02/20/05:30――蹄花楓・音色の下を目指して

 もはや、この状況下で梅沢なごみだけを守りたいと、その欲求を否定はしないけれど、拘泥するわけにはいかないのだと、ひづめ花楓かえでは改めて認識する。

 大所帯。名前を挙げれば、連ねるだけで疲れてしまいそうなほどでありながらも、その多くは主要人物であり、あるいは世話になっている人たちと称してもいいほどの人たちだ。けれど前線に立てるのは自分だけ――とは大げさだが、それでも引っ張って行かなくてはならない。

 そんな心情を抱けば責任を意識し、背筋が伸びる。

 ――風がでてきた。

 山から吹き降ろす冬場の強い北西の風は、野雨では日常的に感じていた。旅館は高い位置にあるのでそうでもないが、やはり下まで降りてくると違う。

 違ったのは、景色もだ。

 旅館へ赴いたあの時とは違い、燃え上がる火炎の姿もなく、あって燻っている程度。未だ夜明けは遠いが、夜目を利かせて見通せば――広い、広く、こんなにも野雨市は広かったのかと思わせるほどの、廃墟だった。

 障害物そのものの背が低くなっており、道路と呼ばれるものも、ほとんど原型をとどめていない。あまりにも慣れ親しんだ光景が消失している状況に、上手く緊張が抜けて自然体になる。

 想像していたが、ここまでとは思っていなかった。その違和が、冷静さを呼び込み思考を行わせた結果、落ち着きを払う。戦場の中、一つのミスで想定が何もかも台無しになった時に行う、高速思考にも似ている。ただし、落ち着きはするが、背筋を下っていくのは冷たい何かだが。

「最短距離でいいぜ」

 ふらりと、隣にきた蒼凰そうおう蓮華れんかが煙草を咥えたまま言う。こんな時まで策士としての先読みからくる意見とは、変わらないのだなと思いながらも、逆にありがたいと感謝したくなる気持ちを、心の中だけに押しとどめる。

「気を付けるべきは、なんだ?」

「進軍速度ですか」

「いや――と、否定しなくてもいいよなァ。どうも、癖があるぜ。確認な? 進軍は徒歩、哨戒を出す必要はねェよ。囲まれる危険性は考えるな、こっちにゃ充分に渡り合える連中がいるのよな、これが。だからお前は、道を作ることだけを考えりゃァいいよ」

「ええ、そのつもりです」

「でだ、注意すべきはあれよ、高位妖魔よ。お前ならわかるとは思うが、率先して叩け。で、終るまでこっちは防衛としゃれ込む。鐘楼が鳴った後なら、俺らも〝自己防衛〟の理由が利くからよ、派手に突っ込んでも問題はねェ」

 頷き、振り返れば大所帯と、その奥にある山には、久我山の旅館があるはずだ。今はもう見えないが、進軍はこれからである。

「こっちの戦力は、まァ原のと、山の。七番目も動けるし、瀬菜も食べ過ぎたから運動したいッて言ってるしよ。和幸となごみは、物見遊山だよ。あと俺も。つっても、七番目はピエロの対抗馬だ」

「では、時間もそれほど考慮せずとも良いと?」

「そうだよ。つっても、まァ日の出だから、二時間……んや、三時間ッてとこかよ」

「わかりました。全員無事のまま、至りましょう」

「おゥ――つッても、まずは第一波を凌いでからのことよなァ」

 笑う。

 その声に、足元から響く地鳴りにも似た振動と、遠くに見える夜の帳とは違う闇を見た花楓は、まず、何故と疑問を得た。

 妖魔の大群なのはわかる。まるで津波のように押し寄せるそれは、十分もすれば接敵するだろう。けれど何故、だったら旅館で迎え撃たなかったのか。確かに現状の方が、防衛という点において、小さくまとまることができている。旅館での防衛戦の場合、旅館という敷地全体をカバーしなくてはならず、余計なものが多い。けれど、陣を構えるという点においては、圧倒的に有利だ。

 けれど、蒼凰蓮華はその選択を拒否した。

飛針とばりを六本くれェ寄越せ」

 何故か。

「どうぞ。……蓮華さんはこうやって、バランスを保つのですね」

 あえて厄介な方を選択したのならば、花楓だけに任せることもなく、自己防衛の正当化が簡単になる。手助けがしやすくなる上に、強さを見せる一手にもなるわけだ。

「乱暴だと思うかよ?」

「どちらかといえば。けれど、蓮華さんの片鱗を見た気がします」

「精度はかつてよりも劣っていると思ってくれよ。――原の、山の! お楽しみだぜ!」

 暢気に会話をしていた二人が、その言葉に反応して先頭へ。けれど、花楓には並ばない。

「わかっているよ、蓮華さん」

「先輩は人使いが荒いけんのう……。しっかし、少なくないけ?」

「そりゃお前ら二人揃ってンなら、少ねェよなァ……比較対象が学園なら、尚更だよ。七番目!」

「うえ……お呼びがかかっちゃったし。なによう、蓮華先輩」

「文句言うな、魔術師は俺とお前しかいねェのよな、これが。蹄の飛針で結界を敷くぜ。俺も、そんくれェしか役には立たねェよ。瀬菜は防衛に回ってくれ」

「ええ」

「ッてことよ、蹄の」

「承知しました」

 一歩、二歩と前に出て深呼吸を一つ。睨み据えるは正面、任せると決めたのならば後ろは気にしなくてもいい。その隣に並ぶのは、片や久我山の名を貫く糸使いに、中原の薙刀使い。どう考えても劣る己は、けれどもしかし、こうなってしまった以上は対等として扱われる。

「なんや、緊張しとるのん」

「――はは、わかりますか」

「気負う気持ちもわかるけどね。俺にとっては花楓の針を見るのは初見だ。楽しませてもらうよ」

「楽しめばええんじゃけんども……そげんことなら、あれだが、どないや原の、戦場の流儀じゃ」

「流儀ってほどでもないけれど、そうだね」

 紫月は左を見て、陽炎は右を見る。

「気楽に勝負としゃれ込もうか。これだけ広い戦場だ、お互いを気遣わずに、ただ――討伐数を競い合おうじゃないか。どうせお互いのやり方は、肌で感じられるからね」

「勝負、ですか……」

「気乗りしないかな?」

「いえ――今まで僕が避けてきたことではありますが、もう構わないでしょう。勝負事はなんというか、彼が好きなんですよ」

 なるほど、なんて言葉が二人から投げられると同時に、腕を組んだ洋服の男性が花楓の背後に姿を見せ、懐からアイウェアを取り出して装着する。蹄が天魔、第二位の位置にある彼は〝かく〟の名を持っている。

「当然やなあ……蹄を継いだ以上、天魔も継いじょるのん。忘れちゅーが。〝猫目ねこめ〟、負けとれんべ」

「やれやれ、山のはそうやって張り合うからね――俺だけ楽をするのも違うか。久しぶりにやろうか、〝とどろき〟」

 天魔の競演たあ、珍しいこともあるじゃねえかと、その後ろ姿を見た蓮華は笑い、周囲に飛針を立てた上で、結界を張る。それほど頑丈ではないが、基礎としては充分だろう――視線を投げれば、橘七がその上にいくつかの術式を展開していた。

「――守られるだけたあ、癪なことだ」

「和幸。いやお前ね、そこは楽でいいと、どっかり座り込むとこだよ」

「そうかあ? 俺だって悔しくはないが……なんつーか、今はこれでいいとも思ってる。それでも手持無沙汰だ」

「戦うのは、おっとうの役目じゃねーべ」

「……まあ、なあ。だったら役目はなんだとも考えたくはなるが、とりあえずはいいとして、蓮華」

「おゥ、なによ」

氷鷲ひょうじゅさんはいいのか?」

「姉貴がいりゃ充分だよ。あの〝匣使い〟が妖魔ごときに遅れをとるたァ思えねェ」

「うえ!? せんりさんってそうなの?」

「ンだよ七番目、情報不足じゃねェのか? こんなの、蹄のだって知ってることだろうがよ」

「単なる狩人じゃないのか」

「おゥ、魔術師協会が与えた呼称でよ、周囲との隔絶を主軸とした術式が得意なのよな、これが。簡単に言っちまえば、一個世界を小さくだが作れるッてことだけどよ」

「そんな簡単なもんじゃないよ、あれ……」

「心配する必要はないと、わかっただけで俺はいい。違う意味で紫月は心配だが」

「楽しそうでいいじゃねェかよ」

「それの方が心配だ」

 信頼も信用もしているが、それで周囲を巻き込むのだから性質が悪い。いや、糸という性質なのだから、当たり前かもしれないが。

 地鳴りを立てて近づく大波、妖魔の群が見えてきた。爛爛と輝く赤色の、瞳のようなものが背筋に嫌な汗を浮かばせる。

 どこもかしこも、まだ野雨で生き残っている連中は、同じ状況に陥った。

 彼らにとっては、ここが瀬戸際だ。


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