01/20/10:50――リウラクタ・魔女の棲家
大地の感触は、旅をしていれば馴染み深いものだ。野営をする時は横になって躰を休めるし、座れば地面などすぐ傍にある。両足をつく場所を、ほかの場所で触れて感じるのは旅の醍醐味のようなものであるが、しかし、それを顔で感じるのは随分と久しぶりだ。かつて四番目の大陸で、サギシロを相手に戦闘訓練を行っていた以来か。
「生きておるか、主様よ」
「あーうん……躰が動かないだけ」
「
「ちょいまだ無理。身体感覚全般が意識と二秒くらいラグがある感じ……ついたよね?」
「うむ、少なくとも先ほどの空間ではなし、目の前にログハウスがあるところを見るに、間違いなかろ」
そういうメイも地面に腹をつけ、両手を伸ばし、両足もだらしなく投げ出している。外を出歩く猫が見せる姿ではない。
「……記録とれた?」
「記憶だけじゃのう。さすがに陰陽交じりの呪術運用の上に術式ともなれば、無茶じゃろ」
「そりゃ逆手順だけど論理的に可能だし」
腕に力を入れようとしても無理だったため、最小限の力で仰向けになったリウは、青空に走る稲光に目を細める。
「領域を区切るのは、昔からの苦手意識が足を引っ張ってるってのもあって、こういう状況は想定していたつもりだけど、参るわね……」
「うむ。このような状態でなかなか無防備な主様は随分と久しいのう」
「いつもは雷系の術式で無理やり平静を保つけど、必要ないでしょ。神経系に電流流して無理にしてると、反動も結構大きいし」
「……気が抜けておるな」
「そう?」
「何年ぶりじゃ」
「そうねえ……確かに、久しぶりかもしれない。こりゃミヤコがいなくなってせいで、脆弱になったかな」
それにしてもと、回復し始めた躰を起こせば、そこは畑だ。庭というよりも畑である。その奥に二階建てのログハウスがある。周囲は木に囲まれているが、随分と視界は開けており、頭上もまた空が見えるように、木木がおおっているわけではない。
「――魔術的な要素が見受けられんのう」
「ほんと、厄介ね。なんていうか、こう、対応もそうなんだけど」
「畑を荒らすなら帰れよ」
第三者の声と共に投げられる何か、反射的に掴みとればそれは、先ほど無数とも思えるほど投げられた投擲専用ナイフで。
「オレのハーブに手を出した連中は全員殺してっからなー」
そのナイフは。
エグゼ・エミリオンの刻印と共に、二番目の文字が刻まれていた。
肌の表面が粟立つ――。
「そうじゃねーなら、とっとと来い。てめーがそこにいるとハーブが心配なオレが落ち着かねーんだよ」
やや高いが、乱暴な口調の声色だ。けれど敵意は一切なく、かといって感情がこもっていないわけでもなく。
ゆらりと立ち上がったリウは、掌に視線を落とす。
「二番目――か。特性は確か、複製」
「主様よ」
「まだ駄目よメイ、安定するまでしばらくかかるから」
「うぬ……影の中で寝たかったんじゃがのう」
「ほらおいで」
空いている左手でメイを抱えて肩に乗せてやる。それから畑を迂回する形でログハウスへ向かえば、テラスの手すりに乗った少女が、紙巻を口に咥えたまま、こちらを見下ろしていた。
「――チッ、でけー女だな」
「え? いや、私、平均よりちょい低い……」
背丈など、言われなければたぶん、気にするのは最後だったはずだ。肩にかからない程度の髪にまず目が行く。リウも遺伝的にだと思うが紅色の髪をしているが、それ以上に濃い色合いでありながらも、毛先が金色になっている。その金色はこの陽光の下であっても発光しているような気がするほど眩く、こちらを睨むような瞳は、黒色だ。
服装はありふれたスカートにシャツ。威圧感もなければ、存在感が強いわけでもないのに。
「ったく……サギの弟子だと思ってちょいと試してみりゃ、思ってたほどじゃねーな。戦闘技術そのものは教えてんだろうが、使いこなせてねーよ……ん?」
横目で見ていただけだったが、なにかに気付いたよう顔を向け、ああと頷いた。
「――なんだ、攻撃できねーのか。ま、そりゃそうか、リウラクタ・エミリオン。オレは――ま、ベルでいい」
「〝
「魔女? ああ、魔性の女って意味合いなら否定するところだが、ここじゃ確かに魔女でも通ってる。ベルだからこの大陸にいるってわけじゃねーぜ? それなりに理由もある」
「――ベル、一つだけ」
「問いか? 答えは、オレはサギと同じだ。つまり、二代目ってことになる」
それともと、視線を左下に落としたベルは言う。
「極赫色宝玉のことなら、ただの荷物だ。二番目はしばらく貸してやる、所持者の書き換えができるタマでもねーだろうしな」
「違う」
「オレはサギと違って本題は最後に言う性質でね――」
クッ、とベルは笑う。その言葉に、表情に、リウは引きつる頬を隠せない。
「――四番目もオレが持ってる、間違いねーよ。今は見せてやんねーけどな」
「参ったわ」
「馬鹿、エミリオンの名を持つ馬鹿がここへ来る以上、それ以外の目的があるかよ。しかも代償を支払ってまで、創る方向に移動してるとなりゃ――初代とは逆だが、それなりに見当もつく。上がれよリウ、あっちが玄関。メイはほれ、こっちこい」
「うむ」
リウの肩を足場に飛び移ろうとしたメイを空中でキャッチ、首を持って軽く揺らしたベルは、だらんと伸びたメイの腹を撫でた。
「おー、メスかあ。いいなお前、やっぱ猫の腹毛は何物にも代えがたいよなー」
「いや、お前様よ……
「は? なに言ってんだ、肉球の間に指突っ込んでぐりぐりするぜ?」
「あれ気持ち良いのう……」
馬鹿なやり取りだと思いつつも、きちんと出入り口に向かい、軽く身構えて中に入るものの、やはり術的な結界は一切なかった。
それは、つまり。
ベルがただ一人、この場に在ればなにも問題はないと、証明しているようなものだ。
外観から想定していた通り、内部は広い。部屋の数もそれなりにあるし、独り暮らしとは思えないほどに整頓、掃除と行き届いている。
気配を頼りに移動すればダイニングらしき場所に行き当たり、木を組み立てて作ったテーブルと椅子、その一つにベルは腰かけている。テーブルの上には灰皿があり、メイはその隣で寝転がっていた。
というか。
「野生はどうしたのよ、野生は」
「忘れた」
腹を見せて伸びていた。
「疲れたのじゃ。それに――ベルの前で何を警戒したところで、意味はあるまい」
「わかってんじゃねーか」
「まったく……ま、手荒な歓迎はともかくも、感謝を。それと、師匠――サギシロとの関係は?」
「昔馴染みだなー。今じゃ数少ない、オレを警戒できる人間の一人だ。吸うか?」
「煙草はやらないの」
「香草を巻いてるんだけどな。で? 見せろ」
「どこの親父よ、あんたは」
「通じるならいいじゃねーか」
おい、とか。あれ、とか。そんなものが通じる間柄になりたくはない。けれど腰を落ち着かせる前に影の中に手に入れ、金属の板を取り出してテーブルの上に置く。
「はは、なんだ、初代と同じことしてんのかよ」
「そうなの?」
「あんまし言えねーんだけどなー」
「制限? 代償?」
「んや、オレが言いたくねーだけだ」
ついでに取り出した乾燥させた小魚を二本、ひらひらと揺らすと飛び起きたメイが襲いかかって噛みついた。残りの一本も足元にやると、勢いよく食べている。
「おー、川魚か。常備してんのかよ」
「街で買い物しておいたのよ」
「ふうん……壊すぜ」
ひょいと手を伸ばしたかと思えば、返答を待つ時間もなく、ベルは片手に力を入れただけで、その金属を細かい塵のように壊してしまい、砂のような残骸を慌てた様子もなく灰皿の中へ入れた。
「十五点。――ちなみに、満点は百で、オレが知ってる金属と比較してだな」
「……」
何かを言おうと口をぱくぱくさせていたリウは、一度テーブルの上に倒れて顔を伏せ、五秒ほど微動だにしなくなってから、のろのろと顔を上げた。
「それ……ちょうだい」
「おー、いいぜ。灰皿ならほかにもあるしな。なんだ、反省会か?」
「さすがにこんなあっさりだと落ち込むけどね……」
「おいおい、オレを誰だと思ってんだ。ベルの名を継いでるんだぜ、こんくれーのことできねーでどうする。ほかの連中ならともかくも」
「五神の中じゃ、ほかにできる人はいない?」
「あのな……現行の五神で〝踏襲〟に含まれてんのはオレだけだぜ。ハンターを除けば、サギだってそうだけどな。ま、つってもマーデならできるだろ。あいつも馴染みだ。やろうと思えば」
それだって壊せると、二番目のナイフを視線で示して言いきった。
踏襲とは、今リウがやっているのと同じだ。代代、五神はその名を継ぐに当たり、各大陸を回って、ある存在と逢って会話をする必要がある。いわゆる顔見せであり、繋がりを作ることなのだが、そもそもこのベルは――その中から、除外されているわけだ。
むしろ、逢っておかなくてはならない人物として該当している。
「厄介なのは確かだけどな。――で? なにしに来たんだ、お前」
「踏襲と、コレを探して。まだ一番目と三番目は見つかってないけれど……」
「一番目はエイジェイが持ってんじゃねーか? 三番目は知ってるが――教えね。どうせ探し出すのは無理だ」
「私には、ってこと?」
「いや、繋がりが薄いから縁が合わねーし、こっちから見つけようってんなら人並みの人生が四回くれーできねーと時間が足りねーんだわ」
「二番目は複製、最後は――あれは個人所有の、属性起因型。残りは?」
「調べろよ」
「出てくるわけないでしょ、現存がここに二本あって、ほかのもないんだから。教えられない?」
「いや――べつに。一番目は防御、三番目は組み立て」
「耐用年数重視に、複製因子、そこから組み立ての特性? ……ああ、所持形態の変更ね。四番目は?」
「――法則切断」
「……そう、じゃあ、そこが本命なんだ。複製はそもそも、可能であることを前提に不可能を模索して、所持形態そのものは、魔術武装として術式をどこまで刃物と共存できるかを試して、そこから創ったのね……じゃあエンデは、誰かのオーダーか、副次的なもの?」
「明察だな。所持者を決めた、初代ベルのオーダーだ」
「詳しいのね」
「気にするな、オレを視りゃ見当もつくぜ?」
「それ、どっちの意味? 探りを入れても隠し通せるのか――」
「後者だな。探ってわかるようなものを、わざわざ隠しはしねーってことだ。わかれば、の話しだけどな。ちょいと前にきた現行のエイジェイは、そもそも気にしなかったぜ。ありがたい話だ」
「……? エイジェイは知っているけれど、それほど注目する人物だとは」
「思えねーってか? はは、まあお前は戦闘を専門にしてねーし、頷ける話だけどな。オレらにとっちゃ、エイジェイってのは忌避の対象だ。百回やって九十九回、オレが殺せるのは間違いじゃねーけどな、ああいう馬鹿は残りの一回を必ず、最初に出してくる手合いだ。つっても、今のエイジェイじゃ足りねーのも事実だけどなー」
「けれど、その一度でもあなたは殺せない」
「打倒するのがせいぜいだろ――ま、一度目ならいい。で、同じことを繰り返すのを馬鹿って言うんだぜ? 二度目はもう、意識してその一回を最初に出す。そして三度目はこっちが殺されるわけだ。どうだ、厄介だろ」
「……いいかしら」
「おう」
「私はそれを厳密には理解できないし、たぶん、わからないままなんだろうけれど、そうだとして、仮定の話、それはエイジェイの話だけれど――もしも、だったらもしその究極系のような人間がいたとしたら」
「いるぜ? 今、二階でオレの蔵書を読みふけってるガキがそうだ。……ま、あいつの武器は口だから、どうこうするってのには向きじゃねーよ」
見上げるが、そこには天井があるだけで、気配はない。
「言っておくが、オレの領域から出るならソイツは返せよ――ま、滞在するなら労働要求くれーはするが」
「メイじゃ駄目?」
「主様よ、妾を売るな」
「猫の手もいいけどなー、対価としちゃ薄いだろ」
「部屋を一つくれるなら」
「なんだ、一丁前に領域で囲うってか?」
「反省は生かさないと無駄になる。手荒い歓迎で疲れてるのも現実」
「いや、それなんだけどな、リウ、対術式に関しての防御措置が甘くねーか? サギと比べられんのは癪だろーが、オレ、この手の術式でサギに通じたことねーぜ? 勝てるのはせいぜい戦闘力くれーなもんだしな」
「参考までに、師匠ならどうするの?」
「ん? あいつはオレに戦闘じゃ敵わないのを知ってっから、そのままひっくり返すぜ」
「――そうか。高高度の術式であっても使用者が一人とわかれば、術式そのものを返すのもそれほど難しいことじゃない」
「ま、そのための判断が早ければって前提だけどな。それと付け加えりゃ、現実には同じ領域でオレを封じた。封じた上で囲いやがってあのアマ……どれだけオレが苦労したことか。文句の一つでも言ってやろうかと思えば、自業自得で終いだ。性格悪いぞあいつ」
「や……さすがに師匠の文句を受ける理由はないわね。ベルの弟子は?」
「いねーよ。お前、極赫色宝玉をその身に埋め込んで無事な人間の知り合いいるか? それと雷系の魔術回路。ついでに四番目を使いこなせる人材」
「ごめん」
「だろ? だからオレの役目は継続中ってことだ。ちなみにこの小屋はオレがきっちり手組みしたから、壊したら術式じゃなくきちんと修理しろよ」
「しないわよ、そんなこと」
「ほかに質問は?」
「そうね……どうして、二本も?」
「二番目は最初からオレの荷物。四番目は〝ベル〟の荷物、そんだけだ」
「ん、ありがとう。私のことは上の彼? にも伝えておいて。部屋はどこ?」
「二階、上がって手前の右側が空室になってる。掃除は自分でやれ。日が暮れるくらいにゃ飯だ、降りてこい」
「――? 食事、するんだ」
「オレをなんだと思ってんだ、お前は」
「よくはわかってないけれど、人の器をしている何かって捉え方だけど、おかしい?」
「いいや」
ベルは笑う。
「間違いじゃねーよ」
「……そ。メイ、行くわよ」
床で丸くなっていたメイを肩に乗せ、席を立つ――と。
「おい、一つ忘れてた」
「ん?」
「リウ、なにを創る?」
「そうね――納得する一振りの刀、そこが当面の目標よ」
「充分だ」
どういう意図の質問なのかを考察しつつ、階段に差し掛かると、こちらは随分としっかりした板を利用している。まさかここの周辺を開拓した際に伐採した大木を再利用したのだろうか。ありえそうな話だ。
二階にいくと、きちんと扉のある部屋が四つあった。手前の右側に手を当てながら、さて、どの部屋に該当の人物がいるのかを考えながらも、とりあえずはいいかとの判断で中に入る。
調度品――と呼ぶべきなのだろうか。きちんとメイクのされたベッドが一つ、空の本棚にテーブルまできちんとあり、空室にしては実に丁寧な手入れだ。のちに話を聞けば、リウがこの大陸にきた直後からこの状況を想定してのことだったらしいが、今は知るよしもない。
扉を閉め、中に入り、少し迷ってから窓を開ける。そこでようやく肩から力を抜くと、その流れで膝からも力が抜け落ち、ぺたんと床に腰を下ろしてしまい、そんな己を不甲斐なく思うと同時に、伸し掛かった疲労の量を計算し、自己走査の術式を走らせながら、窓際の壁に背を預けて軽く瞳を瞑――ろうとして、やめた。
このまま寝てしまいそうだったからだ。
「主様よ、どうするつもりじゃ」
「しばらく滞在決定……は、いいのだけれど、ベルがこれほどとは思ってなかった」
五神の情報を調べていた時に、ベルの名前はよく聴いた。むしろマーデの方が少なかったくらいで、それなりに心構えもできていたはずなのに。
それでも、こうしてかなり緊張することになったし、対応にも苦労させられた。
「本格的に腑抜けていたわね」
「そうかのう……」
「あのね、私は魔術師として対応されて、この体たらくなのよ? 反省の前にしばらく落ち込みたいくらい。そんな暇もなさそうだし、とりあえず下手ながらに、居を構えましょ」
「休んでからでもよかろ」
「ひとの領域に入って、最低限の準備もしないで眠るのは馬鹿のすること。ミヤコだって、寝るときには刀を抱いて座ってるでしょ。いつも通り、察知、警戒、拒絶、招致、隠ぺいの五種を複合展開ね――さすがに、反省して手を加えるのはあと」
「では妾は安定と範囲、そして恒常の三種じゃの」
「ん、お願いね。まあ一人でもできるけど、さすがに疲れてるわ」
「うむ」
それぞれ術陣を展開して室内の空間制御に乗り出す。その際にふと、リウは右手に持ったままだった投擲専用ナイフに視線を落とした。
解析をしても良い、それは嬉しいことだ。けれど、これの解析が終了するのに、果たしてどれほどの時間が必要だろう。
二年? 三年?
メイには言えない。言えないが、リウはもとより時間制限がある身だ。
必要ならばやるしかない。けれど、その先はあるのかと問われれば、返答に窮するのが実際だ。
それをわかっているからこそ、ベルは問うたのだろう。
どこを最後とするのか。
どこを目標として、最低限のラインとするのか。
――いずれにせよ。
目の前にあることから片付けて行かなくては、終わりは見えない。そしてリウは、多くを並行して行えるほど、器用ではないのだ。
まあ、ミヤコを前にしていれば、並行しているように見せかけるくらいのことはしたけれど。
「――ミヤコ、どうしてるかしらねえ」
「生きておるじゃろ。妾に言わせれば、ミヤコ嬢ちゃんが瀕死で倒れている様子は想像できんのう……あれはあれで、上手く立ち回るじゃろ」
「それもそうね」
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