09/05/13:30――コノミ・こっちはでっかいトカゲ

 失態だ。大失態である。

 それが自分の落ち度だとはわかっているものの、珍しくコノミは非常に不機嫌であった。

 仮に、そう、たとえばコノミと玉藻の二人しかいない状況でならば、まだいい。一時間超の熟睡なんて間抜けを晒したところで、クソッタレと毒づいて無防備だった自分が無事であることを安堵し、その安堵と共に自己嫌悪に陥って傍にある木を蹴り、呆れたように肩を盛大に落としたあと、頭を掻いた揚句、こんな豪華なベッドを手配した覚えはないと、八つ当たりじみた言葉を玉藻に投げかけ、それでも、旅に出た先で野宿をするのならば、いくつかの対策をした上でならば、使ってやってもいい――そんな皮肉で、どうにか、失態の埋め合わせができたはずだ。

 ……そうだ、できたはずだ。たぶん。

「お主、内面の葛藤は全部伝わっておるぞ」

「うるせえ、八割が自己嫌悪だ。責任転嫁はしねえよ。腹いせにまた今度、その上質なベッドは使ってやるから覚えとけ」

「それは構わんが、ふむ。しかし、食事を断らなくても良かったじゃろ」

「私にこれ以上の失態を晒せってか? 御免だぜ、そこまで人間ができちゃいねえっての。こういう時は、飲む」

「酒か」

「自己嫌悪なら、酒で晴らせる。ほかの失態は別だけどな」

 一人で飲むと制限がかかる。だからと思って診療所をノックしたが、残念ながら不在。こんな時もあるかと思いながらも、足はカジノへと向かう。今日は綺麗な酒を飲めそうにないが、よく知っている場所の方が安心だ。

 無言のまま玉藻を引き連れて中に入り、僅かに足が止まる。

「ほう……」

 診療所にはいなかった、キリエ・ノドカが一人で飲んでいた。すぐに足を動かせば、彼女が気付いて軽く手を挙げる。

「コノミ」

「おう。一人で飲んでんのか」

「誘おうと思ったけど、都合の良い言い訳も見つからなかったし」

 視線を変に走らせたりはしない。玉藻の姿にも気付いていない、いつものキリエだが――しかし。

 椅子から、でろんと出た尻尾は、人が持つものではない。その形には見覚えもある。

 とりあえず無視してビールを注文する。玉藻は座らずに、腕を組んでいた。

「え、なに、どかしたの?」

「まあな」

「イラついてる」

「そういう日もある。お前だって――……いや、いい、気にするな。八つ当たりはしたくねえし」

「そゆとこ、自制しちゃうんだもんなあ、コノミは」

 やはり玉藻が見えていない。どうしたものかと思いながら、注文したビールを一気飲みすると、運んできたウエイターにもう一杯くれと、空いたグラスを置いた。

「わお、荒れてるねえ」

「ん。金貨三枚、渡しておくから、もしも私が潰れたら清算しといてくれ」

「嫌なことでもあったのはわかったけど、ほどほどにしときなよ?」

「相談は受け付けてくれないのか?」

「え、カウンセリングでもしろって? 私がコノミに? うーん……」

 次のビールを受け取ってから、食べ物を適当に注文する。

 おそらく、と前置したのならば、玉藻との契約をしたことで、それが〝視える〟ようになったというのが現実だろうと思って、吐息交じりに、頬杖をついた。

「キリエ」

「なに?」

「尻尾、隠れてねえぞ」

「うそ!? ――あ」

 語るに落ちた。いや、はめたわけではなく、確かに迂闊な反応だったが、探りを入れたわけではない。

「え、なに、な、なんのことかな……?」

「遅いよ、ばーか。驚くなよ?」

「な、なにが?」

「おい玉藻、酒飲むだろ。姿を見せていいぞ。ここなら問題ない」

「――ふむ、ではそうしよう」

「のわっ!?」

 椅子を引き、器用に座ったかと思えば、テーブルにあるメニューに手を伸ばし、ざっと視線を通した。

「ほう……飲んで良いのか、コノミ」

「ほどほどならな」

わたしはカクテル、というのを飲んだことがないのじゃ。む、内容は言うな。楽しみたい」

「好きにしろ」

 ふんと、詰まらなそうに鼻を鳴らしたコノミは、周囲にひらひらと手を振って、気にするなと伝える。ウエイターの平常心を見習ってほしいものだ。

「ちょっとお」

「ちゃんと隠れてる――みたいだから、安心しろ。私だって見えたのは今日が初めてだ。つーかお前、竜族かよ」

「う……」

「ほう、竜か」

「どうなんだ?」

「妾にとっては、空を泳ぐでかいトカゲなんぞ、大して興味もないのう」

「トカ――!?」

 竜がトカゲなら、狐はなんだろうと考えだすが、そういうことではないなと、ビールを呷る。

「玉藻の影響か?」

「うむ、今まで見えていなかったのならば、そうじゃろうな。仕組みはよくわかっておらんが、妾に見えているから、お主にも見えたのじゃろ」

「さっきの今じゃ仕方ないか」

「トカゲ……」

「いつまで落ち込んでるんだ、キリエも。というか、興味がないってのはどういうことだ?」

「む? あのトカゲどもは雑なんじゃよ。空を泳いでいることに優越感なんぞ抱いておる。人を見下して保つ程度のプライドなんぞ、ないのと同じじゃろ。口から火を吐けてもなあ、面白くもなんともなかろ」

「へえ……実際にやり合ったことは?」

「あるぞ。邪魔になったので消したこともある。昔じゃがな。ちょっとジャンプすれば制空権は得られるからのう、ははは!」

「硬いだろ、あいつら」

「妾の毛の方がよっぽど硬いぞ? 唯一の利点と言えば、肉が美味いことくらいかのう。生でもいける。――あれじゃ、そう、寝ている時に蚊いると面倒じゃろ? そういう感じだとも」

 躰だけじゃなくてスケールが違う。

「キリエ、反論はどうした」

「う、うううっさい! この人怖いんだけど!」

「うるさいのはお前だ。ったく……それで? 本当に竜族なのか?」

「……うん」

「道理で、親父が紹介するわけだ」

「あの人は、苦手。竜族の術式ってかなり高位のはずなのに、隠してる迷彩とかちらっと見ただけで把握されちゃうし」

「玉藻はどうなんだ」

「いや、初めてだしこんな人。人じゃないっぽいけど……コノミの知り合い?」

「私がひ孫なんだと」

「……へ?」

 カクテルの注文と一緒に、三倍目のビールを頼む。いつもは高い酒をのんびり飲むコノミも、自己嫌悪を晴らすには、安い酒を美味かろうが不味かろうが、たくさん飲みたくなるものだ。

「冗談……とかじゃなくて?」

「だったら良かったな。私も余計な気苦労を負わずに済む。だいたい、お前が竜族だと知って、私に何のメリットがある? ねえよ、そんなもの。クズハさんが猫族だってのを知った時と同じ――……じゃ、ねえか」

 隠していたことを明かすのと、明かされるのとでは、やはり違う。

「私が持つ昔の記憶を、どうにか思い出してみたのなら、竜ってのは基本的に、人と触れ合うような種族じゃないんだろ」

「そうだけど。だから、私は変わり者ってわけ」

「年齢を偽るくらいには、変わり者だな」

「う、うるさいなもう! この姿になってからは、ちゃんと二十一年目よ!」

「なんだ、やっぱり長生きなのか」

「ぬ……ま、まあ、そうなんだけどね」

「竜族について聞かせろ、興味を持った」

「と、言われてもなあ」

「ふむ、では尋問でも始めたらどうだ、コノミ」

 にやにやと笑いながら玉藻が口を挟めば、この世には希望などなく、生きる道などないと宣告された学生のような顔をしたキリエは、顔色をやや青くしつつ、追加の酒を注文した。

「言いたくないなら断れ。まずは、キリエのフルネームからだ」

「キリェラ・フェス・グランシア……一応、ノドカってのは先代の名前ね」

「私はコノミ・タマモだ。こいつの名前をつけられた。因果関係は教えた通りだ。一部とはいえ血が流れてるからな。さて――どうする?」

「なにがよ」

「お前の名前を聞いた私が、三番目の大陸ドライに行って名前を頼りに聞きまわるのと、自分で話すの、どっちがいい?」

「あんた知ってたけど性格悪いよね!」

「私の言葉を本気にするくらいには、嫌だってことか……」

「……いいんだけどさ。私はもう、関わろうと思ってないし」

「そんな呑気なことが言っていられるのも、今の内だ。海が開かれて、世界は繋がった。特別な手段なんぞ持たなくても、竜族なら空を飛んでこっちまで来れる。いざ、連中の標的がこの国になった時に、それでも、お前は傍観していられるのか?」

「それは――……」

「意地悪で言ってるわけじゃない。私なりに、現状を踏まえた上での判断だ」

「ふむ。ならば、コノミならばどうするのじゃ?」

「ここは気に入ってる場所だ、そう簡単にやらせるかよ。その場に私がいれば、だが」

「ははは、それは人間らしい行動だ。妾は推奨するとも」

「――それでも、竜族は人よりも玉藻の方が近いんだろうな」

「スケールが人とは違うって意味合いなら、そう。そこが原因なんだけどね……」

「あのトカゲ連中は人を見下しておるからのう」

「あなたは違うの?」

「ははは、挑戦を待つ方が面白いじゃろ。挑んできた人間を半殺しにしておいて、次に来るかどうかを楽しみにして酒を飲むのが、妾の生き方じゃ」

「――、そうか」

「え? なによ」

「いや」

 そうか。

 挑むことも目標になるのならば――挑まれることもまた、楽しみなのか。

 まったく。

 それならそうと、両親も言ってくれれば良かったのに。遠慮せずに、何度でも、挑んでいられたのに。

 いや。

 それは今からでも遅くはない――か。

「玉藻、もしも旅に出るとしたら、まずは三番目に行くぜ」

「トカゲの棲家か……」

「ちょっと! そのトカゲっていうのいい加減やめてお願いだから! せめて私の前で言わないで惨めになるから!」

「……ま、今すぐって話じゃねえよ。ファビオにも話はしときたいし、玉藻との関係だってこれからだ」

「うむ。……このカクテルは美味いな。覚えておこう」

 どうでもいい、が半分で、残りはどうであれついて行く、といったところか。その辺りの真意も、きちんと見極めておきたいものだ。

「キリエは、どうなんだ?」

「え、なに?」

「このまま、ウェパードお抱えの医者として、これからも過ごすのかって話だ」

「あー……どうだろ。違和が発露しない内は、このままだけど、基本的にはどこかへ流れるしかないんだよね。あと私が死ぬか」

「ふうん?」

「なに、私と別れるとさみしい?」

「いや、ここにいるならトカゲの棲家に行って、お前の名前で暴れまわっても、風評被害に傷がつくことはないから、安心だと思って」

「ちょっと!」

「だいたい、私の術式を使えば、一度行った場所ならそう時間をかけずに移動できるし、いつも通り、気が向けば顔を合わせるだろ。今みたいに」

「そうだけど……」

「それに、お前を旅に連れて行く、なんて選択肢は最初からない。玉藻が付き合うのだって、そもそも、条件付きみたいなものだからな」

「そうじゃのう、うむ、うむ、おおいウエイター、今度はこっちのを頼むぞ」

 聞いちゃいない。

「だから、先に言っておく。私が急に消えても、そういうものだと思って諦めろ」

「はいはい。私も言っておくけど、竜族の鼻を甘く見ないことね。文句があったら追いかけて見つけて掴まえるから」

「言ってろ」

「……うん、でも、やっぱりコノミが一ヶ所に腰を落ち着けてるのって、なんか変な感じ」

「そうか?」

「そう思う。なんていうか」

 その言葉は、なんとなく思いついたのではなく、きっと厳選した結果として、以前から考えていたものなのだろうけれど。

「――翼を失くした鳥に見えてた」

 なかなか、ぐさりと刺すような言葉だった。

 今は違うけどねと笑いながら付け加えられても、とっさに反論が浮かばず、誤魔化すようにビールを呷る。

 やれやれだ。

 そんなことを言われれば、更に自己嫌悪に陥りそうである。


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