08/22/15:00――エンデ・終わりの気配
おおよそ、一週間くらいになるだろうか、自分が浮遊大陸に足を踏み入れてから。
急ぐ旅路ではなし、それこそ一ヶ月くらいはあちこち歩いても構わないのだが、それは気分次第。ただし、馴染めるかどうかは――馴染んで良いものかどうかは、一つの問題であった。
環境そのものは、下とそう変わらない。空気が薄いわけでもなければ、地形に大きな差があるわけでもなかった。ただし、〝騙り屋〟としての本分を忘れそうにはなる。何しろこの場において、ほとんど、エンデ・ヌルは相手の知らないことは話せない、なんていう制約がないのだ。
参る話――である。
己の存在意義など馬鹿げた話だが、その在り様も、生き方も、己が勝手につけた鎖であり、足かせでしかない。それが望んで得たものであっても否でも、束縛だ。それがなくなった途端に自由を感じてしまうのならばそれは、自己否定にもつながることになる。
もっとも、制約がないとは言ったものの、この場合はこの大陸において〝知って〟いる人間がほとんどだ、というだけのことだが、余計なことまで言いそうになるくらいには、口が軽くなっているので、なんだかな、だ。
立ち寄った街を歩けば、街並みそのものが、あまり馴染のないものだ。知識としてあった風景が、そのまま残っているような感覚が近い。継続、あるいは持続、なんて言葉が頭に浮かぶ。
「――あんた! 腹減ってないかい!」
なんて、こうして声をかけられることも、エンデにとっては新鮮だ。自転車を両手で押しながら近づけば、どうやらパン屋らしく、良い香りが漂っていた。
「やあ、相場の二割増しを要求したいのなら、味以外にも上乗せが必要になるよ」
「言うねえ、若いの。その格好からして、下から来たんだろう? 以前に見たのは二人の連れ合いだったけど、ま、どっちが珍しいのかは、わからないね。どうする?」
「とりあえず一つ、ここで食べてみるよ。気に入ったら、食料として購入するさ。シンプルなもので頼むよ」
「諒解っと」
「しかし――この自転車ってのは、随分と便利な代物だね。手軽とでも言えばいいのかな、長距離の運動にも最適だ。俺みたいな普通の人でも乗れるんだからね」
「ははは、下じゃないんだってね。道の整備がしっかりしてるって条件が必要だけれど、もともとは素人でも乗れるものって感じらしい。私はしばらく乗ってないけどね、まあガキの頃から使ってたんだ、乗れなくなることはないだろう――ほら」
「ありがとう、いただくよ。……うん、美味しいな。追加注文は食べ終わってからにしておくよ。あちこち移動したけれど、妖魔の襲撃もなくて、やや拍子抜けしたところもあるけれど、さて、この街にも随分と人は少なそうだ」
「うん? まあ、そうだねえ、少ないかね」
「慣れてるのかい?」
「たまに客で溢れることもあるけどね、この街にはそれでも五十人くらいいるんじゃないか?」
「しかいない、と言い換えるべきだね。この大陸は広い――下から見ても、こうして移動してみても、それは実感できる。一つの大陸に最低でも一億くらいはいるだろうと、俺は目安として見ているけれど、とてもじゃないがそこまでの人数とは思えないね」
「そりゃ多いもんだねえ。けどま、上手く回ってはいるよ」
「基本的には自給自足かい?」
「そんなところだ。うちみたいに店を開いている方が珍しいかもしれないね。大規模な工場も動かしてはいないし、うちだって儲けを出そうと思ってるわけじゃない」
「俺みたいな客は捕まえるけれど?」
「ははは、あんたみたいな客だからさ。お目当てはやっぱり楽園かい?」
「そうなるね。けれど、どうだろう。どうやら近づいてはいるようだけれど、さて、ここから更に遠回りをしようかどうかは、考え中さ。ところで、方角的には北東になるんだろうけれど、かなり大きな廃墟のような場を見つけてね。どうやら浮遊大陸のへりに当たる場所に近いようだった」
「あったねえ、そんな場所も」
「情報開示はできるかい?」
「あんたはどう見たのか、そこが先じゃあないのか?」
「まったくだ、その通り。それがルールだ。特に外部の人間に内部の情報を渡す時は、その見解を聞き、正誤だけをそれとなく教えれば、話は終わる。言いたくないことや、言えないことなら、尚更ね」
「嫌なことを言うねえ」
「何もそれが悪いことだと言っているわけじゃないさ。けれど、いろいろ興味がわいて調べてみたけれど、俺にわかったことは、俺自身に調査能力がないことと、あの場所がエンジシニと呼ばれていたこと、そして爆破されたようだと、この三つくらいなものだよ」
「へえ……いや、悪いけれどそこまでは知らないよ。こっちに言われてたのは、いつかなくなるだろうことと、近づかないことの二つだけだ。そして、それはもう終わっていて――立ち入りは可能だと」
「なるほど、詳しくは知らないんだね。しかし、言われたというのは、やっぱり楽園からなのかい?」
「そうなるね」
「逆らえない?」
「逆らう意味がない、というのが実際のところだろうね。支配されているわけじゃないよ」
「知ってる。退屈なら楽園へ挑め――だろう?」
「そういうことだ」
「そして、俺もその一人というわけだ。怖いねえ」
「そんなツラには見えないね」
「ははは、なら俺の強がりも通じてるってわけか。しかし、思ったよりも君たちは、この大陸について知らないんだね」
「知りたいと思えば、それなりに情報を集めることもできるんだろうけれどね」
「知りたいとは思わない?」
「うちらが知っておくべきことは、いつか来るだろう終わりがあることと、惰性ではなく生きること。この二つで充分だ」
「――、終わっても構わないと、そう思っているのかい?」
「そいつはどうだろうね。ただ、いつ終わっても、後悔はしない生き方をしているつもりだ。それにね、大陸の終わりは、うちらにとっちゃ、新しい人生の始まりなんだよ。変な言い方だけど、そこらは〝保障〟されているんだ」
「証明書もない、見えないそれを、信じているんだね?」
「さあて、どうだろうねえ。うちとしては、どうでもいいって部分もあるんだけど」
「ふうん。俺としては、どんな終わりになるのかは、やや興味があるね。この大陸分布になってから、ずっと続いてきたんだから」
「その間、うちだってずっとこうしてパン屋をやってきたわけじゃないからねえ」
「それもそうだね。じゃあ、パンを適当に十個ほど頼むよ。代金はラミルでいいんだろう?」
「構わないよ、ちょっと待ってな」
「急ぐ旅路じゃあないさ。ついでに聞くけれど、この街に宿泊施設はあるかい?」
「入り口に表札がついてなけりゃ、空き家だよ。好きに使えばいい――汚さなければね。野宿よりはマシだろう?」
「はは、まったくだ。野宿は俺にとって生活だったけれど、だからって危険をあえて迎え入れようだなんて、これっぽっちも思ったことはないさ。ところで、楽園は近いのかい?」
「遠くはないさ。今から向かっても、二日はかからないね。直線距離なら半日くらいじゃないか?」
「やれやれ、本当に近づいているんだな。まあいいか――」
「なんだい、行くんじゃないのか?」
「行くさ。けど、俺にだって覚悟ってやつが必要かもしれない、なんて思ってね。覚悟というよりも思い切りかな。――ありがとう、代金はこれで足りるかい」
「充分だ。またおいで」
「次があればそうするよ」
いつも通りの皮肉を置いて、紙袋を背中のリュックにいれたエンデは、自転車を押しながら街の中をぐるりと回ってから、ビルとおぼしき建物の中に入った。自転車ごと入れる利便性からの選択だったが、どうやら中には誰もいないらしく、壁際に自転車を立てかけたエンデは、リュックを降ろしてから、足を投げ出して腰を下ろした。
疲労しているか? その問いに対しては、否だろう。自転車での移動は慣れないものの、徒歩よりも楽であるし、そもそもが旅人のエンデにとっては、それほど辛い行程ではなかった。
やはり終わりを感じている。
確かに、この大陸は全土を含めて継続していて、それは〝停滞〟とも表現できる空気だ。けれど、終わりの気配はない。かといって勘違いというのは、己を疑うことだ、したくはなかった。
満足――なのだろうか。
終わり方、なんて呼ばれるものは、実際に種類があるかどうかは定かではないにせよ、死を除外したところで、結局は己が決めるものだ。押し付けられたところで、認めなければ、それは続いてしまう。
旅の終わりなのだろうか、それともエンデの終わりなのだろうか。エンデの終わりとは、即ち、騙り屋としての終わり?
今のところ、そこを絞り込むことはできないでいる。
思考を切り替えようと思って、懐から一本のペンを取り出せば、ふわりと本が浮き出た。これはペン自体が魔術品であり、用途は日記そのものだ。あの刹那小夜から受け取ったもので、対価としては、少なくとも彼女はエンデが記した内容を、どういうわけか参照できる、ということなのだろう。あるいはほかにも読める人がいるかもしれないが、エンデはそれほど気にしてはいない。
今日の出来事を軽く文字に起こす。同時に思考の整理もできるから、ありがたい話だ。
「――うん」
そもそも、この大陸は、どうやって維持をしているのか。
これもまた保留していた思考だが、まとまった時間も取れたので、改めて考えてみる。
大陸の維持という観点において、わかることとわかっていないことがある。けれど、そのどちらもが、どうやって維持できるかという問題に行き着くのだから、結局は同じことなのだろうけれど、表面的な部分と、内面的な部分のように区別すれば良いだろう。
大陸が浮遊して移動している理屈――その維持については、納得はできないにせよ、理解はできるし、それこそ可能性や想像の領域に入ってしまうが、現にこうして浮いている以上、それは事実としてあるし、知識にもある。
たったこれだけのことであっても、どれほどの下準備が必要なのか、想像を絶する。しかもそれを、数千年レベルで維持しているのだから、もはや神業に限りなく近い。維持――停滞、ああ、それはきっと変化の否定だろう。進化の拒絶かもしれない。
だが、停滞は、限りなく遅くても、進み続けてはいる――誤魔化し、矛盾、偽り、つまりは詐称、そんな言葉も頭に浮かぶ。それは内面的な部分のものだ。
つまり――世界と呼ばれる強固な器に対しての、大義名分がどこにあるのか、だ。
フェイと〝命〟をやり取りした契約に際して、エンデはその一旦に触れている。強固なルール、隙間のないパズル、終わることのないスパイラル。
自分たちはその〝内部〟にいるのであって、決して外側へはたどり着けない。触れることだけで、最大級の危険どころか、命と同時に〝存在〟そのものが消失しそうになるほどの危うさがある。
とはいえ、だからといって触れなければそれは、大したものではない。ただの規則だ、そして法則でもある。高いところから落ちるりんごが、地面に落ちることを拒絶しなければ、ただの現象として受け入れられるのと同じだ。
だとして?
この〝停滞〟は、自然なものか? ――否だ。
「誰がどう見たところで、慣れれば当然になるものでも、それが自然であるとは限らない」
不自然極まるものだ。
だが、その不自然なものがまかり通っている――今まで続いてしまっている。
「うん」
正直に言えば、そこを探るのは苦手分野になる。つまり、術式に関連することで、魔術師ではないエンデにとっては門外だ。けれど、引っ掛かる。
「継続、持続、停滞……変化しない、進化しない、加速するのでもなく遅延するのでもない」
――どうしたものか。
続くはずがないものが、続いてしまっている現実を前にして、そのからくりを暴こうとしたところで、暴かれないから続いているのだと、そんな事実が転がっている。堂堂巡り、ずっと続く螺旋、それが不自然だとわかっているのに、それを認めるしかないなんて。
「はは、騙し絵の中に放り込まれた気分だ」
騙す――のではなく。
騙るのが、本業なのに。
とはいえ、落ち込んでいるわけではないのだ。状況は楽しんでいるし、思考すること自体は嫌いではない。
ただ、思うのだ。
やはり何かが、終わりそうだと。
喉の奥に刺さった小骨のように、この大陸にきてからもずっと感じてきた違和の正体は、まだわからないまま。
それでも、エンデにとって、そこから逃げるような真似だけは、できないでいた。
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