05/09/18:00――鷺城鷺花・何年ぶりだろう
何年振りだろうか――そんなことを考えれば失笑ものであるし、数千年の刻を経たところで、この場所が変わっていないことだなんて、当然のように受け入れられる。疑問などない、自分が生きている限り、この屋敷は、そういうものとして、現実に在る。
かつて、時代が終わった。いや文明の崩壊と言った方が良いか。呆気なく、と言えるほどに無関心ではいられなかったけれど、それも当時の話だ。終わりは早く、そして新しく始まるのも早かった。人の意欲というのは、こんなにも前向きで、状況に適応するのが早いものかと目を細めて百数年、それだけの時間で人は〝安定〟を手に入れた。
だが、前文明の名残りが風化するのに、千年以上を必要としたのは、さすがの鷺城鷺花も想像できなかった。ある程度の時間はかかると思っていたが、さすがに千年の単位で物事を考えれるようになったのは、最近のことだ。
結局――だいたい風化した頃に、暦をつけることにした。これは鷺花が発祥ではないが、手を貸している。五神の連中と上手く連携して、それとなく、空歴元年と呼べる日を作った。
空歴。
それは、風化するために使った時代の空白を埋める暦、という意味合いだ。それを知っている者は、まあ少ないし、知っている人物はここ、浮遊大陸に住んでいる者が大半だろう。
ずっとノザメエリアに棲んでいる鷺花も、最初は意固地になっていたのかもしれないと、今なら思う。風龍エイクネスと共に在ることに、姿形、在り方が変わっても彼の傍にいたいと、頑なに信じていて――いや、信じてはいなかったが、ともかく、そう映ってもおかしくはなかった。もちろん、今でもそうしているし、こんな事情もなければ離れるつもりはなく、もう至極当然のようにあの場に居ることを受け入れていて、まあそれなりに、鷺花という人間は、制限つきの人生を楽しんでいる。
だから。
ここへ帰ってくること自体が否定的だったわけではないのだ。けれど、帰りたいと思ったことはないくらいに楽しんでいたし、帰ろうと意欲的になるほどの理由は、今までなかった。
その理由が弟子の尻拭い……に、限りなく近いとなれば、文句の一つを言ってやろうかとも思うが、どういうわけか「理由作ってあげたじゃん」なんて返答が頭に浮かぶあたり、どうにもあいつは性格が悪い。誰に似たんだ、誰に。
「ただいまー」
庭に誰もいなかったので、そのまま突っ切って正面の扉を開いて中に入る。幼少期を過ごした屋敷だから慣れたものだし、門から入る際に屋敷に敷かれた術式を誤魔化すのも忘れていない。声を上げて挨拶をするのだから隠れなくてもいいのだが、ほぼ癖になっているし、どうにも自分より先に相手に知られるというのが嫌なのだ。
エントランスの正面扉は浴室。その左右から二階に伸びる階段と、一階通路。上を見上げればシャンデリア――本当に変わっていない、と思っていると、二階からアクアマリンを胸元につけた侍女が姿を見せた。
「あ、ただいま」
「――」
びくり、と一度驚いたように震えたかと思うと、その侍女はあろうことか、二階から飛び降りて着地、そのまま弾け飛ぶようにして傍にきた。傍というより抱きつかれた。
「鷺花様!」
「アクア……侍女にあるまじき行動を今したんだけど?」
「いいのです、誰も見ていません。ああ鷺花様、お久しぶりです。お元気そうで」
嬉しさの感情が強く伝わってきて、しょうがないなあ、と思いながら鷺花も彼女の背中に両手を回す。ただそれだけで、自分が落ち着くのも感じられた。
「変わりない?」
「はい。人の出入りはありますが、変わりなく、楽しんで過ごしています」
「そっか。私も、変わりなくやってる。だからそろそろ離して、アクア」
「もうちょっと」
そんな嬉しそうに言われてもなあ、と思いながら任せていると、どたばたと足音が聞こえてきたかと思えば、今度はオブシディアンをつけた小柄な侍女がやってきた。
「鷺花が帰ってきた!? うっわ、ほんとだ!」
「――シディ、足音を立てて廊下を走るとは何事ですか」
いやあんた、さっき二階から飛び降りただろう、とは言わず、アクアが物足りなさそうに離れる。ちなみにシディは、ちゃんと階段を下りて、やはり飛びついてきた。
「おかえり!」
「はいはい、ただいまシディ。――へえ、随分と魔術師として成長してるじゃない。ちょっと進行方向がおかしいとこあるけど、うん、いいんじゃないの」
「ちょっと鷺花、久しぶりに逢ってそれ?」
「だって、背丈も胸のサイズも変わってないもの」
「ちくしょう!」
「あー服を握らないの、まったく……アクア、本題」
「あ、はい。なんでしょうか」
「羨ましそうに見ないの。明日――リウラクタの銘が入った刀を手に、楠木の後継が、朝霧と一緒になって来訪する。覚悟、しておいて」
「まあ……そうなのですか。それは嬉しいことですよ、鷺花様」
「ならいいんだけど。シンは?」
「私の旦那は、下に降りていますよ。まったく残念なことこの上ないですね。ざまあみろです」
「……え、なに、怒ってる?」
「まだ十年ちょいなのにねー」
「シディ、私は怒っていません」
「どうかなあ」
「じゃ、残ってるのは誰?」
「ウェル様と、若様に若奥様だけです。スティーク様はこの大陸を巡っておりますので」
「新入りはなし?」
「ありません。部屋の空きはあるので、新しい方も面白いとは思うのですが」
それもそうかと、シディの脇の下に手を入れ、はがす。二階の正面、食堂から顔を見せた最後の一人、ガーネットを持つ侍女は、一度礼をしてから、ゆっくりと降りてきた。
「おかえりなさいませ、鷺花様。お久しぶりです」
「ん」
嬉しそうに微笑むガーネに対し、鷺花は自ら近づいていって、抱きしめた。相変わらず感情表現が素直ではない。まあ、この姉にこの妹がいれば、一歩引いてしまうのは、頷けるので、それを察してやるのが良い女のすることだ。
「ただいま、ガーネ」
「鷺花様……あの、その……はい、おかえりなさいませ」
「ん」
よろしい、と頭を撫でて解放する。あまり長時間の接触は苦手だと知っているので、そこらも気遣いだ。
「一歩半かな」
「――、ありがとうございます、鷺花様」
「どっちの意味で?」
「まだ踏み込める道があるのだと、改めることができましたので」
「なるほどね」
あのエグゼ・エミリオンに至るまで、一歩半。ちなみに今の鷺花は、残り一歩の位置で止まっている。どうしても、追い越す気にはなれない。
「そういえば、相手はちゃんといるの?」
「歴代のマエザキの相手も、面白いですよ。ほかの時はシディやアクア姉さんに手伝ってもらっています。たまに、ごく稀に若様も」
「姉ちゃんの相手、しんどいんだけどねー」
「……ん。ってことで、今日は泊まってくから、よろしくね」
「鷺花様、お帰りはいつ?」
「明日には用事が終わるから――」
「では三日後ですね」
「えっと……アクア?」
「三日後ですね、鷺花様」
あー、と言いながらシャンデリアを見上げる。ここで五日と言わない辺りに好感を持てるし、断れない範囲である三日を主張するのがアクアらしいが、けれど逆に断れないことを見越されているわけで。
「……ま、いっか」
「はい」
「まあたアクア姉ちゃんは嬉しそうに――や、嬉しいけどさ」
「ではガーネ、私が今日の夕食を作ります」
「はい、アクア姉さん。いつものことなので、覚えています。ええ……私の料理は明日の昼にでも、ええ」
「では鷺花様、またのちほど」
丁寧に、今度はちゃんと階段をのぼって食堂へ。じゃあ行こうかと、二人を連れて二階にのぼり、通路をそのまま歩いて屋敷のテラスへ行けば、そこに。
白色のシャツを着た、ハーフパンツ姿の、ともすれば少年に見えなくもない男が、欠伸をかみ殺して、やあと声を上げた。
「鷺花、随分とぎりぎりのタイミングで戻ったね。アクアたちのことを想うのなら、もう二日ばかり早く来て欲しかったけれど、それは叶わぬ望みだ。何しろ彼らが来たのが、それくらいだろうからね」
「師匠も、相変わらずそうで何より。そう簡単にくたばるとは思ってもないけど」
「以前の約束通りだよ鷺花。君が死にたくなったら、僕が殺す。それまでは死ねないし、ひなたが許してくれないからね」
ふうんと、言いながら彼は。
エルムレス・エリュシオンは目を細めた。
「また厄介になったものだ。もう簡単には探りを入れることができなくなったね」
「お互いにもう、時間っていう制限はないようなものだし、比較てきないなら、あとは度合いの話でしょ。それよりも師匠、確認が先」
「なんだい」
「リウラクタの遺体、引き取ったの師匠でしょ」
「ああ……さすがに、隙間を縫ったところで、鷺花なら気付くか。四番目じゃなかったが、距離の問題でもない。その通りだよ、僕が下に送ったのだから、僕が引き取った。裏庭に墓標があるよ」
「……ま、いいでしょう」
「終わりかい?」
「数日はこっちにいるから、書庫の確認とかはあとでやっとく」
「よろしい。時間があるならシディを見てやってくれ。最近は、答えられない質問が多くて困ってるんだ」
「ガーネもね。……そんなに時間もないから、明日、場を作ってくれるなら、一気にやれるけど?」
「乱暴だな」
「興味は?」
「対価はと、言うべきだろう?」
「私が直直に見てやるって言ってんの――腑抜けた」
そうだ。
「腑抜けたセツを相手に」
「やれやれ、気付いていてスルーしてたんだけれどね、僕は」
「私だってそうよ。それに、数分で最盛期にまで戻れるでしょうから、余計なお世話だろうけれどね。鬱憤を晴らしてやるってところ」
「近隣の住人への説明を僕にやらせようって魂胆なら、それ以上効果的な方法はないだろうね」
「だから、場を仕切れって言ってんだけど?」
「アクアに頼むのは駄目か」
「それじゃ〝対価〟にならない」
「だからそれは僕の台詞だろう……数千年ぶりに顔を出したかと思えば、これだ。弟子に甘いのは、僕だけじゃないみたいだけどね。わかった、わかったよ。今の状況なら、昔ほど大げさにしなくてもいいからね」
やれやれと立ち上がったかと思えば、ガーネの用意していた紅茶を受け取らず、そのまま自室の方へ行ってしまう。師弟の関係はこんなものだ。時間がどれほど空いても、変わらない。
「本当に」
変わっていない。
こうして対峙しても、負けているのだろう、なんて確信が得られてしまうのも、以前の通りだ。師への劣等感ではなく、おそらく実力として、まだ差があるのだろう。追い越せるのは、いつになることやら。
中央に鷺花、挟む形で並んで腰を下ろし、紅茶を貰う。こちらも上質な、つまり昔ながらの葉っぱを使っており、懐かしさよりも、こんな味だったかなと、疑問を抱くほどだった。
「
「……? 基本的なことは、以前より聞き及んでおりますが、それ以上のことですか?」
「うん、そだね」
「なるほどね。まあ、今は私も一人立ちしてるから、勝手に言っちゃうけど――これを魔術的な呼称で
「待った」
「ん、なにシディ」
「鷺花はそれを捉えてるんだ……つまり、それは、解除が可能であり、付与もできるって聞こえるんだけど、そういうこと?」
「可能性の問題と、お茶を濁してもいいんだけどねー」
数千年だ。
思い返さずとも、それがとてつもなく長い時間であることは、誰にとっても明確であり、過ごした当人たちにとっては、実体験として感じている。
だから。
「できるわよ。やったことは、残念ながらないけれど。それに、やるつもりもない。老衰がかなり先でもね。ただ――どうかしら。相手が強く望めば、あるいは。でも、まあそうね、ここだけの話にしておきましょ」
「そうですか……。鷺花様は」
ちらりと、魔術的な思考に陥ったシディを見て、ガーネは間を埋めるように口を開く。
「どのような生活をしておられたのですか?」
「後進の育成がメインかな。といっても、まだ保護が必要な子の面倒を見ていた、だけど。五神の世代が替われば、顔を見せにくるし、そう退屈はしないのよね」
「小夜様が、あいつは連絡をしても返事がないと、そんな愚痴をこぼしていましたよ」
「ああ……通信機は実家に置いたままで、基本的には拒否してるからね。全部じゃないから、今回の――朝霧との契約の話は、ちゃんと聞いてて、許可もしたし」
「はい、そちらの話は私も聞いておりました。すぐに気を利かせた若様が中継してくださったので……と、そうなると今回のことは、その件なのですね?」
「そう。明日には来るはずだけどね」
「――当代の朝霧様は、どうなのでしょうか」
「あはは、やっぱり気になる?」
「ええ、初代の朝霧様と手合せしたことは、今でも覚えておりますから」
「期待はしない方がいいわよ。生活環境それ自体が、かつてとは大きく違ってるからね。超えるべき一定ラインが低いから、その先にまで至る者は少ないってのが、私の見解」
「それでも、言葉は悪いですが、未だに古臭いものが繋がって在る――そのことに、興味はわきますよ」
「ま、それもそうね。オトガイみたいに、そういうものってのも、あるけど」
「鷺花様は、変わって欲しいと願っておられるのですか?」
「あはは、そう聞こえるか。うん、まあね。べつに悪いってわけじゃないけどさ。ただまあ、朝霧みたいに、どうしようもないってのも理解できるし」
「三番目の携帯性ゆえに、ですか」
「――携帯性。組み立ての術式、魔術回路の同化……でもあれって、境界を越えなければ、ただの刃物だし、半自動的に超えてしまって、三番目そのものになるってわけじゃないと思うんだよね。……そうじゃなくて! そうだ鷺花、あのさ」
「駄目」
「まだなんも言ってないよ!?」
「駄目です、シディ」
「ガー姉ちゃんまで! なんで!」
「一番最初はアクア姉さんだからです。もちろん、次は私です」
「え? え?」
「それが順当よねえ。でもまあ、うちの実家への直通経路は、まだ封鎖したままにしておくわよ。突破できるならしてもいいけど、師匠もしてないみたいだし」
「若様に言ったら、迷って帰ってこれなくなるから、まだ駄目だって言われたんだけど」
「それは初耳ですね、シディ。抜け駆けですか」
「いや違うよ姉ちゃん! 好奇心! 興味本位だから!」
「……ちなみに私が聞いた時は、壊すと再構築されないから駄目だと言われました」
「姉ちゃんだって聞いてるじゃん!」
「仕方がないでしょう、シディ。――私だって鷺花様に逢いたかったのですから」
あれ、これはまずいぞと、鷺花は話題を変えるために頭を動かす。このまま進むと、つまり逢いにこなかった鷺花が悪い流れになってしまうのは、明白だ。
「シディ、ガーネ、少し騒がしいですよ」
「姉さん。もう仕込みは終わったのですか?」
「ええ。それと――私が聞いた時には、鷺花様が扉を開いていないのならば、無理に外から叩く必要はないと、若様は言われておられましたが」
「アクア姉ちゃんも聞いてんじゃん……つまり鷺花が悪い?」
ほらきた。
「わかった。たまに帰ってくるか、たまに道を空けておくから、それで許してちょうだい」
「シディ」
「うん、ちゃんと録音したよ。ばっちり」
「よろしい。楽しみですね――ちなみに、私が一番です。二番はガーネで」
「ありがとうございます」
「一番最後だ!? どうしてこうなった! 私が要求しようと思ってたのに!」
アクアは鷺花の暮らしを含めて心配で、話をしながらお茶でも飲めればいいのだろう。ガーネは息抜きと共に、戦闘技術に関連した話。シディは魔術の話に没頭したいと、理由はそれぞれだが、数千年も屋敷を空けたままでいた自分が悪いんだろうと、納得しておく。
「はいはい。でも、やっぱり師匠の見立てでもアクアみたいね」
「あ、それ、すっごく疑問なんだけど。私は暇を見つけては研究してんのに、なんでアクア姉ちゃんのが魔術師として成長してんの?」
「長女ですから」
「姉ちゃんまたそれだー。返答になってないじゃん。っていうか、ガー姉ちゃんもだけど」
「シディの姉ですから、当然です」
「うぬぬぬ……」
「シディとは違って、隠れてちゃんとやってるってことよ。努力を見せないのも、年上の特権ね」
それに、シディは一極化していない――というのは極論だが、いろいろなものに多く手を伸ばし過ぎな点も、成長が遅れる要因になっている。そこの辺りは、鷺花の影響もあるので、なんとも言えないのだが。
まあともかく。
「まとめて明日、見てあげるから」
とりあえず今は、久しぶりの再会に花を咲かそうではないか。
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