空歴450年

01/15/10:00――シュリ・最初の客

 海が好きなんだなと、言われることはある。そのたびに、私、シュリ・エレア・フォウジィールは複雑な顔をして、まあ、なんて気の抜けた返事をするのだ。それは事実なのだろうけれど、しかし、たったそれだけの言葉に全てを凝縮されたかと思うと、もうちょっと言葉を付け足してくれないかなあ、なんて思う。

 船舶を持ち、海に出るようになってから当年で五年になる私は、二十三歳。こんな若い娘が――自分で言うと変な感じだが――あろうことか、一人用の船舶を所持しており、海に出ているのだから、確かにそう見えるかもしれないけれど、海が好きなんだね、なんて言葉だけでは、やっぱり足りないんじゃないかと思ってしまう。心配されたいわけでも、否定されたいわけでもないけれど。

 ただ、海が好きなだけでは、やっていられないような道楽では、あるのだ。そこのところの理解を、して欲しいとも思わないけれど。

 そう、道楽。今ではそれぞれ七つに別れた大陸への輸送も行われて久しいけれど、私はそういう仕事をしているわけではないのだ。だから道楽。趣味。ただ海に出ることだけを人生としているような、一ヶ月も陸にいたら腐ってしまう果物のような……いや、腐りはしないか。恋しくはなるけれど、べつに、できないわけではない。

 あー、それでも、海の上が安心するのだから、既に毒されているリンゴなのかもしれないか。

 どうして私が海へ、なんて話は、退屈だろうし、追追にしておこう。何しろこの日は、私がその道楽を、どういうわけか仕事にしてしまった日なのだから。

 とはいえだ、私自身、徹頭徹尾、一部始終、最初から最後まで金を貰おうなんて思っていなかった。そうすれば仕事になってしまうと、そういう意識もきちんと持っていて、けれど、一人の少女が甲板掃除をしている私のところへ来て、同乗させて欲しいとお願いされた時も、断ろうかと思っていた。

「悪いけれど、仕事はしないの」

「そう聞いています」

 なんて、にっこり笑顔で肯定されれば、よほど金がないのかと疑いたくなり、ブラシを肩に立てかけた私は、船から見下ろすようにして少女を観察する。手荷物はないが、整った服装で、露出が極端に少ない。生地の造形には深くないが、どうにも金を持っていないように思えない。

「お金、ないの?」

「いえ、集団行動が苦手なんです。波止場はとばでいろいろとお訊ねしたら、あなたの説得が可能ならば、僕にはきっと、一番良い条件じゃないかと言われたものですから」

 丁寧な物言いも、貧相な暮らしを想像できないのは、私の人生経験がまだ浅いからだろうか。

「えーっと……そのクソ野郎にはあとで文句を言うとしてだ」

「あ、文句を言われる前に海へ出る――と、先ほど出航を」

 あんにゃろう……いや、誰かは知らないが、たぶんあのクソ野郎だと思う。私に海のイロハを丁寧に教えてくれた男なので、あんまり悪くは言えないが――いや、それはそれとして。

「私、いつも目的地は決めないし、到着日数も気にしない。海に出てのんびりして寄港するだけよ?」

「はい、そう聞きました。あの人は、そういう過ごし方にも、どうやら危険性を感じていたようですが、僕はそうしたものを、面白く感じてしまいまして」

「物好きってわけ?」

「はい」

 そこで肯定されてもなあ、私も一緒に肯定された気分だし。

「文句を言ったら海に叩き落とすよ?」

「構いません」

「うーん……」

「どうすれば乗せていただけますか?」

 そこまで乗せて欲しいのか。困ったな、断り文句がこれ以上浮かばない。というか私、どこか嬉しがってないか……?

「――オーケイ、いいよ、乗せよう。ただし海の上じゃ口出し厳禁だ」

「はい。乗せていただけるのであれば、それだけで構いません。雑用もできます」

「そりゃ……まあ、いいけど」

「では、僕のコンテナを一つ、乗せていただきたいのですが」

「中身は?」

「僕の食糧です」

「検分しても?」

「どうぞ」

 小さいですからと言って、可愛らしく笑った赤毛の少女は、共同倉庫の方へ歩いて行き、姿を消す。なんだかなあと思いながら見送った私は、すぐに掃除を片付けようと動き始めた。

 しかし――心配していると、口に出さないあの男は、なんだろうか。私は相応に落ち着いているし、今までも生還している。私の知り合いに年長者が多いのは、私が若いからではなく、若い知り合いのほとんどが、生き残っていないからだ。

 海が開かれたからといって、危険性は陸よりもかなり高い。若いのが海に一人で出て戻ってこなくても、クソッタレと毒づいて終わるくらいには、日常的なものだ。実際に同業者で、私と同じくらい若い知り合いは、五……いいや、三人しかいない。

 生き残っている、三人だ。

 いや、勘違いして欲しくはないのだが、現実的に船乗りという若い連中は、たくさんいる。私のように一人で出るのが珍しいだけであって、その行為自体が知り合う機会を逸しているのだけれど、それはともかくとして、大抵は誰かの船舶の下働きをしつつ、金を溜めて、経験を積んで、一人立ちする下積みをしているのである。

 一人立ちは、もちろん、当人の意思次第。親父の背中を見続けて終わることも、まあ、よくあることだ。生きて帰ってこられれば――だが。

 大陸を渡るのは、新天地を求めるようなものだ。死を覚悟してでも行きたいと願う者は少なからずいる。そういう〝客〟なんて山ほど見てきたけれど、しかし、彼女にはそういった印象はなかった、なんて。

 ここにきてようやく、私は彼女の名前を聞いていないことに気付いた。

 掃除が終わる頃、コンテナを肩に乗せて少女が戻ってきた。身の丈ほどあるコンテナを、肩に乗せ、片手で下部を支えている姿は、やや異様であった。

「力持ち?」

「そうでもありませんよ。きっと、腕力ならあなたに――……そういえば、お名前を聞いていませんでした」

「お互いにね。私はシュリ」

「僕はジェイ。見ての通り女です」

「知ってる」

「あはは、一人称のせいか、よく男の子に間違われるんです」

「相手が男なら、そうかもね。一人で乗せられる? 今、船倉を開けるから、そっちに」

「はい、お願いします」

 簡単な操作で、狭い船倉を開けば、タラップが出る前に、彼女は――ジェイは、ひょいとジャンプして中に入ってしまった。よく鍛えている、なんて思う前にびっくりだ。野郎なら、そういうこともするけど。

 乗せましたと、やはり四メートルの距離を跳んで戻ってきたので、船倉を閉じた。中身の調査など、後でいいし、その方が都合が良い。不審物が入っていた時に海へ叩き落とせる状況なら、ストレスも溜まらないだろうし。

「じゃ、行きましょうか」

「いいんですか?」

「うん、もう三日もここにいるから」

「わかりました」

 飛び乗る――いや。

 浮く、といった印象が強い。ふわりと、スカートではなくスラックスだけれど、そういう感じ。

「どうしました?」

「ああいや、べつに」

 見惚れていた、なんて同性に使ってもなあ。いちいち所作が恰好良い。

 手元の道具で船尾についた二基のエンジンを始動させ、ゆっくりと港を出る。その最中に、停泊のため使っていたロープをほどいて、回収まで済ませる。こんなものを、いちいち順番にやっていたら日が暮れる――という男に教わったので、そう、三つ子の魂なんとやらだ。

「船に乗るのは初めてなんです。港が見えなくなるまで、見送っても良いですか?」

「どーぞ」

 それなら、私も毎度している。さようなら港、また逢う日まで。いらっしゃい海、またここへ来たぞ――なんて具合だ。

 街が見えなくなってから、エンジンを停止させ、すぐに帆を張る。といっても、作業的には実に簡単なものだ。あとは風任せ、運任せ――けれど、危険はできるだけ回避する。海を漂い、陸地がどこかと迷い続ける、それが私のやり方だ。

「あー、今日は良い風が吹くかなあ」

 そうして、私は二番目の大陸ツヴァイをあとにした。

 うんっ、と伸びをしたところで、今は二人だ。どうしたものか。

「そうね、うん、そうだ」

「なんでしょう」

「面倒だから、お互いに好きにしようってこと。私はそっちの邪魔はしないし、ジェイは私の邪魔をしない」

「といっても、僕にはこうして、乗せてもらうだけなので――何もしないというか、できないというか、仕事を振ってくれた方が時間を潰せ……あ」

「なに?」

「荷物の中に、釣り道具が入ってます。それで遊べますか?」

「はは、食料確保? いいんじゃない? 私も常備してるし。仕事はじゃあ、適当に頼むか……あとは、そうだね、私は不定期に、十五分くらいぽっくり眠ってるから」

「ぽっくりじゃあ、表現が物騒ですよ、シュリさん」

「似たようなものよ。そん時は起こさないで。トラブルがあれば飛び起きるから、連絡はいらないし、警備してくれなんて頼まないから」

「わかりました」

「ま、といっても日中はそうトラブルもないから、いいけどね。じゃあそういうことで」

「……僕の事情は聞かないんですね」

「聞いて欲しい?」

「どうでしょう。今ここで海に叩き落とされたくないので、何とも言えませんけれど」

「今なら帰れるかもよ?」

「ははは、そんな事情があるなら、最初から頼みませんよ。ともあれ、よろしくお願いします、シュリさん」

「はいはい」

 安全第一、だけれど、だからといって保証までしてやれるわけではない。せいぜい、私が死なないようにすることと、犠牲にして生き残ろうとは思わないこと、この二つを念頭に置くくらいなものだ。

 操縦室に入り、各計器をチェック。一日以内にエラーが出るようならば、港に戻って細かい調整をしなくてはならないが、今のところはグリーン。見た限りでは、夜に嵐が来る、なんてこともなさそうだ。全てを計器任せにせず、躰で感じて調べるのも忘れないけれど。

「あのう、中を見てもいいですか?」

「ん? 興味ある? どーぞ。触らないでね」

 中から梯子で操縦室まで登ってきたジェイは、周囲を見渡し、そこから見える景色に二度ほど頷いている。中央のシートは私が座っているし、残念ながらここにはサイドシートもない。飲み物や摘まめる食べ物で埋まっているのだ。シートというよりテーブルなのである。

「一人用なんですか?」

「そう。個人用魔術船舶〝UJRユージュアル〟」

「普通の?」

「あるいは、ありふれた。全長約二十メートル、幅は六メートル。エンジン稼働時はおおよそ四十ノットくらい。制御系の大半が魔力で動かせるから、簡単だけど、それなりに値は張るかな」

「船舶には、そうした名前がつくものなのですか」

「今は量産しても買い手が少ないから、九割以上の船舶がオーダーメイドになるのね。だから作り手も限られる。この子は四番目で手配した船だけど、まーた頑固な親父が、私を見て、こういう名をつけたってわけ」

 癪ではあるが、納得したのも確かだ。

「お前は普通でいい。普通でいろ。ありふれた一人のまま、海に出て、何の特別でもないのだと痛感して、戻ってこい――ま、年に二度は顔を出すことにしてるよ。調整含みで」

「なるほど、上手いものですね」

「そう? なら、相手に言っておくよ。カスタマイズの一つでも、必ず意見を通せと言われる頑固者にね」

「いえ――この船を使えるシュリさんに対してですよ」

「……は?」

 なに言ってるんだこいつは。

「失礼、気付いていないのならば、僕が言うことではありませんでした。忘れてください」

「ああ、そう……」

 一人で操縦できるように作られているのだから、操船技術なんてものは、それほど特殊ではないだろうに。

 まあいいか、と思って頭を掻く。

「あ、ほかの船舶が近づくと甲高いアラート鳴るから、ちょっと驚くかもだけど」

「諒解です。贅沢は言わないので、何かやることあったらください。暇を持て余すと、空を見上げてぼうっとしているので」

「え、なにそれ。趣味?」

「うーん、なんでしょうね。空を見てると、いつの間にか夜になって星を見上げてたこともありますので、趣味かもしれません」

「いや、それは趣味じゃないでしょ……」

「しばらくは雨もなさそうですし、楽しめそうです」

「だね。……ん? 待って、わかるの?」

「あれ、言いませんでしたか? 僕は旅人なので、天候を読むのは得意ですよ。外れる時もありますけど」

「あ、ああ、そう言われれば、そうか」

 そもそも、海を渡ろうとする人種は、少ない。

 大きく区別したところで、八割は旅人だ。残り二割は、下手を打った詐欺師などの犯罪者、組織に追われる逃亡者くらいなものである。これだけ落ち着いた物腰なのだ、後者の可能性はありえない。

 だがしかし。

「そうだけど、そう見えない」

「そう……ですか?」

「いいとこのお嬢様の道楽みたい」

「ああ、なるほど。僕はもともと、旅人になる前は――こう言うと陳腐ですが、良家のお嬢様だったんです。立ち振る舞いだけは、それをベースにしているものですから。あ、口調もそうです。多少崩してはいますが」

「私は、作法やら何やら、全部放り投げて、ぼうっと海を見てた方だわー」

「昔から海に執心が?」

「かなあ。いや、家が嫌いだったわけじゃないけどね。親は嫌いだったけど」

「嫌いだったのですか? 僕は……まあ、粛粛と受け入れてはいましたが、嫌嫌だったのは事実ですけれど、嫌悪はしていなかったかと」

「その、嫌嫌ってのと同じ。愛情はあったし、不便もなかった。でも、嫌嫌だったから、私はやんなかったの」

「なるほど」

 けれど、そんな親も今はいない――。

「さて、荷物の検分でもしようか。私も食料とか持ち出すから」

「わかりました」

 ま、だからといって信頼するほど、私はお人好しじゃない。

 たとえ出生が似ているからといって、私とジェイは、別人なのだから。


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