09/05/11:00――コノミ・なんかデカイ狐

 空を飛ぶ竜が、大地に影を落とすその光景は、コノミにとって〝懐かしい〟とも呼べる記憶だ。物心ついてからのほとんどは二番目の大陸ツヴァイでこうして過ごしているが、生まれは火の大陸、三番目なのである。

 こうして今、空を見上げていてもそんな姿は見られない。雲が流れている日もあれば、動きが遅い日もある、ただそれだけのこと。実際にどれほど竜族が厄介なのかも知らないままで、ただ記憶の中にある光景だけを覚えている。だからこそ、コウノはあんな助言を渡してくれたのだろうと、そう思う。

 ウェパード王国そのものは、落ち着いている。国家自体がそもそも、水面下で物事を進めることを常としているし、街中で作業する騎士団など、日常的に見かけるのだから、建造物を新しく建てようとしていたところで、住民の反応はそれほどない。

 初動としては、古い文献を漁ることだった。コノミの、というよりも、コノミが使っている住居にも、一応の打診があったが、それは断ったらしいけれど、他の大陸の記術を総ざらいしているようだ。それもまた、継続的に行われており、これから成果は出てくるだろう。

 文句はない。そもそも、コノミは国政に携わることはないので、それ自体にとやかく言うつもりは最初からないが、良く言えば手早く、悪く言えば無難だ。その手腕も現国王のワイズに九割がた委ねられるかたちになっているため、一抹の不安はあるものの、そこは次期国王であるリクイスが背負うべきもののはず。

 時間的制限は、どれくらいあるのだろうか――そんな思考へ手を伸ばそうとした時、それは訪れた。

 カイドウの住居の裏手にある小川付近である。周囲には木木があり、小川が流れる位置だけはそれなりに開けており、空もよく見えた。完全に人気はないが、住人たちはそれなりに訪れる場所なので、あまり安心もできない場にて、彼女は。

 その存在は、コノミの傍に〝出現〟した。

「ふむ――」

 まず感じたのは、逃げ遅れたという後悔だ。いや、出現したのだから逃げるも何も、回避する手段が最初から用意されていなかったのだから、手が遅れたなんてことは、ないのだけれど、それでも、出遭ってしまった以上はどうすることもできない存在だという確信があった。

 そうだ。

 平静を装わなくてはならないほどの、存在である。

 スケールが違う。人という存在よりも、二回りほど躰が大きい。小柄なコノミからすれば、五メートルも離れているのに、顔を見るためにはやや見上げなくてはならないほど。美しいと思えるほどの刺繍が入った和装束であることに気付いたのは、そのあとだ。

 そして、顔の――いや、頭の上についた二つの耳。

 猫のものとは違うし、犬とも違っていて。

 ちらりと見える彼女の背後には、尾が何本か見えていた。

「妙なところに出たかと思えば、ふうむ」

 落ち着いた声色だ。安定していて、恐怖は感じない。そう、恐怖はないのだ。敵意がない。首を傾げ、背後を見るようにして何かを確認する彼女の行動も、怖くはなかった。

 けれど、そんなものは必要ない、という裏側に潜む意図すら見えてしまう。普段から父親が見せている雰囲気と、やや似ていて、けれど明確に違うのは――その危険性だ。

「お主、名はなんと言う」

「――」

 返事をすべきかどうか、逡巡する。本当ならば相手にすべきではない。ないが、選択肢がなさすぎた。

「……あんたみたいな〝存在〟に、名を明かす間抜けができるか」

「む……確かに、そうじゃのう。いかん、随分と人世の理を忘れておる。しかし、話を聞きたいのも事実じゃ。となれば――うむ、契約しかあるまい」

「契約?」

「そうとも! わたしとお主で、一つの契約を結ぼうではないか。つまり、妾はお主に危害を加えず、利用もせん。お互いに並んで歩く、そのような契約じゃ。そうすれば安心して話すこともできよう」

「……名を、聞くためにか?」

「うむ」

 ただの口約束では安心できまいと、彼女は笑って、――言う。

「我が尾に誓い、違えれば殺生石となりて献上せん。白面金毛はくめんこんもうの我が身を主君に捧げ、契約の寄り身とするならば、命に従うもの我が身となる。――名を」

 言葉としての〝契約〟を感じられる。強い結びつきだ、彼女は嘘を吐かない。いや、吐けなくなる。この場において、少なくとも一方的に命を取られるような、面倒なことにはならないかと、しばし逡巡してから、ため息を一つ。

「コノミ。コノミ・タマモだ」

「――」

 その沈黙は、驚きに似たそれで。

「妾の名は玉藻たまもじゃ」

 お互いの名が交換されれば、契約は、成った。

「ふむ。ああ、安心しておくがいい、我が主君よ。契約の破棄はお主からでもできよう。妾からはできんがな」

「――なに?」

「そして、命令には服従することとなった。ははは、それはそれで面白い」

「おい……」

 契約書をちゃんと読まないでサインをしたような気分になった。

「これじゃ〝騙し〟だ」

「そうは言うがな、悪いことではあるまい」

「面倒な荷物を背負った気分だ……」

「ははは! なるほどのう、そう成ったか。うむ、奇しくも同じ名というのは、ははは、皮肉じゃろうな。コノミ、コウノかイザミは傍におらんのか?」

「――両親を知ってるのか」

 それは、薄薄だが察していた。こういう化け物みたいな存在は、どちらかといえば、両親の知り合いだと、なんとなく思っていたからだ。

「残念ながらいないね。数日前に、確認してくると言って、出て行った。半年もせずに戻るとは言っていたな」

「そうか、そうか、ならば妾の存在も話しておらんのじゃろ。まあ良い、そちらはついでじゃ。ミヤコはおるか」

「祖母さん? そりゃ、いるけど」

「案内せい。妾はミヤコに逢いに来たのじゃよ。お主に逢って、ミヤコが二の次になってしまいそうじゃが」

「――、私が、どうかしたのか?」

「言ったじゃろ、同じ名であることの〝意味〟よ。ほれ、案内を頼む。道中にでも、話してやろう」

「その前に、質問が一つだ。ミヤコさんとは、どういう関係だ?」

「妾の娘じゃ」

「――、……わかった。ここからだと、王国を横切ることになるが、案内はしてやる。事情も道中で構わない。ああっと……玉藻、で、いいのか?」

「構わんとも」

「じゃあ行くか」

 足を進めれば、横に並ばれる。契約による繋がりがあるため、ある程度の感情の揺らぎなども感じられるが、これが双方向なのかどうかは、あとできちんと聞こう。というか、契約に関しては、聞きたいことだらけだが――さておき。

「なあ、そのでかい躰はどうにかならんのか?」

「ならん。……いや、なるにはなるが、あまり好ましくはないのう。妾は、いわゆる妖魔の類じゃから、それなりに変わることはできるのじゃが、人の尺度に合わせるのも、難儀なものじゃな」

「そんなもんか。まずは、玉藻の話を聞かせてくれ。私は、あんたがどう存在なのかも、よくわかってねえ」

「ははは、知ろうとしてくれるのは嬉しいものじゃな。一応、コノミは妾のひ孫じゃからのう……うむ、やはり、ひ孫と聞くと、年齢を感じさせる響きが、どうも、喜ばしさを抑えてしまうのう」

「年齢って……妖魔にもあるのか」

「あるとも。生きてきた時間が、年齢じゃ。もっとも、妾のように人型でありながら、万年の刻を生きておる存在モノは少なかろう。そうじゃのう、妾はいわゆる、九尾と呼ばれる妖魔じゃ」

「九尾……私にはまるっきり知識がない。九つの尾を持っているってことが、何か、あるのか?」

「そうじゃのう、象徴ではあろうな。大昔の話じゃ、発端は狐であった。強い、強い力を持ってしまった姉妹狐の話。今ではそうでもないが、その時分には動物も力を持っておってな、特に狐や狸などは、多かったのじゃよ。こと九尾の狐というのは――珍しいというよりも、姉だけじゃったろうな」

「姉? ってことは、妹が玉藻なのか?」

「うむ。姉は内気で、妾とは大きく違って、弱気でのう。自分の力を奪いに来るのではと、怯える日日じゃったよ。そこで、妾は提案したわけじゃ。姉の尾を二本くれと。それを食らって、妾が姉を護ろうと。――その頃の妾は、ただ力が欲しかっただけじゃった。しかし、甘かったのう。妾はそのまま、姉に食われた」

 ここのお、という名の姉だったらしい。玉藻がいなくなれば、彼女は一人。次次に尾を食われてしまい、彼女は自分を含めて九匹の獣を己の裡に飼うことになった。厳密には、玉藻が二人分を担っていたのだけれど。

「姉は、最後に己を受け渡したのじゃよ。それが最後の境界線――妾たちは狐から、妖魔へと変化した。随分と悪いこともしたし、地形を変えるほどの力も得た。それもまた、昔話じゃよ。しばらくしてからは人に封印され、やがて人によって封印が解かれ、一時期は五木と呼ばれる武術家の天魔としても在った」

「天魔――それは、あれか。楠木の〝村時雨〟や槍の〝炎義えんぎ〟みたいなものか?」

「ははは! 連中を知っておるか、懐かしいのう。然り、然り、そういうものじゃ。けれどそれも一時よ。その頃は姉の中に妾もおって、お互いに話しながら、出たり引っ込んだりと、そんな生活をしておったが、ほれ、世界が今の形に変わったじゃろ」

「ほれ、なんて気軽に言われてもな……」

「妾たちの行動は一気に制限された。そこらは、コウノの娘ならば何か聞いてはおらんか?」

「ああ……そういう連中がいるってことは、聞かされた。ただ多くを知っているだけで、それは話せないし、動きも限られてしまう、とか」

「それでも、ほれ、浮かんでいる大陸があったろう。あそこを使っておったのじゃが、姉はもう、いいだろうと――ただの一尾となって、楽しみを見つけようと、世界を歩き出した。そして妾は、八尾を持つ、狐の妖魔としてここに在る。そんなところじゃな」

「なるほど」

 話半分、とは言わないが、規模が大きすぎて話について行けない。あらすじだけ、要点だけを抜けば、まあ、なんとなくわかる、といった程度だ。

 カイドウたちの住居を迂回して、森へ行く。街中じゃ目立つだろうとは思ったが、それに関しては、どうしようもなさそうだ。

「こう言ってはなんじゃが、ミヤコを産んだのも、暇つぶし程度のものよ。しかし、妾は妖魔で、ミヤコは人の血が濃い。一緒にはいられまいと、あやつは一人の道を歩むこととなった」

「ふうん? 浮遊大陸が落ちたから、逢いに来れるようになった、ってわけか」

「そういうことじゃ。しかし――だからこそ、驚いたのじゃよ。コノミ、お主には〝一尾〟の気配があるからのう」

「……うん?」

「思わず、妾の尻尾を数えたくらいじゃ。いわゆる先祖返りでもしたのかのう、非常に妾と存在が似ておる。契約も上手く馴染んでおるし、それも証明じゃな。おそらくじゃが、タマモという名をつけられたのは、最近ではないのか?」

「最近……というか、まあ、そうだな」

 父親に訓練を受けるに当たって、ようやくついた姓だ。

「それはコウノが浮遊大陸に来て、妾に逢った後のことじゃろ。気付いたのだろう、コノミが妾と似ていることに。心当たりはあるか?」

「――、八という数字には心当たりがある」

 それはコノミが使う〝残影シェイド〟の最大数だ。

「そうだ。親父かお袋のどっちかが言ってた……八だ。九じゃない、と」

「ははは、妾は一応〝九尾〟じゃからのう、八尾しかないが。しかし安心しろ、安定はしているとも。妾の血が、お主に大きく影響を及ぼすことは、まずあるまい。相性が良いからと、妾を依代として憑依させるなんてことを考えなければのう」

「冗談だろ」

「それでいい――おお! 見えてきたのう!」

「随分と楽しそうだな……あんまり派手に暴れるなよ、頼むから」

「失礼な、暴れるようなことはしないとも。ここはあやつ……なんだったか、そう、水龍ウェパードの支配下じゃからのう。面倒は起こさんとも」

「……知り合いか?」

「うむ、よく酒を一緒に飲む」

 厄介の上乗せがきた。もう既にかなりのインフレ状態だ。どうしようもない。

「頭が痛くなってきた……」

「む、体調が悪いのか? そういう〝感じ〟はせんが」

「うるせえよ。というか、この契約は何だ。口車に乗せられたつもりはないが、不透明過ぎる。たとえば、妖魔を〝使い魔〟として扱うのとは違うのか?」

「ああ、陰陽師の系列じゃのう。本来は妖魔ではなく、式神を扱うのじゃが、大きく見れば妖魔もその内かもしれん」

「陰陽師……確か、武術家とは違った意味での専門家だったはずだな?」

「そうじゃ。いや、かつてと今とでは、その役目も大きく変わっているのかもしれんが……」

「どういう連中だったんだ」

「悪く言えば陰湿、良く言えば疎通を常とする連中じゃ。妾たちのような存在を、人の尺度の側へと引っ張り込む――うむ、そうした考えであれば、八割は当たっておるじゃろ」

「なるほど? 引っ張り込んでおいて、使うわけか」

「使うというよりも、囲うのじゃよ。サーカスと言ってわかるか?」

「ああ、たまに見かける」

「檻に入れられた猛獣と同じじゃ。楽しみは、差し出される飯を食うことくらいしかない。もちろん、下手を打てば檻があったところで、喰われることもあるがのう」

「それがいわゆる、使い魔として扱うことか。だとして、この契約はなんだ?」

「いわゆる、主従の契約に限りなく近しいものじゃよ。他者に共感し、行動を共にすることもあろう。それを具体的な繋がりとして持つことじゃ」

「それは、現実に感じているからわかる。なんというか、精神的な繋がりに近い」

 人通りの多い通りは避けているものの、それなりに人はいる。けれど、視線のほとんどはコノミへと向けられ、玉藻に驚く姿はいなかった。

「見えないのか?」

「妾のことならば、うむ、波長が合わなければまず見えまい。今の妾ははぐれの妖魔ではなく、天魔に近しいからのう。もちろん、妾が配慮をして、姿を消しておるのは事実じゃが――感じないか?」

「あまり、そういう感じはしないな」

「そうか……お主も一緒に隠しておるのじゃがのう。いや、一緒とは違うか。お主の〝一尾〟を同化させているようなものじゃから」

「私の中には、玉藻と存在を近しくする、簡単に言えば玉藻の血が巡ってるから、それが契約の要になったのは、わかった。いいか、たとえ話だ」

「うむ」

「たとえば、私がここで、命令を一つ下したとしよう。ああ――口にしてみてもいいか?」

「たとえ話じゃろ? それを真に受けるほど、妾は子供ではない」

「そりゃ助かるね。じゃあ、たとえば、王国を潰せと私が言ったとしよう。できるかできないかは問題視せずに、玉藻としてはどう受け取る?」

「そうじゃのう……もしも、それが使い魔的な従来の契約ならば、妾は一も二もなく頷くじゃろうな。頷くしかできん。じゃが、主従とはいえ、うむ、妾とコノミは〝対等〟であると考えれば、わかりやすいのかもしれんのう。その場合、まず妾には選択権が生まれる」

「つまり、その命令を、受けるか否か――だな?」

「そうとも」

「判断基準はなんだ」

「状況次第、気分次第なのだろうなあ……コウノ似だと妾は見ておるが、そもそもコノミは、そういった強引な命令はせんと、そう思っておるが、命令を拒絶したところで、お互いの関係は変わらぬよ。嫌だ、それで終いじゃ」

「じゃあそれが契約に関係することだったら?」

「――ふむ」

「たとえば、今ここで契約を破棄したいと私が言ったとしよう」

「嫌だと妾が突っぱねるじゃろうな」

「それでもと願うのならば?」

 わかっている。たぶん、その返答はコノミにも察しがついていた。

「――力づくで妾に、うんと、言わせれば良いだけのことじゃ」

「だろうな……おい、つまりだ、私の行く先先にお前もついてくるってことだろ、これ」

「ははは、旅はいいぞ、旅は。妾もこちら側はよく知らんのだ、あちこち回ってみたいのう!」

 それだけのために契約したんじゃなかろうなと思うが、考えるだけに留めた。聞けば、その通りだと言われそうだったからだ。

「十四歳の誕生日プレゼントにしちゃ、随分と豪勢で、私には重すぎるぜ、婆さん」

「……嫌味じゃのう」

「そのくらい言わせろっての……これからどうすりゃいいのか、考えるだけで頭痛がする。食費が増えるくらいならいいんだけどな」

「楽しんでしまえば良かろう」

「言ってろ。ちなみに、離れても問題はないのか?」

「うむ。たとえ別の大陸であったところで、繋がりは消えぬ。それが契約じゃ」

「ふうん……ちなみに、こういう契約ってのは、よくやるものか?」

「――いや」

 契約を結んだのは初めてだと、玉藻は言う。

「刀を形代にしていた時もあったが、人と共に歩もうと思ったことはない。今までは一度もなかった――が、それでも、百眼ひゃくがん……否、水龍ウェパードのように、人と共に歩んでいる姿を、時折、羨ましくは思っておった」

「百眼?」

「そうじゃよ、元はそういう名じゃ。かつて雨天と呼ばれる人間と共に歩いておった――が、今の形になる際に、その者は死んでのう。元より強い力を持っておったから、今でもその本質は変わらんよ。こちら側では、どうか知らんが」

「強い力、ねえ。それも、こっち側じゃ目視というか、感じることは、ほとんどないな。そこに在る、いわば信仰対象のようなものに限りなく近い。この国じゃ、祈りを捧げるようなこともしないけどね」

「在り方はそれぞれじゃ、構わんだろう。ただ妾に言わせれば、随分と大人しくなったものよ」

「おい、いいかよく聞け。そういう台詞を聞くと、お前の厄介さを痛感させられるんだよ。全部話すか、話すのを止めるか、どちらかにしてくれ」

「む? そんなものか? 昔ならばともかくも、今は力を誇るようなことはせんぞ」

「昔はそうだったのかよ……」

「ははは、百眼は文字通り、それぞれ違う百の眼球を持つ妖魔でなあ。妾は九尾としておったから、かつては大陸を二分する勢力じゃったからのう。ちなみに、その頃は海による隔たりなどなかった。広い大地に妖魔が溢れ、人は隠れて住むような状況がしばらく続いておったよ。――まあ、大昔の話じゃ」

「オーケイ、諒解だ。昔話にしといてやる。頼むから、その頃に戻ろうだなんて思わないでくれ。今の私じゃ、玉藻を屈服させることなんて、できやしねえからな」

「安心せい。妾は、人世を楽しもうとは思っておるが、望んで大きな干渉をしたいとは思っておらぬ。それもまた、妾が人と触れ合うことで、教わったことじゃからのう」

「そうしてくれ」

「しかし、口出しはしたくないが、コノミにはいろいろと訊ねることもある。あまり邪険にはせんでくれ、慣れてはおらん」

「ああ、それくらいは、べつに」

 むしろ、そうしてくれた方が、お互いにわかり合えるだろう。上手く行けばいいが――今から悪い方向の心配をしても仕方ないと、割り切りながら、城下町を突っ切った。

「契約をして、私への負担なんてのは、あるのか?」

「いや、基本的には何もなかろう。契約の繋がりが、情緒不安定を引き起こすのならば、内面が伝わることでの不安からだと思うが、慣れれば隠すこともできるじゃろ」

「親父はともかくも、お袋がいろいろと言いそうだ……」

「そうか?」

「二人とも、私の選択を優先してくれるが、親父の保護は迂遠でわかりにくい。逆にお袋の場合は、正面から真っ直ぐそれをやる。つまり――お袋は心配を表面に出すんだよ」

「嬉しくはないのか?」

「……、ああ、もうすぐつく」

「誤魔化しおって……」

 丁度、王国を挟んで反対側は、あちらとは違って森が濃い。雑草も深く、獣道を辿るようにして歩けば、やがて、その家が姿を見せる。

「ほう、結界か。上手いのう」

「わかるのか?」

「ま、それなりじゃな。最近になってちゃんと見るようになったとも。かつては、妾にとって邪魔か否か、くらいの感覚しかなかった」

「豪勢なことだな……お前にとっちゃ、邪魔なものなど、ないだろう?」

「そうでもない。特に〝かく〟と呼ばれる同胞がおってな、あれは面倒じゃった。捕獲のための〝罠〟のようなものを設置して、獲物を待ち構えていたと思えば、飽きてそのままどこかへ行く。知らずに引っ掛かった仲間が随分と文句を言っておったなあ……」

「どんなやつだ、それは――」

 庭に足を踏み入れれば、見えた。鍛錬でもしていたのだろう、袴装束に刀を佩いた、まだ若い風貌を残すミヤコ・楠木と、視線が合う。

 ――初めて見た。

 左手が柄から鞘へと移動しながらも、鍔を押し上げることすら忘れ、呆然と、口をあんぐりと開けて、こちらを見て動きを止めたミヤコの姿を、捉える。人なのだから驚くことがあっても不思議ではないが――コノミにとっては、逆にその姿に驚くくらいだ。

 うむ、と頷いた玉藻は堂堂とした歩きで目の前にまで生き、やはり一つ頷いて、おもむろに。

 両脇に手を入れて、ミヤコを持ち上げた。

「――はははは! ミヤコ、大きくなったのうお主!」

「ちょ――え、なに!? なんなの! 助けてジェイ! コノミ説明よろ! なにどーすればいいのこれ! 逃げられない!」

「わはは! イザミと似たような反応をするのう!」

 持ち上げ、抱きしめ、頬ずりをしたかと思えば、どっかりと地面に座り込み、ミヤコを背中から抱きこむようにして、落ち着いた。やれやれだ。

「え、ええー……? ほんと、なにこれ、ええー?」

「玉藻」

「おっと、いかん、テンションが上がってしまった。すまんのうミヤコ」

「鷺城に続いてなんかまたトラブルでもあった……のか……」

 玄関の扉を開き、ジェイセク・リエールもまた、硬直して。

「おい、おいおい、おいおいおい! はあ!? 俺は老衰で死ぬ予定だからショック死は予定にねえよ! どういうことだコノミ、なんだこりゃ!?」

「おお、ミヤコの旦那か。お主もまあ座れ。妾は――なんだ、今更そんなツラをするつもりはないが、ミヤコの母親じゃよ。ようやく逢えたのう、ははは、間に合ってよかったよかった」

「……ふん。玉藻、案内は終えたからな」

「なに? まあ待て、コノミ。良いから傍におれ。帰る道もわからん。ほれ、こっちに来い。ミヤコ、いつまで固まっておる。もう逃げて良いぞ、ああ遠くへは行くな。そこらに座っておれ」

「場を仕切ってんじゃねえよ……だいたい、なんで私まで。目的はミヤコさんだろうが」

「聞いておいて損はないと、そう言っておるのじゃよ。ほれ座れ、ここじゃ、ここ」

 ぱたぱたと、八つの尾が揺れる。

「なんだよ」

「ん? 尾の上に寝転がって構わんぞ。信頼の証じゃ」

 信頼ねえ、などと言いながら触れると、随分と柔らかかった。けれど、尾であるが故にか、芯も入っている。

「良い毛並だな」

「はは、褒め言葉じゃのう。実体化すれば、よほどのものは通さん金属質の毛並にもなるが、今はこれで良い。ほれ、横になれ。――どうしたミヤコ、ぼうっとして。酒が欲しいなら、妾のストックを出してもいい」

「いや、そーじゃなくてね……」

 まあいいかと思って、コノミはごろんと寝ころんでみた。天然のベッドだ、何度か姿勢を変えれば、すぐに落ち着く。

「あたしの、母親?」

「うむ。半人半妖じゃろ? その半妖が、妾の血じゃ。コノミはそれで先祖返りを起こしたとも言えよう。今までは浮遊大陸をふらふらとしておったし、下に降りてもここへ来ることはできんかったが、制約もなくなったのでなあ。文句があるならば聞くぞ、言って良いとも」

「むー、文句ってほどのことはないし、いいんだけど……実感もないし」

「然り。まだ幼かったからのう、妾のことを覚えておらんでも、不思議はない。リウラクタのことがあったとはいえ、育児放棄をしたのは妾じゃから、妾も母親面などせんとも。うむ、今まで生きて育っていただけで充分じゃ」

「リウ、か」

「ああ、コウノとイザミには逢ったぞ。上でのう」

「あー、その辺りは数日前に、聞いたよ。あの子たちも制限があったとか何とか言ってたし、えと、母さんのことも、聞いてはいた。イザミがすげー怖かったとか言ってたのも、聞いた」

「む……怖くはなかろう、歓迎したぞ。一緒に酒も飲んだ。力を振るった覚えなど、ついぞない」

 退屈な昔話か――ここで聞いていて、自分にどうしろというのか、そんな思いがため息を誘い、瞼を軽く閉じてしまう。

 ――まずい。

 一瞬にして意識が沈む感覚があった。思わず手を伸ばしてみるが、落下速度に対してはあまりにも遅く、底深くにまで落ちてしまう。

 これはまずいベッドだな――それが、残った意識が最後に浮かばせた言葉だった。


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