。

 口にはしていないけれど――お互いに。

 私は気付いているし、そのことをジェイも知っていて、なにも言わない。

 寝ていないのだ、ジェイは。

 私が起きている時は、いつも起きている。私が寝ている時は知らないが、それでも、海の危険性を考えるのならば、どちらかが起きていた方が良いだろうことは、察しているはず。そう、察するだけの気の良さを持っている。

 加えて、要領も良い。暇そうにしているところ、適当な仕事を投げかければ、大したミスもなくあっさりと終わらせる。もちろん、私がやった方が早いのだけれど、素人ではないように見えながら、しかし、それが初めての作業であることが明確だ。

 よく――わからない。

 深入りをしたいとも思わないけれど、私にとって、初めての人種であることは確かだった。

 その日、日没前に、アラートが鳴るよりも前に。

「――船、ですね」

「ああうん、こっちも見えてる」

 見えたから、こうして外に出て来た。操縦室にずっといるのは性に合わないが、まあ棲み分けというやつだ。ジェイが甲板に出ているので、私はあまり出ない。けれど、ずっとそういうわけではなくて、黙って並んで甲板で過ごすこともある。

 そして今は、三隻の船を前にして――というか、粒のように見える状態で、私は一旦帆を畳んだ。錨泊の必要はないが、あまり無軌道に移動したくない。

「三隻か。一応、旗を振ってるけど」

「どういう取り決めが?」

「造船時に与えられる旗があってね、七つあるうちの一つが、所属の〝色〟になる。海賊避けのため、基本的には同色でなくては救助をしてはいけない――と、違うか」

 厳密にはそうではなくて。

「救助をしなくても良い、かな。罪にならない、そういうルール。といっても、それだけのことで、たとえばここで私がコンテナを三つくらい海に〝落として〟行っても、それが問題になることは、まずないんだけどね。マーカーつきのコンテナじゃなければ」

「色は、青ですね」

「うん。うちと似たような三隻が救難信号。さてどうしたものかと、シュリさんは首を傾げるわけですよ。あいつら海賊じゃね? ってな具合に」

「なるほど。救助とはいえ、実際に接触する方が、海では珍しいのですね?」

「そーいうこと。で、ジェイはどう見る?」

「少なくとも〝四隻目〟がいることは、見えますが……」

「へ?」

「どういう仕組みか、それは断言できませんが、上手く移動しながら隠れています」

 無言のまま、畳んだオペラグラスを片手に高い位置へ登っても、やはり見えない。だが、降りようとする前に。

「中央の船、後部の影を見てください。狙撃銃を片手にこちらを狙っています。陽光を背にしているのはこちらですから、三流か、条件を気にしない超一流かの、どちらかでしょう」

 言われるがままにオペラグラスを動かし、倍率を最大にまで上げ、目を細めるようにしてじっくり見れば、何かが反射しているような光だけは捉えられた。

 降りる。

「あんた、よく見えるね」

「視力ではなく、感応力の方です。――殺意には、それなりに敏感なので。けれど、向こうもこちらが足を止めて、確認したことに気付いたようです。逃げるなら手早く――っと」

 こちらに、と言われたかと思えば、手首を掴まれて腕を引っ張られた。何が、と思っていると、反対側の海に何かが落ちた――いや、海に、当たったのか。

「へ?」

「だいたい千ヤード、7.62ミリでも腕があれば当てられます。というか、シュリさんの運が悪いというか――」

「え!? なに、私の運が悪いってそんなにいけないことなの!?」

 禁句だぞ、それ。だいたい私の運が悪いから海賊を引き寄せるとか、そういうのは悪評だ。そう、断じてそういうわけではない――現に私はちゃんと生き残って陸へ到着している。だから海賊の遭遇率がいやに高くて、海の平穏を守るレーダーだとか、そういうのとは違う! 断じて違うんだ!

「し、失礼、そういう意味ではないのですが、しかし、外れるはずの狙撃銃の弾丸に、あえて当たる位置に移動するというのは――」

「違うの! そのまま歩いていれば、当たらなかった! そうなの!」

「はあ……いえ、そうかもしれませ――そうですね。それはともかくとして」

 ともかくなのか。

「海賊というのは、いただけませんね」

「まあ、面倒っていうか、厄介よね」

「正直に明かしますが、実は僕の目的地がここの近くなんです」

「……え?」

「ですので、少少彼らは邪魔になります。シュリさん」

「え、ああ、なに」

「こちらを狙撃しようとした彼ら、ここで――」

 それは、やや乱暴な物言い。今までの会話では、一度も聞かなかった、言葉。

「――殺してしまっても、構いませんか?」

 それを、いつもの口調で言った。驚きは多少あるものの、私はあっさりと。

「そりゃべつに、誰も困らないんじゃないの?」

 なんて、いつも通りに答える。

 船乗りなんて、こんなものだ。驚きはあっても――怖さに強い。

 海の怖さを日常的に感じていると、麻痺してしまうのだ。

「十分と少し、時間をいただけますか?」

「いいけど、なにするの」

「殺してきます。――僕の〝信念〟に基づいて、唯一無二の志を通すために」

 右手を振れば、そこにはやや細身の剣がある。短くはない、普遍的な長さなのだろうけれど、やや小柄なジェイが持っていると、剣が長く見えた。

 そうして、ジェイはひょいと、海へ落ちる――いや。

 降りた。

「わお! え、ここでふらふら漂ってればいい!?」

「はい」

 お願いしますと、海の上でぺこりと頭を下げたジェイは、目で追えないような速度で海賊船に接敵――どころか。

 その身を、天を赤く染めるほどの業火に包んで、焼き尽くした。

 というか船が炎上していた。まるで炎のカーテンが張られたようで、何が起きているのか私にはさっぱりわからない。ちなみに、船が炎上することはまずない。あったとしても、黒い煙が上がる程度のものだ。何しろ、海水の上だから。

「おー」

 その珍しい光景を、呑気に見る。ともすれば拍手をしたくなるような、現実味のない景色を前にして、人は動揺よりも賞賛を送るんだな、なんて思う。けれど、たぶん、真に私が理解できていないからこそ、なのだ。

 ただ――なんだか超越していると、それだけは確かなもので。

 真っ赤に染まる海と、火と、ふいに浮かんだ彼女の名前が。

「あ……れ?」

 繋がる。

 突飛な発想とは言うなかれ、この超常的な現象を目の当たりにして、まっとうな考えでたどり着いた方が、余計に不自然だ。

 これは――なんだろうか。いや、特別なにか、そう、ミステリ小説における真犯人を途中で当てるような、深い思考の帰結ではないし、それほど重要なことではないのだけれど。

 運が悪い――と、認めたくなって、私は腕を組んで唇を尖らした。

 そうじゃないんだ。むしろ、私の船は燃えていないのだから、そう、運が良かったんだ。うん、その通り。

 ひょいと、コンテナを一つ肩に乗せて、炎の中から出て来たジェイが、跳ねるような動きで海の上を歩いてくる。というか、どういう理屈なんだろう。海は常に動いていて、術式で足場を作れたとしても、かなり難しいと思うのだが。

 途中、ふいに気付いたように振り返ったジェイが、左手の剣を血払いのように軽く振れば、炎の一切が消えて、残ったのは海だけだった。当たり前の海がある。そのほかのものは、全て焼いたと言わんばかりに、跡形もない。

「戻りました」

「あー、はいはい」

 船に乗ったのを確認して、私は再び帆を張る。時間的にも錨泊はまだ早い。

「……驚かないんですね」

「へ? いや、驚いてるよ。すごく。それは?」

「彼らが溜めていた航海日誌です」

「ああ……」

 船乗りにとって、航海日誌への記帳は義務だ。いつか見つかれば、形見になるし、証明にもなる。いらなくなれば、最寄りの港に預けてしまえば、それは記録として、次に海へ出る者の糧となる。だから、簡単に水で濡れないよう、鉄箱でしっかりと収納されているのだ。

「あんがと。被害に遭った連中も、多少はすっとしたでしょうね」

 船倉に運ぶ前に検分をしておこうと、そのコンテナに肘を置いて顔を向ければ、既にジェイの手元には剣がない。どういう原理なのかも知らないけれど――まあ、一応聞いておこう。

「ジェイってさ」

「はい?」

「もうちょっと、名前長くない?」

「まあ……そうですね。今更隠すつもりもありませんでしたが」

 こんなでもと、両手を軽く広げて苦笑して、言う。

「僕は〝炎神〟エイジェイと、そう呼ばれています」

 五神――。

 炎神レッドファイアエイジェイ。

 冥神リバースフェイ。

 空神ブランクコンシス。

 天神ケイオスマーデ。

 雷神トゥールベル。

 言い伝えは、いくつもある。七龍に認められたとか、誰も見たこともない風説を上げ始めれば切りもない。

 ただ――英雄ではなかった。

 怪物である。

 化け物だ。

 畏怖の象徴として、名は語られ、続いていた。

「だよねえ……」

 ま、どうであれ。

 私の目の前にいるのは、化け物の称号を背負った、人間だ。

「目的地が近いんだって? このままでいい?」

「え、あ……はい、構いませんが」

「じゃ、日没までに辿りつけられればいいね」

「はあ……」

 知っている名前があるかどうかくらい確認しておこうと思って、コンテナを開く。半分ほど詰まった中身は、とはいえ、それほど数はない。

 まったく、海賊なんて割に合わないと思うのだけれど、なんでやろうとするのだろうか。スリルなんて、海の上ならばいつだって味わえるだろうに。

「あの」

「ん? どした?」

「――、……もし、僕が最初にきちんと名乗っていたら、乗せていただけましたか?」

「うん。もっと早かったかも」

 主に手続き的な意味合いで。もっとも、エイジェイを語る人物かもしれない、くらいには思ったかもしれないが、そこはそれだ。

「腕に自信がある――というわけでは、なさそうですが」

「あー、うちのセンセイ、すげーいい加減で神出鬼没だったから」

 だから、まともに師事を受けたとは思っていない。嗜み程度、陸に降りた時に飲む酒と同じくらい、ちびちびと、ボトル一本どころか、杯一つで大満足、だ。

「変な言い方になりますが」

「べつに怖くないよー」

「……ですよね」

「うん」

 手近な一つを手に取って、甲板のふちに座る。名前は知らなかったので、流し読みだ。

 そう、私には恐怖心が欠如している。

 あの日、海で、――彼に出逢ってから、出遭ってから、怖くなくなった。己はただ生かされているだけの、死んだ身だと、痛感したその日から。

 まあ、だからといって、鼻が利かなくなったわけじゃない。逆に、危険に対する嗅覚は上がったとも言えよう。

 だからだ。

「ジェイはジェイだし、ここ三日で知ったことで、納得したから。そんだけ」

「――はは、ありがたい話ではありますが、心に刺さります」

「え、そう?」

「五神の中で炎とは、五番目であり凡庸であれ――常に、劣等感を抱けと、そう教わります。教わるというよりも、僕にとっては〝矜持〟でしょうか……それを見抜かれたような気分です」

「謝らないけど。五神ってのも大変なんだねえ……私から見れば、ジェイだって充分に、凄いんだけどさ」

「凄い――ですか」

「そう。見た目通りの年齢なら、大きく私と違わないだろうし、逆に言えば、それだけの歳月があれば〝そう〟なれるってことだもの」

「それならば、同じことをシュリさんに言いますよ」

「うん。だから、〝そういうこと〟で、いいんだって」

 同じ歳月を重ねても、違う二人がここにいる。

 ただ、それだけのことだ。

 しばらくはそのまま、無言でいた。ジェイは海を見ていて、私は航海日誌を見ている。けれど、その瞬間は訪れた。

 無音、だけど感じる魔力波動シグナル。船舶が報せるのはアラート、つまり緊急警告であり、緊急停止。

「停めてください、構いません」

「ん」

 帆を畳む、それだけでいい。けれど、いつでも動かせるようエンジンに魔力を流しておいた。

 そして――ジェイが、指を突き付ける。

 それを、見てくれと言わんばかりに。

「あれが、僕の目的地です」

「わーお……」

 街が、そこには在った。

 脳内の海図――といっても不完全だが――に照らし合わせても、この場所には何もない。通ったことのある場であったのにも関わらず、だ。であればこれは、砂漠を渡る者が陽炎の先に見た蜃気楼と同じもの。あってないもの、けれどあるもの。

 炎に、しかも青白い炎に包まれた街が、見えていた。オペラグラスを使うまでもない、けれど一キロは離れた位置に、佇んでいる。

 それだけ大きい、街なのだ。

「僕が引き寄せたんです、きっと。どこにあるかもわかりませんでしたが、やはり、僕が海に出れば、逢えるだろうことはわかっていて、その確信が得られたのは今日の昼頃でした。脈絡もなく、近いと、そう思うことができて」

「ふうん? つまりは、探しても無駄なものってわけか」

 だったら航海日誌に記しても、夢物語だろうなあ……。

 不思議な光景だった。それは一見して炎だとわかる。これだけの距離が空いていながらも、肌を焦がすような錯覚すらあるほどに、純然たる火としてあった。

「なのに――街が、燃え尽きてない」

「はい。火は燃え続けています――が、それは、街を包んでいるのであって、街自体を燃料にしているわけではないようです」

「じゃ、何が燃えてるの、あれ」

「――〝こころざし〟」

 その言葉には、憧憬の念が混ざっていた。落胆や諦観よりもむしろ、尊敬に近いそれが、見えにくい場所に混ざっている。

「数千年前に亡くなった初代の炎――それは未だ、続いている」

 あー、スケールがでかい。話についていけなくなりそうだ。いや、ついて行かなくてもいいのか、これ。

 まあいいんだろうなあと、それでも並んでそれを見る。見えるものは同じでも、きっと私とジェイとでは、見ているものは違うはずだ。思い入れも違うだろうし――ここは、今回における彼女の目的地なのだから。

「未だ届かない極地……この目で見られて良かった」

 遅く、いや、ようやく、ジェイがそう言って、視線を一度足元に落とした。

「僕が生きている内に、この炎を消そう――そんな決意が、抱けた」

 けれど、言葉と共に上がった顔には、強い意志が宿っていた。ともすれば、嬉しそうに映るような、不敵な笑みすら浮かべているかのように。

 なんというか――良かったんだなあ、と思う。他人事ひとごとだ。基本的に私、運送屋が連れてきただけのようなものだし。

「――行きましょう、シュリさん」

「はいよ。じゃ、風の向くまま、気の向くままに」

 帆を張って、もう一度見ておこうと振り返った先には。

 ただ、沈もうとする朱色の陽光に照らされた海だけが、広がっていた。

 余談だが。

 到着後、報酬代わりです、なんて言って放置して行ったジェイのコンテナの中に、金貨の詰まった小さな袋を発見したのは、別れて二日後のことである。

 嘘ではなかった。報酬代わり。

 けれどまあ、こうしてジェイは〝客〟になってしまい、私は仕事を一つしてしまったのだった。


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