09/21/09:30――レイディナ・四匹の雛

 どうだろう、なんて誤魔化しておきながらも、あたし、レイディナ・ブリザディアはそのことに関して、ほとんど考えていなかったことを、今さらながら失態だと感じた。

 面白く、楽しい――それは素直な感情であって偽らないけれど、確かにアカへの興味があり、それは当人の性格を探る意味合いであって、アカの行動理由なんてものは、ほとんど思考していなかった。

 何の目的があったのか。

 ――そんな一番の不明を忘れてるなんてねえ。

 本気で落ち込みたくもなる。探りを入れていた最中に、関連した情報も仕入れているが、考えれば考えるほどに、一つの結論に至ってしまう。

 わからないのだ。

 ユキが言っていたように。

 まったくもって降参だ。今になってようやく、ユキが警戒していた意味も、なんとなくわかる。もしも実害が伴っていなければあるいは、あたしも楽観していたかもしれないけれど、今までのあたしが浮ついていた事実をこうも突きつけられれば、本気で落ち込みたくなる。これを気付かせるためにハッキングをしたなら、紅音は本当に大した野郎だ。

 あたしは基本的に厭らしい性格を張り付けて、本音を隠すようにしているが、内面は基本的に落ち着いている。地に足をつけることを意識していたし、責任に関してはやや敏感なのも自覚はあった。

 それが、浮ついていただなんて、当年で十七歳になるあたしが――歳相応の女の子になっていただなんて、認めたくもないけれど、事実は事実だ。悔しいが受け入れよう。

 今回の尾行も、あくまでもこちらが尾行をすれば、アカがどんな反応をするかが楽しみだったのだけれど、むしろどうして大外に出るのか――出て何をするのか、そこに疑問を抱いた。だからこそユキに連絡をとったのだが。

 まったく、どうかしてる。

 今頃になってようやく、湯浅あかと呼ばれる人間に対し、危機感を抱いているだなんて。

 そんなこと。

 ユキよりもよく――知っていたはずなのに。

 まるで初恋の人を初めて見かけたかのように、浮き足立っていたのだ。まったく、ああ、なんて醜態だ。

「おい」

「……なによう」

「聞いてなかったのかよ。無線にスイッチ入れとけ、もう古宮が先行してるぜ」

「おーう」

 大外にある、無菌室にはない新鮮な空気を吸い込むと、昔を思い出して、違う意味で気が落ち込む。口の中がざらざらするような違和感、鉄分が舌の上に転がるような錯覚に舌打ちの一つもしたくなるが、まさかハルの目の前でやるわけにはいかない。

 あたしだって、全てをミャアとハルに教えているわけではなく、隠していることもある。特に過去――エンジシニに来る前のことは、ユキにだって断片的にしか教えていない。

 ただし。

 だからといって、ハルの過去やミャアの経歴について、あたしが知らない――わけではないのだけれど。

「――で、おい、そっち見えてんのかよ」

『馬鹿、見えてないわよ。いい? 見えるってことは、相手からも同じってことなの。だから私は紅音の痕跡を追ってるだけ。ペースは遅いから大丈夫よ』

 無線から流れる声に、ようやく現実を目視すれば、遠方の位置でミャアが合図をして、それを追いかけるように移動する。周囲は森のようになっていて、雑草が少ないため歩くことに問題はないが、背後を見ても、もうエンジシニは見えない。方向に関しては方位磁石コンパスでハルが随時確認しているため、迷うことはないだろうけれど、たまにある茂みが厄介で、迂回するように移動しなくてはならない。

 いや――この程度なら、足を取られることもないか。

『それよりも、本当になんで紅音は大外に来たのかしらね。リイディも確か、あったわよね?』

「俺もあったな。気分転換ってやつだろ」

「……あたしもそうだねえ」

 アカもそうならば良いのだけれど、常に上手でいるあいつのことだ、おそらくはほかの理由もあるのだろう。そこを度外視すれば、惚れるほどの手際の良さ。かなり好感度は高いのになあ。

『普段の紅音ってどうなの?』

「小声なら話してもいいわけか。痕跡を追ってるだけってことは、そこそこ距離があるんだよな」

『こっちは痕跡を見逃さないことと、追いついて接触しないことだけ考えてればいいから。正晴はポイント、チェックしてるわよね?』

「おう。要所で目印と方位を書き留めてる」

「奥地まで行かなければだいじょぶだろお、地図あっから」

「おい待て」

『先に言いなさいよあんた……』

「え? あたし、渡さなかったかい? ごめんよう」

 おかしい、渡したはずなのにとポケットへ手に入れると、四つ折りの紙が三つ手に当たった。その一つをハルに渡す。

「古宮、ちょい時間くれ。現在地を確認したい」

『ん、紅音のペースは上がってないみたいだから、二分だけよ』

「オーライ。動き止めるからな」

『そっちに集中してていいわよ。――ちょっとリイディ、なにを呆けてるのよ。セキュリティを突破されたのがそんなに?』

「そうみたいだねえ」

 それもあるけれど、なによりも考えることが多すぎて、些細なことを忘れているのだが、ある意味での緊急性を伝えるのはたぶん、現段階では難しいだろう。

 いや、伝えておくべきか? ある程度の緊張を持たせ、あたしが尾行にかなり本気だということを示しておけば――ああ、けれど臆病なミャアは、やめると言いだすかもしれないけれど、でも。

「あたしと管理課にあるパイプはねえ、そう深くはないんだけど、直接的なんじゃよ」

『伏見さんと、やり取りがあるのは知ってるけど』

「お互いに探りを入れるぎりぎりの領域なのさ。ほんでね――管理課のメインサーバ関連、セキュリティを組んでるのはあたしさあ」

「――ちょい待て。いや、それはいい、いいが」

「手が止まってるぜい、続けなよハル」

「わかってる。わかってるが、――そりゃつまり、紅音なら管理課のサーバにバックドアを通すことも可能って答えるのと、同じじゃねえのかよ」

「そうだねえ……だから、困ってるんじゃねえかよう」

『ほんと、何者なのよ紅音は』

「その答えがこの先に転がってんなら、あたしはハッピーだねえ」

「――おし、できた。行こう。古宮、注意しとけよ。俺もそろそろ、紅音への疑問がパンクしそうだ」

『……オッケ。行こう』

 行軍が開始される。多少の緊張感はあれど、ため息を落とすほどには気楽なものだ。特に、あたしにとっては。

 十二歳からおよそ一年間、あたしはアメリカの海兵隊訓練校に居た経歴がある。そもそものきっかけは――そう、親父が言っていたわからない、湯浅あかがわからないと、そう放った言葉になるのだろう。

 あたしは放任されて育った。親父は研究所に住み込んでいたし、母親もそれに付き添うことが多く、あたしは家に一人でいる時間が多かったのだが、今にして思えばきっと、親父から洩れた情報が母から外部に出てしまうことを危険視した上層部が、父の補助扱いとして母を研究所に呼ぶことで、行動範囲を狭めていたのだろう。軍部での結婚に際して素性調査をかなり深くまで行うのと同じだ。

 だから、あたしは自立が早かった。大抵のことは一人でもできたし、そうなるよう両親に育てられた。中でも親父の、わからないことは調べなさい、という実に簡単でかつ真理であるその言葉が、何よりもあたしの根幹にあるはずだ。

 当時はただの好奇心に似たもので、あるいは父にもわからないことがあるのだと、そんな安堵をしたのと同時に、父がわからなかったものがあたしにわかったら、きっと褒めてくれるんじゃないかと、子供心で安易な道に突き進んだ結果なのかもしれないが、だからこそ、あたしはこっそりと湯浅あかのことを調べ、伝聞ではあったものの、彼の養父と自称する人間と接触することができて、いろいろと教えてもらったのだ。

 湯浅あかは、運動不足だったから海兵隊訓練校を紹介したと。

 場所の想像はできたし、資料はあったため、どんな場所かはすぐわかったけれど、知識よりも経験が勝ると母から教えられていたため、あたしはそんな軽い気持ちで仮入隊した。その際は湯浅あかの養父に手続きをしてもらったのだが。

 確かに、知識だけではあの環境は語れないと、後になって思う。

 世の中の理不尽が詰まった箱の中、教官の気分次第でどんな楽しみも苦行に変わる。あたしは特に幼かった部類だったため、見下されたし虐めもされた。助けてくれる人なんていないから、自分の力でどうにかしなくてはならない。考えて、考えて、行動する。動け動けと罵られて尻を叩かれ、怒声を浴びながら走って穴を掘って――ただひたすらに耐えるだけの場所。命令に従う兵士だけを育てる空間で、間違っているなんて反論が浮かばないほどの訓練があった。

 あたしはゲスト扱いだったためもあり、前期基礎訓練を終えて実戦配置の後期までで終わり。実質期間は半年と少し程度。それでも、補充兵扱いの一等兵で戦場には出たものの、そこで終いだ。ただし、研究に携わるようになってからも、日ごろの鍛錬だけは欠かせなかった。

 癖――になってしまっているのである。食事のあと自室に入り、のんびりしているふうを装って軽く鍛錬をする。もっとも、静的運動が中心であるため、それほど躰は筋肉質ではないし、それが発露することをあたしは恐れてもいたのだけれど。

 ――どうして、湯浅あかは運動不足なんて理由だけで、軍部に顔を出せていたのか、それは未だにわかっていない。つまり、あたしはまだ親父の〝わからない〟を解決していないのである。

 湯浅あか二等軍曹、そして雨天紅音。

 あたしと共通する部分がありながらも、思考が似通っていながらも、根幹がまったく違う人種。

 あたしが隠しているのは、単に過去を知られたくがない故で、きっとアカは、違う理由を抱いている。

『――え?』

 道中、無言だったわけではない。ただあたしは、ほとんど上の空で返事をしていたので会話の内容など覚えていないが、しばらくしてミャアが上げた声には気付いた。

「どうかしたのか?」

『うそ……痕跡が消えてる』

「んー、そっち合流するさあ。ハル、行くぜい。ミャアはとりあえず動かんでおいてや」

「だな」

 二十メートルほど先にいたミャアは周囲を見渡している。あたしもそれに倣うように身動きしながら、参ったなと思う。これならあたし一人が先行していた方が確実に尾行できていたかもしれない――が、あとの祭りだ。今からでは遅すぎるし、なによりあたし自身が、こうした場においてアカと一対一で逢いたくないと、そう思う。脳内では警笛サイレンが鳴っているし。

「古宮、痕跡っていうと、動いた痕がないってことか?」

「そうよ。ここまではあるのに、ここからがないの。どういうこと」

「にやにや、どうもこうもないさね、アカはうちらに気付いてたんさあ。……たぶんだけどねい」

「たぶん、か。おい古宮、痕跡ってのは簡単にゃわからんのか?」

「注意深く見ればわかるけど、コツはいるわね」

「だったら――ん?」

「なんだいハル」

「あ、いや、べつに……気のせいだ」

 あたしの足元を見て訝しげな表情を浮かべたハルは、考え込むように視線を逸らしたが、すぐに顔を上げた。

「ここを中心にして、ちょい探してみようぜ。古宮、迷わずにこの場所に戻ってくるにゃ、どうすりゃいい?」

「そうね……だいたい三十歩を数えて、方向と位置、歩いた場所を確認しながらゆっくり、戻る。そうやって行動すれば大丈夫よ」

「わかった。周囲をちょっと探そう」

「んじゃ、あたしはきゅーけい。ここで目印になるさあ」

「はいはい。正晴、ここは大外だから、気を付けてね」

「おう」

 ちらりとあたしを一瞥したハルはすぐに動きだし、じゃあ行ってくると言うミャアも、撒かれた事実をまだ噛み砕けていない。ハルがあたしの足元が汚れていないのに気付いたみたいだけれど、そんなことは知ったことじゃない。

 気付かれていた――か。そもそも距離があったし、尾行をすることは伝えていない。だとすれば予想していた程度なもののはずだ。けれど現実として撒かれたのならば、その可能性を考慮した上での行動だと思われる。

 あたしなら、できるか? そんな考えは即座に消す。無理だ。ここへ来て十日目の自分、いや、そうでなくともかつて大外に出た時、誰かに尾行されているかもなど考えもしなかった。そもそも、エンジシニから大きく離れようとも思わなかったのだから。

 何かが違う。考え方、思考、目的、行動、それらの歯車がかみ合っているようで、かみ合っておらず、あたしには欠けたピースを探すこともできないようで、悔しさよりも緊迫感が浮かんでしまう。

 これがアカにとって遊びならいい。でも、もしも、あたしと――あるいはあたしたちと、敵対する何かがあったら?

 怖い、とは思わないけれど勝てないとは思う。何がどうであれ、敵対だけはしたくないと、切実に願いたい。

 ミャアとハルとの視線が切れた瞬間に、ふらりと動いたあたしは背にしていた木の裏側に回り、軽い動作で半ばほどまで上へ登れば、僅かに枝の根元に踏み込んだような痕跡が確認できる。すぐに降りたあたしは、何もなかったような顔で元の位置に戻った。

 どちらの方向に移動したかはともかくも、これまた可能性――予想の話で、もしも痕跡が切れたのならば、下ではなく上を疑えと、訓練校で教えられていたのだが、それが正解だったという話で、それ以上はない。

 大前提として、尾行されていると気付かなければ、こんな対処はできないだろう。尾行されている可能性を考慮していたのならば、最初から姿を見せずに迅速な移動を心掛けるだろうし、尾行確認を行うはずだ。あたしが見る限り、そんな形式は一切なかった。

 となれば、だ――悪い方に思考が傾くなあ。

『――おい、冗談だろ』

『なに、どうかした?』

『あー……いや、とりあえず戻る。古宮もこい』

 のそりと姿を見せたハルに、軽く手を振って位置を教えておく。それほど離れていないのだから迷うこともないだろうが、これも目印の役目というやつだ。

 ハルは、片手に何かを持っていた。爆弾だったら、あたしは降参だ。もしそうなら手を引こうと内心で誓う。本気で。

「なにそれ」

「紅音が今朝に作ってた弁当だよ……ったく、何を考えてるんだあいつは。リイディ、こいつの解析を頼む」

「あたしゃ鑑識じゃないんだぜい。……ん? メッセージカード?」

 結び目に挟んであった、小さな封筒に入ったそれを裏返すと、上手にできたので食べて、と達筆で書かれている。研究所などでは基本的に電子媒体を使うが、情報漏れを気にする場合は手書きを行う場合もあるため、読みやすい字を書く研究員は重宝するのだ。たぶん、そういう理由での書体だろう。……あたしより上手いかもしれないあたりが屈辱だ。

 中にはカードではなく、折りたたんだ付箋があり、あたしが広げると二人も覗き込むようにして紙面を見た。

「あ?」

「え、なにこれ」


〝四匹の雛が、食事を前に踊っている。

 一匹目は臆病で、善し悪しも曖昧なまま請われるがままに楽しんで踊っている。

 二匹目は慎重で、多くの疑問を両腕に抱えたまま、まだ解決策を見つけようとする段階で右へ左へと踊っている。

 三匹目は冷静で、状況から読み取れる疑念よりも先に、危険性を察知し、一歩を踏み出すことで何が変わるかを、足元に見落としたまま踊っている。

 四匹目は義務で、そうあるべきだと固定観念に囚われたまま、何がどうなっているかも知ろうとせず、心地よい森の隅、揺り籠の中で眠っている。――AK〟


 以上が、やはり達筆で記されていた。

「どうなってんだ……マジでパンクしそうだぜ」

「待って。四匹目って?」

「そこが問題だねえ」

 おそらくは、あたしが尾行を頼んだ管理課の一人なのだろうけれど、揺り籠の中で眠っている、という表現が掌に汗を浮かばせる。ミャアは気付いていないだろうが、ハルはどうだろうか。

 安眠という言葉があるように、眠りは殺しの比喩表現として使われることがある。

「――!」

 五時方向でやや大きな物音がして、あたしは振り返った。しばらく沈黙が下りるけれど、続くなにかは、ない。

「……ミャア、トラップの察知できるかい?」

「たぶん」

「じゃ、あっち。ゆっくり行ってみようぜい。ハル、あっちは戻る方向よねえ?」

「おう、間違いねえよ」

 五秒を費やして一歩を踏むように、かなり慎重に――臆病に――冷静に、あたしたちは進む。

 一匹目はミャアで、二匹目はハル。三匹目があたしか。まさか歩きながら書いたわけでもあるまいし……つまり最初からアカはあたしたちが尾行すると知っていた、否、読んでいたのだ。

 けれど、確証を得たのは間違いなくこの場に来てからだろうし――ん、待てよ。それなら、方法がなくもない。いや、準備をしておけばべつに何のことはなく、確認できるじゃないか……?

「あ」

「おい、ディさんじゃねえか」

 大木に上半身を預けるようにして目を瞑っているディがいたため、ほっと安堵したのがわかり、あたしは思わず制止をかけた。

「待て動くなボケ。――ミャア、さっきの音がトラップだと仮定して、痕跡を見つけられるかい」

「え? あ、うん、ちょっと待って……」

「ハル、ミャアの捜索に合わせて大きく迂回して、反対側付近の調査だ」

「おう、そりゃ構わねえけどな」

 なんなんだと、ぼやきながらも移動する二人をしり目に、あたしはまず上を確認して、足元を見る。仲間の屍体を使ったトラップなんてのは、ありきたりで常套だ。それがわかっていても、近づきたくなるのが戦場で、あたしも何度か隊長に怒鳴られた覚えがある。

 ――そんなことはしないと、信じたい。信じたいけれど、もしものことはある。二人に助力を、この尾行をすることを言ったのはあたしなのだから、責任もある。注意するに越したことはない。

「あった。えっと……なにこれ」

「もう無害かい?」

「大丈夫そう。正晴のところから確認しとくね」

「あいよう」

 ミャアが指した付近に移動してみれば、簡単な時限式トラップだ。枝の先端を土に刺しておき、戻ろうとする力で、ゆっくりと抜けて最後には枝の先に結ばれた紐の元にある石が飛び出す、という仕掛け――だけ。飛んでいく方向もディには確実に当たらない場所で、単なる合図として使われたようなものだ。

 ほかのトラップがないのを確認してからあたしたちは近づき、とりあえず座ろうと言ってから、ディの頬を軽くぺちぺちと叩く。もちろん、ディの背中に何もないかなどは、二人に気付かれぬようチェックは入れた。

「ミャア、わかるかねえ」

「んー、たぶん気を失ってる……と、思う。外傷は特にないみたい」

「そっかあ。お、あったあった」

 腰にある通信機を取り出し、傍に落ちていたヘッドセットを装着する――ん? なんか右側だけ歪んでる。これは衝撃を受けて曲がったのか。よし、通信機はきちんと作動した。これはあれか、アカが蹴り飛ばしたのかな。

 ――待てよ。

 手ぬるいことだとは思ったけれど、ああ、そうか、そんな必要もないと判断されるほど、ディは無害だったのかもしれない。

『――ディ?』

「あ、ユキかい。あたしじゃ」

『リイディ――失礼、そちらにディがいるはずですが』

「気を失ってるねえ。すぐに目を覚ますと思うし、こっちも撒かれちまったから、お互いの情報交換でもしとくさあ」

『……よろしくお願いします。こちらも、ほかに手が裂けませんし、警備部に助力を請うわけにもいきませんので』

 それもそうだ。管理課の一人がやられた、なんて情報を下位組織に伝えたくはない。

「おっけい。んじゃ、またねい」

 通信を切ったあたりで、ディは目を覚ました。既に弁当を開いて摘まんでいる二人に驚くが、急激な運動をしようにも躰が言うことを利かず、びくりと震えただけだ。

「な……」

「無事かいディ」

「リイディさん……そうか、そうでしたね。怪我は……ないようです。さすがに無事とは言えませんが」

「あたしらとは別の方法で尾行してたんじゃろ。こっちは痕跡辿ってたんだけど、途中で撒かれちまってねい。そっちは?」

「……隠しても仕方ありませんね。こちらも目視確認はできなかったので、ルートを変えて似たような方法を取っていました……が」

「アカが来たんかい?」

「おそらくは。突然目の前に現れて、ヘッドセットを蹴り飛ばされました。それからすぐに背後から襟を取られ、締め落とされた……のだと思います」

「曖昧だねえ」

「早すぎて追いつきませんでした。それに、背格好はともかくも、見えたと思った時には背中に回られていたので。完全に不意打ちでした」

 蹴って通信を妨害、たぶんディの振り向きに合わせて同一方向への移動、背後を取ったら襟を使って締め落とす。手慣れた作業だ。

「おそらくってのは、どうしてだい?」

「首を絞められてから、――〝残念だったな〟と、そんな声が聞こえたので、おそらくは雨天紅音さんだとは思いますが、やはり確証には至りません」

 意識が朦朧としていれば聞き間違うこともあるだろうけれど、状況証拠だけならば断定しても構わないだろう。

「参ったねえ……」

 手にしていた先ほどの紙を、アカの手作り弁当にあったと説明して渡しておき、あたしも腰を落ち着かせて弁当に手を伸ばした。

「おいリイディ、わかるか?」

 ハルの問いには、わかっていてくれと、そんな願いも含まれていて、あたしは思わず笑ってしまう。

「予想はできるさあ、にやにや」

「それでいいから教えてくれ。俺なんかもう、藁にでもすがりたい気分だぜ」

「そうだねえ……この弁当やら何やらは事前準備。アカがあたしらの尾行に確証を得たのは、大外に出てからさあ」

「どうやってよ。私だって目視してないし、風向きから物音や声が流れたってのも考えにくいわよ」

「あたしらの無線だねえ……これも、準備してたんだろうさあ」

「――傍受ってことか?」

「失礼、そこは頷けるとしてもです。何故、私がいると?」

「たぶんねえ、あたしの行動やそっちとの繋がりを読まれていたんだろうねえ。いたから、無力化した。いなくても尾行確認はした、なんて理由だろうぜい。二重尾行がないかどうか、そういう確認さあ。参るねえ……」

 どっちにせよ、アカの思考にはあたしもついていけない。完全に掌の上で遊ばれている――いや、踊っているのか。

 どうやって覆そうかと、そんな考えをするのは、いつもなら楽しみなのに、どうしたってこんな現実を突きつけられれば、嫌だとわめいて逃げ出したくもなる。

 だから、決めなくてはならない。

 あたし、いや、あたしたちは、全員がそれぞれ、――アカとどうやって付き合っていくのかを。

 できるだけ早くに。


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