11/19/14:30――ミヤコ・決勝戦
『それでは! これより決勝戦を開始します!』
声が闘技場の内部を埋め尽くし、最大級の熱意が広がるその中、五人の中に熱くなっている人間はまだいなかった。
誰も彼もが冷静で、あるいは冷静過ぎていて、この場を迎えている。
『人種で集められ、ほぼ無傷でここまで勝ち上がって来たチームにゃんこさん! そして対するは、サディストだろこいつと間違いなく断言できるチーム包帯巻き! 今回は総当り戦となります!』
進行の声と共に、闘技場内にはいつつのリングができた。前前回、ミヤコが三人抜きを果たした時と同じ形状、サイズのものだ。
『では恒例のルール説明を! 今回は総当り戦ですが、なんと一挙公開! 同時に五試合を行います! しかし、別のリングへの攻撃が可能という点に注意して下さい! もちろん、自分のリングから出るようなことになれば失格になりますので、その辺りはご容赦を。つまり遠距離系の攻撃が他に当たってもオッケー、みたいなルールです!』
相手を見ると、カーマイン・ハーヴェイは四人の包帯に包まれた人型を、既に各リングに向かわせている。にやにやと笑いながら、中央のリングに己は足を向けていた。
『五名はそれぞれのリングに向かって下さい! 五分以内にちゃんと決めてね!』
「……ん、やっぱり他から誰かが使ってるか」
ぽつりと落としたリウの呟きはミヤコにしか聞こえていない。そして最初の一歩はディドが。
「――手出しは、するな。アイツは俺が殺す」
「同意よ。何があっても、目的を果たして。私もそうする」
迷わず、ディドとムツキの二人はそれぞれのリングに行く。それを見てから、ウーがこちらを一瞥した。
何かを言おうとして、けれど黙して、リングに向かう。その様子を見ながら、ミヤコはぽりぽりと頭の後ろを掻いた。
「リウ」
「ん?」
「ちょっとマズイね、あれ。ちょっと――じゃないけど、足りない」
「あら、そう? まあそうよねえ……」
「とっとと終わらせたいんだけど、我慢?」
「我慢」
中央のリングにリウが、その隣にミヤコが。
――ああ。
すぐにわかった。確かに屍体だ、これは人形だ。意志がない、意図がない。技術を持っていても、それが使えても、志そのものを持たない人形。
『準備はよろしいようですね。それでは――決勝戦、……始め!』
リウはカーマインとの距離を変えぬまま、ただ隣のリングで合図と共に終わる一つの戦闘を見た。
見えたのは最初、合図とともに行われた踏み込みだ。間合いを詰める、次の攻撃に繋げるための、いわば技術を培って行われる流れるような動作――ではない。
ただ走り、距離を詰め、放たれたのは、平凡な蹴り。しかも真正面から踵を打ち付けるような、ひどく平凡な、そして乱暴な蹴りだ。それが武術家のすることか、と思うくらいである。
そうして、ミヤコの相手は、開始三秒後にリングから吹き飛び、観客席を囲っている壁に当たり、術式でコーティングされて強度を上げていた石壁を突き破って、瓦礫の中に沈んだ。
――珍しいなあ。
どうやら思った以上に、ミヤコの心中はかなり怒りで満たされていたらしい。
「おやおや、これは……予想外、そう予想外ですね。素晴らしい! 私の人形をこうもあっさりと仕留めてしまうとは――ふふふ」
「……予想外じゃなく、予定外でしょうに」
「ようやく話してくれる気になりましたか?」
「どうだろうね。最初から本体で姿を見せれば会話くらいしたわよ――でも、一つ。あまり私のツレの逆鱗に触れるような真似はしないでちょうだい。あの子は感情が爆発しちゃうタイプなんだから」
「気をつけておきましょう。ところであなたはご同業のようですが?」
「アンタと、同業? どこが?」
「魔術師なのでしょう?」
「うん。だから?」
「ならば同業でしょう」
「その結論がわからない。アンタと私のどこが同じなのよ」
「……どうやら、随分と自信がおありのようですね」
「はあ? またとんちんかんな……逆に聞くけど、アンタは自信があるわけ?」
「もちろんです。そうでなければ、このような場に出ては来ませんよ。違いますか」
「違うねえ。自分で自分に評価ができるやつを馬鹿って言うんだけど、その年齢まで生きてきて知らなかったんだ?」
「……」
「――ま、この悪趣味な状況を見ればそのくらいわかるけれどね」
「おや、それだけは褒め言葉のようですね」
そんな会話を、ミヤコは聞く。だが決して――二人は、リウもミヤコも、ハーヴェイと視線を合わせることはなかった。
彼らのことなど気にも留めず、ほかのリングでは戦闘が行われている。
ずっと、この時を待っていた。
ずっと、この時のために生きてきた。
「――オヤジ」
大剣を鞘から引き抜いたディドは、鞘を放り投げる。
相手も同様に大剣を構える。体格はかつてと変わらず、包帯によって顔はわからないが眼光そのものは、もう面影もない。
けれど間違いなく、相手はディドの父親だった。
父親であり、師匠だった。
――カーマインの手によって、殺されて操られるまでは。
「あんたは、俺が殺す」
両手で構えた大剣は、しかし切っ先を下に向ける防御の構え。右手で柄を掴み、左手は大剣の腹に添えられている。
隣、ムツキのリングへと一瞥を一つ、だが意識から除外する。あちらはあちらで、己の母親だったものと対戦するのだ、任せよう。
「淘汰の道筋」
言術を展開。術式紋様は頭上から足元まで移動した後に停滞する。これは師匠から教わった言術であり――身体の無駄を省く効果がある。けれど相手は、それを使わない。
使えない、のか。
息を整える。
意を決しての踏み込みは、しかし、同時であり、速度では相手が上回り――先手は。
相手の振り下ろす大剣に合わせるよう下から上への軌跡を描き、ぶつかり。
「――っ」
力で、相手が上回った。
すぐに力を受け流して側面に回るが、先ほど大剣が軋む嫌な音を立てた。主体を防御からの攻撃にしているとはいえ、三度も受け止めれば大剣が壊れかねない。
側面に回ると既に、相手は大剣を縦にして構えている。攻撃をすれば弾かれる、その一瞬の惑いと硬直が相手の攻め気に触れた。
まずいと思った時には遅く、硬直が一手遅れの原因となって相手に攻めを連発される。防御から攻撃に転ずるには一度防がなくてはならず、それも回数付きの限定動作。ならばと、大剣の軌跡を予測して回避行動を続けるが、回避から攻撃に転ずるのはもっと難しい。
踏み込みに見せかけた陽動も通用しない。まるでこちらの手の内が全てわかっているようだ。
――いや、わかっているのだろう。
彼が教えたことなのだから。
くそったれ。
「軌跡の道筋!」
言術の多重展開。身体への負荷が増えるけれど、このまま長期戦に持ち込むのだけは避けたかった。
いや、実際には脳への負荷が強い。この術式はコンマ数秒先の未来を予測して、その軌跡を脳内に情報として取り入れるものだから。
ディドは考えていない。いや、考えようとはしていない。
それでも、主導権を奪えなかったらどうするか。
一方、ウーのリングは膠着状態だった――いや、違うか。
ただ、身動きせずにせめぎ合っている。
相手とは同じ構え。顔は相手を見据えたまま、右の肩を突き出すようにしつつ拳を握らず、第二間接まで曲げている。右手は天へ向け、左手は腰の付近で留められている。
ウーは言術師ではない。魔術師でも、呪術師でもない――ただの人だ。
ただの人で。
対術師戦闘の専門家でもある。
そして、後の先を取ることだけを集中的に鍛えた人種だ。
神のお膝元と謳われる五徳家が一つウージ家は、そのことだけを追求して神の足元にまで至った。表向き、顔見せこそしないため無名だが、一部では常識のようなものにもなっている。もちろん、ディドはそれを承知してここまで連れて来た。
ウーは焦らない。
感情もない。
相手を叩き潰すことは結果であり、まだ過程の途中であるため意識しない。
ただ――待つ。
ひたすら待つ。
その先に、必ず存在する天秤が揺れ動くその時を。
そしてもっとも動いているのがムツキだった。同じ弓使いの相手と共に、距離を保ちながら幾度となく矢を射っている。背に負った矢筒にある残りの矢数など一切気にせず、ただただ射抜く。
半自動的に追尾させる言術や加速などの補助を適時組み込みながらも、矢を番えたまま移動を繰り返し、矢先を相手へと向ける。
己の母だったもの、キサラギに対して。
ムツキにとって母は常に、強者であり越えられない壁として存在していた。好悪を問われれば好きだと答えただろう。今でもそう断言できる。整った佇まいや仕草、考え方だけを除けばカンナに一番近かった。
だからこそ、赦せない。
赦せるはずがない。
死んでいるのにも関わらず、こんなところにまだ居るだなんて。
ならばこの手で止めるのが、娘としての役目だ。そう思ってここまできた。
――けれど、でも。
ムツキは知らなかったのだ。
キサラギと呼ばれていた人物が、これほどまでに強かったとは。
「いかがでしょうか」
両手を広げたカーマインは、厭らしい笑みを浮かべる。心底この状況が楽しいと言わんばかりに。
二人は相変わらず見向きもせず、その態度にやや苛立ちを感じながらも、カーマイン・ハーヴェイは表に出さない。
「これは彼らが望んだことでもありますが――かつての師であり父親をディドへ、偽りのない愛情を抱いていた母親をムツキへ、そして前任者でもある人物をウージへ。見ものですねえ、どんなドラマが生まれるのでしょうか。私は楽しみでたまりません」
「……以降、何度か機会はあったのにも関わらず、ディドたちを放置していたのは?」
「結果を見ればわかると思いますが、残念ながら素材としてはあまりにも弱い。もしもこの状況で彼らが勝者になるようでしたら少し考えなくもないですが、まずないでしょう。もっとも? あなたやそちらのお嬢さんは非常に興味深い素材ですがね」
「じゃあやってみれば?」
「できないと、お考えなのですか?」
「できると思ってるのね。そりゃ傑作よ、笑いを堪えるのが大変。
「……ふむ。けれどあなたは、私には勝てません」
「ああそれは正解。正しい。これ以上なく。私はアンタに勝てない――その通りよ」
嘘ではない。
そもそもリウは、あらゆる〝攻撃〟をすることができないのだから。
会話を聞き流しながら、観戦しているミヤコは、やっぱり思い違いをしていると納得していた。
目的は達成できるだろう。もちろん、二人が手を貸す形になる。けれど望みは叶わない――彼らは、取り違えているのだ。
本当の目的は、屍体となって操られている彼らを弔いたい、という願いから発生したもののはずなのに、相手を打倒することを追及してしまっている。
それを愚かだとは思わない。それでも埋まらない実力差を、笑う必要など、どこにもない。
だから、笑っているハーヴェイを見ると、イラついた。
「リウ」
「なによ」
「――そいつ、黙らせて」
「ははは、彼女にはできませんよ。確かにあなたの実力はかなりのものだと――」
「やっぱいい」
ミヤコは躊躇わなかった。ただ、刀を抜いた。
「あたしが黙らすから」
一刀。
かなりの距離があるのにも関わらず、その居合いは間違いなく届いた。
ハーヴェイは黙った。そして、くるくると回転するようにして飛ぶ己の左腕を視界の隅で捉えてからようやく、己が攻撃されたことに気付き、奥歯を噛みしめ、叫びを抑え込み、額に汗を一気に浮かばせながらも、治療術式を複数展開して止血を急ぐ。
「――くそっ、貴様、貴様……!」
一時的とはいえ治療にかかるまで八秒、そこから攻撃術式を展開するまでに十二秒。合計で二十秒、それは遅すぎた。リウの言葉を借りれば、程度が知れる、というやつだ。
ミヤコは視線を合わさず、ほかのリングを見ている。
ディドが攻勢に出るための防御をした。
どういう見込みをしていたのかは知らないが、しかし、防御した大剣ごと斬られたディドは左の肩から脇にかけて衝撃を受け、数秒の間を置いて上半身の服を血色に染める。それに対して動揺しなかったのは良かった。だが、ディドの攻撃は相手の大剣によって防がれる。
防がれれば、続くのは攻撃だ。それがディドとその相手が使う大剣の基本なのだから。
折れた大剣がウーへ向かい、冷静にそれを弾いた先は相手へ――膠着を打ち破ったそれが、彼らの戦闘の待ちを破る。動きは同時、相手もまた飛来した大剣を打ち払い踏み込みを一つ。
お互いに、踏み込む――が、それは前へ進むためのものではない。間合いに入るは正しい、正しいが彼らにとっての踏み込みとは。
停止、だ。
拳ではなく二の腕が当たる。それはミヤコが甲冑の相手にやった攻撃とひどく酷似している、衝撃そのものを操ろうという体術だ。
まったく同一の歩幅、同一の所作、そして攻撃が発生するのも――同じ。
ムツキは最後の矢を射る。相手も最後の矢を射るが向かう先は飛来していた大剣の欠片、けれどムツキの矢は中らずに通り抜け――相手が。
矢を番えずに、引き絞った。
その先にあることをムツキはまだ知らない。
「貴様ぁ!」
術式の発動より前に、ミヤコは右足を上げ――そして、思い切りリングに叩きつけた。
轟音。
リングが破壊され、衝撃は周囲へと拡散して闘技場内を走り、観客たちは息を詰めた。
「――うるさいと、言わないとわからない?」
たったそれだけで、ハーヴェイの展開していた術式のすべてを吹き飛ばしたミヤコは、ここにきて初めて、ようやく、壊れたリングの破片に立ち、自然体で、視線を合わせた。
「この程度で――魔術師を、謳うな」
静寂の中、その言葉はいやに響いた。見ればほかのリングも、包帯巻きの屍体は力を失ったかのように倒れ、彼らがこちらを見ている。
「はいはい」
そんな状況でも動じず、リウが二度ほど手を叩いた。
「このクソッタレの性格が最低で、話にならないほどの雑魚で、増長しているだけの馬鹿なのは今更よ。いい加減にうるさかったのは私も同じ――〝コキュートスの匣〟」
無慈悲にも、その仕組みを作動させる。
言葉によって撃鉄を落とすのは言術に似ている。だがこれは、リウが体内にストックした、あらゆる魔術、言術、呪術から特定のパターンを呼び出して一つの結果を見せる流れを、いわば一つの技を発動させるための引き金だ。
発動した術陣の数、八十と七つ。それらは折り重なるようにしてハーヴェイを囲い込むと、そのまま凝縮するように小さくなって――。
「……!」
聞こえない叫びを残して、ハーヴェイは一辺がおよそ五センチほどの紅色の立方体になってしまった。
ここは戦場ではないし、戦闘をするつもりもない。そして、かつてよりも成長しているリウは、このくらいの術式ならば、周辺状況を整えるための術式をわざわざ展開せずとも、ワンアクションで行えるようになった。これもまた、成長だろう。本領である創造系術式に関しては、そうではないが。
どよめき一つない、静寂が広がった闘技場の中、リウはゆっくりと歩いてその立方体を拾い上げる。
「よっと」
そして、思い切り観客席へと放り投げた。かなり雑な扱いだ。
「さて――ディド、ムツキ、ウー。彼らを闘技場の隅にまで運んで、これからの余興でも楽しみなさい。邪魔した形にはなったけど、でも、あんたたちの目的は、本当の望みは、彼らを弔うことだったんでしょう?」
リウの言葉に、反論はない。何かを言おうとしたディドも、奥歯を噛みしめて首を振り、屍体をかついだ。
「ミヤコ」
「うえ……まずかった?」
「いや、いいんじゃないの。乱暴だったけど」
「リウが移ったんじゃない?」
「言うわねえ」
『……あ』
司会進行が混乱、というかようやく我に返った。まあこの状況を説明しろと言われても、確かに何がどうなのかわからないだろう。終了の合図もなしに、ミヤコもリウもリングを降りているし。
『そうだ、えーっと何がどうなって……あのう、どうすればいいのこれ』
そこへ。
その男が、来た。
「――よォ。待たせたな」
『あ! ちょっとレーグ、あんたなんで……と、いかん』
拡声術式を切ったバニーガールは慌てたように近づいて来た。とはいえミヤコは離れているため、リウとレーグネンの傍にだ。
「ちょっと!」
「うっせェよミミ。俺ァ今からミヤコを試す。場を仕切れ」
「イ・ヤ・だ! あんたいっつも自分勝手で周囲を盛り上げといてにやにや見て楽しむじゃんか! わたくしまで巻き込まないでよね!」
「本当にうるさいわねえ……」
「う……ちょ、ちょっと近寄らないでよそっちの。なんで来るのっ」
「何を警戒しているのかしら?」
「だってレーグと似たような気配を感じるし、どう考えても嫌な予感しかしないから……」
「お、勘がいいわね。ふふふ」
「か、帰りたい……!」
「王城の向こう側へ?」
「うんそう」
そこは頷いてはいけないところだと思う。
「おい」
「うん、まだここで解析するつもり。ミヤコを頼んだわよ?」
「おゥ――」
レーグネンが足をミヤコの方に向けると、地面が僅かに揺れて大きな一つのリングへと地形が変わっていく。そして周囲には五メートルほどの柱がそびえ、場を整えた。
「じゃミミ、観客に説明。いい?」
「……ヤだ」
「わがまま言うと耳の毛をむしるわよ」
「それ猫にすることで兎にすることじゃないよね!?」
「呼んだかのう」
呼んでないから影から出てくるなメイ。まあいいけど。
「いいから説明。決勝は終わり、続けて国王の側近とミヤコの一騎打ち――理由はそうねえ、レーグネンの気まぐれってことにでもしておきなさい。戦闘を見れば誰も文句は言わないから。ほら早く」
「く……お、覚えてろっ」
「ちゃんと覚えておくわよ。後でたっぷり構ってあげるから」
「ぬぐぐぐぐ……!」
呻りながらもリングから離れたバニーガールは、拡声術式で進行を始める。その様子を見たリウは、リングの隅で柱に背を預けた。
「メイ、探り入れるから、ミヤコの戦闘は記録しておいて。特にレーグネンが扱う刃物」
「承知した、主様」
「あと、ミヤコが放り投げた刀、確保しといてね」
村時雨を抜くために邪魔になった刀が転がっており、いや妾は猫なんじゃがと言いたげな視線を送ってくるが、無視しておいた。
さてと、もう隠す必要もないため術陣を複数展開して厳密な調査へと乗り出す。ああそうだ、後でカーマインとかいう名前だった男の拠点も爆破しておこうと、準備を同時進行しつつ。
――そして。
ようやく、ミヤコは目的の一つである場所に立つことができた。
「正直に言えば――」
お互いに声が届く距離、そこでぴたりと止まる。ほぼリングの中央だ。
「嬉しいぜ。楠木の名を持つ人間が、刀を持ってるッてだけでもいいのに――お前は、それ以上だ。けど、難しいなァ……基礎はできすぎてる。上出来だ、これ以上はねェ。そこから先は――師事する人間がいねェと、進めねェ」
「……薄薄は感じてた」
「へェ?」
「だってここから先は――なんだか、進む道がたくさんあり過ぎるから」
「はッ、そりゃァ良い先見だ。そいつを袋小路だと思わねェのは、なんつーか村時雨が気に入るわけだ」
「それはどうも」
「だから――村時雨、ちぃと痛いだろうが我慢しとけよ。文句は後だ。――ミヤコ、術式を使ってもいいから全力で来い。俺は、見せてやるよ」
「なにを?」
「楠木流抜刀術――そう呼ばれるものをだ。おい涙眼、五月雨をよこせ」
その刀は、ぽつんと空中に現れてレーグネンの手に渡った。けれどミヤコにも見える、それは和装の――妙に静かな女性らしき何かが、彼に手渡したのだ。
天魔だ、と思う。
村時雨とは違う形式のもの。
あれは刀を依り代にしているのではなく、やはりレーグネンそのものに憑依しているような――。
「さてと、一つ教えておいてやろう」
ミヤコはすぐに足元に術式を展開し、身体能力そのものを底上げする。状況によって適時、各部を強化するための事前準備だ。
そして、呼吸を切り替えてリングを踏み、抜刀の姿勢をとった。右肩を前に出すように、腰を捻り、刀に手を当てて。
「楠木の抜刀に、待ちはねェ」
レーグネンは腰ではなく、右手で鞘を持って鍔を押し上げ――柄を、握った。
見えたのはそれだけ、聞こえたのは背後での鍔鳴りの音。
「楠木流抜刀術、八ノ段〝
振り向くことすらできず、息を呑む。今は間違いなく走り込みからの抜刀術――そして、たった一つの鍔鳴りで、一つの攻撃ではなく。
四つの抜刀を連続で行われた。
妙に、鼓動の音が聞こえる。
右肩、左足、腹部――その三箇所の衣服が僅かに切れていて。
喉に。
ひりひりとする小さな痛みが発生していた。
「楠木で最高速度を誇る、簡単な居合いだ」
その簡単なものに、どれほどの時間を積み重ねて磨がれているか――ミヤコは、わかった。
少なくとも、途方もないものだと理解した。
だから。
ミヤコは疾走を開始する。
「へェ……なかなか、頭を使ってやがるぜ」
術式で強化したミヤコの速度は、もはや人の目では追いきれない。リングを蹴り、柱を蹴り、そうした一つ一つの動作から発生する〝停止〟だけが残像になって行動を浮かばせるものの、その残像もまた自然に消え行くものだ。
ミヤコは移動速度に劣らぬ思考を行う。志閃と呼んだあの一撃のことだ。
一撃で複数個所に傷をつける手法を考えたのは、そうしなくてはならない状況を経験したからだ。これでもミヤコは対妖魔戦闘に関しては数をこなしている――もちろん、望んでしたことではないが。
――刀でも、斬という一つの攻撃方法だ。
それを四つ。つまり暴、徹、貫、包をあの速度で放てるってことだ。
まずは何も意識しない暴でいい。連続で四度する必要もない。ただ二度、それを行ってやろうと身動きしないレーグネンを見据えて踏み込む。
連続抜刀のやり方はおそらく、わかる。納刀の勢いをそのままに鍔を弾いてやれば――。
「ッ――!」
駄目だ、と理解した。
それはレーグネンが残像だけ残して消えたことではない。中らなかったことに対して、この状況で悔しがる必要は一切なく、ただ――己の行動が、駄目だった。
落ち着いて、視線を周囲に向けながら再び疾走を開始しつつ考える。
踏み込みからの抜刀、これはミヤコも鍛錬して幾度となく行ってきた――が、それは一度の居合いのための踏み込みだ。つまり踏み込みから抜刀のタイミングが一度を前提としているため、二度目に移行することで身体バランスを崩し、それを留めるための時間が躰を停止させ、レーグネンのように走り抜くことができなかったのである。
もちろん、一度で成功するとは思っていない。だがその感覚を忘れるわけにはいかないし――きっとレーグネンは、同じ踏み込みでもできるはずだ。
凄いなと素直に思ったのと同時、リングの隅にいるレーグネンを発見する。それにしても術式を一切使わずに体術のみで移動しているようだが、――下手をするとあたしを圧倒してないか、あれ。
腰に佩くのではなく、腰に構えた居合いの体勢に違和感がある。
――?
何かが違うと直感が囁きかける。距離があるためではなく、ミヤコはそもそも同一の抜刀を使った相手と手合わせをした経験がないから、わからなかったのだろう。
既に、レーグネンがその場を動かずして攻撃しようとしている気配に。
「二ノ段〝
声が聞こえた、そして鍔鳴りの音が。
「――!?」
どうする、という考えは即座に捨てた。今は眼前に迫る、リングの表面を這ってからこちらに向かって来ている蛇の顎のような力を、柱を足場にして迎え撃つ!
遠距離攻撃――予想もしていなかったそれに対し、居合いを思い切りぶつける。一体どれほどの距離があると思っているのだ。隣のリングまでならば、まだしも、本格的な遠距離じゃないか。
村時雨が鳴くような音を立てたため内心で謝るが、それどころではない。レーグネンは力を制御していたため相殺はできたが、けれど。
楠木の抜刀に待ちはなし。
それを今まさに体験していた。
「――
空中で足場のない居合い。躰を回転させつつ振り下ろされるそれを受け止めれば、もちろん落ちるのは当然で。
「
既に下で待ち構えていたレーグネンが居合いを完成させる――峰打ち、だがまともに食らってミヤコは吹き飛び、けれど追わず。
「
眼前に、水平方向に放たれた衝撃派が飛来し、ミヤコは歯を食いしばって両足でリングを叩くと、どうにか回避して――そのまま、背後にあった柱に背中をぶつけた。
呼吸が一瞬停止し、それから足がリングに再び戻る。その柱はミヤコの頭上付近で綺麗に切断されて、派手な音を立てて落ちた。
「――曰く、樹木の要こそ芯なれば段の基に襲、次いで葉を散らし、踏破して芯を抜く」
呼吸が整わない。痛みには強引に蓋をして、両足に力を入れて立つ。
呪術で強化しての防御なのにもかかわらずこの威力。加減しているのがわかるのが辛い。
「楠木にゃこういった派生が死ぬほどある。一撃目から続く襲、そこから生まれる散、とどめと言わんばかりの踏。組み合わせを考えりゃ足が竦むほどに頭を使わなきゃいけねェ――が、忘れるな」
刀を右手にぶら下げた自然体のまま、伝えてくる。
「楠木の技は基本的に一から八ノ段までしかねェ。零はなし。死ぬほどある派生も――ただ一つ、八ノ段のために作られたものだ。……ま、雨天の抜刀術の中から攻め気を持つモンだけを重点的に引き継いでるンだけどな」
もっとも、と苦笑してからレーグネンは続けた。
「これは体術だけの話だ。術式を使ったものも見せてやるよ」
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