01/13/13:00――ミヤコ・ウェパード王国

 翌日、実際に王国の城下町に入ったミヤコの感想といえば、ああここは開けている、という実に単純なものだった。それだけか、とジェイは続きを促すような視線と共に言ってくるが、旅人であるミヤコにとって、開けている場所はつまり、過ごしやすい場所であり、旅人であっても居場所が用意されている、実にありがたいところなのだ。以上も以下もない。

 ただ――居を構える意味合いを理解していても、実感がないのが現実だ。

「ミヤコにとって孤児院は、帰る場所じゃないのか?」

「違うね」

 こうした問いも、こちらを知ろうとしてくれることの表れだ。時に不躾な質問もあるが、気分を害することはない。何しろミヤコ自身、答えたくないことは口を噤むし、何より、ジェイは答えられないような問いを口にはしない。

「なんていうかなあ……今のあたしの場合だと、ちょっと寄る場所? 四番目に行く用事があるんなら、顔を出しておこうってくらい。リウはどうだったんだろ……戻るとか、帰るとか、そういう認識じゃないかな」

「それはあれか? 俺は旅なんぞしたこともねえから想像でしかないが、一度立ち寄ったら美味しかった店を覚えてて、丁度昼くらいだし食べて行こう――ってな感じか?」

「あ、それそれ、似てる似てる。んー……なんだろ、あたしって冷たいのかな?」

「俺に訊くなよ。幼馴染のほうはどうだったんだ?」

「あー……直接聞いたことはないけど、あっちは戻るつもりがそもそもないっていうか、一度行ったところにもう一度行くくらいなら、最初から用事をきちんと片づけてから次に行くって感じだし。一通り終わったら、もう一周って感じになるかもだけど……」

「聞けば聞くほど、わかんねえ相手だな、そりゃ。ま、ミヤコも負けてねえけど」

「え? そう? あたしは結構、素直で通ってたけどなあ……」

「だったら素直に奢られろよ」

「それとこれとは話がべつ」

「いや……昼飯くらい男に奢らせろよ。見栄を張りたいってわけじゃねえが、なんつーかそういう流れなんじゃね?」

「男のメンツを立てるのが良い女じゃなくて、男の立場を奪ってでも、そのあとに成長するのを楽しんで待ってやるのが良い女のすること――ってリウは言ってたけど?」

「……どうかと思うけどな、それ」

 というよりも。

「つーか、なんでそんなに金持ってんだ? そういや手荷物、袋一個で済ませてたから、どうかとは思ったんだが」

「必要ならまた買えばいいし。旅の荷物は軽ければ軽いほどいいってのは、常識だよ」

「しかし溜め込み過ぎだろ」

「え? そーでもないよ、仕事してればこんくらいは」

「仕事?」

「そう、ハンターと似たようなもの。依頼を受けたり、だいたいは討伐任務とか――ああ、人探しもやったことあるなあ。ほかには魔術素材の収穫とか」

「手広くやるんだな」

「それも修行の内。経験を積まないと、それ以上の発展は望めな――あ! オトガイさんだ、やっぱこっちにもあるんだー。ちょい顔出してもいい?」

「ん? ああ、昼過ぎとしか伝えてないから、長居するつもりがねえならな。俺もお得意さんだ。ま、専門は違うが」

「ここに居るの、だれ?」

「は? んなもん、入りゃわかるだろ」

「まあそうなんだけど」

 竜の顎を模した看板のある入り口をくぐると、内部はやや狭く、陳列された物品は見当たらず、すぐに受付テーブルがあった。

「んあ」

「……? どうした」

「や、警戒されたなって思って。ジェイの気配は知ってるけど、その隣に知らないヤツがいるって感じで。こんちはー、客だよー」

 オトガイの店は、世界各地にある。それは海に隔てられた大陸であっても同様だ。そして、店舗はその主によっていろいろと違いがみられる。たとえば四番目の大陸のゴーグは店舗を持たずに露店商として店を出していたし、ここはここでまた違うのだ。

「この匂い……専門は銃器かあ。あたし、あれの使い手で厄介な人には知り合ってないなあ」

「――お待たせっす」

 そうして、奥の扉から出てきたのは、若いとも見える風貌の男性だ。にこやかな笑顔を顔に張り付け、ぺこりと頭を下げる。

「すんませんね、顔洗ってたら遅くなっちゃって。あれ、ジェイじゃないっすか。お隣のお嬢さんは初見っすね。紹介?」

「いや――」

「紹介は必要ないけど、〝照会〟はしたら? ミヤコ・楠木なんだけど。刀関連おいてある?」

 なにを言いだすんだこの女、と訝しむジェイだったが、しかし、店主は僅かに視線を逸らして後頭部を指で掻いた。

「参ったなあ……いつ、こちらへ?」

「昨日。だからそっちの落ち度じゃないよ? えーっと、名前は?」

「すんません、俺はクークっす」

「ああー、餡子餅のクーク。聞いてる聞いてる。しばらく前にマエザキさんから呼び出しくらってさあ……」

 もっとも、しばらくというか、随分と前の話だ。まだあの頃は三番目の大陸にいた。

「あはは、ご迷惑かけたみたいっすね。どっちかっつーと、マエザキの野郎は刃物でも、ミヤこさんが扱う系統には疎いっすから、根掘り葉掘り聞いたでしょ」

「そうなんだよねえ……って、ごめんジェイ」

「ん? いや、いい。大陸間で共通の店舗だってことも、俺は疑っていなかったからな。顧客情報まで共有化してるとは思ってなかったが」

「気に入られるの、結構大変なんだけどねー」

「いやいや、ミヤコさんみたいな旅人で、懇意にしている方なら、ちゃんとリストにするっすよ。それより、刀っすか」

「そう。要求するなら模造で、強度は高めだけど居合い用」

「重さは?」

「あ、そっちはあんまし気にしない。ただ、できれば小太刀じゃなくて」

「あー……そいつは、ちょいと」

「……ちなみにミヤコ、なにに使うんだ?」

「え? 鍛錬用。さすがに、今回みたいな模擬戦みたいなことで、村時雨様を抜きたくはないからさ。前は持ってたけど、忘れてきちゃったし」

「ああ、そういう理由か。となると、昨日俺にやってみたいな一撃はどうなんだ?」

一撃ワケアリだから」

「なるほどな。おいクーク、レーグの置き忘れがあるだろ。出せ」

「いや、そりゃあるんすけどね、しかし――」

「心配すんな。ミヤコの師匠はレーグだ」

「――え?」

「あはは、いや、ごめん、確かにそうだけど、あたしが隠してるのも原因かな。ほら、餡子が湿気ると大変でしょ?」

 笑いながら、僅かに村時雨の鍔を親指で押し上げると、飛び跳ねるように慌てたクークは後ろ、おそらく作業用の工房に続くだろう扉を勢いよく閉めた。

「あー、なるほど、なるほど、わかったっす。諒解っす」

 嘘や冗談じゃないっすねえと、両手を上げて降参のポーズをとったため、ミヤコは刀から手を離す。

 なんのことはない。村時雨が持つ水気を示し、同時に、それを扱えることを改めて見せただけのことだ。実力を隠せ――というのは、身に染みている。さすがに戦闘ではまだ難しいけれど、普段の生活においては制御可能だ。

「じゃ、ちょいと待ってて下さい。きっちり封印してあるんで、解除して持ってくるっすよ」

「はいはい、お願いねえ」

 奥に行ったクークに対して、ひらひらと手を振りながら、カウンターに上半身を乗せていると、慣れたもんだなとジェイが苦笑しながら言った。

「オトガイに限った話じゃねえだろ、人との付き合い方ってのを知ってやがる」

「それも、必要だからね。――線を引いて、お互いにそれ以上は立ち入らない。それが付き合いの秘訣……って、まあ、あたしとリウの関係も似たようなもんだったからね」

「……その割に、俺にゃ遠慮がないような」

「あれ? 言われれば……そうかも?」

「おい、否定しろよ」

「いや最初に言い合ったから、妙に距離がわかんなくなってるっていうか……」

「昨晩もさんざん言い合ったしな」

「過去を引き合いに出すの恰好悪いよ?」

「うるせえ、そういうつもりで言ったんじゃねえよ」

「あはは、あたしも根無し草だからね、こういうのには、あんまし慣れてないから。そこんとこ、理解してね?」

 つまり、迷惑かけることもあるけど、大目に見てね、ということだ。

 そうこうしていると、クークが刀を手にして戻ってくる。それをカウンターにそっと置いた。

「――あ、ほんとだ。師匠の痕跡がある。癖がないといいなあ」

「一応、その辺りはレーグネンさんが処理して、俺の方でもそれなりにやっといたっすから、真っ白とは言わないにせよ、下手に引っかかることはないと思うっすよ」

「抜いてみていい?」

「どうぞ」

 鉄鞘の刀を左手で持ち、鍔を押し上げてゆっくりと刀身を見るように引き抜く。刃の部分は潰されており、いわゆる鉄の塊だが、刀としての本質は失われていない。

「ミヤコ、お前それ、よく持てるな」

「うん? ああ、筋力じゃないから――いや筋肉もあるけど、コツもあるの。あたし、得物には重さが必要だって考える方だから」

「何故だ?」

「簡単に扱えないから。重さは自制を促す――って、これはリウの受け売り。事実だけどね。……うん、鍛錬用なら充分過ぎるね。いくら?」

「俺は保管してただけなんで」

「なんでオトガイさんとこは、こう、態度は悪いのに金を受け取らないのかなあ。どいつもこいつも安く見積もるし」

「ははは、相手によるっすよ。物は、扱える人の元へ。俺らは流通の基点、それがたとえ自分が創ったものであったとしても同じっす。それに今回は、預かりものを返したのと同じじゃないっすか」

「はいはい」

 二刀差しになるが仕方ないと、それを腰に佩いたミヤコは懐に手を入れ、ラミル金貨を一枚だけカウンターに置いた。

「じゃ、保管料金ってことで。しばらく居座ることになりそうだし、また顔出すよ。そん時は情報も貰うから、先払いね?」

「期待料を込みってことっすか。んじゃ、受け取っておくっすよ。毎度、ご贔屓に」

「はいはーい。じゃ、行こうか」

「おう。またなクーク、俺も用事あったらまた連絡する」

「ジェイも、使い魔じゃなく、こうしてたまにゃ顔出して欲しいっすね」

「引き取りにはな」

「俺、レグホンさん、苦手なんすよね……」

「はは、んじゃあな」

 ミヤコは刀の位置を調整し、歩きだす。こんなことなら村時雨を置いてこればよかったとも思うが、そもそも、どこに置いておくかが問題だ。何しろ今まで、ずっと一緒だったのだから、きっとないほうが落ち着かないんだろうなあ、とも。

 広い通りに出ると、やはり活気がある。知識として四年前のことは仕入れているが、その痕跡はもうほとんどないのでは、と思えるほどだ。甲冑を身に着けた騎士のような人間もちらほらと見え、巡回なのだろうけれど、街の人間もまた気軽に話しかけているあたり、友好的な関係を推察できる。

 旅人であるミヤコにとって、ここは、ひどく心地よい場所だ。

 ――長居は避けたい、そう思うくらいに。

「保守的なのかなあ」

「ん? なんだ?」

「いやいや、折り合いをつけてる最中」

 なんなんだ、と訝しげに見られるが、気にしない。馴染むのと慣れるのは違うもので、それでも留まることを良しとしたのならば、なにか理由が必要そうにも思えるけれど、あるいは、そんなものは後付けでも構わないのか。

 ミヤコにとって生活をすることが、旅そのものであって、けれど旅が目的なわけではない。そこのところの折り合いを、どうつけるべきか。

 などと考えているうちに、王城前の広場に到着する。城が大きいのはどこも同じだが、城下町もそれなりに広い。なにしろ天龍ミカガミがいた場所とは違って、ここで生活する人間が多いからだ。

 正面から階段を上り、門兵には軽く手を挙げるだけで素通りだ。ミヤコは門兵の装備が戦闘用ではないのを見抜き、開かれた門の中に入る。

 正面通路の左右に噴水、そして対称的な庭が作られている。手入れは完璧で、世話をしていた侍女服の女性がこちらに気付いて頭を下げ、やはりジェイは手を軽く上げるだけ。おそらく庭師もいるのだろう、植木などの手入れも丁寧だ。

 といっても、ミヤコはそこまで庭に詳しいわけではない。ただ、整合性という意味合いを的確に捉えているだけだ。

 整っていない術式は、ただそれだけで効力が落ちる――などと、リウが言っていたのを覚えていたから。

 王城の中は、特に天井が高く、空洞を連想させられる。洞窟の探索などもしたことのあるミヤコにとって、広い密閉空間は実に久しぶりのことだ。洞窟の多くは、とかく狭いのである。

 なによりも、歩いて近づくに連れて強くなる水気が、ああ。

 ――ここが、一番ウェパードに近い場所ってことかあ。

 そのことを証明していた。

「――よお」

 おそらく謁見の間がこの先にあるのだろう。荘厳とも思える閉じた扉の前、甲冑と呼ぶには軽装備な恰好をした男が、笑いながら口を開いた。

「生きてたのかジェイ、俺はてっきり干からびてミイラか、失敗して石像になってたかと思ったぞ」

「安心しろニキキ、――俺が下手を打ったらこっちにも影響が出るようになってる」

「おい!」

「冗談だ。つーか、出迎えはお前かよ」

「あのな……隊長が外に出てるから、副隊長の俺が騎士団をまとめねえと、いけないだろ。お前の訓練はいつだって唐突だし――というか、隣の、なんだ?」

「ああ、ミヤコのことか。……なあ、俺たちの関係ってなんだ?」

「さあ……知り合い?」

「それで通じりゃいいんだけどなあ……ま、いいか。都合の良い知り合いだな。で? ワイズはどうしてる」

「ああ、さっき昼も終わって、いいタイミングだ。俺も付き添うが、構わないか?」

「いいぜ。っと、ああ、ミヤコ。ニキキはワイズの姉貴――エイレリクとは同期でな、かつては同じ隊にいたんだ。昔の話な」

「ああ、それで……ふうん」

「どういう説明だ、それは……ほら、入れよ」

 ニキキが扉を押すと、扉は自然に開いたが、ああ何かの術式が作用してるとミヤコは感じた。出入りを禁ずるというよりも、開閉に鍵が必要なのだ。その鍵が、術式によって創られている。

 中に入る――想像していたのと違い、絨毯などはない。ただ、その意味が感じられたのは、旅をしてきた経験などではなく、単純に。

 ミヤコが、楠木だからだろう。

 そして、壁を背中にしない玉座が、下手をすればぽつんとそこに寂しく存在するかのようにも見える場所にあり、そこに。

 装飾は少ないが、かなり良い生地の衣服をまとった少年が、座ったまま驚いたように両手を広げた。

「やあ、ジェイ。面倒が舞い込んだ――そう聞いていたので、何事かと身構えていましたが、美しい女性を連れてくるなんて、想像もしませんでした。このような格好で失礼、お客人。私がウェパード王国、国王であるワイズ・ウェパードです」

「初めまして、ミヤコ・楠木です。握手は大丈夫かな?」

 近づき、視線を合わせて握手をする。

 ――凄い人だ。

 詳しくはわからない。ただ、器を感じた。大きな器だ――いや、容器と言い換えても構わないだろう。それは、水を溜めるための器なのだから。

 ほとんど、水と同化してしまっている、と言っても間違いではないレベルで、ワイズは馴染んでしまっている。その影響については想像しても届かないが――ただ、魔術師でも呪術師でもないことは、わかった。

 だからこそ、凄い人だと思うのだ。

 手が離れる。惜しむ必要はない、ただの挨拶だ。

「なるほど」

 笑顔のまま、ワイズは頷く。

「よろしければ、そちらの――女性か男性かまでは定かではありませんが、そちらの方のお名前を、教えていただけますか? なにぶん、私は直接お顔を拝見できませんので」

「村時雨。――まだ、あたしも世話になってるって感じかな」

「そうでしたか」

「さすが、だねえ。握手しただけで読み取ったの、まあ何人かはいたけど、少ないことは確かだし。でもきっとわからないほうが」

 きっと、そのほうが良いのだろうと、ミヤコは苦笑を浮かべた。

「この街はいかがですか?」

「旅人にとっては毒かな。――居場所がありそうで怖い」

「ありがとうございます。ジェイ、どうしましたか、そんな顔をして。ノンノならすぐにくると思いますよ」

「いや――妙に気が合ってるな、と思ってな」

「あはははは、それはない。それはない」

「ええ、そうですね。私とミヤコさんは、むしろ逆でしょう。しかし、だからこそ、お互いに警戒をする必要がないのでしょうけれど」

「ま、そうね、うん。こう言うと変だけど――役目が違う。ま、あんまし気にしてもしょうがないよ」

「ところで、本日のご用向きは?」

「あーうん、あたしがここの水気に慣れるのに、鍛錬……というか、訓練をしたいと思ったから、そちらの騎士団の育成支援だっけ? それに参加させてもらえないかなと」

「それは、講師として、ですか?」

「ん……あたしは未熟で、誰かになにかを教える立場にない。だから、そちらに助けてもらいたいと、そう思ってる」

「なるほど。では、こちらもそれが良い経験となるよう、尽力しましょう。ニキキ」

「は」

「お二人を訓練場へ案内を。あとでノンノをそちらに向かわせます」

「は、諒解しました。お二方、どうぞこちらへ」

「――ミヤコさん」

「はい?」

「またいずれ、お逢いしましょう。できれば近い内に」

「ん……そうね。約束はできないけれど」

 どうやら、自分以外にも旅人との接触はあるらしい。そんな態度を確認してから、謁見の間を出た。

「んじゃ、行くか。こっちだ。しかし――国王も、ちょっと複雑な顔してたが、ミヤコだっけか? なんなんだ?」

「直接本人に訊いてみたら? あたしとしては、きちんと挨拶だけしたつもりだけど」

「おいジェイ、おい、なんだこれ」

「俺に訊くな。知り合って二日だぜ、どうしろと」

「刃を交えればわかるんじゃない?」

「なんだ、俺にも参加しろってか」

「え? いや、べつにどっちでもいいけど……」

 通路の先にあったのは、闘技場に似た場所だった。三十人ほどが、それぞれ好き勝手に話していたようだが、ニキキが顔を出すとすぐに収まる――否、それは横にいるジェイの存在があるためか。

「怖がられてるねえ」

「言ったろ、訓練を見てやってんだよ」

「おいミヤコ、どうしたいんだ?」

「ん? 要求はとりあえずないよ? 団体できても、個人できても、好きなように。あたしはあたしで試したいことがあるから、付き合ってもらうだけ」

「――わかった。好きなようにさせてもらう」

 うん、そこで頷けるのは良いことだと思いながら、ひらりと中に飛び下りたミヤコはまず、下が地面であることを確認する。使われているため固くはあるが、衝撃は逃げやすいだろう。広さもかなりのものがある。三十人の騎士団がいたところで、半分以上の空白があるくらいだ。

「おい」

 騎士団から距離をとるように移動していると、観客席側からジェイの声がきた。

「なに?」

「あんまし無茶すんなよ」

「しないって。まだ呪術は使えないし――ああ、ジェイから言っといて。彼らは言術メインで使うみたいだけど、それも好きにしていいからって」

「わかるのか……いや、慣れてるのか」

「経験。珍しくもないし。まあ見てればいいんじゃない? あ、どの程度試せるかによるけど、余裕があったらそのあと、頼むから」

「ああ、そりゃ構わない。俺もそのつもりで準備してきた」

「そ。村時雨様は抜かないし、怪我も一応させないつもりではいるから」

「いや、そうじゃなくて――」

「うん?」

「……ま、いい」

 変なジェイだな、と思いながら視線を逸らす。なにか不満があるようでもなし、なにを気にしているのかさっぱりだ。

 観覧席側の壁は二メートルほどの高さで、なかなかに硬い石壁のようになっている。人がぶつかった時の衝撃があまり逃げないため、鎧を身に着けていない相手には厳禁だ。

 ――場を確認できるなんて、恵まれてるなあ。

 いつもなら戦闘の最中に足場の確認をしたものだ。もっとも、着地点などを視線で確認する動作に関しては、リウに指摘されて矯正した。

 というか、せざるを得なかった。隙だらけだと、立ち上がることも困難なほど叩き潰されたのならば、二度と御免だと思うのは誰だって同じだ。それはここ数日でも、痛感している。

 フィールドは、三次元的に空間把握。そして、脳内で地図を仮想構築してその中を動く――ただし、現実と重ね合せる際に違和が発生した時点で、それは大きな欠点、隙になってしまう。だから状況に合わせて情報も更新しなければならないのだが。

 両手を頭の裏に回していろいろと考えていると、準備が終わったのか、一人の少年が出てきた。距離を空けて正面から向き合うと、彼は。

「――よろしくお願いします!」

 大声で言い、左手の小盾を構えて突き出すようにし、剣は体躯に隠すよう構えをとった。

「なるほど……」

 そういう形式にしたのかと頷けば、始めとニキキが合図の声を上げた。

 おそらくこちらを本気で攻略するつもりなのだろう。最初は盾持ち、防御主体を送り出すことで手の内を読み、経験させた上で順次攻略させていく。勝つための訓練だ。

 ――男って、なんでこう。

 勝ち負けにこだわるのだろうか。訓練なのだから、どう動けたのか、その結果が重要だと思うのだが――意思の違いは、良い経験にもなる。文句を言うべきではない。

 さて、相手の意図がある程度でも読めたのならば、訓練開始だ。あちらは攻撃的な意志を持っていないようで、後の先を狙っているのだから、こちらから打って出なければ。

 ――まずは、刀の具合を見ないとね。

 姿勢の制御、つまり上半身を倒して右足を一歩出し、刀の鍔を押し上げて左手で柄を握る一連の動作そのものが、既に踏み込みとなる。

「え――」

 相手の驚きの意味がわからず、抜く。狙いは盾、基本技術のつつみを使って破壊を目論む――抜刀、居合い。

 ――ぬおっ! ちょっ!

 待て、と思う暇もなく鞘に刀が戻った時点で盾が破壊され、思わず踏み込み停止してしまったミヤコは、二度目の居合いで剣そのものを切断してから、慌てた様子でバックステップを何度か踏んで距離を空けた。

「な――なにが癖はなくて処理はしてある、だ! あんにゃろう!」

 いやいや、確かに処理はしてある。あるのだが、これはいけない。

 攻撃の意図を持って抜いた瞬間、その意図を明確に読み取って刀が先に結果を出してしまうのだ。

 ミヤコが扱う前に、先に結果を出してしまうのは、刀の癖だ。

 こんな扱い方をされていたんだと、言われる。

 お前にそれができるかと、そこまでは問わないけれど。

「くそう……」

 見た目にはわからないし、結果としては文句はないが、――癪だ。

 刀に使われている、というほどではないにせよ、このままではレーグネンより劣っているぞと、模造刀を抜くたびに忸怩を噛みしめることになる。

 予定していたいくつかの事柄を追いやり、まずはその差異を埋めるところからだ。

「よーし、次いこ次。三人くらい!」

 馴染ませるには、居合うしかない――が、しかし、次に出てきたのも一人だった。けれど重武装、完全に甲冑を着ており、大盾に槍だ。駆動力がないならば、ただの的だろうにと思ったら、開始の合図と同時に直進してきた。

 迂回してみると、最短距離、最小限の動きで向きを変える。刀の間合いに入るためには槍の内側に入らなくてはならないのに、その先にあるのは盾であり、壁だ。

 接敵から槍の二撃がくる。思ったよりも早く、また、間合いが掴みにくい。兜越しにこちらを見てはいるのだが、表情が読めないため、視線の動きも不確かだ。

「ん――」

 あまり装備を壊すものではないな、と考えて居合い。衝撃を徹し、本体へ。盾を持っている腕から躰へと伝わる衝撃に、がくんとそのまま膝から崩れ落ちる様子を見て、なんとなくコツを掴めたと思いながら、また間合いを広げる。

 この刀は我儘だ。

 ――全力でやれってことでしょ、もー。

 手抜きをすれば刀に振り回され、加減をすれば刀が先に動く。ならば全力で教え込むしかない。

 おまえの主はミヤコあたしだと。

「世話が焼ける……」

 また一人、開始の合図、踏み込み、居合い、相手の背後にまで走り抜けた姿勢は相変わらず右足を前に踏み出した、居合い前のものと同一。

 ――よし。

 刀と自分が合致したような感覚と共に、立ち上がりながら右に躰をズラすと、今しがた居合った相手が衝撃に吹き飛ばされて、騎士団の中に突入した。

「――ここ」

 目の前にして、ミヤコは足で小さな線を引く。

「ここから中に入ったら、始めるから、そのつもりで。全員でかかってきてくれてもいいからね? あたしも経験になるし」

 距離を空けるために、背中を向ける。

 そこに、勘の良い一人が踏み込んだ。しかも。

「疾走の遺跡」

 速度を上げるための身体強化、言術を使って、だ。

 背後。

 つまり、背中だ。

 後ろである。

 さて、ここで問題だ。背後に居合うためにはどうすればいい?

 以前のミヤコならば、背後そのものを正面にしてやればいい、と答えただろう。そもそも居合いとは捻りを加えて放つことを基本としているため、振り返る動作そのものが捻りに代用可能となる。つまり、背後を正面とする動きそのものは、居合いにおける動作の一段階目なのだから、そもそもロスにはならない。

 だが、これはそういうことではないのだ。

 背後への居合い。

 背中を向けたままの有効打撃――防御のためではなく、背後へ攻撃するための一手。

 結果的に言えば、鞘から刀を抜いた時点で、ミヤコはそれが失敗したことを悟った。

 届かないのだ。

 それもそうだ、人の腕の関節は背後には向かない。であればこそ、必ずそこに死角が発生するもので、可動限界は確実に存在してしまう。多少の捻りを加えたところで、ミヤコが求める一撃は、顔が後ろ向きになるような居合いでは意味がない――だからこそ。

 失敗する。腕が曲がらない位置、届かない場所、それが明確になっただけ。

 こりゃまずいとばかりに、前進することで間合いを外そうとすれば、両足が地面についたまま離れない。

 ――術式だ。

 いつの間にと、ミヤコは背後からの一撃、その気配を感じながら思う。

 自分は未熟だ。きっとこの場にリウがいたのならば呆れたため息を落とすか、無言で睨むような視線を投げてくることだろう。どうして気付かないんだと、口にすることも億劫そうな顔が脳裏に浮かぶ。

 魔術師でないミヤコにとって、術式の細かい構成まで読み取ることはできない。ただ、その結果に対して知ることができて、ある程度、それがどんなものかを察知し、それからは、自分が対応できるかどうかが問題だ。

 この場合の優先順位は、背後にいる相手。

 妨害、足止めの意味合いを持つ術式そのものは、現状では致命傷にならない。このあとに何かが仕掛けられている可能性もあるが、脅威順位としては後回し。

 そして、ミヤコは背後に居合いができない――ならば。

 範囲で制圧するしかない。

 背後を含めた面、いや円を、制圧するのだ。

 その方法は、とりあえず現状では一つだけある。

 放った居合いが外れるのを理解できたミヤコは、放つための動きの中盤で一度手を離し、すぐに柄を握り直す。ただし逆手になるように、より力が入りやすいように。

 そして、それを。

「ふ――ッ」

 思い切り、納刀した。

 鍔鳴りの音が大きく響き、ミヤコを中心にして拡散した衝撃そのものが音の波に乗って円を描く。その圧に弾かれた男は攻撃そのものを無力化された。

 ミヤコはその様子に構うことなく、再び順手で掴み直すと、地面に向かって居合い。足止めしていた術式を、呪力を居合いに軽く乗せることで誤作動を引き起こして壊すと、そのまま飛ぶように前方へ移動しつつ、途中で躰を反転させて彼らを見据えた。

 ――いい感じに体が温まってきたなあ。

 どちらかといえば始動が早いほうだ。あらゆる状況下で戦闘状況に入らなくては、夜間の見張りすらままならないのが、旅人というものだ。あまつさえ、相方があのリウラクタ・エミリオンならば、尚更だろう。手抜きなど隠し通せるわけもなし。

 けれど、いけない。

 躰が熱を持ち、戦場を意識してしまうと、制圧から突破までの道筋を思考する癖がミヤコにはある。

 ミヤコにとって戦場とは、連戦の場だ。一つを抜けたところで次に対応できなければ、それは死に直結する。であればこそ、最悪の場合であったところで、戦場を抜けた時点で体力の二割は残っていなくてはならない。あくまでもそれは最悪であって、残っていればいるほど望ましい――ゆえに。

 可能ならば最低限の力で最大効力を望む。

 ――だからだ。

 それを目の前にした時に、違和感があった。

 いや、違和ではない。目に見える形で斬戟が形となり、縦に飛来するそれを、果たして避けるべきかどうか悩んだミヤコは、その悩みに対して違うと断言できたのだから、問題にはならない。ならないが、しかし。

 避ける必要はないと、断言できたのだ。

 それはつまり、受ける必要もないのだと、そういうことで。

 それが何故なのかまだ結論に至らないまま、立ち位置を横にするだけで回避し、先ほどの一手で攻撃を封じた相手が、改めてこちらへと向かい、周囲で高速移動するのに目を走らせながらも、考えてみる。

 なんだろうか。

 受ける必要もないとは――どういうことなのか。

 先ほどの斬戟の具現は間違いなくジェイのものだろう。攻撃の意図としては、ミヤコが場を改めようとしたところを先んじて、彼が体勢を立て直すのに一役買った――のだろうけれど。

 避けたのは、現実だ。

 武術家であるミヤコにとって、それは実戦の中で得た教訓でもある。相手の攻撃を防がない――これは厳密には違い、防ぐための一手を行うこともあるのだが、防御には回らないという意味合いでは正しく、そして回避することに専念するのは、常に攻撃の基点を持つことにも繋がる。

 そして、気付いた。

 理解できた。

 受ける必要もない。

 だから、もしも可能性として受けたことを考えて、結論を得た。

 そして、その場合は致命傷にすらならないことに気付いた。

「ンの野郎――」

 腹の底から湧き出た言葉は、そのまま声量を上げて、相手へと届く。

「甘えてんのかクソッタレ!」

 周囲の空気が張りつめ、驚いたような絶句したような雰囲気が一瞬にして発生するが、そんなことは構わない。

 ただ、届けたい相手へと届かせる。

「今の攻撃はなによジェイ! 遊んでるつもりならとっととねぐらに戻って呑気に昼寝でもしてろっての! あんたは訓練をなんだと思ってやがる!」

「あぁ!?」

「怪我をさせない? 馬鹿野郎! 致命傷にもなんない一撃で訓練になるか!」

「てめえ、こっちが遠慮して加減してりゃ言いたい放題言いやがって! 腕の一本でも落とせってのか、あぁ!?」

「当たり前でしょ? んなことも知らないのあんたは! はっ、隠居した身で斜に構えて世間をみてりゃ、老成すると思ってんなら大間違いよ! ばぁ――か! だいたいね!」

 ミヤコは言う。

 それを、断言する。

「訓練で死ぬのも戦場で死ぬのも同じでしょうが! 甘えてんじゃない! 相手を気遣うつもりで自分を守りたいだけのガキかあんたは!」

「上等だてめえ!」

「その決断が既に遅いって言ってんのに気付かないわけ!? ばぁか! そういうヤツから戦場では先にくたばって、ほかの連中に荷物背負わすハメになるんだ! それともなあに? 準備時間がいる? 欲しいなら欲しいで、とっとと出てきて頭下げなさいよ! ほらあ!」

「うるせえ! ぐだぐだくちゃべってねえで、実験台は実験台らしくしてろっ!」

「ばぁーか! そりゃあんたの方でしょうが!」

 それは、まさに子供の言い争いで、ニキキに言わせればまさしくその通りなのだが、しかし。

 いかんせん、その子供たちは、ニキキも唸るくらいの実力を持っていた。


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