02/03/14:00――ミヤコ・だーかーら!

 こうまでして自分の意図が通じない相手は、初めてのことかもしれないと、ミヤコ・楠木は思う。いやいや、そうではない、そうではないのだ。冷静に考えてみたのならば、こちらの意図が通じすぎるようなリウが傍にいたからであって、それと比較すれば誰だって通じないのだけれど、今までそう感じなかったのは、結局のところミヤコにとって深入りしてしまうほどの相手がいなかったからで、いわゆる世間と呼ばれるものの常識とは、それなりに自分とは合っていないんだなあとは思っていたものの、さすがにここまでの差異が顕になると心配もしてしまう。

 ――のだが、いかんせん、そこまで頭を回す余裕はない。

「だーかーら! 雑! 雑なの!」

「どこがだ! 領域を囲う前提としてまず隔離! その際に選別のための招致! 本来ならそこに追加するはずの察知、さらに伴う警告を除外して基盤のみの展開だ! 精密にできてんだろうが!」

「そんな魔術的なこと言われたって知るか!」

 そろそろ二十日になる頃合いだというのに、毎日のように交わされる言葉の中の七割は、こうして言い争いだった。

 リウと一緒にいたミヤコは、魔術に触れてきた時間が長い。その感覚、ないし知識を一つでも多く知りたいジェイ・リエールは、こうして己の術式に関しての助言を求めるのだが、あくまでも感覚的でしかないため、成否のような端的な返答はできるものの、武術家である以上、ミヤコもまた説明はできないのだ。

 だから、言い争いになる。そうじゃない、こんな感じだと説明するミヤコだが、感覚的な物言いでは正解に至らず、じゃあこうかと変えてみても、そうじゃないと言われる――その繰り返しだ。

「だいたい呪術も使ってないあたしの一撃で壊れるような結界なんて、話になんない! ぜんっぜん駄目! それってあたしみたいな一般人でも壊せるってことじゃん!」

「だからその前提をどうにかしろ! ミヤコみてえな一般人なんていやしねえよ! 未熟だ未熟だと口にするのは結構だが、てめえの位置を正確に把握できねえ女がほかと比較すんな!」

「どーせ俯瞰からの把握は苦手ですよ! それに結界ならそもそも〝壊す〟なんて思考が浮かばないくらい丁寧に作れっての!」

「あのな、そもそも術式――ああ待て、待とう。落ち着けミヤコ、落ち着こう」

 両手を軽く挙げたジェイは、紅茶が冷めると付け加え、先に腰を下ろした。お互いに感情的になった場合は、どちらかが矛先を収めるしかないのだ。決して、口では勝てないと思ったわけではない。

 ――ないのである。

「ん……で、なにが聞きたかったの?」

 対したミヤコも腰を下ろせば、紅茶を片手に落ち着いている。この切り替えに、こいつは本当に怒ってたのかどうかと疑心を抱いたものだが、どうやらミヤコにとって感情的になることと怒りは別物であり、そしてまた感情を制御下におくのも早い。

 随分としっかりしていると思う反面、こうでもしなくては生半可な旅などできないことを、ジェイも自覚させられるのだ。

 同時に、ミヤコとの違いも。

「ミヤコ、俺の結界を壊せると言ったよな」

「うん、実際にできたじゃん」

「それだ。まず、どうやった?」

「見てたじゃない、斬ったの」

「ああ、斬ったな。さっきの繰り返しになっちまったから、ここで追加の質問だ。どうやってじゃない、なにを斬ったんだ?」

「なにって……術式を、だと思うよ?」

「呪術は使ってないんだな」

「うん。っていうか、そもそも呪術ってのは、そういうものじゃないし」

「――ん、気になるな。話は変わるかもしれねえが、教えてくれ。そもそも呪術ってのは言術と、それほどの差があるのか?」

「あー……んー、あんまし詳しく説明できる自信がない」

「言える範囲でいいぜ? さすがに真似できるとも思えんし、部外秘の可能性も考慮してるからな」

「じゃなくって。えとね、これもあたしの感覚なんだけど、言術は身体強化が基本となってて、作用そのものとしては呪術と魔術を足して割った感じなのね」

「ああ、言術の仕組みとしては言の葉を撃鉄にして、体内で発生する術式構成そのものを、陣と紋様を足したような術陣に介すことで現実に効果を発揮するものだ。だから強化に分類される。ある程度は外世界にも干渉しうる、と付け加えるべきだろう」

「ああ、うん、似たようなこと聞いた覚えがある」

「呪術も範囲は違えど強化の延長だと、俺は把握していたが?」

「強化は、いわゆる結果論かな。本質としてはもっと別で――そういえば、妖魔の存在についてどの程度の知識があんの?」

「関係あるのか」

「あるよ」

「んー……妖魔か。核を中心にした集合体だな。もっとも、この辺りじゃ具現化した妖魔が多いからな、具現化そのものは壊しやすい。基本戦術としては範囲での圧縮か……妖魔の存在そのものに対する見解は、人の天敵で、俺らとは領域が違うってところだろ」

「お、それそれ、――領域の違い。つまりね? 武術家は対妖魔戦闘を基本としているわけ。でね? 妖魔の実体化っていうのは、物理効果を生み出すけど、本体そのものじゃないわけ。疲弊はするけど、んーこれ合ってるかどうかわかんないけどさ、魔力みたいなもんで」

「ああ、一定時間の休息で元通りになる」

「でね? 村時雨様は形代として傍にいる天魔だけど、本質は妖魔と一緒なわけ。だから――ああ面倒だなあ」

「おい」

「だから、つまりね? 呪術は、妖魔の領域に入るための式なわけ」

「――ちょっと待ってくれ」

 一度立ち上がったジェイは、やや急いだ様子で白紙の本とペンを手にして元の位置に戻り、いくつかの文字を記し始める。口述筆記ではない、なにかメモのようなものだ。

「妖魔そのものは、普段から存在こそこちら側にあるが、本質は違う領域にいると?」

「んんー、厳密には両方存在してる感じが近いかなあ。ただ、向こうとこっちとじゃ形が違う」

「ミヤコの言う向こう側じゃ、どうなんだ?」

「えっとね、本体がある。で、こっちに出てきてる部分がその一部って感じ」

「じゃあ核そのものは、こちら側に具現するために必要なもの、ということか」

「ああ近い近い。だから呪術を使えば確かに身体強化に近い効果を発揮できるんだけど、あたしら武術家が使う以上、相手は妖魔に限定されるっていうか……いや例外はもちろんあるけどね? そういうこと」

「ふむ……妖魔の領域に足を踏み入れる、か」

「あ、厳密には違うよ? あたしはここにいるんだし、えーっと、領域を同じくする? みたいな。実際に通じるけど、見えてるとも限らないし」

「位階を同一とする、か……ありがとう、助かった」

 相変わらずペンを走らせるジェイを見て、ミヤコは頬杖をつく。なんだかんだで、素直に感謝を口にできるところがジェイの良さだと思う。もちろんミヤコも謝辞をおざなりにはしないけれど、基本的にジェイは素直だ。

「話を戻そう――ん? 待てよ、そうなるとミヤコ、逆に呪術を使うことで壊せる術式もあるよな?」

「あー、うん、ある。あるけど、ジェイのは使わなくても壊せる」

「ぐっ……いや落ち着け俺、事実は事実、きちんと受け入れねえと……」

「そんなに気にすることかなあ」

「気にするんだよ俺はっ。ああまあいい、でだ、壊すってのは具体的に、どうするのか――違うな、そうじゃない。ミヤコは、なにを斬ってるんだ?」

「うんうん、そうやって誘導してくれると、話しやすいなあ」

「いや誘導したって、結構曖昧だけどな、お前」

「しょうがないじゃん、感覚なんだもん」

「その辺りは難問だな。言語が違う相手が莫大な情報を持ってるような感じもする。それに、ミヤコ自身も話せることと話せないことはあるしな。――それで、どうなんだ?」

「がんばって今、言葉を探してる。んとね……あ、これだ。あのね、テーブルあるじゃん?」

「あるな、ここに」

「でね? あたしはこの四つの脚を斬るわけ」

「――そうか。テーブルにとって、脚がなくなれば、それはただの板か。板と柱になったものは、もうテーブルではない。それも術式は同様だ……むしろ顕著だな。因子一つがかみ合わなければ瓦解する。だからこそ対解術式なんてもんが存在するわけだ」

「よくわかんないけど、たぶんそゆこと」

「壊すって意味合いがよくわかった。で、質問を続けてもいいか?」

「ん? いいよ」

「おそらく、俺が今までミヤコに使った術式のほとんどが、壊せるものだな?」

「あーうん、厄介なのもあったけど、一通りは」

「つまりだ、ミヤコにとって壊すことは、対応の一つであって、術式そのもの全部に対して、壊す以外の手段も持ってるってことだよな」

「そりゃもちろん。壊した方が厄介な術式も知ってるし」

「その中でも、壊すのが一番手っ取り早い。違うか?」

「一番最初に考え付くのがそれかなあ。壊そうと思って、できるかどうかを判断して、じゃ壊したらどうなるかなーって」

「なるほど」

 破壊されれば術式そのものは無力化される。安易とはいえ、だからこそ最初に思い浮かべる手段だ。そして、無力化した先のことまで考えられるのならば、戦士としては既に一人前だろう――いや。

 瞬時にそこまで判断できるのだから、一流と呼ぶべきか。

「ミヤコが壊せない術式で覚えがあるのは、やっぱりそのリウって女のか?」

「あー……壊せた試しもないし、回避できた覚えもない」

「たとえば?」

「ん、宿でなにか術式の研究? みたいなのをやってる時の術式なんだけど」

「おう」

「外から戻ったあたしが階段上がって部屋に近づいてる最中に、気付くわけ。あ、これ侵入者用の警報だって」

「ああ、侵入というか、近づく人間の存在を感知するタイプだな」

「いやいや、感知じゃなくて警報。で、気付いたあたしは警報を鳴らす前に脚を止めるわけ――遅く、既にその足元に感知の術式が展開していることに気付く」

「――隠ぺいか」

「そう、隠してある。でもおかしいじゃん?」

「あ?」

「警報が目の前にあって、あたしの足はもう感知を踏んでる。それをあたしが気付くってのは、隠し方としてはおかしいよね?」

「おかしいのか」

「うん、おかしい。逆に言えば警報に気付いて足を止めなければ、感知もわからなかったってことになるでしょ? つまり、足を止めてしまったことが発覚に繋がるのなら、あたしは発覚する行為そのものが鍵だと当たりをつけて探ってみると、排除の効果を持った術式が既に敷いてあるわけ」

 だからと、ミヤコは言う。

「あたしの失敗は足を止めたことじゃなくて、そもそも感知以前に、リウの術式そのものに気付かず中に踏み入った時点だったってこと。――さあ、じゃあどれを壊そうかって話になるけど、もうこれ、この時点で封殺されてるじゃん」

「……壊せることが前提にしても、足を止めてしまったお前は、既に手遅れか。たとえその三つを壊したところで、相手に気付かれる。退いても感知されてるのなら、後手だ。そして踏み込んでも警報が鳴る――どころか、排除は既に敷いてあった」

「そう、だから結果的に、あたしは壊せない」

「戦術的な思考そのものを、術式に組み込んであるのか。――はは、俺はそれを見たわけじゃないが、わかるぜ。確かにそんなもんと比較されりゃ、俺の術式ってのは随分と雑だ」

「うむ」

「うむじゃねえよ、偉そうに。しかし、一体どういう魔術師なんだ、リウは」

「基本はオトガイさんとこと一緒で、創造を主体としてるみたい。ただリウの術式って、全部術陣なんだよね」

「――術陣?」

「そう。ジェイは使わないよね」

「ああ……術陣はそもそも、魔術構成を具現した展開式に限りなく近い。オリジナリティが加えられていたところで、言術と同じく、今から何をしますと相手に宣言しているようなもんだ。構成から発動までの間に、一枚噛ますから工程が増える。その一手は致命傷になりやすい」

「展開式?」

「魔術の研究で使う、術式の構成そのものを目に見える形で投影して、そうすることで研究をしやすくするための初歩だ。もちろん個人によって、展開式そのものは変わってくるし、あくまでも自身に対する研究だから、他人のものを見ても把握できない」

 ただし、やはり一手遅くなるし、相手に知られる危険性はあるとジェイは思う。ましてや自らのやり方を、自らで示すのだ、それはデメリットになる。

 術陣とはそういうものだ。式陣の有用性については解けるが、術陣に関しては縁が遠い。

 だとしたら。

「リウってのは何故そんな――」

 と、そこまで言って一度言葉を切り、腕を組んで頷きを一つ。

「すまん、また魔術的な問いをするところだった」

 言い争いの大半はそれだ。わからないと知っていることを、ジェイから吹っかける。だからこそミヤコもむきになる。

「手合わせ、したことあるのか?」

「うん、あるね」

 ジェイが学習してくれたことには助かっている。ミヤコもまた、好んで感情的になったりはしない。もっとも、知りたいことがあるのならば相手の流儀に合わせるものだ、という旅で染みついた習慣があるため、ミヤコにとってジェイの行為はごく自然なものなのだが。

「どうくる」

「印象だけで言うなら――可変」

 ふいに目を伏せていたミヤコが顔を上げると、訓練時でも見たことのない、何かに挑むような――鋭い目つきを見せた。

 だが。

 その視線はジェイを捉えていない。

「あらゆる攻撃に対して応じる術式の数は五百以上、その中の一つを選択して最大効果を発揮させて防ぐ、払う、弾く。あたしの一手がリウの二十手に等しいこの差を埋めるには、知ることと――応じることしかない。何より怖いのが、変化」

「変化……可変か」

「そう。一つの術陣に対応する術式が八百以上――これはあたしの目算」

「はっ……っぴゃく、だと?」

「最大戦力で引っ張り出せたのが八百、それも一年前の時点でのこと。結局、あたしはそこまでしかたどり着けなかった。――これからは、違うけれど」

 焦点が結ばれ、ジェイを見る。口元には笑みだ、ここで終わるつもりはない証。

「わかる? あたしはさんざん、ジェイを馬鹿にしてきたけど――ごめんね、べつに気に食わないとか、あたしが魔術師じゃないからとか、自尊心を保つためだとか、そういう理由じゃないの。ただ、あたしの知っている魔術師が、誰よりも、魔術師だったというだけ」

「――」

 その言葉に嘘がない。二十日とはいえ近くにいたジェイは、ミヤコが嘘を吐かない人間だとわかっている。

 だから、絶句するしかない。

 訓練であっても、ミヤコの一手がなにを指しているのかはわからないが、少なくとも居合い一つに対してぶつけられる術式は一つだけだ。それは反射的なものであって、熟慮の末の選択結果ではない。

 それに対して、八百?

 いや――そうだ、八百の術式を同時に出したわけではない、それはわかる。

 だが、八百の準備をしておいて、その中の一つを対応させるとミヤコは言ったのだ。

 ありえないと否定したくなる。

 ジェイは、己が魔術師であることを自負していた。

 そもそもジェイの名は、幼いころに亡くなった父親が持っていた名であり、それは受け継がれた名でもある。それは魔術師として在ることと、四つの術式を引き継ぐ役目でもあった。

 その四つの魔術は、ほかの術式と比較すればあまりにも完成度が高く、汎用性に長け、そして難しいものだ。現存する魔術師の中でも、これを使えるのは己だけであると言っても過言にはならない。もちろん、ほかの人物が使える可能性だとて充分にあるが、それでもせいぜい、全世界中を探しても五人いるか、いないかだろう。

 だからといって自惚れはない――なにしろ。

 ――俺は、いつだって未熟だからだ。

 もういない人の背中を追うとはつまり、そういうことなのである。

「だが」

 そうだ、もういない。ここにはいない、けれど知っている背中を。

「追いつきたいと、並びたいと、――追い越したいと願うのは、未熟者の特権だ」

「へええ……」

「ん、なんだよ」

「初めて根性ある台詞が聞けたなあ、と」

「――おい、俺を究極のヘタレかなにかと思ってんじゃねえだろうな」

「今の台詞でようやく訂正できたねー」

「お前な……」

「だって、芯が通ってないって言ったじゃん。空っぽの器のまま追いかけても、それただ走ってるだけだし」

「ちなみに、そのまま走り続けてどこにたどり着く?」

「誰かの腹ン中」

「なるほど、そいつは避けたいね」

 冗談交じりに言いながら、ついでだとジェイは問う。

「ミヤコ、一人で届くか?」

「――え?」

「俺を使えって言ってんだよ」

 そっぽを向いたまま、ジェイは言う

「つっても、使えるようになるまで、時間はかかるけどな」

「――ぷっ」

「おい笑うな」

「あははははは! なあに、それ」

「熟慮の結果だ。まったく……俺は部屋に戻る」

「あーはいはい、あたしも外かな。――ジェイ」

「ん?」

「ありがと」

「……おう」

 それが、頼っても良いと遠回しに伝えた言葉への返答であることを知って、顔を合わせるのも恥ずかしかったため、歩きながらひらひらとジェイは手を振り、短く答えた。


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