05/03/09:00――コノミ・ただのヒナノ

 警戒網を潜り抜ける。

 中に入れば、肌で感じられる術式も、入ってしまってからでは意味がない。外側から見えるわけでもないそれを察知できるのは、今までの人生で培ってきた勘だ。直感とも言い換えられるそれは、その大半は、父親の作ったトラップに引っ掛かり続けて養ったものでしかない。

 警戒そのものに触れてはいけない。解除しても気付かれる。だから、潜り抜ける。その技術がかなり高度なものだと気付いたのは、コノミがトラップを張る側になってからのことだ。

 そして。

 潜り抜けたこと自体を、相手に感付かれるのだと、知ることもできた。

「悪い方向に思考が傾く――」

 よくあることだと言うヒナノは、上層で待っており、いつかと同じように昇降機に乗ったけれど、今回は二人だけだ。

「どれほど上手く行っている状況でも、それを〝見逃されている〟んだと考えて、行動する。慎重と言えば聞こえは良いが、最悪の想定ね。結果が良くても、喜ぶよりも先に、最悪じゃなくてよかったと、安堵を抱える」

「その上で知るんだろ、頭で考えた最悪なんてのは、現実になった〝最悪〟よりも、よっぽどお気楽な考えだった――ってな」

「基礎は終わらせたのね」

「……さあな。少なくとも、私は朝霧じゃない」

「必要な条件は知ってるんだろう?」

「いや――」

 厳密には、知らない。何かがあるのだとは思っているが、それは自分にないもので、少なくともヒナノは所持していたのだろうけれど。

「へえ? だったら、どうして私が元〝朝霧〟だと?」

「親父と雰囲気が似ていた、それだけだ」

 昇降機が止まり、明かりの強さに軽く目を細める。視界の切り替えは、まだ経験が足りないため、若干の時間が必要だった。

 手近なテーブルに、背負っていたリュックをおろし、中から麻袋を取り出した。

「受け取ってくれ」

「いくらだ?」

「五百だ」

 傍にいた男が二人、こちらに近づいてくるが、口は挟まない。ただ聞いているだけだったので、一瞥を投げてから、コノミは煙草に火を点けた。

「設計図の代金と、口止め料」

「あらら、口止め?」

「そうだ。――ウェパード王国が、この場所を知った事実の、口止めだ。今まで通り、トラブルなくやるようなら、知らぬ存ぜぬを貫く」

「――ははは! 知らない振りをしてることを、こっちも黙認しろって口止め料か」

 男の一人が、額に手を当てて天井を仰ぎ、もう片方の男が笑いながら肘で小突く。どうやら賭けをしていたらしい。

「だとして」

 冷静に、ヒナノもまた煙草を口にしながら言う。

「お前への口止め料は、うちから出せばいいのか?」

「いらねえ」

「交渉役のお前は、その身の安全も含め、交渉カードとしても口止めはされなかったはずだが?」

「そうだとしても、借りはこっちにある」

「なるほどねえ、それを持ち出すわけか」

「不満か?」

「そっちが納得しているのなら、それでいいさ」

 いいのかよと、片方の男が呆れたように口を挟んだ。

「相変わらず姐さんの会話はよくわかんねえ。おい、お嬢、どういうことだ? なにを借りてる?」

「……、私を含めた三人がまだ生きてる。これ以上の借りがあるか?」

「――そいつは」

「ついでに言えば、こいつとの話は早くて楽だ」

 男はがりがりと頭を掻き、気まずそうに視線を逸らした。

「二人には逢ったか?」

「ああ、途中の村でな」

「ならいい。少し見てやったが、なかなか、オボロは面白いな。――ああ、コウノに逢ったら、私のことは話しておいてくれ」

「生存報告なら、てめえでしろよ」

「それが死亡報告になりかねんからな」

 ははは、とヒナノは笑う。おそらく、半分は冗談だ。

「どうして、安全装置の話をした?」

「気まぐれだ」

「どうかな」

「うん?」

「一人立ちしてまだ一年だ。親父なら、一年前にも気付いていたはずだ。言えない理由はなんだ?」

「お前が錯誤の段階に至っていなかった――と、そう答えてもいいんだが」

 その可能性は考えている。コノミ自身、かつてと今とでは、そう大きく変わったつもりはないが、意識そのものは違っているだろうし、何よりも今は、両親が傍にいない。

「おそらくは、親としての視点と、朝霧として見た時の不具合が、それを口に出させなかったんだろう」

「不具合?」

「教えるなと、そう継いでるわけじゃない――ただ、大前提が〝朝霧〟のための基礎だ。成れることを前提とした訓練でもある。その点を配慮したところで、大前提ってものは、そもそも覆りはしない。だからこそ、それが不具合なのか、それとも馴染みなのか、判断はつきにくいだろう。もちろん、コウノもまた、ソレを是正する何かを所持していた。いや、いたはずだと言うべきか」

「だが、しなかった」

「親心だ。甘さ、とも言える。――是正した時の不具合が、膨れ上がる可能性はおろか、すべて失うことすら考えられたからだ」

 それは。

「最悪の可能性、その考慮か……」

 コノミも所持している、思考方法である。

「私が示唆したのも、そういう可能性を内包している、いわば軽口だ。コウノほど身近じゃない――が、それでも孫娘ってんなら、選択肢を与えたくもなる」

「……そうかい」

「まあ、私は魔術師と謳えるほどじゃない。お前も知っての通り、あくまでも元〝朝霧〟ってところだからな。それこそジェイにでも頼るか――そうだねえ、代償はあるけれど、確実性を求めるなら、サギシロかリウラクタにでも頼んだ方が、成功率は高い」

「――」

 煙草を消そうとしたコノミは、ぴたりと動きを停止させ、その動きがヒナノの目に留まったことを確認するまでもなく、消して、それからもう一本、煙草を取り出した。

 煙草の香りはいい。

 こういう状況下で、父親ならどうするかと、そういった思考をするには、父親の匂いがあった方がやりやすいのだ。

「今、リウラクタと言ったな」

「間違いないよ」

「そいつは――人の名前だな?」

「そのつもりで言ったけれどね。最後に、知っているならばと付け加えるつもりだった」

 言うべきか否か、迷いはしない。そもそも、どれほど頑張ったところで、コノミとヒナノは対等ではないのだ。貸し借りをする間柄ならば、貸しを多く作っておいた方がいいだろう。

 もっとも、それが貸しになるかどうかは、わからないけれど。

「――刀の名前だ」

「…………え?」

「うちのお袋が、左腰に佩いてる刀の銘だ」

「――……じゃあ、そう、リウラクタは、まさか」

「魂が込められている――私は、そう聞いている」

 その動揺は本物だったように思う。俯くように表情を隠したヒナノが黙って、煙草一本が終わるころ、ようやく顔を上げたかと思えば、乱暴に頭を掻いた。

「あの女が、そうそう簡単にくたばるとは、思っちゃいなかった……」

「いい情報だったか?」

「……まあね」

「そりゃ何よりだ。気にするな、あんたの言葉を借りるのなら、こいつは軽口だ。それでも祖母さんってんなら、選択肢を見せたくもなる」

「言うねえ」

「口が減らないとは、よく言われるね」

「ははは……コノミ、あんたはどうなんだろう」

「なにがだ?」

「オボロは槍を手にして、一歩を踏み出している。カイドウは悩みながらも、何かをしようと足掻いている。お前は?」

「まだ何も」

「何も?」

「ああ、何も。私は未だに十四歳なんて小娘で――親父やお袋の隣に並べない。だとして? その時点で、何を望めって? 冗談だろ、私はまだスタート地点にすらたどり着いてない」

「……お前ね、志が高すぎるぞ」

「知ってる。それでも人生が続くってこともな。けど、志なんてものは、それだけで充分だろ。心配されるいわれはねえよ」

「そっちの方が心配だっての。オーケイ、こいつらが海に出たら、顔を見せてやる。それまでくたばるなよ」

「年齢で言えばそっちが先だ」

「まったく……」

「――ヒナノ」

「呼び捨てかい」

「祖母さんらしいことを、もうちょっとしてから考えてやる。本気で海に出られるようになると、そう考えているんだな?」

「そうね。だとして? ――その先の考察はしたはずだ。ここ数日、移動時間ばかり取られているのなら、考える時間に当てられる」

「……湖と海との違いは何か? 多くあるが、思考の切欠とすべきは、規模の違いだろう。大きな湖に棲む妖魔もいるが、海ほどじゃないと推測できる」

「まさに推測だ、何故ならば海の妖魔を探すことは困難だから」

「大きな湖になれば、波が立つ。これは風によって動かされ、地形によって成り立つものだろう。だとすれば海にあってもおかしくはない――が、しかし、海の水は動かない」

「続けて」

「最初……まず考えたのは、魔力の消失だ。これは一般的な思考であり、これ以上を研究することは、個人レベルならまだしも、大きくはない。何故なら、術式が使用できない現実が覆らないことが、既に証明されているからだ。だからこそ、波も立たない。これについては反論はなかった――が」

 だが、海が開かれることを意識したコノミは、改めて考えたのだ。

「だとしたら、術式が使用できない条件とは、魔力の消失だけなのか? いや、前提としてはその通りだ。だが、状況は多い」

「たとえば」

「海を使った大規模な封印……と、この考えは否定したばかりだが、まあ、ありだろう」

「へえ? 否定した理由は?」

「複合要因だ。今の私じゃ、海が見えるぎりぎりの位置が限界だが、少なくとも海は〝停止〟している。完全な凪ぎだ。それこそ空気自体が静止しているかのような錯覚すらあった。その上で、封印ならば〝内部〟である必要がある」

 何故なら、封印を破るのはいつだって、外側からなのだから。

「海が自然的に発生させるエネルギー量は、計算できないほど莫大だ。それは停止してしまっているのか、それとも停止させたのか、結果として停止しているのか、可能性はいくらでもある。ただ私の仮説としては、そのエネルギーは使い続けられているんだろうと、そんなことを漠然と思った」

「なるほど、なるほど、それが良い線なのかまったく見当外れかはともかく、よく考えているね」

「正解はいらねえよ。ただ……あんたは知っているのか?」

「朝霧の誕生は、前文明の時代だからな。記憶はともかくも、記録は継承していて、それ自体はもう持っていないが、読んだ本の内容くらい、ある程度は覚えているさ」

「だからこそ、こうして船も作っているか」

「造らせている、とも違うからねえ。いわば総監督みたいなもので、口出しもあまりしない。たまたま――いや、縁が合ったからこそ、今ここにいるが、普段から住んでるわけじゃないさ」

「カイドウはどうだ?」

「興味は持ってたみたいだが、この船にゃ乗せねえよ。これは私だけじゃなく、野郎どもも同じ見解だ」

「ああ……それは助かる。乗りたきゃてめえで造るくらいが、ちょうど良い。変に興味を持って、勇み足ってのが一番怖いからな」

「はは、ここまで連れてきた責任か」

「そういうことだ」

 それ以上はないし、以下もない。将来を心配してやるほどのお人好しでもなければ、年配者でもないのが現実だ。

「いずれにせよ、二度とこの場に立ち入るつもりはない。海が開けた時には、せいぜい幸運を祈るくらいはしてやるよ」

「ついでに、交渉の糸口にでもするんだね」

「シャヴァにでも持ち込めってか? ……面白そうではあるが、外交問題になりかねない」

「ははは、確かにその通りだが、じゃあお前はウェパード王国に所属しているのか?」

 それは否だ。

「……シャヴァ王国そのものの動きを、目で追える機会か。なるほど? 海が開かれた後なら、ここはもぬけの殻だしな」

「その通り。いずれにせよ、あの国の規模なら、私一人が敵に回れば片付く話だ」

 嘘でも冗談でもなく、それは事実だろうとコノミは思う。今の自分には不可能に近い話ではあるが、父親なら間違いなく可能だと確信できるからだ。

「――次は、死ぬ前にこっちから逢いに行くよ」

「私にか? それとも、親父にか?」

「両方になる可能性が高いけれど、コノミにだ。嬉しいだろう?」

「感想を強要するな」

 話は終わりだろうと、コノミはリュックを背負いなおす。もちろんヒナノも止めようとはしない。

「コノミ、一年だ」

「早いな」

「だいたいの話だ。ここ一年の間に、もし何かしらの異常を感じたのなら、騙されたと思って海へ行け」

「騙されたら、その時に考えりゃいいってか」

「その通り。ついでにもう一つだ――こいつは余計なお世話だから、聞き流してもいい」

「安心しろ、あんたとの会話は大抵聞き流してる」

「こいつ……コウノの影響だろ、これ」

「で?」

「ん、ああ、うろ覚えだから端的に言うが、初代朝霧が〝残影シェイド〟の使い手を、そう、見てやったことがあるらしい。その時に、こんなことを言った」

 それは。

「――こと単独で生還することにおいて、暗殺技能とも呼ばれるその術式は、充分な働きをするだろう。だが、本来その術式は護衛に通じる。何故ならば、護衛者自身が、護衛されていることに気付かないからだ」

「人生の指針としては、なかなか悪くはない言葉だ。職に困ったら教会のシスターなんかも向いてると思うね」

「ははは、そりゃどうも、次はそうしようかねえ」

 こういう皮肉を笑い飛ばせるのは、年配者の懐の広さだなと思って背を向ける。

「いや、これはあれか、婆だからか……?」

「聞こえてるよ」

「ああ」

 左の耳を狙ったナイフを、飛翔音が聞こえる前に首を傾げることで回避したコノミは、軽く上げた左手で受け止め、腕を下ろす動作で背後へ投げ返す。僅かな間を置いて、ヒナノが座っていたテーブルに刺さる音が聞こえた。

「――聞こえるように言ったんだよ」

 ひらひらと手を振って去る。とにかくコノミは移動疲れなのだ、帰りの道は馬車を使わず、徒歩で帰ろうと決意していた。そうすれば、一人で休める。

 御者という存在がいるだけでも、コノミにとっては、安全の二文字を抱えられないのだ。

 安全地帯は自分で作るもの、そう教わっている。

 ――だとして、ヒナノは?

 そもそも。

 コノミにとって、安全が一人でないと作れないのと同様に、いや、逆にか。

 ヒナノにとって危険とは、そもそも作りにくいものなのかもしれない。


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