05/10/10:00――イザミ・その刀を見せて
城というほど豪華なものではないにせよ、その屋敷は、なんだかそびえ立つ、なんて言葉を彷彿とさせられるほど、存在感があった。広い敷地を使っているのはもちろんのこと、周囲には家屋がなく、ゆるやかな丘を登ってしばらくすると、道路の右側に姿を見せる。
「楽園ってのは、やや特殊な人種が住んでいる場所だった。
たとえば、百秒進んだ現実時間に対して、一秒しか肉体時間が進まないとか、そういうことらしい。だから、人間としての仕組み自体に変化はないが、成長だけが遅い。心臓を握りつぶされれば死ぬけれど、寿命が長い。そうした人間がかつては、一時の避難場所として、この楽園と呼ばれる屋敷に住んでいたらしい。今はどうか知らないがと、コウノは苦笑して付け加えていたが。
妙な気分だった。
門の前に立ったイザミは、多少の緊張を己の中に感じている。何しろ、ここへ来るための十年だったのだ――いや、それ以外にもあるが、目的はそうだ。そして、何をするかまでは、まだわかっていない。
「――なんか」
止まっている、と言いそうになって、やめる。それは違うと思ったからだ。すぐにほかの言葉を探して、イザミは。
「ここだけ、時間がゆっくり流れてるみたい……」
たとえば実家に戻った時に感じるものと似ている。静けさ、とでも呼べばいいのか、それに近しい感覚だ。けれどイザミにとってここは落ち着く場ではないのだから、それでも似たように感じる異質さを、ぼんやりとだが捉えられるだけの経験はしてきていた。
門を開いたのはコウノだ。一瞥が投げられ、並んで中に入れば、手入れのされている庭がある。庭園ほど広くはなく、思い出したのはコウノと出逢ったイウェリア王国の、エイレリクが住んでいたような屋敷である。けれど、あの時とは違って、ここなら住めなくはないと思えるだけの空気が流れていた。
「飲み込まれるなよ」
「害はないけど、異物がこっちだってのはわかってる」
馴染もうとしなければいいと、そういう心構えは最低限必要だ。
だから、入り口が開いて侍女が姿を見せた時は、逆に驚いた。こちらが足を止めれば、ゆっくりとした速度で近づいてくる。背丈はイザミよりもやや高く、胸元には青色の――。
「は……」
一歩、近づくたびに驚きに目を見開いたコウノが、空気の漏れたような声を口から出す。なんだろうと一瞥を投げるが、こちらに気付いていない。
「ようこそ、遠路はるばるいらっしゃいました。イザミ・楠木様、コウノ・朝霧様。私は当屋敷を管理しております、アクアマリンと申します。どうぞ、アクアとお呼びください」
笑顔で、完璧な一礼。その時になってようやく、胸元の宝石がアクアマリンであることを知ったのはイザミだが、しかし。
「――
「え?」
「はい、さすがは朝霧様、おわかりになりますか」
「嘘。どう見ても人間でしょ?」
そのくらいの知識、イザミも持っている。自動人形とは、魔術で作り上げた使い魔とは違う、役目を担った人形のことだ。以前に見たことのある自動人形は、客がきたらお茶を出す。お代わりを要求されても、同じことを繰り返す――といった行動をしていた。しかも、主の命令なしには動かないタイプだ。
「そう言っていただけるのは、とても嬉しいのですが、しかし、確かに私は自動人形です」
「――あんたには魂を、もう持っている」
「ありがとうございます。さて、まず先にお伝えしておきますね。私がリウラクタの母親であること、そして、どうして下へ送ったのか、その理由を」
「……リウさんの、母親?」
「はい、そうですよイザミ様。けれど、リウラクタが短命であったことは、私が自動人形であることと、直接の関係はありません。実際に私の妹の子は、きちんと寿命を全うしました」
「原因はわかっているのか?」
「その前に、お二方、あちらへどうぞ」
左を手で示されてみれば、いつの間にか木陰に白色のテーブルとチェアが設置されており、近くには赤色の宝石を胸元につけた侍女が、ぺこりと頭を下げた。率先して近づくアクアと共に移動すれば、彼女は。
「侍女のガーネットと申します。ガーネとお呼びください。以後、お見知りおきを。どうぞお客様」
同じ自動人形だ。こちらもまた、人と変わりなく、僅かに引いて差し出された椅子に座れば、紅茶を用意される。対面に座ったアクアは、変わらない微笑を浮かべていた。
「原因に関しては、下へ送った理由にも関係することとなりますが、生まれながらに背負ってしまった
「〝
「はい、その通りです。しかし、そもそも魔術師とは、その可能性を内に抱く者であると、そうした認識が私どもの間では一般的になっております。たとえば朝霧様が〝
「……? コウノ?」
「可能性の話だ。実際に俺だって、あらゆる術式が使えるわけじゃない。だが、すべての術式が〝組み立て〟ることを前提にしている」
「申し訳りません。私どものように長い時間を生きていると、どうしても〝今はまだ〟と前置すべきことも、さも当然のように話してしまうので、配慮が足りませんでした。しかし現実として、あのエグゼ・エミリオン様もまた、〝
「だが、リウラクタは違ったんだろう」
「ええ、そうです。簡単に言ってしまえば、一人の存在が背負うには、その魔術特性は重すぎたのです」
「重い? あの代償があっても……それでも?」
「……魔力容量か」
「それも一つの問題でした。イザミ様、〝魔術〟と呼ばれる特性には、魔力消費量が多い、という問題を抱えています。何故か、その説明をすると深く立ち入らねばならないので、今は控えておきますね。そして、リウラクタの魔力量は〝人並み〟でした」
「あ……そういえば、かーちゃんも、リウさんが術式を使ってるとこ、あんまり多く見てなかったとか」
「それがリウラクタの選択だったのでしょう。もちろん、それだけが原因ではありませんが、大きくはそうなります。ただし、下に送った理由としては、あくまでもその一つでしかありません。そうですね……結果論にはなりますが、下の方が望む生き方ができると、そう判断したものと捉えていただければ構いません」
「そっかあ」
「……いいか?」
「どうぞ、朝霧様」
「リウラクタ・エミリオンの名付けは、あんたか?」
「ええ、そうです」
「どうしてエミリオンの名をつけた。聞けば、この屋敷はかつて、あのエグゼ・エミリオンが住んでいたらしいじゃないか。いわゆる、あやかりだったのか?」
「――私の矜持に関わりますので、念のためですが、訂正させていただきますね。当屋敷はかつても、今も、旦那様……エグゼ・エミリオン様の所有物であり、旦那様の住居でございます。といっても、もちろん、亡くなられている方なので、そういった前提とでも申しましょうか」
「すまんな」
「いいえ、私どもの問題ですから。それに今は若様の屋敷であることも事実ですので。そして、名付けに関してはその通りです。強く生きて欲しかったと、ただその願いを込めて、旦那様の姓をいただいたのです」
「あいつが作り手になったのも、その影響はないと?」
「いいえ、影響はあったでしょう。ただ、かくあるべしと名付けたのではありません。――イザミ様」
「え、あ、はい?」
「あの子の命を、見せていただけますか」
「ああうん、いいよ。っていうか、そういう目的だったんだって気付けたし。えっと……そのままでいいかな?」
どうぞと、腰から鞘ごと引き抜いて渡せば、両手でゆっくりと受け取られる。微笑みは深く、鞘を軽く撫でて。
手慣れた動作で、半分ほど引き抜いた。
「あ――」
命あればこそ、イザミ以外の人間が抜けば暴れる。それをわかっていたのに、言うのを忘れたと、僅かに腰を上げるが、隣のコウノが背中に軽く触れて制した。
「あらあら……ふふふ」
楽しそうに、アクアはその刀身の側面を撫でた。白色の手袋が、指先が軽く跳ねる。
「幼い頃と変わりませんね、リウラクタ。これでも五歳までは、ちゃんと私が育てたのですから、あやしつけるのは得意ですよ」
本当に、あっさりと。
「すげー……」
リウラクタの銘を持つ刀は、輝きをそのままに、落ち着いてしまった。イザミからしてみれば、なんだか落ち着いたというより、諦めたように見えるが。
「ガーネ、いかがです。これが私の娘が創った一振りですよ」
「……」
傍に控えていたガーネは、ようやくの声に近づき、刀身の輝きをじっくりと見る。
「美しい刀です。それ以上は何もないかと」
「結構。ありがとうございます、イザミ様。きちんと担われているようで、リウラクタも喜んでいるようです」
「いやあ、あたしの方が助かってるし……」
「では、お返しいたしますね」
「もういいの?」
「ええ――充分に、感じられましたから」
「そっか。あたしはてっきり、抜いて見せろって言われるかと思ってたんだけど。今までずっとそうだったし」
「ガーネ、いかがですか?」
「そうですね。正直に申しまして、楠木の技術には興味がありますが……対応も思いつきますので」
そんなものかと、イザミは複雑な心境で頷くと、屋敷の扉が開いて鷺花が顔を見せたので、小さく手を振った。
「サギシロ先生」
「話、そろそろ終わった?」
「ええ。ご配慮、ありがとうございます、鷺花様」
「――鷺城鷺花。ちょうど良い、聞きたいことがある」
「コウノ、ここでも〝対価〟は必要だから、覚えておきなさい」
「結構だ。お前はリウラクタの遺体がどこに――いや」
悪いと、一度言葉を切って。
「どこでもいい。居場所を知っているか?」
「その刀以外のことなら、知っているわよ。それは質問じゃなくて、確認ね」
近づいてきた鷺花の前に、コウノは組み立てたそれを、差し出した。
「――これを、一緒に埋葬してくれ」
それは、黒色の首輪だった。
「それは?」
わかっていて、問う。説明することが対価だと言わんばかりだ。
「リウラクタと共に旅をした、リウラクタの血肉によって生き長らえていたメイという名の黒猫の、形見だ。遺言はこうだ……死した後に残るものがあるのならば、それは自身ではなくリウラクタと呼ばれていた者の一部。であれば、同じところで静かに眠るのが当たり前――だ」
「いつ?」
「去年だ。リンドウ・リエールと、その妻に看取られた」
「……そう」
そこまで聞いた鷺花は首輪を受け取り、それを。
「アクア、お願い」
「はい、かしこまりました。それが自然な流れですね」
「っていうか、きてたんだ、サギシロ先生」
「不肖の弟子の後始末だもの。そうじゃなくたって、ここは私の生家だし」
「え、そなの?」
「そうなの」
「だからそうなっちゃったんだ……」
「ちょっと、失礼よイザミ」
「そうですよイザミ様。――鷺花様は昔からこうです」
それはそれでどうなんだろうと、イザミは首を傾げながら立ち上がって、刀を左の腰に佩く。コウノもまた同じタイミングで立ち上がっていた。話が終わり、なのではない。不穏な空気が混ざろうとしていることへの対処だ。
発生の根源は、傍にいる鷺花だが、二人へ向けたものではない。
「よお――」
門から中に入ってきた、刹那小夜に対してだ。
「――久しぶりだなあ、サギ」
「そうね。久しぶりに、……呆れたわよ。なにあんた、本当に腑抜けてるじゃないの」
「俗世と関わりを狭めて数千年――たまに遊ぶ相手がウィルのクソッタレじゃ、ストレスも溜まる。いいから遊べよサギ。ただし、マジにはなるな」
「へえ? 随分と殊勝な物言いじゃない」
「まだオレが――」
彼女は、取り出した血液のパックを一気に飲み干して、言う。
「――死ぬわけには、いかねーんだよ」
始まった戦闘を横目に、ゆっくりと立ち上がったアクアが頬に手を当てる。やや困り顔だ。
「元気ですねえ」
見れば、とっくにコウノは三番目の刃物を二振り組み立てているし、イザミも左手を鞘に伸ばし、鍔を今にも押し上げようかという状態だ――が。
そのイザミを、横から攫う影が一つ。
「お、おおっ!?」
「これ驚くでない。妾じゃ、玉藻じゃ、ばあさんじゃ。不穏な空気を感じたから守りにきたぞ。ほれ、ほれ」
「ばーちゃん……守るっていうより、遊びにきたみたいなんだけど」
「どっちでも同じじゃろ。コウノ、こちらは任せろ」
「俺がこの戦闘に交じるみたいな台詞を言うな。冗談じゃねえ」
「そうなのですか、コウノ様」
「ガーネって言ったか。あんたは〝朝霧〟に関わったくちか?」
「初代の朝霧様は覚えております。コウノ様は既に踏み越えていらっしゃる境界を、越える前の朝霧様でしたが、私は手も足も出なかったもので」
「今は違うだろうぜ」
「いいえ――今でも、敵わないでしょう」
「悪いな。俺はそれほど、上手くもなけりゃ強くもない。その上、
二歩、三歩と退きながら、コウノは姿勢を戻す。さすがにナイフを分解することはないけれど。
「契約はこれで果たされた。数日後には、とっとと下に戻るさ。なあ?」
「そだねー」
これまでが、立ち入りすぎていたのだと、イザミは感じている。彼らの領域に、彼らの立場に。ただの武術家風情が足を踏み入れるには、過ぎた場だ。
娘を育てて後継者探し。まだやることはあるのだから、ここで終わりではないけれど、まあ良い経験にはなっただろう。祖父を名乗る天魔にも逢えたことだし。
至るまでに十年。長かったのか、短かったのかは定かではない。ただ、ここで起きたことを、忘れるのは無理なんだろうなあと、そんなことを想った。
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