02/16/12:20――キツネビ・狐を目指して

 はっきりと、断言しよう。

「私は、コウノ・朝霧がこれ以上なく――苦手なんだ」

「そう?」

「そりゃ、今の私はまだ狐じゃないし、コウノはとっくに〝朝霧〟だっていうのも、原因の一つだし、昔に手合せした時に負けたのも事実。けどそれだけじゃなくて、なんかこう、頭が上がらないんだよ」

「……」

 もう一度開こうとした魔術書から手を離したリンドウは、ふと言葉を考えるような間をおいてから、上着を脱いで枕元に放り投げた。その下は、いつも着ているボディスーツである。

「同族嫌悪――とは、少し違うけれど」

「ちょっと、なんだいそれは。私とコウノなんて、似てるところなんてないと思うけど? 私はあんな傲慢じゃないし、口もそう悪くない」

「聞こえは悪いかもしれないけれど、キツネビと同じように周囲を〝騙す〟ことを、いつもしているって点が、似ているんだよ」

「――え?」

 いや、自分ならばわかる。確かに聞こえは悪いが、騙しているのだろう。偽り、誤魔化し、そういう態度は戦闘だけではなく、日常の細かい部分に散りばめられている。そういう生活が染みているし、癖にもなっていた。

 たとえば。

 牢屋で初対面だった時のキツネビと、今のキツネビが、違うように。

「ただ違うのは、キツネビはその性質から騙しているのであって、僕は自分のことで手一杯だからやれてない。そしてコウノは、余裕があるから、そういうこともできるんだろうってこと」

「……なにを?」

「コウノは試したいと僕に言った。そして、途中で言葉を切って終わりにした。おそらく気付いたんだろうし、その理由も僕は知らない。けれどそこには、僕がよく知っているものがあった」

「私はさっぱりだったんだけど……」

「先入観のあるなしが関係しているのかもしれない。そして、知っているのはキツネビもだよ」

「私が知ってる?」

「――未熟さ、だよ」

「はい? いやいや、コウノはもう朝霧になってる。だとすればそれは、完成だ」

「うん、そうなのかもしれない。こと戦闘において、あるいは生き残ることにおいて、コウノは完成しているんだろう。僕には手も届かない領域だ――けれどね、その証明を取っても構わないけれど、でも、経験については、僕たちの方がきっと、しているよ」

「戦闘経験?」

「それはわからないけれど、――旅の経験はね、間違いない。戦闘においても、きっとそれはある。言うなればコウノは単独であり、孤独だ。その良し悪しじゃなく、僕は逆で捉えたんだ。コウノはきっと、誰かと一緒に歩いたことは、まだないんだろうって」

 言われてみれば――。

「……誰かが隣にいるコウノが、想像できない」

「うん、そういうことだと思う。少しほっとしたよ……完成したからといって、それが終わりじゃないって証明してくれているから」

「それはまあ、そうだけど、いや――そうだとしても、そんな未熟さをコウノが隠してるってこと? 言われるまで気付かなかったし、話していても気付けないと思うんだけど?」

「僕は手合せをしたから、なんとなく。それに……もしかしたら、誤魔化している自覚はほぼないのかもしれない。たぶん、コウノには、経験の足りなさを補って余りあるほどの〝知識〟を保有しているから」

「――、……知っているわけじゃないんだね」

「なにを?」

「朝霧を」

「いくつかの想像はしているし、想定もしているよ。おかげで、さっきから魔術書の内容が右から左に通り過ぎるばかりだ。それも気付かれていたみたいだけどね」

「……」

 いや、冗談じゃない。

 知らないで、想像だけで、目の前にあるコウノ・朝霧という情報だけで、そこを見抜ける時点で、このリンドウ・リエールという人間は、おかしい。

 キツネビから見たリンドウは、べつに観察眼が鋭いとか、情報を抜き出すのが上手いとか、そういった様子は見受けられない。ただ、実際に得た情報から想像し、思考を巡らし、可能性を当たるのが上手い。上手いというか――普通の思考じゃ、ない。

 おそらく、思考の飛躍すら自覚して、意図して行っていて、それを己の範疇にきちんと納めている。結論が出るのが早いわけではない――ただ、道から外れた思考を留めておいて、そちら側にも考えを巡らす。その結果として、想定や想像が間違っていたとしても、それならそれで構わないと思えているんだろう。

 じっくりと、時間をかけて、考えて、結論を出す。

 いや。

「リンドウ、そういう考えは、君の思考は、結論を出すために行うのか?」

「……どうだろう。もちろん、一定の結論は出すよ。たぶんこうだろうってことを並べて、そこから更に思考することもあるけど、中途半端にしたものはメモしておくし、メモしたってことは続けるつもりがあるんだろうし。でも」

「でも?」

「正解か不正解か、良し悪しか、そういう考えはほとんどない。というか、その手前で止める」

「……つまり、その思考自体が二元論に到達しようとした時点で、その手前がリンドウの中じゃ結論になっている?」

「うん、言われてみれば、そういうことなんだろうね。もちろん危機的状況は別だろうと思うけど」

「とんでもないな、君は。しかし――どうしたって、そんなに考えるんだ?」

「今は癖になっているし、両親の教育の賜物だけど……たぶん、僕は、僕自身がどのような考えをしているのか、知りたいと思っているんだよ。それはきっとわからないことだけど、うん、知ろうと思うことは悪くない」

「継ぐために必要だから、やっているんじゃないのか?」

「ん? いや、それは違うよ。父さんは継げとも言っていないし、僕もどうなんだろう……生き方はそれぞれだし、強制力はない。でも、旅の目的そのものは、継ぐことに関係しているから、嫌ってはいないんだろうね」

 聞いて、思い出した。だからそのまま、ベッドに仰向けになるようキツネビは倒れる。

 ――自由に、気ままに、騙して生きる。

 それが狐の生き方だと言われたのは、たった一度きり。随分と昔で、忘れていた。当代は寡黙な人間だから、同じことを二度言わないことなどよくあるけれど。

「なるほどねえ……」

 たぶん、今の自分に足りないのは、そこなんだろうと思った。しかし、コウノみたいなのが目の前にいて、自由に、気ままにしていろ、なんていうのが無理だ。

「リンドウって、人に物を教えるの、向いてるかもしれないね」

「そう? 僕自身、誰かに教えるなんて真似は、できないと思ってる。それは自分のことで手一杯ってことなんだけど、そんなものかな」

「だって――リンドウ、気付いてない? 君はそうやって、自分のことが手一杯で、思考を巡らしているけれど、考えるのは他人のことも含んでいるじゃないか」

「そうかな、……確かにそうかもしれない。一人でいる時以外は、だいたいそうだ。僕はまだ想像しかできないけれど、うん、そうだね、誰かに教えるっていうのも、面白いかもしれない。教育がどんなものか知ろうと思って、ここへ来たのが発端だったと、思い出したよ」

「そうなの?」

「うん、メイにそう言われてね。収穫は……あったような、なかったような」

「そういえば、メイは君たちと一緒にいたんだね。関係は聞かない方がいいのかな?」

「メイは僕たちの、保護者みたいなものだよ。彼女の相方は、随分と前に亡くなっているから」

「いや、いいんだ。そっちの事情にも、あまり踏み込みたくはない」

「あまり気にしてはいないんだけど……僕は姉さんと違って、すぐに人を信用するから」

 だから、人付き合いが下手なんだと、リンドウは小さく笑った。

「それが裏目に出たこともあったろう?」

「うん。裏切りには相応の報いを――なんてことは、言わないけど、多少は。それでも僕は、信用するからこそ、裏切りの可能性はちゃんと考えてるから」

「それはそれで、こっちとしては厄介なんだけれどね。信用に対しては、信用を返したくなる。それが意図しないものだと、余計に」

「そうなのかな?」

「そういうもの。しかし、とりあえずはここで終わりかな――学生の生活ってのも、悪くはなかったけど」

「今回は短かったからね」

「ま、楽しかったよ。そろそろ私も食事だ。リンドウは?」

「ん? そうだね、もう一通り読んでからにするよ。下に行ったらまだ姉さんがいたって落ちになったら、それはそれで面倒だから」

「へえ……苦手?」

「邪魔したくないだけ」

「あははは」

 それはきっと、信頼の証だと思ったが口に出さず、上着だけ部屋の中に放り投げておき、キツネビは出た。

 ――そのまま、外へ。

 今回は短かったけれど、楽しかった。そこに偽りはない。

 最下層まで歩いていけば、つぶれた店舗を前に、マエザキが一服していた。きっと仕事後なのだろう。

「おう、狐」

「だから、私はキツネビだっての」

「これお前の自己申告だからな」

「そうだけど、違うって! つーか、わかってて言ってるんだろマエザキ、性格が悪いな」

 あの頃は――まだ、そう言わなくては保てなかった。

 自分は狐だと、そうやって口に出して言い聞かせなければ、戦闘中、立って挑むことができなかったのだ。

「ったく、コウノにせよマエザキにせよ、そういうところが意地悪なんだよ」

「そうかあ? そうでもねえだろ」

「そっち、終わった?」

「おう、もう〝オトガイ〟の名は広まっただろ。ここの片づけをしたら、俺は消えるさ」

「あっさり終わらせるねえ」

「朝霧が手を貸してくれたからな。正直、ここの結界は俺の手に余る。壊すなら、まずは支点から崩していかないとならねえ――となると? 必然的に〝死者〟の数が増えるわけだ」

「なるほどねえ」

「そういうお前はどうするんだ?」

「いちいちマエザキに言わなくたっていいだろ」

 だが、それでも。

「リンドウに触発でもされたのかな。コウノやイザミの影響だなんて考えるのは癪だけど――逃げ回るのは、止めたよ」

 ポケットの中から取り出した、魔力を発生させている宝石をマエザキへ投げる。奥歯に偽装してある魔力封じは――今は、まだ解除できない。したらコウノに気付かれる。

「今から師匠のところに行ってくるよ。今度こそ」

 真正面から、正正堂堂。

「――騙してやる」

「ははは、狐らしいっつーか、いいんじゃねえのか、キツネビ。次に逢う時は正真正銘の狐になってツラ見せろよ。その時は、俺の作品を試してやる」

「その時には、笑っていいよと言えるようになってれば、私はそれでいいさ」

「おい、仕事の報酬は?」

「私は何もしちゃいないよ、楽しんでただけだ。きっとリンドウも同じことを言うだろうけどね」

「馬鹿だな。刃物の一本も要求したらどうなんだ?」

「そいつは、私が〝狐〟になった祝いまで、とっておいてくれ。忘れるなよ?」

「オーケイ、覚えておいてやる。せいぜいくたばるなよ」

 へいへい、と手を振って、そのまま街の外へ。

 キツネビは仮面を捨てる。それを棄てる。何かが変わるわけではない、べつに性格や人格まで偽っていたわけではないのだから、それもそうだろう。けれど間違いなく、自分の足で前へ進む意志だけは、取り戻した。

 さあ――狐になろう。

 唯一、あの五神の遊び相手になれると謳われる存在に。


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