02/10/08:00――シュリ・武術家のセンセイ
この時期の
うへー、と変な顔をしたくなるくらい、寒い。風がさほどないのが救いだけれど、外でぼけーっと立っていたら、丁度良い人間の看板が完成するんじゃないかと思うほど、寒い。雪が積もるし、外には出たくなくなる。というか出れなくなることもある。雪は非常に厄介だ。
厄介といえば船乗りにとって、
じゃあこんな時期に一番目の大陸に近づくなよ、と言うのは正しい。私だって風が運んでくれなきゃ、とっくに進路を変えていた。やや強めの風に押されてこっち方向に来ると気付いたのが、寒さを感じ始めて毛布にくるまって、いつものように仮眠した十五分の間に、船が勝手に決めていやがったのだ。まだ海が凍るほどではなく、大丈夫だったけれど、まあ寒いのなんの。
人がいれば温かい、というのは本当だと思う。港の宿場は非常に閑散としており、暖房も受け付けの小部屋や調理場くらいなもので、もちろん外に比べれば暖かいので私もケープを羽織るくらいで済ませられるくらいだが、いかんせん、人がいないので、精神的にも寂しさから寒さを連想させられてしまう。
小さな流氷が見られるような現在、足止めを食うかとっとと出て行くのか、そのどちらかが正解だ。どうしようかな、なんて悩む時間があるのならば、海に出て状況確認をした方が良い――のだけれど。
危険ではあるけれど、決して出られなくなるわけではないので、たまにはちょいと休もうかな、なんて考えてもいた。今日はのんびりとして、明日になったら海が全面凍っている――なんてことは、まずないからだ。あるとすれば、この大陸でも、もっと北の方の港だろう。私がいるのは西側の一つで、街にこそ面していないが、大きな被害を聞いたことはない。
もっとも、例年よりも寒さが厳しい年ならば、可能性としてはある。そういうのを、いちいち考えて行動を決めるのが船乗りだが、たまには、まあいっか、くらいのことを考えるヤツもいるのだ――私みたいに。
呑気というか、余裕の表れである。驚くことなかれ、荷物の輸送で儲けた金を、この先は塩と水で生きてやる――どっちも海の上ならどうにかなる――なんて心意気で、流氷の中でも比較的安定して航行可能なシステムを搭載してやったのだ。ふふふ……本当に金がなくなったよ!
ぐつぐつと煮える小さな鍋が目の前にあるが、中身は魚。ここの調理場を使わせていただいた、自前の食糧である。魚は釣りで得た――つまり、この熱いお茶だけを購入し、それ以外はいつも通り。お茶もお代わり自由だから頼んだ。
……どうしよう。
このぶんじゃ、ここには仕事も落ちてなさそうだし、売りに出せるような手持ちのものはない。かといって、ジェイ――エイジェイが置いていった金に手を付けるのは、うん、少し躊躇われる。だったら、のんびりしてないで仕事しろ? まあそうだよね、然り。そうやって頷いて鍋を食べるのである。
だって寒いんだもの。
もそもそと鍋を食べて、空腹を紛らわせていると、いつの間にか――というか、誰かが対面の椅子を引くのが見えた。なんだこの野郎、声もかけずに同席するなら、それなりの覚悟があるんだろうなと思いながら、睨むように――。
――睨むように。
目線を投げられていたのは、私の方だった。
「げ……」
「……」
白髪が目立つ短い髪に、のっぺりとした細い顔。そして細い体躯を包むは袴装束――いつしか見た姿とまったく同じ、その男は。
盛大にため息を落とした。
「え、なにその反応。それこっちの反応じゃない?」
「うるせェ……」
名前は――ええと、なんだったか。海に出る前の付き合いだったので、名乗られた覚えもないのだが、名乗ったかもしれない事実がある以上、言及できないわけで、ともかく私はセンセイと呼んでいた。
「挨拶一つもなく、ぱッと消えるみてェにいなくなりやがって」
「挨拶しようと思ってもいないじゃん、センセイ。あ、これ私の鍋だから手ぇ出したら怒るから。マジで。今お金ない」
「出さねェよ、ガキに面倒見てもらうほど落ちちゃいねェ――お前は食うか?」
「奢りなら食べる。当たり前じゃん。センセイなんだから奢ってくれて当然? いや感謝はしますけれども、どうか奢ってください。金欠なのですマジで」
「甘やかすつもりはねェんだがなあ……」
なんて言いながら、結構な量を注文してくれるから、センセイは好きだ。
「で? どうなんだ」
「なにがー?」
「それ」
顎で示され、私は視線を左の腰に落とす。そこに佩かれているのは二本のナイフ――否、小太刀だ。
上側にあるものは、刃を上にしてあり右手で抜く。下側にあるものは刃を下に、左手で抜く。まあ状況に応じて左右は変わるけれど、順手か逆手が変わるだけのことだ。
「これ、ねえ」
船乗りがナイフを持つのは自然なことだ。大抵はすぐ使えるよう腰に装着する。どうしたって船の上では作業時に使うし、妖魔の襲撃となれば引き抜いて戦うしかないからだ。
二本ある。それも当たり前。予備を持たないヤツもいるにはいるが、まあ、不自然ではない。ただし――刀身が曲がった刃物を持つ人間は少なく、それでいて細い得物ともなれば極端に減り、それが二振りともなれば、そうはいない。
私は、武術というものをセンセイから教わった。
小太刀二刀術、と呼ばれるものを。
「といっても、海に出る前に、どんくらいだっけ。二年? 三年? まあ――いいんだけど」
「ぼうっと海ばっか見てて退屈そうだったから、遊びに誘ったンじゃねェか」
「言う言う。感謝は、してるけどね」
そう、感謝はしているけれど、私には海があった。だから、師匠などとは呼ばない。
「いつ抜いた」
「ん? いや、頻繁に使ってるよ。この魚を下ろした時とか」
「お前なァ……」
「だって便利じゃん、これ」
「俺に言わせりゃガラクタだろうが、そこそこ値の張る一品ものだぜ、それ」
「へー」
そりゃすごい。道理で酷使しても刃こぼれ一つしないわけだ。売ったら今の金欠がどうにかなりそうで、ちょっと誘惑される。
「あのなァ」
「呆れないでよ、まったくもう。そんなに私って、腑抜けてる?」
「いや、〝二年前〟に見た時と同じだ」
「――はあ? なにそれ、声もかけなかったわけ?」
「俺はほかの仕事中だったッてわけだ。いやなに、思ったよりも槍の小僧が面白くなっていやがってなァ……」
そんなヤツは知らん。というか、だったらなんで今、声をかけてきた。素知らぬ振りをしてくれた方が、私としては面倒がなかったのに――ひゃっほう! 食事がきたぜ! ありがとうセンセイ!
「顔に出てるぜ、不満顔から食欲が出てる」
「くるしゅうない」
「何様だお前は――ああ、本当に、昔からそうだなァ。即物的ッてわけでもねェ、理想主義でも現実主義でもねェのなら、都合の良い風見鶏」
いやと、料理が並んだ段階で苦笑する。
「運の〝悪い〟――だな」
「いつもなら反論するけどあったかい食事の前ではどうだっていい!」
「現金なヤツ」
「いただきます」
「おう、俺のぶんはちゃんと残せ。――で? きっちり二本抜いたのは、いつだ」
「んー? どうだろ。ここしばらく妖魔の襲撃も片手間で済ませられる程度だったし」
「これだから……以前にも言ったがな、エレア。お前の持つ素質ッてのは、かなりのもんなんだぜ。ちょっと真面目にやろうッてンなら、娘に預けたままの俺の小太刀を二本とも、預けても良いと思うくれェにだ」
「なんか重そうだからいらない」
「これだ。徹頭徹尾、必要ねェと言い張りやがる。海に出てから余計にそれが顕著になったなァ」
「あー……まあそうね、でしょうよ。一度〝死んだ〟ら、こうなっちゃって」
「へェ、そりゃ余計に難儀なことだ」
疑わないし、問い詰めない。笑わないし、嘘だとすら思っていない。
センセイがそういう対応をするとは思わなかったので少し驚いたが――ま、長く生きていればそういうこともあるかと、気にしないようにした。
これ以上気にすれば、私の方もまた、話さなくてはならないから。
「本当にもったいねェ……」
「しーつーこーい」
「はいはい」
「あ、でも気になる。センセイがその、槍のって人を見てたみたいに、やっぱいるの?」
「退屈しのぎには、いるな」
「へえ、じゃあその一環で私もってこと? いや、これでも感謝はしてるよ? ――使う機会がそんなにないってのは、文句もあるけど」
「使わない方が良いンだろうが……」
「そりゃそうだけど」
「まァ、最初は俺も鈍ってたから、丁度良い相手が欲しかったンだよ。大陸が落ちるまで、それなりに制限もあったし――そりゃァ、今もあるが」
「あるんだ」
「そりゃ、ここら一帯に積もった雪を消し飛ばすくらいの〝戦闘〟をしたら、問題になるだろうが」
「え、やってよ。雪が消えて助かる人いるし。騒ぎになったら、ばーかばーかって指を突き付けて笑ってやるから」
「楽しいか、それ」
「うん」
「相手がお前なら?」
「今から海に出るんで知らない」
そんな自然現象みたいな戦闘に巻き込まないで欲しい。
「できると思うんだがなァ……実戦で学ぶタイプだしな、お前。つーか、名前は今もまだ、エレナでいいんだよな?」
「うん、変わってない」
「ならいい。しかし、そうだな――いや、槍の小僧も厄介に育っていやがった。さすがに、まだまだ届かないッてのは認識しただろうが、まともに相手をするために刀を手にしたくらいだ。俺が最も得意とする〝居合い〟の領域に引っ張り込んで、何もさせずに終いだぜ。なるほど? 耐えられる程度にゃァ、育っていやがる」
「ちょっとぉ」
「お? なんだ?」
「私、センセイの居合い〝しか〟見たことないんだけど?」
「だから……素質があるッて言ってンじゃねェかよ」
「なんだよもー、だいぶ手を抜いて、加減しまくってくれれば、生傷が減ったのに」
「あのなァ、俺の居合いを前に、生傷程度で済んでること自体がおかしいッて言ってンだよ、おい。未だ八割程度の俺を、最盛期の実力まで戻す手伝いをしろ」
「い、や、だ」
「言うと思ったぜ、ッたく……まァ、今の俺は、ただそれだけのために見てるわけじゃねェから、いいけどな」
「最盛期に戻りたくはない?」
「馬鹿、そうじゃねェよ。最盛期を〝維持〟しようと思えば、相手がいる。どうにか折り目をつけられたのが今の俺だ」
「それでも、相当だと思うけどなあ」
「相当? はッ、化け物から逃げるくらいの足はあるさ。ま、槍の小僧はともかく、楠木は一つの完成を見た」
「楠木? なにそれ」
「名だよ。居合いに傾倒した人種だ。しかも、ただひたすらに速度だけを追求し、先手だけを追求し尽くした。常に先の先、後の先などいらぬ。――そういう妄執に囚われた武術家だ。つまり――」
ああ、そうか。
「つまり、センセイに〝速度〟だけでも勝とうと、一芸を磨いたわけだ。――それじゃ敵わないのに」
絶対という言葉を使いたくはないけれど、限りなくそれに近く、だから間違いなく。
届かないのだ。
そんな方法では、センセイには届かない。
「あっさり言いやがる……お前、そういうとこも昔と変わらねェな」
「え? 間違ってた?」
「正解だから問題なんだろうが。俺が裡に秘めていたことも、ざっくりと棘みてェに突き刺すから性質が悪い」
「そうかなあ」
そういう嫌味を口にしようと意識したものではない。ただ、そう、単純にそう感じただけだ。
「ちなみに、理由は?」
「んー、センセイの多様性かな。仮に、その楠木さんが速度で上回ったとしたら、センセイは力で圧倒すればいい」
「……ふん」
力も上回っていたら、今度は技術で圧倒すればいい。決して、センセイは一点特化型ではないのだから、そのくらいのことは軽いだろうし、この程度のこと、誰でも思いつくだろう。
「だからって、無駄とかじゃないよね。何しろ、それならばセンセイの速度には〝成れる〟ってことだろうし」
「そうか?」
「うん。センセイが教えてるんなら、そうだろうと思うよ。それが自然発生的な何かなら、また違うかもだけど」
センセイが接触した時点で、目指すべきものがセンセイになってしまう。こんな風貌で、何をしているのかよくわからないけれど、きっと武術家なんて括りの中では、頭一つどろこじゃなく、跳びぬけている。
目標になってしまう。否応なく、そこまでたどり着かなくてはと足掻く――それはつまり、センセイが基準であり、基準に至る道として確定してしまうのだ。居合いを求めれば、センセイの居合いを越えなくてはいけないし、槍もまた同様。そして、越えてからようやく、センセイを相手にできるのだから、それは――あるいは、かつてセンセイが辿ってきた道の一つ、といった感じになる。
規定された道。当人の意志が尊重され、束縛だらけではないけれど、得物を一つ握って対峙したのならば、それは窮屈とも思える細い道を一つに決めてしまうことと同義だ。
だから、御免だと突っぱねる。私には〝広すぎる〟その道を、歩みたいとは毛ほども思わなかったから、続きを望まない。
「ま、俺だって最初から無理強いはしてねェよ」
「じゃなきゃ教わったり……」
待て。
「私、センセイに教わったことない気がする」
「おいおい、何言ってンだ。ちゃんと教えただろ――」
「対応できなきゃ死ぬって? それとも、その対応が小太刀のやり方だって、実戦で?」
「おう」
もっともらしく頷いて肉に手を伸ばすな。スパルタというより、やっぱりどっかおかしいよ、この人。
「それに、針と糸の使い方は、ちゃんと教えたじゃねェか」
「おー、あれね。小魚の群れを見た時のための網を手入れする時に、すげー役に立ってる。あれだけはセンセイに感謝してるよ」
「網作りかよ……あのなあ」
「はいはい、戦闘技術だってことは、わかってるって。――わかってるだけ、かもしんないけどね」
「そういえば、術式の方はどうなんだ?」
「え? どーだろ。私のはやっぱり、どっちかっていうとセンセイのに近いとは思うけど、確かめてない。そもそも、使う機会がないからね。あ、これは良いことだからね? 望んでそんな状況求めないし」
「はは、俺と手合せするのは嫌だってか?」
「寒いし」
「いや、そこが理由なのが納得いかねェンだよ……」
え、いや、私はなんでその理由で納得しないのか、まったくわけがわからない。
だいたい。
「センセイなら、見ただけでわかるじゃん」
「……そういう、目ざといところも評価してンだよなァ」
「知ってる? それ、過大評価って言うんだけど」
「俺が〝見て〟も、対応しねェ馬鹿はたくさんいるが、見られたことを含めて自覚的でありながら、懐を開いて見せつつも、知ったことじゃないと受け流すのは、お前くらいなもんだ……」
「だからなんで、そこで呆れたみたいな顔になんのよ」
「事実、呆れてんだよ」
「そんなに素質って大事なわけ?」
「ああ、重要だ。何故なら、素質を持つが故の壁は、素質を持たなければ破れない。どれほど足掻こうとも、その壁は、努力の道とは〝別〟だ。どれほど努力しても、その壁にぶつかることは、――ありえねェ」
「センセイはどうだったの?」
「幼少期なら、素質そのものを〝作る〟ことだって可能なんだよ。まァ、俺の場合はそういう感じだ。恨んだことは一度もねェけどな」
「いわゆるハイブリッドみたいな?」
「似たようなもんだ。つーか……本当、俺はいつ死ぬんだろうと思うと、ちょっと怖いな。いや、その時が来たら娘が殺してくれるだろうから、安心はしてるが」
「物騒な約束だなあ。生きるのが嫌になったら、殺してくれるってわけか。どうかその人と逢いませんように!」
「はあ? なんでだ」
「面倒そうだから」
その一言に尽きる。面白そうだとは思うけれど、メリットよりデメリットの方が大きい。
「センセイも一緒だけどね。っていうか、どうやってここ来たの」
「ん? そりゃ〝彼岸〟に入って、移動してきた」
「あー……アレ、か」
「へェ――?」
あ、まずった。失言だ。
「話したことはねェぜ、エレア。知っているのは〝経験〟したやつだけだ」
「たとえば楠木とか?」
「話を逸らそうとするな」
というか、よく食うなと言いながら、追加注文。マジかよ、センセイ愛してる! 今だけ限定で!
「あのな……わかっているだろうが、二度はやるなよ」
「あー、最悪の状況じゃなけりゃ使わないって、あんなの。いくら私が目的地を決めないからって、それは海にいたいから。あんなところをさ迷い歩いて、どうすんの」
彼岸入り。妖魔の領域。そこを生身で渡るすべ。
距離と時間を一足飛び――だ。
「ここらに用事でもあった?」
「ん? ビヒモスが元気かどうかの確認のついで、だな。お前に逢いにきたんだよ」
「はあ?」
「地龍〝ヴェドス〟のことだ。俺にとっては古い名前の方が通りが良いからなァ」
「あっそう」
「なんだ、驚けよ」
「驚いたってば。だいたい、センセイの交友関係なんて知らないから」
「嘘吐け。お前が驚くかよ、こんなことで」
いや、驚いたからどうしたとは思っているけれど、驚いたのは事実なのだ。
「そういえば、さっき見てきたが、お前の船」
「え? 逆側から来たじゃん」
「海側から来たら、いらん推測をさせるから、迂回しただけだ。俺は雨が好きだが、雪もそれほど嫌いじゃねェ――」
「私だって嫌いじゃないよ? 嫌いなのは濡れることと、寒いこと」
「詭弁だろ」
「そーだけど」
海の上ならば、まだしも、陸地でならば、避けるに越したことはない。
「おかわりきた!」
「上品に食べる癖に、量だけは……ったく、欠食児童かよ、お前は。金の使い方は先を見据えて計画的に、だろ」
「へーい」
いやだって、なんとかなると思っていたんだもの。
「じゃなくて、あの船って印はないが、オトガイの作品じゃねェのかよ」
「あー……」
否応なく、私は知り合っているのだが、オトガイ商店の〝顧客〟ではない。客ではなく、例外的な知り合いというか、私だってお断り願っているので、各地に点在する店舗の扉を叩く真似はしないけれど。
「厳密には、――違う」
「へえ?」
「あのクソ頑固親父が、三十五で〝引退〟してから、造ったものだから。基本的には携わっていないってのが、基本のスタンス。でも、船なんて作るのかよって、面白がって若い連中が手を貸したから、まあ、材料そのものは、そっち経由だったらしい」
だからまあ、あの連中の〝オモチャ〟であることは否定できないけれど、親父が造ったものであることが本質だ。
「道理で……」
「ま、その頃は、金だけはあったからねえ。私の注文を受け付ける馬鹿が、あの親父しかいなかっただけ、なんだけどさ」
というか、本当のことを言えば、この金欠だとて親父が原因だ。メンテに顔を出せば、どうだ流氷なんぞ障害にもならんシステムだぞこれは――などと語られたのならば、船乗りとしては一も二もなく飛びつくっての。効果が保証されている以上は欲しいシステムであるし、金がなんだこの野郎め。
くそう、ご飯が美味しい。
「この小太刀だって、オトガイの作品なんでしょ?」
「なんだ、気付かれたか」
「そりゃ専門職だし、ちら見でわかったみたい。隠そうとはしてなかったけど」
そもそも、隠す前に初耳だったから、どうしようもない。
「お前も幅広くやってンなァ」
「死活問題だもの、そこらへんは。嫌だけど、仕事もしなきゃなーとか」
「荷運びか。俺でも運んでみるか?」
「嫌だ」
「即答かよ」
「厄介だってわかってる荷物なんて運びたくない。というか、本当、なにしにきたの? 私に食事を奢るため?」
「馬鹿。本当に本気で様子見だ。できりゃ、一戦交えてやろうッてな」
「その気遣いはいらないなあ。様子見は、まあ、嬉しくもあるけど」
「ふうん……そこまで嫌がるッてのも、珍しいッつーか、なんだ? 理由は?」
「せっかく食べたのに、カロリー消費してどうすんの」
「……お前なァ」
本当、何度目だろうその呆れた顔。いやだって、寒いんだから蓄えとかなきゃいけないし、それをあえて消費してどうすんの。好きだなあ、センセイも。いや、物好きなのか。
「きっと、私以外の人は、結局のところセンセイとやり合うことで、得るものがあったんだろうね」
「お前はないか?」
「あるんじゃない? うん、あると思う。得るもの。だけど私の場合は――」
きっと、彼らとは違っていて。
「――何が得られるのかを確かめるために、やらなくちゃいけなくなる」
やれば得られると断言できる。きっと成長の糧になり、経験になる。――本当に? と、そうやって疑問を挟み込んでしまうのだ、私は。
一度やれば、ああ、得られるものがあるとわかる。わかったら、もう一度やって、それを得なくてはならない。そんな二度手間みたいな確認作業。
どんくさいのだろう、きっと。
「いいねェ――」
そして、どういうわけかセンセイは、私のそういう部分を気に入ってるらしい。
「その才能とも呼べる〝素質〟が、たまらなく向き、なんだがなァ」
「風見鶏なだけよ? センセイが言ったじゃん。適当に話しを合わせて、適当にやってるのが、私」
「どうだかなあ。お前の〝本心〟が偽っていないと、お前自身だって証明はできねえよ」
気付いているのに、気付いていない振り。〝そう〟だと思い込んでしまえば、人は簡単に偽りを真実に塗り替えてしまう。
こと――私は、あまり、執着をしないから。
「ご馳走様」
「おー、……本当によく食ったなあ。俺が食ったの、三割くらいだぜ」
食堂のおばちゃんが皿を下げてくれたので、私は一度席を立ってそれを手伝い、ついでに洗い場を借りて自分の小鍋を洗ってしまう。そうして、お代わり自由のお茶を二つ持って戻るのだ。
残念ながら、センセイはまだいた。
「……あれ?」
「なんだよ」
「センセイの性格っていうか、以前からそうだったけど、挨拶なくふらっといなくなる感じ。てっきり、私が戻ってくる頃には、もういなくなってるんじゃないかと」
「――相手がお前じゃなけりゃァな」
「なにそれ」
「確かに、これ以上続けても世間話だ。お前は俺と戦わないし、いや、どうにか戦いへと動かしたいとは思っちゃいるが――なるほど? いなくなりゃァ、仕方ないと諦めるだろ。頷くだろう。そういうヤツだ、また逢えるだろう。そうやって納得を抱く。――俺の行く先の〝方向〟に当てをつけた上で、な」
「いやまったく見解の相違というか断言しておくけど、私、センセイの、そういうとこ、まったく興味ない」
「だろうぜ。ははは、――ま、やっぱり以前と同じに見えるが、度が外れてやがる」
「悪い?」
「いんや、お前の人生に口を挟むほど、情を持っちゃいねェよ」
「あんがと」
「つーか、俺じゃなくてお前の方こそ、海には出ねェのか?」
「様子見。認めたくはないけど――今、出航するのが、ちょーっとばかり〝運〟がなさそうだから」
「そういや、まだ運が悪いままかよ、お前」
「うっさいわ。私の運が悪いんじゃない、みんなの運が良すぎるんだ」
「それ、俺と逢った頃からずっと言ってたな……」
認めたくはないが、実際にそうなのだから、どうしようかと思っているのだけれど、その運の悪さというのも、ぎりぎり、致命傷に限りなく近いけれど、決して致命傷にはならないような、そう、呪いのようなものだから、なんとか保てているというか、なんというか。
いい加減、このことはネタにして欲しくないものである。だから敏感にもなるのだけれど。運が悪いのは、運を持っているからで――それがない時は、危険なのだ。
とはいえ、だからといって、それが海の上で訪れた時は、抗うしかないのだけれど、まあ、寄港しているのだし、のんびりとしていたっていいじゃないか。
うん……お金があれば、そうしたんだけどね、ほんとにもう。
「ああー……」
テーブルに突っ伏す。なんか世知辛い。
自業自得? わかってるから、そう思うんだってば!
「元気そうで良かったと、話が終わりそうにねェなァ」
「……うっさいわ」
話し相手になってくれるのは、感謝しているけれど。
「あ、一ついいこと思いついたー」
「なんだ」
「センセイ、手配書とか出てない? すげー高い金額で」
「あのな……ねえよそんなの」
「ちぇー。腕の一本でも持って行けば、あぶく銭が手に入るなら、やってもいいかなあって、ちょっと思った」
「物騒なガキだ」
「もうガキじゃない」
「俺から見りゃガキだ。ったく……どっちにしたって、俺が貸すと言おうが、断るンだろ?」
「金の貸し借りなんて、するもんじゃないってば」
「じゃあ――ここんところ、何か困ったことはあるか?」
そう言われて、思い返すものの、特にこれといって……。
「あ」
「なんだ、言えよ。雑談ついでだ、いいぜ」
「この前さあ、エイジェイを乗せたんだけど」
「本気で運が悪いな、お前は」
「うるさい。で、報酬はいらないって言ったのに、置いていったのね、あの馬鹿。仕事として引き受けるつもりはなかったの。その金があるから、預かって、渡してくんない?」
「俺があいつと知り合いだってのは、前提なのな……」
「いや、センセイの実力を考えれば、そんくらいの〝遊び〟はしてそうだし。実際に、私はエイジェイのこと、まるっきり理解できないくらい凄かったと思ったもの」
「手合せしなけりゃ、そうだろうよ」
なんだそれは。手合せしたのなら、私にはわかるとでも言いたげだな、この男。
「当代ッつーと、確かあの小娘なんだろ? まだ〝
「あーその子。うん」
「受け取りゃいいだろうが」
「嫌だ」
なんていうか、もしもあの金に手を出してしまえば――。
「〝次〟がありそうなんだもの」
「そりゃ手遅れだろ」
おい待て。死刑宣告をこんなところで、あっさりとするな。
「なるほど? ははッ、こりゃァ思わぬ収穫もあったモンだなァ――」
言いながら、センセイは立ち上がる。すげー嫌な予感がしたが、しかし、止めるすべを私は持たない。
「――そいつは、お前が自分で突き返せ。どうせまた逢うことになるさ」
なんて。
嫌な予言を放たれた私は、テーブルに突っ伏しそうになり、その前に。
「センセイ!」
「おー?」
「ご馳走様!」
改めての礼に、一度足を止めて驚いたように目を丸くしたセンセイは、すぐに苦笑を顔に刻むと、そのまま外へと出て行った。
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