01/13/14:50――ミヤコ・兄と妹の関係

 最終的には、ミヤコ・楠木はまだ立っていて。

 ジェイ・リエールは仰向けになって倒れていた。

「……で、あんたちゃんと記録してたわけ?」

「当たり前だ。こっちとしちゃ、はじめてに近い実戦なんだ、ログをとって当然だろ」

「もう終わりでいい?」

「だから、俺はもう動けねえって言ってんだろ、情けねえ話だがな」

「よろし」

 見下ろしていたミヤコはもっともらしい表情で頷くと、それからだらしなく表情を崩し、膝から崩れ落ちるように全身の力を抜いた――否、抜けたのだ。

「うあー……しばらく立てないかもー」

「なんだ、だらしねえ。お前も限界か」

「ばぁか。――とっくに限界越して動いてたっての」

「おい……」

「あたしは武術家なの。立てなくなった時は死ぬ時。それが訓練でも一緒って、言ったよね?」

「あーはいはい、俺が悪かった」

「気のない返事」

 座り込んだまま周囲を見渡すと、騎士団の大半も床に座り込んでいた。あれから二時間と少し、撃退された者でも回復したら参戦、といった形になっていた乱戦が続いたのだから、その中心にいた二人の疲労は当然だが、彼らもまた同様だ。

「それ、なんだっけ? 術式の」

「ああ、影複具現魔術トリニティマーブル――な。今のところ、俺が使える術式の中で最も完成度が高いやつだ。それをお前、あっさりと対応しやがって……どれだけの位置にいるんだ、ミヤコ」

「知らない」

「おい……」

「じゃ、ジェイはどうなわけ? 魔術師として、自分がどこにいるって?」

「馬鹿か、俺くらいの魔術師なんて、そこらにごろごろいる。本来なら俺がジェイを名乗ることすら烏滸がましいくらいだ」

「でしょ? あたしだって同じ」

「ああ、なるほどなあ。まだまだ未熟ってことか、お互いに」

「そゆこと。でもま、本当に久しぶりに全力出したから、すっきりしたよ。いつ以来かな」

「は? あのリウってのとやってたんじゃねえのかよ」

 それはやっていない。しかも、ここ数日で師であるレーグネンとやったのは、全力を出したという以前に、叩き潰されただけだ。

「いや、リウを相手じゃ訓練できないし。この前は圧倒されたけど、こっちは全力を出したわけでもなし……ああ、そう考えれば、旅立ちの時以来なのかな。時間だけで捉えるのは問題になりそうだけど……まだまだ、だなあ」

「――反省会はあとでやるとしてだ」

 ゆっくりと上半身を起こしたジェイは、頭の後ろを掻きながら言う。

「どうするよこれ……」

「あー目を逸らしてたのに」

「逸らすなよ」

 訓練として使っていた闘技場は半壊――いや、厳密には七割方壊れてしまっている。

「ジェイのせい」

「はあ? ミヤコが素直に実験台になってりゃ、こうはならねえし、途中からそっちだって呪術使って……おい、なんだあの鬼畜な連続攻撃は。試してたのは雰囲気でわかるが、あの逃げ場がねえの、なんだってんだ」

「あー、あれはほら、試したのもあるんだけど、ジェイの攻撃が範囲的で大雑把なのに、妙に的確で踏み込めないから、イラっとして」

「感情任せになんなよ」

「え? 女ってそういう生き物よ?」

「正当化するのかよ……まあいいけど。騎士団連中はだらしねえってことでいいのか?」

「彼らの仕事はあたしと遊ぶことなんだから、ちゃんとしてたじゃない」

 だからって俺のせいじゃないだろうと言うと、ミヤコは腕を組んだ。

「おい」

「なに?」

「今考えてるのは、どうすりゃ俺に罪を被せられるかってところだろ」

「え、なんでわかんの」

「あのな……」

 冗談だったのだが、本気だったらしい。そもそも言い逃れができるような状況ではなし、全額とは言わずとも修理費用を出すことが落としどころだ。

「――そりゃま、出せる範囲であたしも修理費用くらい出すけどね」

「へえ?」

「お金で解決できるなら、しておくべきじゃない。変な借りとか作ると、あとの関係が複雑になるし、トラブルも多い」

「それも〝教訓〟か?」

「教訓は、貸し借りをする間柄は、貸し借りしかしない間柄と同じってとこ。あたしはあんまし、対人関係を持つことはしなかったから、ぴんとこないけどね」

「その辺りの詳しい話も聞きたいもんだが、とりあえずは――ワイズに謝るか」

「謝罪も簡単にしない方がいいんだけど、任せるから」

 おう、と返事をしそうになって止めた。

「待て。それはつまり、俺に責任を全部取らせるって意味だろ」

「あ、バレてら。はいはい、わかりましたよーもぅ、面倒な男だなあ」

「あのな……世の野郎が女の都合で動くと思ったら大間違いだ」

「そんなのはどうでもいいから、ジェイはあたしのために動いてくれてもいいじゃん」

「なんで」

「……なんでだろ」

「理由も考えてねえなら話にもならん。やれやれ」

 立ち上がることができるだろうかと悩みながら、さすがにミヤコの前で無様を晒したくないなと思いつつ、つまりまだ休憩を選択したジェイは、その女性に気付いて片手を挙げた。

 彼女――ノンノ・リエールは白を基調とした服で装飾しており、落ち着いた様子を表現している。そして同時に、優雅さを求められるのは、ワイズの妻という立ち位置のせいか。

「そういや行かせるって言ってたっけな」

「ん?」

「あれ、俺の妹のノンノ」

 こちらにきた彼女は、柔らかな笑顔で一礼した。

「初めましてお客様、ノンノと申します」

「ありがとう、あたしはミヤコ」

「とはいえ、職務ではない上、身内がいるので敬語は止めますが――」

「ん、どうぞ」

「失礼します。――ニキキ、こっちに来なさい」

 ぎくりと躰を強張らせたニキキが、ため息を足元に――。

「駆け足!」

「はっ」

 そして、彼女は笑顔のまま言った。

「さてお三方、――どうするの」

「やっべぇ、なんかこいつマジで怒ってんだけど」

「これ、あたしは悪くないんですって言い訳してジェイに責任押し付けるのも無理っぽいんだけど」

「俺を見て言うな。つーか、俺の方がとばっちりだろう。ジェイ、どうにかしろ」

「――兄さん」

 ジェイは、こうなったノンノが厄介であることをよく知っている。だが、知っているからこそ、それを時間以外で解決する方法を知らなかった。

「どうするの」

「いや、そのだな? 確かに壊したのには、おう、俺にも一因があったとしよう」

「あります」

「……一因があります」

「結構、続けて」

「しかしだな――」

 ああ駄目だコイツ、とか思いながらも、ミヤコはちらりとジェイを一瞥して吐息を一つ。妹に頭の上がらない兄という図は、孤児院にいたミヤコにとっては経験しているし、むしろ院長で遊んでいたミヤコたちにとっては、馴染み深いものだ。

 最初からノンノはどうするのと、対応を訊いている。そこに言い訳を並べるのは逆効果であるし、直せばいいだろうと結論を出すのも、ここでは失策だ。

「ジェイってさ――」

「あぁ?」

「――やっぱいいや」

 甘い、というより不器用だ。人との接し方を知らず、そして、知ろうともしない。それはつまり、知ろうとしてもできないことを悟っているからだ。

 あるいは。

 そんなことにすら手が回らないほど、日常生活そのものを代償にしてでも、至るべきなにかを抱いていたのか。

 こっちも正解っぽいなと思いながら、ミヤコは改めて口を開く。

「えっと、ノンノ?」

「なにか」

「野郎連中は話にならないから、いい? 王城そのものは開けているの?」

「……? 限定的には、開けてる。優先順位はあるけれど、一般人も国王に謁見することはできるから」

「じゃあ、特定時期での一般開放なんかは?」

「前例はあるけど……」

 だろうねと、ミヤコは頷く。必要な問いではあったが、あまりにも関係がなさそうな質問に対して返答が可能ならば、怒ってはいてもノンノは落ち着いていることになる。また、返答できる程度には落ち着いたと証明できよう。

「一つ目は身内で片づける。いずれにせよ資材を発注するだけの出費は大前提としても、自己責任で片づけさせるのは基本ね。元より自分たちで使う場所なんだから愛着も沸く――けれど、通常業務に支障をきたす可能性と、どっかの馬鹿がこっそりと変な術式を組み込む可能性は考慮しておかなくてはいけない」

 二つ目と、ミヤコは淡淡と続ける。

「街の住人に有志を募って改装を前提に働かせる。この場合は人件費そのものを考慮に入れる必要があるけれど、稀にしか開かれない王城の内部、騎士団の訓練場という場所そのものを、住人が作ること、その成果が住人のものになる。扱い方にもよるけれど誇りになると、そう捉えられる可能性もあるし、だからこそ結果そのものは充分に良好でしょうね。――こちらの欠点は、有志を募っても、その一部しか雇用できないことと、それも一時的なものでしかないこと」

 そして最後の三つ目と、ミヤコは言う。

「この場所はこのままで、訓練場として使う。実戦を想定しての訓練は基本だけど、整った足場が常にあるとも限らない。ま、これはちょっと酷い言い訳にも近いけど、まだ区切り自体は崩壊してないから、使えないことはない。ただし、いずれにせよ〝いつか〟と前置したのならば、修繕ないし改装は必要であるということ」

 そして、ノンノを見て小さく苦笑した。

「あたしが考えられる手段としてはこれくらいだよ? 損害に対する賠償が必要なら一部支払う用意はあるし、まあそっちが断っても払うつもりだけど、代わりになる取引を持ちかけられても、丁重にお断りするかな。たとえば、定期的に騎士団の訓練を見てやってくれ、なんて言われても確約はできないし、あたしはそもそも――誰かを育てられるほど、熟してないもの」

「――結構」

 途中からずっと黙って耳を傾けていたノンノは、ようやく頷きと共に肩から力を抜き、笑顔を消すと指を軽く唇にあて、首を傾げるように呆れを表現する。

「まったく……兄さんも、ニキキも、ミヤコさんのように、私が望んでいる返答をきちんとしたらどうなの。男はまず言い訳、その次に謝罪。自分のことしか見えていないから、対策の公開、その提示をきちんと行えない」

「選ぶのが自分だと思ってる連中に言っても無駄だってば。まあでも、ごめんね? ちょっとヒートアップしすぎたみたいで」

「いえ――結果に対して、ワイズも笑っていたから、いいんだけど」

「そう?」

「私も、こんな兄さんを見たのは久しぶりだったから。――二度は御免だけど」

「あははは、次はないから安心して。――ジェイの棲家が吹き飛ぶだけだから」

「おいっ!」

「うっさいばぁか。術式だけはそこそこで、戦術思考もできないような半端者が口を挟むなー」

「あぁ? そっちこそ魔術的な思考すらおざなりで、突破だけを重点に置いて刀振り回してるだけの女が、さも知ってます、なんて振りをすんじゃねえよ」

「へええ、ジェイの魔術的な思考って広範囲にぶっ飛ばすことだけなんだあ。しかもなに? あたしが刀振り回すだけであっさり対応できちゃうようなのが? へええええ」

「おい、そんくれえにしとけ」

 子供の喧嘩だ、と思う。しかもただの口喧嘩。

 けれども、ノンノにとってはこの状況が喧嘩の結果だとわかっていても、驚きだ。今までこの兄が人を相手にむうhjjjjjjjjきになる様子など、見たこともない。

 売り言葉に買い言葉。

 喧嘩なんてものは、大抵そこに行きつくのだが、そもそもジェイにとっては、相応の相手がいなかった。ワイズやノンノだとてそうだ――いつだって、会話は成立しても、どこか一方通行のようなものを感じていたし、特にワイズは頭が回る方だから、ジェイの思考を三手ほど先読みして、妥当な落としどころを用意してしまう。

 そしてノンノは、妹だ。

 昔から過酷な状況に身を置いていたとはいえ、我儘の一つも言ったことがない、なんてことはなく、昔は歳相応に無茶を口にしたものだが、馬鹿言ってんじゃねえ、などと受け流しながらも、限りなく近い結果を出してくれたこともあって。

 兄妹喧嘩など、したこともなかった。

「ノンノ、あとでワイズ――と、国王陛下に打診しておいてくれ。俺も非番だ、似たような連中を集めて、軽く片付けはしておく。いいな?」

「よろしく、ニキキ」

「ということだ、ジェイとミヤコは好きにしろ。正直に言えば大変だとしか言いようがないが――良い経験にはなった。感謝もしている」

「おう、んじゃ任せる」

「あんがとねー」

「ま、渦中にいたお前らほど疲れちゃいねえってことだ。だらしねえ話だがな」

 頭を掻きながら背を向けたニキキは、あれこれ指示を飛ばしながら自ら瓦礫などの撤去――いや、移動作業を始めた。

「邪魔になっちまうな、おい」

「なによ、立てるっての。え? もしかしてまだ立てないわけ?」

「はあ? 馬鹿言ってんじゃねえよ、お前と違って魔力不足だろうが何だろうが、休憩もしたのに立てねえなんてことが、あるわけがねえ」

 鼻で一つ笑ってジェイは立ち上がり、裾の埃を払う。嘘ではないが、ミヤコも同様に、今日は戦闘行為は厳禁だろうけれど。

「強がっちゃってまあ……」

「ミヤコさんは大丈夫?」

「ん? あたしはほら、立てなくなったら死ぬだけって生き方してるから」

 無理をしてでも、立つ。そして、立てないのならば回復を第一にして、その暇もないならば座ったまま迎撃だ。

「諦めとは違うんだけどね」

「そう……」

「あんまり長居するのも何だし――ちょっとジェイ、あの子こっち呼ばなくていいわけ? さっきから妙に視線が気になるんだけど」

 天井の一部、崩壊して空が見える位置にいる大鷹のレグホンがこちらを見ており、ミヤコが視線を投げると、僅かに首を傾げるようにして視線を逸らされた。

「勘がいいなあ、あの子」

「あ? なんだって?」

「あとで、レグホンにあたしの印象を、ちゃんと聞いておいた方がいいよ。見ての通り、あたしはこんなだからさ、刃を交えないと先が見えないって部分もあるわけで、ちょっとはジェイのことが信用できたから」

「……ふん、言ってろ」

 それは、ジェイにとっても同じだ。

 戦闘――否、戦場において思考回路、そこからの判断力。攻撃的で自分のことしか考えていないように見えて、誰かを守ることも想定した動き。ジェイの一手を見抜く、ないし引出そうとする動きから打破までの流れを掴んだところで、そこに違う一手を組み込んでも対応できるだけの戦闘力。

 実験台――とは言ったけれど。

 何故か、戦闘の中盤に至って、ジェイは思ったのだ。

 ミヤコが相手ならば、すべてを晒したところで受け止めて、ないし打破してくれるのだなんて、そんな想いを、抱いてしまった。

 それが信用に繋がることくらい、理解している。

「もういいぞレグホン、戻ってろ」

 言って、手をひらひら振ると、何故かレグホンはこちらに降りてきて、ジェイの肩に乗った。猛禽類の足はそれだけで凶器だが、そのために肩当てを内蔵している衣服だ、痛みはほとんどないに等しい。

「……なんだよ」

「ん、ああ、危険手当? 金貨でいい?」

 会話をしたわけでもないのに、ミヤコが袖から金貨を取り出して投げると、それを咥えたレグホンは、ジェイのこめかみに突きを繰り出して飛び立った。

「いてぇ!」

「ばぁか。あの子、かなり危険レベルの高い場所で観察してたんだから、報酬くらい出してあげなよ。まあ、あたしがずっと挑発してたんだけどさ」

「ミヤコのせいかよ!」

「あのね……戦闘中で一番気を付けないといけないこと、知らないわけ?」

 三人は並んでその場をあとにし、ノンノの提案もあって中庭へ移動した。いわゆるテラスになっているらしく、白色の椅子に腰かけ、ノンノは侍女に飲み物の手配を頼んだ。

「一番?」

「そう、言いかえれば一番に警戒しなくちゃいけないこと――それは、第三者の介入と、観察者の存在。不意打ちの警戒とは違って、いや似たようなもんなんだけど、何より怖いのは手の内を読まれること。いい? まず、たとえばさっきの状況であたしがレグホンの存在に気付いてなかった場合」

「おう。俺はてっきり、そうだと思ってたけどな」

「ジェイは甘いなあ……ま、いいや。それはあとで」

「後回しにしなくてもいい、黙っててくれ」

「ヘタレ。もし気付けていなかったら、それは既にあたしの死角ってことになる。レグホンであっても、そうじゃなくても、誰かがその位置に居たのならば、それは致命傷になる。――致死になる」

「広範囲を支配領域ドメインにする、か。だとしてもだ、手の内を読まれるってのは納得しかねる。正面から打ち合うより、観察した方が読み取れるってのは、どうもな……」

「無理だと思う?」

「そりゃ可能かもしれねえけどな、そんだけだろ。まず無理だろう」

「まず無理、可能性も低い――で? じゃあその可能性に当たった時、ジェイはそこで死ぬわけだ?」

「――」

 驚いたのは、その事実に絶句したからではない。

 その思考はジェイにも理解できるものだ。そう、理解はできる。

 だが、それを実践するとなればべつの話であるし――それを実践しなくてはならない状況に身を置いているミヤコに対して、続く言葉を封じたのだ。

 過酷と、言えるだろう。だが当人はそれを当たり前だと思っている。

「生き残るためか?」

「残るんじゃなく、生きるため。選んだのはあたし。というか、リウと一緒にいた時はずっとそうだったから、否応なく覚えたし。じゃなきゃ死ぬだけだもんね」

「それなんだな、お前は」

「そう、あたしはコレだから」

「通じてるみたいだけど、私にはまるで違う二人に見えるんだけど」

「ん? ああ、それは正解。あたしはきっとジェイのことを、これっぽっちも理解していないし――」

「俺もコイツのことなんて、わけがわからん。特に、納得って部分はな」

「そもそも、二人の関係は?」

「ああ、旅人のあたしが、ジェイんとこを寄生木にしただけ。半ば強引にね」

「よく兄さんが許したね」

「いや、だってコイツの術式、かなりレベル低いんだもん。ほら、さっきの訓練だって、魔術師でもないあたしが簡単に対応できちゃうんだよ? 視野が狭いなあって思わない?」

「えっと、私は兄さん以上の魔術師は知らないから、なんとも……」

「おい、親父のことを忘れたのか」

「忘れてはないけど、実際に見たわけでもなし、わからない」

「――ん? ジェイ、やっぱり実際には師事してない?」

「そうだが……やっぱりってなんだ、やっぱりって。物心ついた頃にゃ、もう親父はいなかったからな」

 それでも生活はできた。いや、生活しかできなかったのも正しいか――その点ではエイレリク・ウェパードにも、面倒をかけた。年上というだけで、さほど変わらない子供に、保護者をやらせてしまったのだ、その点については今もまだ借りがあると思っている。

「だから芯が通ってないんだなと思って」

「――なんだそりゃ」

「なんていうのかな……基礎ができてないってのも近いんだけど、あー、ちょっとあたしの話をするけど、いい?」

「そりゃいいけどな」

「うん。私たちに聞かなくても……」

「え? 自分のことを話すなんて、よっぽど信用しないと無理じゃん。それってあたしの感覚だから」

 それを押し付けることになるからと、あっさり言うミヤコだが、その感覚が既にもうなにか、違う部類に思えてしまう。

「元元ね、あたしはどこで生まれたのかも知らない。知っている人は口を割らないし、まあ正直に言えばどうでもいいんだけど、旅をしてる最中には結構利点があって」

「は? 利点?」

「うん。孤児で自分の親探しって、納得しやすいでしょ? 嘘言ってるわけでもないし」

「いやそりゃそうだが……実際にゃどうとも思ってねえのかよ」

「なんで?」

「なんでって……いるはずのもんが、いねえとなりゃ、恨み言の一つは出るだろ」

「ああ――どうして」

 それは、かつてノンノも口にしたことがある言葉だった。

「どうして、あたしがこんな苦労しなきゃいけないのかって?」

 けれどミヤコは一笑した。

「あはは、親がいたって苦労なんてするじゃない。ないものを望んだって解決はしないし、それってただ周囲に振りまわされてるだけでしょ? 自分で決めて動かないから、そういうことになる。不満なんてのは、自分にぶつけるもんだしね」

 だとしたら、その不満を受けていた兄は、ジェイは、だからこそ決めたのだろうか。

「で、ともかく孤児院にいた頃からずっと、あたしには刀があった。――あ、これじゃなくてね? 木鞘のもので、長さは同じくらいだけど、まあ持ってたわけ。だからあたしは、なにを考えるのでもなく、刀を持った。それでいいと、大して疑問を持つこともなく」

「なにかは、考えただろう」

「持ってからね。孤児ってのはね、基本的になにか、大半の人は、なにかを持ってる。それは僅かな繋がりでもあって、証明でもあるんだけど、まあ選択肢は最終的に三つくらい。それを頼るか、捨てるか、忘れるか」

 ノンノは、どうなのだろうか。

 少なくとも頼らなかったことには断言できるけれど、捨てたのか忘れたのかまでは、わからない。そしてジェイは、頼ったほうだ。

「あたしの場合は刀だったから、使うことを選んだわけ。あたしが住んでたトコは、魔術研究も行われてる場所だったし、いわゆる国同士の争いとは無縁だったけど、妖魔に対してはハンターが主力だったから」

「ああ、あのなんでも屋か。ワイズが座ってから、それなりに見るようになったが」

「うん、こういう言い方は変だけど、いいように使ってる感じかな」

「それも正解。特定の実力を持った、傭兵みたいなものだから。けど――お金は稼げるし、生活にもそう困らない。一人立ちをする方向性としては今でも間違ってないと思うし、そこを目指したのね。ただ、あたしの周囲に二人の幼馴染がいて、似たような方向を見てたから、流されたって可能性もあるにはある」

「その片方がリウって女か」

「そう。もう一人はクロっていう……結構歴史とか好きな子で、やっぱり戦闘に向かう人種だったね。けどまあ、孤児ってのは大抵、誰かを頼ることを好むか嫌うか、だいぶ別れるのね」

「誰かに依存するか、一人でやろうとするか、だろ」

「そういうこと」

 前者はノンノで、後者がジェイだ。

「ま、あたしはどっちも馬鹿だって言うけどね」

 言われた。けれど、そんなミヤコだとて、一人でやろうとしていたのだから、馬鹿の仲間だ。

「とりあえず図書館で過去に、あたしと似た人とかいないかなーって調べたり、刀を持ってなにができるかってのを知ろうとして、独学で詰め込みながら、その中で居合いが合っていると思えたわけ」

「記録が残っていたのか?」

「ちょっとだけ。そもそも、武術家って言葉の記録すら少なかったからね。で、それなりにできるようになった頃、先生にボコられたの」

「――先生っていうのは、なに?」

「んーとね、戦闘技術を学びたい子たちなんかを集めて、たまーに訓練をしてくれた人のこと。訓練って言っても、学校を舞台にしてね? 特定の場所を本陣に定めて、先生が突破するのを防ぐっていうだけのものなんだけど……」

「そりゃ、外敵に対する籠城作戦の訓練と同じじゃねえか」

「ああ、似たような感じ。いやほんと、酷いんだって。あたしが幼いながらに必死こいて溜め込んだものを、片っ端から叩き潰して、口では言わなかったけど、それは間違っているって徹底的に否定されたの」

「行動で示されたわけか。それで、どうした」

「あらゆる手段を使って、ありったけの技術を総合して、全部叩き潰されて、で――気付いたわけ。あたしには芯がないって」

「だから、間違っていたのか?」

「んー、それは結果論かな。つまりね? 周囲にあるものを集めて、自分のものしようとする行動が、結局は家を作る行為でしかなくて、それはあたし自身を着飾るものではあっても、中身を増やすことじゃないわけ」

「――どうやって、芯を入れたんだ?」

「それ、自分には芯がないってことを自覚したから?」

「べつに解決策を訊いてるわけじゃねえよ。まあ……なんだ、こういう言い方はあんましよくわかんねえが、――ミヤコに興味がある、そういうことだ」

「いやまあ、期待されても大したことはしてないんだけどね。あの時――旅に出た時、その直前に、五百ちょいくらいの妖魔の襲撃があってさあ」

「ごっ……」

「街にね? だからあたしも防衛を買って出て、斥候として出たんだけど、その時に刀が壊れちゃって、結果的にこの村時雨様を受け取ったんだけど……その以前の刀を抱いて、ずっと考えた。なにが違うのか、何が足りてないのか。で、足りてないのが間違いで、あたしには刀がここにある――ってこを自覚したわけ。あたしは刀を使いたいんじゃない、刀を担うんだってところかな」

 あるいは。

 ミヤコは、己こそ刀そのものだと、そうなることを目標にした。

 自分にはこれがある――などという考えは捨てて、共に在ろうと思った。

「簡単に言えば、持ってたもの全部捨てて、徹底的に基礎から叩き直したって感じかな。結果的には、こっちの方が早かったかも」

「そうか……ミヤコはそうすることで、物の見方を変えたんだな」

「ははは、リウには荒療治だって呆れられたけどね。だからこそ、今のジェイを見てるとね、芯がないって思えるわけ」

「基礎っていうよりも、基本に近いな、それは」

「うん。ベースになるなにか、だからね。ノンノにとっては、ワイズがそうなんじゃない?」

「え……あ、そう、かも」

「あははは、こういうのって、あんまし深く考えるもんでもないしね」

「ベースか……あるんだろうか、俺にも」

「知るか。ジェイがわからないものを、なんであたしが知ってんのさ」

「――お前、その妙にカチンとくる物言い、どうにかしろ」

「言われないようにしたら?」

「上から目線が気に入らねえと言ってるんだ」

「だーかーら、下から眺めてないで、とっととこっちに上がってきなよ?」

 この野郎と睨むジェイを見て、思わずノンノは吹きだした。

 ああ。

 たぶん、この二人の相性は良い。


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