05/09/17:00――コウノ・初代の墓標
街には街のルールがある。それは暗黙の了解とも言うべきものかもしれないが、旅人――外から入った者にとっては、ある種の流れとして捉えられる。それは街だけではなく、大陸そのものにも存在しており、たとえば七番目の大陸で雷が鳴り続けていることであるように、すぐ察せられるものもあれば、わかりにくいものもある。
争いがしたいなら楽園へ行け。
大雑把に言ってしまえば、この大陸のルールは、それだけだ。ただしそれは、力を持つ妖魔にすら該当する。
環境それ自体は、文明レベルがかなり違うところが特筆しているだろう。特に電子機器は、生活の八割にまで浸食しており、利便性が高い。しかし、それに甘え溺れている様子は見受けられず、当然のように利用しているが、依存性は低いようだ。その辺りは、なんだろうか、いつまでもそれが傍にない――なんて考えを抱いているからだろうか。
逆に言えば、ここには七つの大陸で特筆したものが、全てあるとも考えられる。であればこそ、人の行き来が下とないことも頷けるし、取り残され隔離された場所だというのも、納得もできる――が、それでも、停滞はしていても、成長していないわけではなくて。
人の生活というのは、退廃的ではなく、意欲的に行われている。
――どうしてミヤコを下に?
コウノの口から放たれた疑問に対し、玉藻は笑って、まともに育てられるとは思わなかったからだと言っていたが、しかし。
リウラクタの存在を、一人で下にやるには、いささか思うところがあったのだと、ぽつりと漏らしていた。後悔はないし、今のミヤコには逢いたいとも思わない。逢えないのもわかっている。母親面するつもりもない――けれど、生きていてくれることは、単純に嬉しいと、そう言っていたか。
けれど、イザミやコウノが伝えられるのはきっと、それだけだ。容姿と、存在と、その言葉くらいなもので、逢わせることは、決してできない。
ちなみに玉藻は、宴会の翌日にはもう姿を消しており、イザミも探そうとはしなかった。次があるとも、思っていなかったようだ。
さて、二人はというと、街道を移動中である。
この大陸での移動手段は、その九割が自転車らしい。イザミはもちろん、コウノも見るのは初めてだ。その仕組みに関しては知識としてあったものの、実物を見れば探りを入れたくもなる。結局、ツーリングでもするかと思ったが、イザミが頑なに拒否。というか、単純に袴装束から着替えるのが嫌だ、という一点張りで、仕方なく後ろに荷台を引く形で、コウノが自転車をこいでいた。
労力そのものは感じない。けれど、回転を意識して脚を動かすと、力に応じて推進力に変わる動きそのものが実に新鮮で、ともすれば没頭しそうだった。どうしてほかの大陸にないのかと考えれば、技術的には可能であっても、その大陸には走れる場がないとの結論に至る。まあ、そんなものだ。
「街道を移動中に、エンカウントは低い……ファンタジー小説じゃあるまいしって思ってたけど、ほんとにそうみたいだね」
移動途中、街が近くにある看板を発見した辺りに、ちょうどいい小さな丘があったので、二人は休憩中だった。いや、疲労しているのはコウノの方だが。
「妖魔にとっても、過ごしやすいんだろ」
「そうだね。旅をしてて、人を喰わない妖魔ってのも、結構いたし。なんていうか、人と話をするのが好きなタイプ。最低限の警戒はするけどさ」
「そうじゃねえのも、いるけどな」
「それもわかってる。けど、毒ってのも頷けるなあ。できればさ、ぱぱっと戻りたいよ、あたし」
「……ま、それもそうだな。ここで得た経験や知識が無駄だとは思わないが、俺たちが生きるのは下だ。持ち帰ることに意味はねえよ」
「だからかなー、かーちゃんがこっち来ないのは」
「そもそも、手段が限定されるし、俺らと一緒で子供がいちゃあ、そういう踏ん切りもつかねえだろ。俺だって、海を利用して移動する場合なら、コノミには死んだら恨めと、そう言い残すつもりだった」
「じゃ、そっちの話にしよっか」
今ここの話をするよりも、下に戻ってから先のことを話した方が、イザミにとっては気が楽だった。目を逸らすのではなく――受け入れない意志を、確認する意味合いで。
「リンドウの息子が刀を握るって言ってたけどさ、コノミは〝朝霧〟になれない。でも、基礎は教えるんだよね?」
「ああ、そのつもりだ。少なくとも戦場で生き残れるくらいにしてやるのが、親ってもんだろ」
「それもどうかと思うけど、まあコウノの生き方を知ってるあたしとしては、頷いちゃうなあ」
「つーかお前だって、基本四種を教えてただろ」
「バレてら」
「わかるに決まってんだろーが……いや、それが悪いとは思わないけどな。戦場で生き残るのには〝運〟も絡むが、あらゆる状況下で、できることが多いってのは、それだけで確率を上げる。俺の知識を教えることはできねえが、イザミはそういう制限もねえだろ」
「ないけど、難しいじゃん。あたしの場合、刀を持つこと前提だったし。でもまあ、べつに旅をしなくてもいいな、とは思うけどね」
「そりゃコノミが決めることで――少なからず、俺らの影響も受けるだろ」
「そうだけど。あの子、コウノに似て無愛想で目つき悪いからなあ……」
「無愛想って言うけどな、妙に好戦的なのはイザミに似たんだろ。あのガキ、一丁前に挑みやがる。これから慎重さを教え込まなきゃならねえと思ってたところだ」
「慎重さはあると思うよ? 相手があたしやコウノだから挑んでくるだけで、とりあえず〝
「……教えてやりてえことは、山ほどあるんだがな」
「うん。でも、後継者探しもあるからね」
「それだ。俺はともかくも、リンドウの息子」
「あ、カイドウ? いやあ、身内になると、ちょっとなーって」
「お前とミヤコの手合せを見て、目を輝かせてたぜ、あのガキ」
「それでも、望まれても、あたしじゃなくてかーちゃんに頼む。素質がどうのじゃなく……なんだろ、リンドウに引け目でもあるのかなあ」
「ま、お前がちゃんと考えてるなら、それでいい。道具を作りたいわけじゃねえ、ただ生かしてやりたいだけってのも、なかなか難しいところだ」
「んだね。――はは、でも、やっぱりコウノも変わったね」
「そう見えるなら、自分のお蔭だと胸を張れよイザミ。それが女の特権だ」
「そんなもん?」
「そんなものだ。コノミの影響もあるけどな」
行くぜと、立ち上がったコウノは裾を払い、自転車に乗る。イザミが荷台に腰を下ろしたのを確認して進めば、そう時間もかからずして、影のように映っていた街が次第に近づいて――そして。
異常な状況に気付いてのは、目視が完全に可能になってから。ラウンドアバウトを越えた辺りでペースを落とし、やや手前で降りた二人は、徒歩でその場所に近づく。
街だ――いや、それは、街だったと、そう呼ぶべきなのか。
石造りの建物は以前の街と同じだが、あちこちが黒色に焦げている。いや、焼かれている。どれほどの高温がこの場に発生したのか、それを考えるだけで眉根が寄り、近づけば熱を感じるかのような錯覚すら、その光景には迫力があった。
「結界がある、近づくなイザミ」
「――うん。気付いてなかったけど、ごめん、これはちょっと、生理的に近づけない」
ここは立ち入り禁止だぜと、そんな声が横から投げられる。思わず刀に手を伸ばそうとしたイザミを、コウノが制し、驚かすなと、その少女に向かって言う。
「刹那小夜、お前もきていたのか」
「おー」
契約の主は、煙草を吸いながら、目を細めるようにして燃えた街を見ていた。
「ベルはここ、なにか知ってるの?」
「まあな。契約を見届けにって理由を使って、数千年ぶりの同窓会だ。つっても、オレが逢いたいのは、サギだ。そのついでに、ちっとは昔を懐かしもうと思って、ここへ来たんだが、そりゃ縁も合うよなー」
「……刹那小夜、一つ問う」
「べつに一つじゃなくたっていいぜ。この場なら、制限はそれほどねーからな」
「この中は、未だに、燃え続けているのか?」
「直感か? それとも、理解できるのか?」
「いや……本当になんとなく、そう思えただけだ」
「はは――正解だ。ここは未だに燃え続けてる。種火こそもう小さくなっちまってるが、立ち入れる人間がいたのなら、迷わず焼き尽くすだけの〝意志〟がここにはある。――楠木、聞きたいか?」
「ちょっと怖いけど、うん、せっかくだから」
「ここはな、初代五神が死んだ場所だ」
「……初代?」
「朝霧」
「俺の知っている限りでは――ただ、継承の際に死んだとしか」
「そうか。ベルはなー……いやオレじゃなくて、初代な。あいつは、平凡な野郎だったよ」
「お前よりもか?」
「オレなんかは特殊だろ。例外で、異外だ。何しろ
「ああ」
「それは時間だったり、肉体だったり、まあいろいろだ。初代の五神って連中はな――それが逆だった。代償を支払えば、何かを得られる。だから最初に代償を払っちまえってな」
「――馬鹿げてる。理屈としてはありえるが、冗談じゃないな」
「その中でも、とびきりの化け物がベルだ。何も持っていなかった、だからなんでも持てる。持ちきれないなら、代償を支払って、何かを棄てりゃいい――そうやってできた人間だ。正真正銘の化け物で、ここ数千年じゃ見かけることもなくなった、とんでもねえ天敵だよ。オレらが強者なら、あいつは天敵としての弱者だった。どんな凡庸な人間でも、突き詰めればそこまで至るんだと証明した馬鹿だ。結局、継承の時にも、オレとマーデ、フェイも結託して戦ったが、ベルには至らなかった」
それはきっと今でも、至れないなんて、自嘲交じりに当代ベルは吐き捨てる。
「ことが終わって、アブ……エイジェイを除いた四人はここで死んだ。ベルはもう限界だったし、残りの三人は自殺だ。継承もした、ベルもいない。だったら終わりでいいと――エイジェイの炎に抱かれて死んだ。んで、しばらくして後継者を育てたエイジェイが、やっぱりここにきて、炎の意志に呑み込まれるように死に、それからずっと、ここは、この有様だ。入ったやつはいねえよ」
だとすればここは。
「初代の――墓標か」
「そんなもんだ。つっても、それを知ってるのは、ごくごく限られた人間だけだ。ここらに住んでる連中も、炎の都と称して神聖視はしてるが、事情までは知らねえよ。ぐるっと迂回すりゃ、街があるぜ」
「……そうか」
ぽつりと、イザミが呟く。
「ここ、ノザメエリアの鐘楼みたいな雰囲気が、あるんだ」
「話してねーのかよ」
「気安く話せる内容じゃねえだろ……俺だって、かつては防衛拠点だったってことくらいしか、知らねえし、入ったことはねえ」
「へえ――なんだ、まだ維持してんのか、あのクソ女。もう中身は空っぽだろうに……」
まあいいと、彼女は紫煙を吐き出した。
「近くの街に泊まって、明日には楽園に来い。そのくらいのんびりすりゃいいぜ」
そうだなと、頷きを返す前に彼女は消えたが、同感だ。やや拙速ではあるかもしれないが、用事は早いところ片付けた方がいい。
それに。
「――イザミ」
「うん。魅入られる前に、行こう」
ここで立ち止まっていると、吸い込まれるように足を踏み入れてしまいそうだったから。
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