02/20/16:30――朝霧才華・今更の告白
学園にくるまでの行軍は、身をすくませるには充分な出来事だった。
悲惨な光景を何度も見たし、一歩間違えれば自分がそうなるだろうことは想像に容易く、それでも生き残れたのはひとえに、友人……であり、軍人であり、朝霧
的確な指示に、適切な行動。終わってから聞いてみれば、それもまた軍部での訓練で培われたものだと言う。
転校生として訪れたシシリが、才華と仲良くなったのはそれなりに切欠があったけれど、仕事として護衛についている事実をシシリの口から聞いた時は、それなりにショックだった。今まで親しくしていたのも、仕事だと言われれば偽りのように感じるし、冷たさも孕む。
けれど結果として、一緒にいることを才華もシシリも諾とした。それが今に繋がれば、功を奏したと言えよう。
「荷物運びも、これで一段落か。好んで雑用をやるなんて、よくもまあって感じ」
「俺にできることを、してるだけだよ。躰を動かしていないと、手が震えるんだ」
「肝っ玉が小さいなあ。ほんと、臆病なのは変わんないっていうか。そういうとこ、好きだけど」
赤毛の短髪、小柄でありジャケットにカーゴパンツという恰好のシシリは、目付きがそれなりに悪い。性格はさっぱりしたもので、あるいはずけずけといった物言いをする。
「あたしも付き合ってるけどさあ、そろそろ休めば?」
「……うん。そうすべきだってのは、俺にもわかるさ。だけど――……」
「ん、どした。便所か?」
ふいに足が止まったのは休憩室の前。自販機は未だに稼働しているが、もう補給がないとわかっていれば使わない人間の方が多いし、そもそも携帯端末をまだ所持している人間の方が珍しい。だから休憩室よりも教室にいる人がほとんどだが、その並びに。
二人の女性が立ち話をしているその光景を、どこかで、見た気がしたのだ。
「あれは――」
「才華にシシリではないか。どうした、立ち止まって。入ってこい」
そうだ、思い出した。
ずっと日課にしていた墓参りの時に、朝霧家の前で出逢った二人だ――。
「久しいなシシリ。仕事はもういい、充分だとも」
「はっ! お久しぶりであります、大尉殿!」
腹から絞り出すような声に、才華はぎょっとして隣を見る。背筋を伸ばし、両手を腰の裏に回し、やや胸を張るようにした格好での返答だ。こんなシシリは初めて見る。
「もういいと言っただろう、シシリ上等兵。北上や七草がようやく慣れてきた頃合いに、またこれかと思えばため息も出る。気楽にして構わんぞ」
「イエス、マァム。しかし――自分には恩があり、やはり尊敬すべき大尉殿をお相手に、普段のように接しろと言われても、困難であります」
「そうか、それもまた頷ける話だな。私もジェイル・キーア殿に対しては、少しばかり畏まってしまうものだ。――鷺城」
「ん、返答は受け取ったから、あとで」
「うむ。さて、久しいな才華。私を覚えているか」
「ええ……今、思い出しました。以前、うちの墓でお逢いした方ですね」
「そうとも。あの時はアイウェアをしていたがな。どうしたシシリ、適当に座れ。お前が座らんと才華も休めんだろう」
「は、諒解であります。才華、こっち」
「ああ、うん。しかし、僕はあの時、名乗ってはいなかったかと」
「ふむ。シシリ、情報解禁だ」
「――よろしいので?」
「この状況では、もう隠す必要もあるまい。改めてだ、名乗っておこう。さっきいたのは私の唯一の友人である鷺城鷺花。そして私は、――朝霧芽衣だ」
「――え?」
「聞こえなかったか? 朝霧芽衣。間違いなくお前の姉だ」
といっても、今になって姉面などしないがと、芽衣は笑う。
「え、どう、して……」
「あー、ずっと黙ってて悪かったよ、才華。あたしはな、朝霧大尉殿に頼まれて、あんたの護衛をしてたんだ。依頼主は明かせないって、ずっと言ってたのは、そういうこと」
「シシリが謝る必要はないとも。強要したのは私だからな。――さて、混乱しているだろうが、聞け。当時のことはよく覚えていないだろう? 両親がなにをしていたのか、そして私がどうしていたのか、話してやろう」
「自分も聞いていて、よろしいのですか」
「構わん。当時、軍属だった両親が集めていたある情報があってな、通称はアサギリファイルとされていたが……これは、嵯峨財閥と呼ばれる組織の名簿だ。厳密には違うが、そう捉えて貰って構わない」
「――と、その、危険なものだったと?」
「敬語は必要ないが、好きにすればいいか。そう、実際に危険な代物だった。私が引き継いではいたが、始末は済んだ。しかし、危険があったからこそ、同じ組織の人間が回収に向かったのだが、手違いに似た齟齬が生じてな。突入してきた三名のうち、二名は死亡。一名は消失。生き残ったのは私とお前だけだ。もっとも、私も死者にカウントされたが」
「どうやって生き延びた、……たんだ?」
「消失した一名を、私が〝喰った〟のが現実だ。不可解な現象は、そういう術式だと思っておけ。似たようなものだ。そこで遅れて到着したのが、祖父方の姓を持つ天野守――あのランクSS狩人〈
「その時点で、あなた……姉さんは、死んだことになったのか」
「そうだ。しばらくはジニーを師と仰ぎ、戦場のイロハを教わった。やっていたことは、そこらの軍人と大差ない。最初にやったのは走ることだ。アメリカの奥地にある山に囲まれた自然の中、そこは師匠の私有地だったわけだが、とにかく基礎体力作りだと走った。午前中にそれが終われば、設計図を渡されてな。そして、小屋を作れと言われた。木なんぞ山にいくらでも生えてるから、とな」
「当時、確か朝霧殿は六歳くらいでしたか……」
「そうとも。無茶を言うとは思ったが、いかんせん母屋には理由なく立ち入ることができなかったので、仕方なく庭に小屋を建てた。今にして思えば、不格好でいつ壊れてもおかしくはないものだったがな。半年くらいは走ることを中心にして、時間があれば小屋を作り、そして食料を確保した。山で採ることもそうだが、栽培もな。怪我をした時の薬草などは、徹底して仕込まれたものだ。何しろ、ナイフを使った戦闘訓練を行ったのもそのくらいで、怪我も自分で治さなくてはならん」
わかるだろう、と芽衣は苦笑しつつ言いながら、立ち上がって自販機で珈琲を買う。
「既にこの時点で、私とお前はもう、道を同じくすることはなかった。アサギリファイルを私が持っている以上、火の粉がかかるのは私だけでいい。そういう意味合いでは、師匠もトラブルに対処するための技術を私に教えていたようなものだ。それから私は師匠から、天野さちの名を貰い、生きてきた。銃器の扱いは、拾われてから……一年後くらいか」
走ることはずっと続けていて、銃器の訓練を終えたあとは、日課の中に訓練時間を追加しつつ、術式の訓練も行った。その流れで鷺城鷺花との死闘を一年して、師匠が亡くなってからは、軍部に入ることとなる。
「軍部といっても、実力最優先でな。基礎訓練課程こそ海兵隊と同じだが……しばらくして、思いのほか私は、軍の中で時間が作れることに気付いた。なんだ、簡単に言ってしまえば暇になったと言い換えてもいい。今この学園にもいるエッダシッド教授の下で、教育学を教わったのもその頃だ。コロンビア大学だな。
「大尉殿、狩人だったのですか」
「うむ。丁度その暇な時期に訓練を見てやった一人が、シシリだな。もっとも、私よりも北上や七草、加えて兎仔には可愛がられていたようだが」
「大尉殿に逢うまでは、本当に可愛がられていただけだと、気付きませんでした」
「ははは、同じ東洋人としては、見てやりたくなっただけだ。とまあ、そういう経緯もあって、私がいつか日本に戻る機会が少なからずあるだろうと、それを見越して、先にシシリをお前の傍にやったわけだ。――どうやら、良い関係が築けているようだが」
「うん、それは、いろいろあったけれど、シシリがいてくれて僕は……俺は助かってる」
「もう寝たか?」
「え、いや、その……」
「シシリ――なんだ、顔を赤くして。才華じゃあるまいし、軍部じゃありふれたやり取りだろうに」
「や、染められたんですかね、自分も」
「ははは、どちらでも私は構わないが。才華、質問はあるか?」
「定期的に振りこまれていた金に関して」
「ふむ。あれは師匠が、つまり天野守がお前に対しての補償として出していたものだ。遅れたことの後悔がそうさせたと、私は思っているし、それは師匠が勝手にしたことだから、気にする必要はない。師匠が亡くなってからは、私が送金をしていた。何故か? 理由は多くあるが、ギャンブルで使うよりはマシだろう?」
「……」
「納得できん、という顔だな才華。だが、私はお前が納得できるような理由など、わからん。お前に負い目があったと、そう言えばいいのかもしれんが事実ではない。私は私の人生を楽しんでいたとも」
「どうして、今になって?」
「私とお前の関係性を知る人間は少ない。いたずらに広められても困る状況が、今までだ。そして、これからは違うと見た。お前も探していたようだから、というのが一つの理由にはなる。もっとも、お互いに顔も覚えていないだろう。これからの生活に関わることでもない。事実が一つあった、ただそれだけのことだ。シシリ」
「は、なんでしょう」
「私もしばらくは学園にいる。何を話しても構わんから、質問には答えておけ。なにかあったら私を訪ねろ」
「イエス、マァム」
「ではな。――ああ、才華」
「……なに?」
「私にとって、お前が生き残ってここまでたどり着いた事実は、それなりにほっとしている。一応それだけは伝えておこう」
空になったカップをゴミ箱に入れた芽衣は、言うだけ言って去ってしまう。途端に、才華は大きなため息を落とした。
「……なんなんだ」
「気持ちはわかるんだけど、あたしは朝霧さんと才華の関係を知らねえし、なんていうのかなー、あんまし繋げて見てないっていうか」
「姉さん、なんて呼んだ数だけ、違和感が凄かった」
「あっははは、そりゃそうだ!」
「……でも、そうだな。俺が探していたのは、結局のところ、生きているならどうしているのかが、知りたかったんだ。だから」
「だから、生きてりゃそれでいいってか? それはそれで、割り切り過ぎって気もするけど、才華の決断に口をだしはしないよ」
「……シシリは、あの人の部下ってわけじゃないんだ?」
「あー、情報解禁だし、話してもいいのかなあ。軍部って言っても、あたしらがいた組織は、軍部に間借りしてたんだ。言ってたろ? 実力最優先主義。功績を得ようなんて考えなくても、特化した何かがあれば、それだけでいい。階級が上がっても、そりゃ給料は良くなったけど、やることは変わらないんだ」
「軍部じゃなくて、一つの組織と考えた方がいいみたいだな」
「そんなもんだ。あたしの上司は、アキラ大佐っていう人だよ。直接的にはな。組織の中じゃ、それなりに汎用性のある〝忠犬〟なんて呼ばれる、六○に所属してた。兵籍番号は六〇八三だ。で、朝霧さんは六〇一」
「番号の関連性がよく、わからないんだけど……?」
「忠犬のファースト、一番トップが朝霧さんなんだよ。で、三桁番号はほかの部隊じゃ違うんだが、うちは〇五まで。その下に、四桁番号がそれぞれいるんだ。なんていうか、それぞれが一つの部隊単位?」
「疑問形で言うんだ。当事者じゃないか」
「あんまし、括りとしてはあったけど、ほとんど単独で仕事してたからな。軍部への出向とかもあったし、ほら、あれだ。便所に行くのに、ぞろぞろと連れ立っていかないだろ?」
「わかりたくなかったけど、単独行動が多かったのは、わかったよ。上司というか、上官だったわけか」
「前に話したろ? 命じられたから、嫌嫌きたわけじゃないって。あたしは、朝霧さんに言われたんだ――こと単独で、迅速に障害を排除可能なことは、護衛に通じる。ただし、お前の護るべき対象は、それに納得できないだろう」
ああと、才華は頷く。実際に自分が守られている、という自覚がなかったのは、そもそもシシリの腕なんだと思っていたけれど、護衛の仕事をしていると告白されてから今までも、一緒にいる時は一切、そんな行動を見せなかった。というのも、それだけ切迫した危険が生じていなかったのが事実だけれど、シシリはそもそも、安全を確認できてからしか、才華の傍にはこなかった。
守ってくれているのに、姿が見えない。
本当に護られているのかと、疑問に思う。
才華は頭から信じることで、それを許諾したけれど、それは親しみがあったからで――仕事としては、不安になった時点で解雇の流れになってしまう。
それに。
「あたしの仕事は、対多戦闘を正面から受けて突破することが、ほとんどだった。そんなあたしに別の可能性を見せてくれて――正面からやり合って、手も足もでなかったのが朝霧さんだ。だから、頼みがあると言われた時は嬉しかったよ」
「聞けば聞くほど、雲の上の人に感じるよ。でもまあ――生きていてくれたのは、そうだね、姉さんじゃないけれど、ほっとしたよ」
「ん。なら、もう休もう。一緒に寝てやるからさ」
「――それ、シシリが一緒に寝たいだけじゃないか」
「おうよ、その通り。なんなら、あたしの人生を枕元で囁いてやろうか?」
それはまた改めてしてくれと、才華は諦めたように笑った。
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