02/20/04:50――吹雪快・治療を終えて

 首にかけた白色のタオルを外せば、水分を保った状態で随分と重い。ふうと、落とした吐息が妙に暑く、我に返れば随分と薄着になっていて、肌着もワイシャツもずぶ濡れだ。気持ちが悪いと、保健室にあるローラーつきの椅子を引っ張って座れば、下着まで濡れている始末。着替えはあっただろうかと視線を巡らせば、床に倒れて荒い呼吸を繰り返す、マリーリア・凪ノ宮・キースレイの姿があった。

「――あら」

 そういえば手伝って貰っていたんだと、ようやく気付く。十人の一斉集中手術は、おおよそ一時間にわたって続けられ、そして今、終ったところだ。傷を縫う前に内部の瑕を補正して、可能な限り傷が残らないように処理しつつも、足りない栄養素の適時補給――いずれにせよ、一人では難しい作業だった。

 できなかったと問われれば否だ。けれど十人同時にはできなかっただろう。それは吹雪快の補助として、マリーリアが働いた結果だ。

 〝静謐なる不純物セントオンリーダスト〟とかつて教皇庁で名づけられた、他人の魔術特性センスを複写したり、己の特性を改変することが可能な魔術師。だからといって快の術式そのものは、医療技術ではなく、状態把握に特化しているため、手術自体は快の腕だ。マリーリアができたのは、せいぜい傷口を経由して本来流れるはずの血を、中継することで維持したり、痛み全般を和らげたりする程度のこと。それでも、生命維持としては充分な働きだ。

 水はあっただろうかと、髪を縛り上げていた紐を取り、白衣のポケットに手を入れる。自分の持つ〝格納倉庫ガレージ〟は医療品に限っての収納だが、水くらいなら――残り三本だけあった。

「マリーリア」

「……なに」

「水よ」

「ああ、ありがと。――あー駄目、力入らない」

 ひょいと投げ渡したものを受け取ろうとするものの、威力軽減がせいぜいで、ぼとんと床に落ちた。

「なに、それほど疲労するものかしら」

「初めての試みでね? しかも、人の命がかかわってるような状況で、極限まで集中して術式稼働が一時間って……もうね、なんの拷問よこれ」

「助かったわよ、ご苦労様」

「あーうん、愚痴なのはわかってるし、快さんの仕事を思えば楽なのも自覚してるけど――って、なに脱いでんの!?」

「汗で濡れたの。だから着替える。さすがにシャワーを浴びる時間はなさそうだから」

 どうせタオルもストックが少ないと、脱いだ服で全身を拭うようにしてから、ん、と手を出す。

「え?」

「服。貸してちょうだい」

「えっと……いや、うん、まあ、確かに持ってるけど、うん……」

 魔術特性そのものを可変できるマリーリアは、だからこそ自分の格納倉庫が狭いことを知っている。大元は一つの魔術回路だけれど、可変させることで統一性がなくなるが故に、格納倉庫のような常時型の術式はあまり安定しないのだ。なので、今までは着替えなど、本当に簡単なものを詰め込んでいたのだが。

 お気に入りなのになあ、と思って服を渡す。下着はサイズが合うかどうか不安だったが渡すが、大して気にする様子もなく装着を始める。冬の時期にしては軽装のワンピースだが、コートを着れば問題ない程度のもの。けれどコートの代わりに、新しい白衣だ。

「ありがとう」

「ああ、うん」

 美人は何を着ても似合うなあと、どうにかこうにかボトルから水を飲む。マリーリアの汗はとうに乾いていて、着替えるほどではない。それだけ消耗が違うのだろうけれど。

「もういいわよ。どうせ夜明けまでは起きないし、ここに留まれば面倒もある」

「面倒? 一時間後に順次、顔を見せろって言った?」

「そちらじゃないわよ――ほらきた」

「ん……うおっ、彬さん!?」

「――おゥ」

 音をきちんと立てて扉を開き、顔を見せたのは雨天の袴装束に袖を通し、刀を佩いた雨天彬が、軽く手を挙げた。

「どこに運ばれるかと思えば、――お前か、吹雪」

「快と呼んでと、以前に言ったはずだけれどね」

 ずるずると、マリーリアは尻を引きずるようにして後ずさる。恐怖はない、怯えもない。ただ単純に、彬の持つ水気が強すぎて、呼吸がままならないからだ。

「悪いなマリーリア。消すことは可能だが、そうしちまうと俺の方が維持できなくなっちまうからよゥ」

「まったくね。マリーリア、手伝いはもういいから、自分の術式を使いなさい」

「……――はあ、まったく、急だったから対応遅れて死ぬかと思った」

「だから悪いッて言ったじゃねェかよゥ」

「そっち、座って。寝てるのは気にしなくていいわ、私の術式で夜明け頃までは何があっても起きないよう処置してあるから。紫花が起きることはない」

「へえ……まァ、どっちだっていいけどなァ」

 椅子に座った彬は、がりがりと頭を掻き、振り向く。

「一応言っておくけど、今の俺のことは他言無用で頼むぜ」

「ああうん、諒解。っていうか……見た目、ぜんぜん、平気そうなんだけど」

「節穴ね。疵だらけの躰を水で繋いでるだけよ、こんなの。どうやってここへ?」

「小夜が送った。まァ動けるレベルまでどうにか恢復したところで、鐘楼の音色が届いたからなァ――」

「治療するわよ、邪魔しないで」

「しねェよゥ」

「彬じゃなくて、天魔に言ったのよ。……で? どうするの」

「小夜には言ったけどな、雨天は終いよゥ。爺は殺したし、俺も残したいとは思っちゃいねェ。紫花や凛がどうしてもッてンなら、見てやらねェこともねェけどなァ」

「あらそう」

「あっさりしてんなあ……そういえば快さんは? 後継ぎとか、いないの?」

「いないわよ。望まれたこともないもの。それでもと請われたら、それなりに考えてみるけれどね」

「迂遠な言い回しだなあ、もう……じゃ、私はこれで」

「ええ。私の服の洗濯が終えたら、ちゃんと返すわ」

「はあい」

 マリーリアが保健室を出てから、いくつかの術陣を展開して快は頬杖をつく。致死には至っていないのはもちろんのこと、自己修復に任せている部分はあるが、この手合いには大げさな施術が必要ない。当人の方法を手助けしてやるだけでいいのだ。

 逆に言えば、手助けしてやるくらいしか、方法がないのも事実である。

「察しの良い子ね」

「昔からそうだぜ」

「どちらかしら。雰囲気を読み取るのに長けているのか、それとも危険を嗅ぎ取っているのか……」

「似たようなもんだろ。――鷺花ァ、遠慮せずに入ってこいよゥ」

 声は窓側に向けて放たれ、ふらりと姿を見せた鷺花はそのまま窓を透過するかのよう、中に入ってきて、吐息。

「――派手にやったみたいねえ、爺さん」

「おゥ。楽しかったぜ」

「それは知らないけど、大爺さんも満足したんでしょうね」

「そいつはどうだろうなァ。ンなことよりも、鷺花は何をしてンだよゥ」

「私のことはいいの。どうであれ、爺さんは少なくとも紫花に、ちゃんと話を通しなさいよ。なんなら、私も立ちあうから」

「……ッたく、面倒な性格になったもんだなァ、鷺花は」

「うるさい。誰のせいだと思ってんの。――とりあえず、治療が終わるまでは人避けしとくから」

「おゥ」

「いいのかしら?」

「ん、快さんの施術を探らせてもらってるから。相変わらず見事ね……」

「嫌味? それとも褒め言葉?」

「もちろん褒めてる。それと同時に、爺さんの荒っぽい治療には文句がある」

「まったくね。けれど、武術家なんて類は、こんな方法しかないのよ。壊死してしまう部分はあっさり諦めて、戦える躰だけを残す……ん、こんなものね」

「おゥ、助かったぜ」

「とはいえ、安静にはしていなさい。今の学園には人がいないから、隠れるにも充分でしょう」

「隠れはしねェよゥ。どうせ、気付かれちまう」

 それだけの水気があれば当然ねと、言葉を落としたあたりで鷺花が再び窓から外へと姿を消す。なんだろうと思っていると、今度は内部の扉から朝霧芽衣が姿を見せた。

「――あら。きちんと私の言葉を聞いていたのね」

「ふむ。私をなんだと思っているんだと問い詰めたい気分ではあるが、なんだアキラではないか。随分と様変わりしたものだな」

「そりゃァ俺の台詞だろうがよゥ、朝霧」

「それもそうか。ところで、鷺城はなにを確認しにきたんだ? まさか、私がくるのを待っていたわけではあるまい」

「知らないわよ、そんなのは。それより状態はどうなの」

「そうとも、それを聞きにきたのだが、アキラはもういいのか?」

「気にするな。つーか、鷺花の人避けはどうしたよゥ」

「ああ……気付いていれば、どうということはない。吹雪、確認だ。私の状態が見れるか?」

「そうね――ん、下手な迷彩。見えるわよ」

「ふむ……となると、やはりこれでは駄目か。それがわかっただけでも進歩だろう」

「心配せずとも、子供たちはちゃんと生きてるわよ」

「待て。いや、確かに心配していたのは事実だが、その呼称はやめろ。いいかよく聞け、私は連中と年齢がそう変わらん。つまり私も子供の範疇に入ると、そう言いたい」

「あらそう」

「さてはこの女、人の話を聞いていないな……?」

「――ん、安定はしているようだけれど、予断は許さない状況ね。生活に支障はなし、無茶をするなら自己責任で勝手になさい」

 それはどっちに言った言葉なんだと問えば、両方と言って背中を向ける。そんな態度を見て、二人は顔を見合わせてから、お互いに肩を竦めた。


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