02/20/16:00――雨天彬・武術家の在り方
一ノ瀬瀬菜、中原陽炎、久我山紫月。この三人はほぼ同世代の扱いで、年齢も大差ない。呼び寄せた雨天暁は、適当に人のいない教室の中に入った。
以前に逢った時と比較できないほど、この人の佇まいは柔らかくなったと、陽炎は思う。簡単に言ってしまえば、より雨天に近づいた――否、こちらが本当の姿なのだろう。今までは、腕が鈍っていた状態だ。
「武術家ッて仕組みは、終いにしちまおうと思ってよゥ」
奥の窓際まで近づいた彬は、校庭に見えた何かに小さく笑ってから、そう言って振り返った。
「うちの爺はくたばった。俺ァ誰かに継ごうなんて思っちゃいねェし、残すモンもねェ。だからお前らも、好きにしていいぞ」
「私は元からそのつもりだけれど、失っても良いの?」
「ん、ああ、そうか、瀬のには、爺から話がいってたっけな。今の仕組みを創り上げたのは、爺の気まぐれみてえなもんだ」
「なんぞ、続ける気はねーってことけ」
「俺はただの人間だ、爺みてえに天魔と一体化してもいねェよゥ。俺の人生、もう半分を切っちまってる。なにかを背負い込むほど、思い入れはねェ。俺の同世代も、先にいっちまったしな」
「俺としては全く構わないけれど、どうかな。――彼らは、それで納得するとは思えないね」
「うちの茅なんぞは、ええけんども」
「望むなら、多少は手くらい貸してやる。そいつが年長者ッてやつだ。明日以降なら、お前らもいいぜ」
「へえ……」
「そりゃ、ええなあ」
「まったく、これだから武術家ってやつは……私は結構よ。面倒臭い」
「ん、ならいい。ガキどもは俺に任せておけ。時間を取らせて悪かったな」
構わないよ、なんて言えばすぐに教室を出てしまう彬に対し、陽炎は苦笑してから窓際に寄った。瀬菜もさして興味がないらしく、ふらりと出ていってしまう。
「月の、雨の、なんだ宮のもいる。忸怩を噛みしめてる最中ってところか」
「役立たずって聞いちょるけんのう。雨の倅も、宮んとこも。それに月のは、守る言うとったものを失っとる」
「一人で抱えられるものの、限度を知らなかったのかな。俺としては、気付けたのならそれでいいと、そう声をかけたくなるね。本人はそんなこと、気休めにもならないだろうけど」
「先が見えずに無茶するんは、うちの場合もっとガキん頃やってん」
「そうだねえ……背負う荷物の量を変えろ、なんて話じゃない。背負えないとわかったのなら、誰かを頼れって話だけど、そこに気付くのには時間がかかる」
実際に、時間がかかるのだ。武術家の多くは、それを生き様として、それ以外を見ない傾向にある。それでいて、武術は他者のためではなく己を高めるためのもので――なにもかもができる、と勘違いはしないものの、自分で解決してしまおう、という思考に流れがちだ。
次男に生まれた陽炎には、兄と姉がいて、自分は継承しなくても良いと生き方を変えた。紫月も先代である母親を早くに亡くしてから、武術が生活ではなく、生活の一部に武術を組み込んだ。それ故に視野は広がり、他者に頼ることにも躊躇がない。
「山のは、久々津のと知り合いだったかな」
「いんや、種別が違うけん、相手にはしとらんよ。相手をするなら茅がー」
「それもそうか。俺も蹄のに見せた以上、薙刀を持ち続けるんだろうとは思っているけれどね」
「しっかし、彬やんはどうすんべさ」
本当にね、なんて言いながら、窓を開けて二人は外を見た。
運動場では、呼吸を荒げながら、雨天紫花と朧月無花果が対峙している。
病院を守っていた無花果は、途中で
自分が豪語したことを守れなかったとは、やりきれない。言えるほど強くはなかったのだと思えば、短い睡眠を挟んですぐにでも、躰を動かしたかった。そうでもしないと、後悔に押しつぶされそうだったから。
紫花も、似たようなものだ。役に立たなかった悔しさが、躰を動かす。今までの自分を否定したくなるほどの忸怩を、動きながら否定する。
仕方のないことだ――なんて、諦めたくなくて。
先を見る。
「――てめェ一人を持てねえガキが、誰かの役に立とうなんて考えることが烏滸がましいンだよゥ」
そこへ、彬は到着早早に、辛辣な冷や水を浴びせた。
「む……」
「え――あなたは」
「おゥ紫花、覚えてねえか。まァもっと小せェ頃だったからなァ。一応名乗っておく、俺が雨天彬だ。暁の父親ッてことだな。――見てらんねェよ、お前ら。ちったァ休め」
「彬……さん?」
「爺さんッて呼んでもいいぜ。いいから止めろ、得物も呆れてる」
なにがあったかは聞いてるよゥと、左腰に佩いた刀の柄に、右手を置く。
「悔しさを噛みしめることもできねェなら、今から表に出て死んで来い」
「――」
「役に立たなかった? 約束も守れない? ――だからどうした。俺に言わせりゃ、ンなことは当たり前だ。採掘の現場に武術家がのこのこツラ見せて、何ができる。武術しか持ってねェお前らガキがやってンのは、やってきたのは、そういうことだ。その結果を、誰かが責めたかよゥ」
押し黙る。反論の言葉などないし、言えばきっとそれは言い訳になってしまう。
「しょうがねェな……そんなだから、ガキと言われるンだよゥ。まあいい、説教はついでだ、ついで。いいから聞け。紫花」
「はい」
「あー……俺のことは、鷺花にでも聞け。あいつとの付き合いはあったからな。ま、さっきの続きで言わせてもらうなら、そこが差なんだよ。武術しかねえと思ってちゃ、先が思いやられる――と、逸れたな。紫花、爺……雨天静がくたばった」
「え? 大爺さんが――どういうことです、爺さん」
「凛、無花果。お前らの師範は、いや、武術家と呼ばれる家名の師範のほとんどは、最期の花火を上げた。うちの爺と、制限なしでやり合ってな。――だが、それでも雨天には至らなかった。全員死んだ」
「拙は啓造殿から別れの言葉は、聞いている。彼らは、それで満足だったのだろうか」
「そりゃそうだろ。あいつらは、お前らとは違った意味で、本当の武術家だ。そして武術家とは、雨天を筆頭にして、雨天に挑めと、そういう意図が最初から組み込んであったんだよゥ。だとすりゃ、本望じゃねェか」
「では、大爺さんは?」
「介錯の手が必要だろうと思って、――俺が殺した。つっても、まァ詳しくは聞くなよゥ。俺も楽しくッて覚えちゃいねェし、ぎりぎり生き残ったのも事実だからなァ」
「そう、でしたか」
「でだ――これより、雨天ッてモンは失くす。武術家の仕組みもなしだ」
「待て。しかし、それは」
「ガキだなァ、おい。だからッて、お前らが武術家じゃねェと、否定したわけじゃねえだろうがよゥ」
ははは、と彬は笑う。確かに未熟だが、彼らの今までを否定してはいない。ただ、これからがなくなるだけだ。
「継ぐ必要はねぇ。続けるのも、辞めるのも、お前らの自由だ。紫花、お前も刀に拘らなくてもいいぜ。枯律を使っても構わねえよゥ。よく考えろ。明日以降なら、俺が相手をしてやってもいいからなァ……それで踏ん切りをつけるのも、悪かねェよ」
「……彬さん」
「なんだよゥ、凛」
「続けたいと、そう請うことは可能ですか」
「多少なら、な。お前らがそうであるように、俺にも俺の生き方がある。そこを承知の上だ。――話は終いだ、いいから休め。夜にある〝本戦〟を見逃す方が、お前らにとっちゃ損失だ」
「本戦、とは、何事か」
「この世で、おそらくもっとも最高の戦闘と呼ばれるモンが観戦できるンだよゥ。俺と爺の戦闘と比較しても、遜色はねェだろ」
いや、そうあって欲しいところだ、なんて期待もあるのだけれど。
「いいから散れ、散れ。休んで考えてから、躰を動かせ。いいな?」
本当にしょうがねえ連中だと苦笑して、しぶしぶといった様子の三人を見送ってから、ひらひらと手を振った。
「おう、邪魔者はどかしてやったぜ、
「――やあ、彬さん。現役復帰とは考えたね」
「ん? なんだ、一緒にいたのは久々津のか」
「ど、ども」
「というか、僕たちには、言葉なしか? 随分と冷たいじゃないか」
「久々津のはともかく、お前は充分に承知してるだろ。とっくの昔に一人前だ――が、そいつは武術家としてじゃあねェ」
「わかっているよ。久々津のも、どちらかといえば武術家じゃあ、ない」
「そうだけどな、うん、そうだぞ」
それ故に、久我山茅とは違い、久々津鞠絵は袴装束に決して袖を通そうとしない。
「どうした。話なら、聞いての通りだぜ」
「はは、いろいろと思うことはあったよ。役立たず、何もできなかった、そんなのは僕にだって言える話だ。あの時はそれで良かったと、納得することさえできない辺りが子供なんだと、思えなくもない。学園へくる前に、僕は少止に対して、あの二人なんか置いていけばいいと言ったことに、後悔も嘘もないけれどね」
「何様のつもりだ――ッてかよゥ」
「そういうことだね。あの場で何かができたヤツなんて、芽衣くらいなものさ。久々津の、会話しながらでも問題ないだろ。やろう」
「ああ、うん。あやとりだな」
お互いに手持ちの糸は少なく、茅が三本と鞠絵が四本、なんて有様だ。普段から人形を介して生活していた鞠絵に声をかけたのは茅の方で、人見知りである鞠絵が単独でここまでついてきたのも、久我山の糸に興味があったからである。
お互いに自然体のまま、二本ずつ合計四本でお互いを結ぶ。糸の操作に重要とされる指に絡ませるのが基本だ。長さはおおよそ五メートルの糸とする。その上で、お互いに三本目は自由に動かして良い。
これらの条件で、お互いに糸を動かして、主導権を奪い合う。久我山にとっても、そして久々津にとっても基本中の基本とされる鍛錬の一つだ。通称を、あやとりと呼ぶ。
「忸怩を抱いているのは、誰だって似たようなものさ。けれど、やっぱり今すぐに何かをどうにかして、解決する問題じゃあない。武術しかないと思い込んでるなら、なおさらね」
「武術しかないのか?」
「まあね。久々津のも、僕もそうだけれど、確かに武術しか持ってないのは事実だ。けれど、だからといって生き方はそれぞれ違う。武術に生きるなんてのは、言葉だけだ。彬さんだって、武術家の筆頭である雨天だって、武術で生きてはいるけれど、武術に生きているわけではないよ」
「武術を、いいように使って生きろってことか」
「武術を通じて世間を見りゃいいのに、ガキッてのは視野が狭いからな。目の前のことで精一杯になっちまう」
「私だってそうだぞ」
「僕だってそうさ。だからこうして、前を向く。――はは、僕にはシルヴァンなんていう、でかい子供もいるからね」
「前を向く? お前がもうちょっと前を向けば、マシになるとは思うけどなァ。傭兵時代に、一度終わってるだろうがよゥ」
「え、なに、傭兵だったのか、久我山は」
「棺桶屋」
「――ああ、知ってるぞ。情報だけ」
「そっちの糸も使ってたのか」
「情報がないと困るんだ。私は
会話をしながら、主導権を握り合う。当事者である茅に言わせれば、四分六分で負けの色が濃厚だ。
「ま、お前らもほどほどにしとけよゥ。まだ鈴ノ宮が合流すんのにも、時間はあるだろうからなァ」
「彬さんの世話になるつもりはないよ。気遣いは受け取っておくけれどね」
可愛げのないガキも、面白くはねェなと思った時点で、やはり彬は誰かを育てることを不得手としているのかもしれない。その自覚が得られただけでも、良しとしておくべきか。
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