05/01/17:00――カイドウ・船への好奇心

 そろそろ、戻ったらどうなんだと言われたのは、軽い仕事を手伝い終えて、飯の準備だと騒がしくなった頃だった。

「――え?」

「だから、好意で手伝ってんのはわかるけど、もう戻ってもいいんだって言ってんの」

 槍を振り回していたオボロもまた、一人で休憩していたのだが、カイドウが戻ってきたので一緒にいる。船のことで、構造の話などを適当にしていた際に、急にヒナノがそんなことを言いだしたのだ。

「まだコノミが戻ってねえよ」

「知ってる。中継してきた街に戻っておけば、そこで合流できるだろう。あとはコノミの仕事だ、お前らがここで立ち止まってなくても良い」

「……迷惑か?」

「そうじゃないよ」

「そっか。俺としちゃ、もっと船をよく見ておきたいって気持ちもあるんだけどな――」

 言いながら、カイドウは船を見上げる。そう、見上げるのだ。

「知識としちゃ、湖を渡したり、川を下ったり、そういう小型の船は知ってた。けど、ここまで大きいのは初めてだし、そもそも海に出たことがねえ。そういう想定で考察すんのは、随分と面白い」

「おいおい、まさか、お前まで海に出たいとか言い出すなよ? ガキならほかに、やりたいことも見つかるだろ」

「やりたいことか……俺はまだ、見つけられてねえよ。そういう意味じゃ、オボロやコノミなんかを見てると、羨ましく思うけどな」

「そうなのでありますか?」

「まあな」

「はは、特殊さを求めるのもガキの特徴だけどな。だいたい、その日に食えるもんと寝る場所がありゃ、それだけで人は生きて行ける」

「……コノミも似たようなこと言ってたけどな」

 そうだろうなと、ヒナノは笑う。

「比較対象が違うんだよ、カイドウ。お前は目の前の選択肢の多さに困惑してるのかもしれないし、あるいは何もないんだと勘違いしているかもしれないけれどね、そもそも――コノミにしたって、オボロにしたって、べつに一つの道を選んだわけじゃない」

「けど、オボロは槍を選んだんだろ」

「それはつい最近のことです、カイドウ殿」

「だろうね。元軍人なら、余計にそうだろうよ。いいかカイドウ、こいつらはな、選んだんじゃない――それしか、生きる道がなかっただけなんだよ」

「それは……」

「最初から選べなかった。それしかなかった。けどな、良し悪しじゃないの。生きるために必要だったから、そうしただけ。過酷ではあるだろうけれど、比較するものじゃない。早い内に決めればどうなるのか――それは、コノミとオボロが、その身で証明してる」

 つまり。

「次を見つけることもできるけど、本質的には変わらない……?」

「厳密には、変わるのは難しい、だ」

「――なるほど、そうなのですね。自分にはよくわからなかったことが、一つ、ここで理解できました」

 そう――オボロにとっては、そんな差異すら気付けないほどに、選択は少なかったのだ。

「落ち込む必要はないと思うけれどね。何しろ、今回の件だってコノミに役目を負わされただろ。合図があったら、何があっても逃げ切ること。違うか?」

「……そうだ」

「足手まといじゃない――とは、聞いてないだろうね。私でも同じことを言うだろうね。何しろ、確率が一番高いのがカイドウ、あんただ。なりふり構わず、逃げることだけに専念したら、相手が誰であろうとも、おそらく成功する。私が最初に気絶させたのも、それを見越してのことだ。事前準備もしただろうし、かかる時間はオボロとコノミで充分に稼げる。そして、それは裏切りでも見捨てることでもない――カイドウが逃亡に成功すれば、仕事としては成功だ。あとは、単独で生き残ればいい」

 そして、何より。

「だからこそ、矢面に立たせたくはなかった。戦闘の中、もしもカイドウが足を前に踏み出したら、間違いなく、お前は決意したからだ。――てめえの命を賭けてでも、場を突破してやると。ただ一つ、それだけが、何よりも脅威になることをコノミは知っていた。もちろん、それは私もだ」

「……なるほど。危惧していた、いや、カイドウ殿は厄介だと言っていたのは、そういうことだったのですね。確かに、敵であれ味方であれ、その志は、厄介であります。眩しく映るほどに」

「そんな大層なもんじゃねえよ……」

「ま、一つに絞ろうとしなくても、構わないってことだ。んで、だからこそだカイドウ、どれほど欲しても、この船にゃ乗せてやらないよ」

「ははっ、本気で海に出たいのなら、てめえで作れってか」

「わかってるじゃない」

 カイドウは目を細めるようにして、船を見上げた。こちらにあるのは船尾側であり、内部はまだ、がらんどうに近い。

「きっと――」

 それでも、たぶん。

「――この大陸で、初めて海に出るのは、あんたたちなんだろうな」

「まあ、探したわけじゃないけれど、造船にまで至ってるのは、ここだけでしょうね」

「海で術式が使えるようになれば、か。俺としては、そういうものを――俺の知らない、何かの仕組みを、ただ知っていければ、いいんだけどな」

「それがカイドウの望みね?」

「望みは、望みだよ、ヒナノさん。けどな、楽しいことだけやって済むような人生なんて、ありはしない」

「まだ確かめてみてもないのに、言うじゃない。それとも、仕事にはしたくない?」

「贅沢な悩みだよなあと、そう思うとさ、楽観的にも映る自分が、少し嫌になる。結局は無差別に、手当たり次第、俺はただ興味が向いたものへの、抱いた好奇心に、ただ振り回されてるだけだと――そんなことも考えるよ」

「はは、考え過ぎだと言われたことは?」

「コノミによく言われる」

「後悔しない選択なんて、存在しないってのも真理だ。考え過ぎだから、気楽にしろと言うのも、だったらもっと考えて身動きできなくなるまで没頭しろと、そう言うのも、正解だ。オボロならどうする?」

「自分でありますか? そういう状況は、あまり感じたことはありませんが、とりあえず走ります」

「走るのね」

「はい。倒れるまで走ってから、決めます」

「聞いたかカイドウ、これも一つの解決策だ。しかも走り終えてから、考えるんじゃなくて、決めるんだと。このくらいシンプルならどう?」

「……後悔が怖いのかな、俺は」

「どうだかね、それも生き方だ。悩み続け、迷い続け――いいか、カイドウ。それでも人は食わなきゃ生きていけねえ。眠る場所だって必要だ。突き詰めればそこだよ、何をしていようが、どうしようが、飯を食うためにどうすればいいかって――それだけを確保しときゃ、あとは何をしてたって、構わないのさ」

「荷物がなくたって?」

「ありゃ背負うさ。重けりゃ捨てればいい。いいかカイドウ、捨てた荷物だって、いつかまた拾うことだってできるさ。人生は死ねば終わりだ。生きてる限り、なんだって可能性は落ちてる。だから後悔するもんだ」

「目的がなくて、だらだら過ごしても?」

「十年経って、違う目的を掴んだら、それまでの目的は間違いだったか? そうじゃないよね? 目的がないまま、十年後になって振り返って、後悔があるなら、とりあえず今は動くしかない。人生の転機は、その日、その時、自分が思った時に訪れる。先を決める必要はどこにもないし――今を決めるのは、自分だけ」

 そして。

「その決めるのが早かった馬鹿が、オボロとコノミね」

「悪いことかよ?」

「当人次第。だけれど、馬鹿は馬鹿よ。早ければ早いほどに、道は狭く、そして細い。悩む時間がなかったから、他の道を見つけることも困難。ただ救いなのは、ほかの道もあるのだと、自覚できているところ。オボロは知っていて、今は槍を握っている。つまり選んだ。コノミは知っていて、そうはならないと捨てた。これも大きな違い」

 だとすれば、カイドウは。

「俺はどれも選べないと、贅沢に両手を使って抱え込んでる――か」

 その通りと、ヒナノは笑う。だからこうして、本当にこれでいいのだろうかと、よくわからない不安と一緒に、悩みを抱いているのだ。

「安心しなよ。年長者としての意見を言えば、何をしたって道は続いてる。生きている限りね。ただ、あんたの周囲には、早くから何かを決めた連中が多かった――それだけのことだと思う。親なんかもそうかもね」

「そりゃ、どっちかっていえば親父だろうし、コノミの両親や……ばあさんも、じいさんも、そういう感じはするけど」

「へえ? おいカイドウ、言えるなら名前を教えてみな」

「名前?」

「知ってるかもしれないよ。というか、コノミの父親は私の息子だけど、そういえば、連れ合いは知らないと思ってね」

「俺が言っていいのかどうか知らないが……まあ」

 隠してはいないと思う。ただ、そういうフィルタを遠されたくはないと思っているだろう――いや、それは父親の方か。

「直接訊いてくれって、言えりゃいいんだけどな。どうせ、俺の親関連を言えば繋がっちまう。とりあえずだ、俺の父親はリンドウだ。リンドウ・ジェイ・リエール」

「リエール? おいおい、なんだ、〝J〟の子かよ……そりゃ、そんなのが近くにいりゃ、悩みもするか」

「知ってるのか」

「有名だよ、いや高名だと言うべきか。追い求める〝J〟に継続の〝狐〟ってな……ま、わからなくてもいい、そいつは直接訊くべきだ」

「……よくわかんねえけどな。で、うちの父親と双子の姉さんがいて、その人がコノミの母親な。ミヤコ・楠木――」

「まあ待て。待て。――楠木? 現存するのか?」

「それが、武術家の楠木なら、そうだよ。ばあさん……ミヤコさんの母親が、まだ現役だし、聞いた話じゃ、ええと――なんだったか、そう、ばあさんは楠木の刀を持ってた。銘は忘れちまったけど」

「――〝村時雨〟」

「そう、それだ。すげーな、ヒナノさん。そんなことまで知ってんのか」

「知ってることより、身近にそんなモンがあることが驚きだよ……そうか、楠木か。オボロはそいつに指南してもらってんのかい?」

「いえ……基礎はある程度、教わっておりますが、直接何かを指南されたことは、ありません。自分は槍を持っていますので」

「はああ……参る話ね。こんなところで船造ってないで、逢っておくべきか」

「――? 失礼、ヒナノ殿は、海に出ないのでありますか?」

「こいつらには、船を造る手助けをするって契約だよ。海に出るのは連中で、そこから先は手出ししないと、決めてる。大陸間移動がしたいだけなら、私は問題なくできるし、船で出たところで、私一人で到着できる。誰ひとり欠けずにね。でも、それじゃ意味がない」

 何故ならば。

「私は一人で生きて行けるからね――」

 それがどんな場であれ、だ。

「楠木の抜刀術に、待ちはなし」

「――へ? そうなのか?」

「知らないか。オボロもよく聞いておきな。こいつは、今まで聞いた情報の対価だ、軽く教えておいてやる。楠木の居合いには多くの派生がある。一ノ段から始まって、六ノ段まで、そのどれにも〝後手〟から始まるものはない。連中は速度を求めた。いわゆる最速ってやつだ。人間としての器の限界をな」

「俺、本気の楠木は見たことないぞ」

「自分もであります」

「ははは、今のお前らなら、何が起きたのかもわからないよ。そのくらい速い。特に奥義とされる七ノ段〝志閃〟は、たぶん私でも結果待ちだ。初動はおろか、斬られたことすら知覚から外れる。本物の楠木ならばね。しかもほぼ同時に、四つの居合いだ。こっちが攻撃の匂いを出しただけで、その〝結果〟が訪れる。その上、奥義じゃなくたって、派生が山のようにあるときた。最初の居合いから派生するかさね、そこから生まれる散、そして最後にとう――だいたいが、こうやって四つを一つとして作られる」

「作られる? 技をか?」

「いや、戦術だよ。それらは志閃へと至る一歩でもあるが――それだけじゃないってこと」

「ヒナノ殿にとって、楠木という武術家は、どういった在り方だと思っておられるのですか?」

「在り方? 武術家ってくくりで言えば、得物を持って、何かを見出そうと足を一歩でも進める限り、そいつは武術家だよ。楠木は――今のはどうか知らないが、昔なら、速度で挑もうとする連中のことだよ。居合いを使って、武術家の筆頭……本家へ、挑む連中だ」

「――それは、レーグネン殿に、でありますか?」

「知ってるのか? 知ってて、槍を持った? ――ははは! こりゃ傑作だ、いや悪いことじゃないよ、いいことだ。そして正解だよオボロ、その通りだ。そして、野郎が未だに生きている以上は、挑んでも未だ至らず、だ」

「未だ……で、ありますか」

「なるほど、武術家の仕組み、生き方か。だとして――だ、どうなんだヒナノさん」

「ん?」

「そもそも〝朝霧〟ってのは、じゃあ、どうなんだよ」

「はは、朝霧か。……どうだろうねえ。確かに、それは生き方だろうし、ここで在り様を語って聞かせることもできる。継承するものもあるさ。けれど」

 でもと、どこか歯切れ悪く、元〝朝霧〟は言う。

「あれは――呪いだよ」

「……呪い?」

「そう。選択は最初にあって、そのあとはどうしようもなく、ただ朝霧になっちまう。朝霧をやめる時は、次の朝霧に渡した時しかない」

「……随分と、自由が利かないっつーか、拘束されているように聞こえるぜ。それしかないっていうよりも……」

「だから呪いだよ」

「終わりはないのでありますか?」

「次の朝霧を見つけない限り、ないよ。といっても、望む者を朝霧に仕立てる――継承する、育てる、まあ言い方はなんだっていいか。ともかくそれをしない限り、朝霧ってやつは死ぬことすらできない」

「……それ、悪いことか?」

「オボロはどう思う」

「自分には耐えられません」

「だろうね。死にたくないと思うのは悪いことじゃない――けれどね、カイドウ。死ねないっていうのは、死にたくないとすら思わなくなる。生きていることも不思議になる。あとは狂うだけだ。私の知る限り、歴代の朝霧でよく生きたのは、二百年くらいだったか……」

「そんなもんか?」

「そんなものよ。そして、素質がなければ朝霧になれない。だからコノミは、違うのね。基礎はできてるけど」

「その基礎ってのはなんだよ。そりゃ、コノミはすげーと思ってるけど……今回のことだって、上手くことを運んだのはコノミだし」

「朝霧にとっての基礎は、一人で生きられることだよ。それこそ、過酷な戦場に身を置いても生還できるだけの知識と技術、そうしたものね。変な言い方になるけれど、三十年かけてやれることを、十年で凝縮して身に着けるようなものか。育て方っていう技術も、朝霧にはあったから」

「育成方法か……」

「そんな大したものじゃないよ。技術を教えるわけじゃない、一般的な知識と、学習の仕方、あとは全部実戦だ。できなきゃ蹴る、駄目なら殴る、抵抗しなきゃ死ぬだけって状況を延延と続けりゃ、ああいう――こういう、私みたいなのができあがる。死の匂いに敏感で、だからこそ、その境界以外は、冷静になれる。それでもと、敵わない相手が傍にいたのならば、手を広げて己を磨くさ」

 それだけ聞けば、乱暴にも思えるが、どこか敷かれたレールの上を歩いている様子を想像できたカイドウは、困ったように頭を掻いた。

「俺にわかるのは、俺に見えてねえもんが、コノミやオボロには見えてるってことだ」

「ははは、そいつは逆も然りだ。なあ?」

「はい、そう思います。自分はコノミ殿の見方こそ、おぼろげながら理解できますが、カイドウ殿が見ているものは、想像もつきません」

「ないものねだり、隣の芝は青い――そいつを自覚するのは、なかなか難しいさ」

 まあいいと、彼女は腰かけていたテーブルから降りた。

「そろそろ陽も落ちる頃合いだ、今日はこっちで寝て行け。その代り、明日の朝には出て行けよ。心配なら街で落ち合えばいいさ。オボロ、飯が終わったら軽く訓練してやってもいい。どうする」

「是非、お願いします」

「ん。カイドウもおいで。なに、本気でやるわけじゃないから、大した怪我は負わせないよ」

 まったく――。

 本当にわからないなあ、なんて思いながら天井を仰げば、やはり、視線は造られている大きな船へと向かってしまった。


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