02/20/13:30――転寝夢見・誇れる成果

 陽光が出るかと思ったら、あいにくの曇り空。それでも明るさに安堵を落とす者もいるだろうことを思いながらも、空き教室に一人、鷺城鷺花は教壇付近からぼんやりと外を見ていた。

 それなりに多くの人間が学園へきて、保護された。保護されたというよりも、どうにか移動が完了したというべきか。いずれにせよ、ここへ来たからといって、何もしないでいいわけでもない。慌ただしく動きながら、治療の手伝いや食事の準備など、あるいは備品の確認や配布をしている中、鷺花のように手持無沙汰なのは、それを必要としない人間くらいなものだ。

 仕事はなくとも、自らを高めるために運動をする者だとているのだから。

 ふいに飛来する寂しさは、もういない人への感情。どうすればいいのかを持て余しながらも、ここであっさり割り切るのは危ういと直感が囁いている。少しは楽しもうとは思うものの、顔に浮かぶのは苦笑いだ。

 わかっていたことだからこそ、飲み込めないこともある。それがわかっただけでも――いやいや、ありがたいなんて思うものか。

 ――真面目だ、なんて言ってくれる知り合いはここにいない。一段落したのだから、夜になる前に一度、楽園へ顔を出しておくべきかなー、なんて考えていると、廊下から足音が一つ。

 電気系統は予備電源が作動し、基本的に発電システムは正常稼働するのだが、念のためということで、使う部分は限定されている。そのため、すべての教室の出入り口は開けっ放しだ。全館通信システムも限定稼働で、空調も夜間のみの稼働とするらしい。この辺りの手配はすべて、五木忍のものだ。

「――あ、鷺城先生」

「あんたの先生になった覚えはないわよ、田宮。なあに、もう起きたの?」

「聞いてくれよ……マジで鬼畜なんだ、吹雪さん。二時間も前に目が醒めて、そりゃ俺は驚いた。マジで死に体だと思ってたし、後遺症なんて欠片も思ってなかったけど、やっぱあるんじゃねーかなー、とか思ってたらなんもねえって、なんなんだあの人」

「鬼畜かどうかはともかく、良かったじゃないの」

「だから感謝はしてる。一時間は安静になさいと言われたら、そりゃ素直に従うさ。頭もぼうっとしてたし。で、一時間だなと思ったらこうだ。なにを言っている、最初に二時間だと言っただろう――あの人、手持無沙汰で身動きもできない俺に、更に追加で休めとか言ってきた! 最初から二時間って言ってくれりゃもっとほかにあったのに!」

「今動けてるんだから感謝なさい」

「そりゃしてるけど……」

「ほかの子たちは?」

「ああ、まだ寝てるが、外傷はなしってところだ」

「でしょうね。快への報酬は――ほかの人が支払ってるから、安心なさい」

「……そうか」

 ふいに、田宮の肩が落ちる。力を抜いただけのようにも見えるが、顔に浮かんでいるのは苦笑だ――が、廊下からその姿を見て足を止めた酒井景子は、声をかけようとして俯き、通り過ぎる。

 なにを言うべきなのか、言葉に困った。それはつまり、自分の中に言葉が用意できていなくて、伝えたい何かが持てていないのと同じ。そんな時、勢いに任せて会話をすれば、とりとめがなく、相手に本心が伝わらないことを、景子は経験として知っていた。

 がんばったんだろうな、とは思う。今ここに田宮がいることは、学園に到着した時に知ったが、その苦労は本人にしかわからない。よくやったと褒めるのか、自身の成果に気付いていない子供を相手にする時だけだ。がんばったね、なんてむなしい言葉を投げるつもりもない。

 ――だとしたら。

 どんな言葉を投げれば、良かったのだろうか。

「――いいのか?」

「ひゃいっ!」

「なにを驚いているんだ、お前は。野営の見張りに立たされて、幽霊に出会ったらまずは一発ぶっ放せ、と言うだろう」

「えっと……すみません、ちょっと考え事をしていたんです」

「そんな見てわかることは訊いてねえ。もう耳鼻咽喉科はねえんだ、耳掃除をしてもらう相手はちゃんと選べよ」

 ふんと鼻を鳴らした転寝夢見は、ゆっくりと壁から背中を外す。

「一言も声をかけず、そのままでいいのか?」

「……いいんです」

「駄目だな。話にならん。――来い」

「えっ、ちょ! ちょっと待ってください!」

 うるせえ、と言いながら腕を引っ張って連れていく。

「……お前、皮と骨しかないように見えて、薄く肉は乗ってるんだな」

「失礼な!」

 面倒な女だと内心で毒づきながら、邪魔するぜと言って教室に入ると、肩を落としていた田宮が振り返った。

「夢見さん――あれ? 景子ちゃん」

「先生をちゃんづけで……あ、もう先生じゃありませんでしたね。田宮くん、年上の相手に向かってちゃんづけはいけません!」

「ははは、本物だ。なんだ、どうにか助かったんだな」

「はい。わたしもいろんな人の手を借りて、こうして生き残れました」

「そっか――」

 そんな会話を聞きながら、教壇にいる鷺花に一瞥を投げた夢見は窓を開き、枠に腰掛けるようにして吐息を落とした。

「――田宮」

「なんだ?」

「いつまで俯いている。道端に落ちた小銭を探す趣味がねえなら、ツラを上げろ」

「いや、けど俺は」

「けど、じゃねえ。誇れ。――確かに、あの場においてお前らは足手まといだ。てめえが生きることに精一杯で、誰かを守ることも、戦力になることすら、怪しいところだった。初陣兵なら、びくびくしながら物陰で怯えていろと言われても、仕方がない」

「……」

「だがな――」

 夢見は煙草をくわえて、火を点ける。まったく、なんでこんな役回りになったんだか。

「――お前たちが生き残らなけりゃ、戦線は瓦解していた。理由はほかで聞け。だから俺たちも助けたのも事実だ。田宮、そこのガキを見ろ」

 田宮が景子を見た。

「弱くてなにもできなかった、そう思ってるてめえが、生き残るためだけに必死で、生き残った。だからこそ景子が今生きてる。誇れ田宮、その権利はある」

「――そうだったんですね。田宮くん、ありがとうございます。わたしはこの場所にいられるのは、田宮くんのお蔭です」

「……――、そう、か。意味が、あったんだな、俺は……悪い」

 奥歯を噛みしめ、落涙を耐えながら、田宮は片手を振るようにして教室を去った。

 確かに、そうだ。役立たずで、なにもできず、ただ生きるだけしかできなかった。無様に思えただろう、生き残るために助けられた未熟者だと、己を責めていたかもしれない。それは事実だ、間違いない。

 だが、だからといってほかの成果がなかったわけではないのだ。

 それ――だけではないのである。

 死にもの狂いで生き残った結果は、必ず、どこかにあるのだ。

「班の中には足手まといを必ず入れろ、なんてことは朝霧の領分だろうが……面倒な役回りを押し付けやがって」

「私が言うわけにもいかないでしょ。で、夢見はどうしたのよ」

「俺は、朝霧から例の報酬だと言われて、女を紹介されにきただけだ」

「どうだった?」

「良い女なのはわかるが、手がかかりそうだ」

「あんたには、手がかかるくらいが丁度良いと思うけれどね。――ちょっと景子、あんたの話よ」

「はい!?」

「私は鷺城よ、鷺城鷺花。以前、芽衣の授業に関して、レポートを書いてた最後の一人。覚えてるわね?」

「あ、はい、そちらは覚えています。そーでしたか、鷺城さんでしたか」

「俺は転寝夢見だ。お前のことなんぞ知らん」

「ですよね!」

「だから、これから口説けばいい」

「ひぃ! や、やめてください! わたしそういうの、免疫ないんですから!」

「なにをガキみてえなこと言ってんだ、お前は。初めて口説かれた時、気分よく相手をしていたと思ったら、その相手がただのロリコンだったから、それ以来は仕事が恋人だと言い聞かせて、目の前のものに熱中してたか、教師なんだからと言い訳して、生徒が第一、なんてごまかしをし続けてきたみたいな反応だな、おい」

「うぐっ」

「あんたは……一言多い癖、どうにかならないわけ?」

「これでも少しは前向きになったはずだ。つーか、どうせ同い年の相手とか、そういうガキなんだろ。やりたい盛りの同僚相手に、何を期待してんだ。お前の見る目がないってのもあるだろうが――そっちは、自覚してるな」

「そ、そうですね! なんなんですかもう! だいたい、あなたはおいくつなんですか!」

「名乗っただろうが」

「転寝さん!」

「夢見でいい。年齢は田宮の一つ下くらいだな」

「――はい!? 田宮くんの一個下ですか?」

「嘘をついた得は、一時凌ぎにしかならねえよ。ったく……あのな景子」

「呼び捨てですし……」

「いいから聞け。お前が今、抱いてる感情っつーか、感覚はな、おそらく自分の教え子が卒業した際に発生する寂寥と似たものだ。覚えておけ。そして、卒業した相手へ送る言葉は感謝と、そこから先へ進むための訓示だ。感謝するだけして、捨てるなよ」

「あ、はい、そうですね、うん、その通りです。覚えておきますけど……そうですねえ、確かに田宮くんは、卒業した感じもしますけど、なんかこう、夢見くんの態度には納得がいきません!」

 ずかずかと歩いてきたかと思えば、軽くジャンプして煙草を奪われる。きょろきょろと捨て場を探したかと思いきや、手元に視線を落とし、思い切って煙草を口に――。

「げほっ、げほっ!」

「あ? んだよ、欲しかったんじゃなかったのか……」

 取り出していた新しい一本をしまい、景子から再び奪って吸い始める。

「けほ、けほ……うぬぬ!」

「煙草、吸ってたっけ?」

「昔はな。しばらくは止めてたが少止に貰った。なにが復帰祝いだあの野郎、もっと上等なモンを寄越せってんだ。具体的には封の開いてない酒と、煙草だ」

「女は?」

「景子がいるだろ」

「あはは、それもそうね」

「笑いごとじゃないですよう、鷺城さん……というか、その、本気なんですか、夢見くん」

「あ? べつに、付きまとったりはしねえよ。好きにしろ。疲れたり、一息ついたら俺んとこに来い。さっきみてえに、ぐちぐちと悩んで一人で抱えるよりゃ、よっぽどいいだろ」

「そんな強引な」

「強引にでもしなきゃ、景子は動かねえだろうが――鷺城」

「ん」

 周囲に展開した窓のような表示は、術式で組まれたもの。それらに手を触れてから、鷺城は映った相手に声を出す。

「なに、ウィル」

『やっほー、ぎっちゃん。今から道、作るから』

「……――は?」

『そっちお願いねー』

 ぶつり、と表示が消えて三秒、額に手を当てた鷺花は術式を使いながらも、夢見が開けた窓から外へと飛び出した。

『――全体通達!』

 その声は、術式で横槍を入れて通信ネットワークを流用して、室内スピーカーから流れた。

『手が空いてる連中は運動場、西門近くに集合! 一二〇秒を目安に動け!』

「……だ、そうだ。やれやれ、行くぞ景子」

「確かに行くつもりでしたけど、なんでそうやって上からなんですかっ」

「嫌な拒絶しろ、選択権は常に与える。追い込む真似はしない。それと同時に、俺自身を教えるには、こうした方が早い――加えて、考えが前と変わったからな。俺が前に出て、ほかの連中を引っ張らなくてどうする」

「――」

「倒れて無様を晒すのは、誰もいないところでいい。立って苦痛を押し殺し、どうしたもう限界かと、面倒を見るのが俺の矜持だ。……昔から、友人のフォローはよくやったからな」

 はは、と笑いながら煙草をESPで消してやると、少し考える素振りを見せていた景子が、こちらを見た。

「なんだ?」

「わ――わたしの前では、無様を晒しても、いいと思ってくれますか?」

「……そうなりゃ、それに越したことはねえよ」

 ぽんと、その頭に手を置いて、夢見は瞬間移動(テレポート)を実行した。


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