02/20/00:15――浅間らら・ただ一秒でも長く

 どうしてそんなに前へ行くのか、そんな疑問を抱いたのも最近のことだ。傍にいる時間が長くなるに従って、人の立ち位置が見えてくると、田宮がいつも自分の前を行って、こちらに背中を見せているのは、本当に自分との経験や実力差なのだろうかと、浅間ららは思う。

 狙撃に憧れていたわけではない――。

 浅間がエアライフルに手を出したのは、中学校の頃だったろうか。それは単純に、エアライフルには競技があり、それをネットニュースで見かけた時に、なんとなく面白そうだなと思ったのが切欠だ。

 最初は借り物を使って、室内での狙撃をやった。数こそ少ないものの、料金を支払って遊べる場所があったのも幸運で、けれど趣味であったため、追加料金でインストラクターに教えてもらうことは避けた。

 当たれば面白い。外れても、なんでだろうと考える。そうやって距離を伸ばし、あるいは的を小さくしていき、難易度を上げたその先にあったのが、実戦的な活用方法だった。一般人ならば、サバイバルゲームなど、一定のルール上で行われる戦場を楽しむのだろう。

 そこに、朝霧芽衣からの誘いがあった。

 本物の拳銃や狙撃銃が撃ちたい気持ちはあった。けれど、それが危険と隣り合わせであることも、なんとなく知っていた。目の前に落ちたチャンス、それに飛びつくような真似はしなかったけれど、背中を押されるように手を伸ばしたのは、先を見て、背中を見せていた田宮の存在があったからだ。

 いつだって、一歩先にいた。

 初めて拳銃を握った訓練でも、狙撃訓練でも、成果を誇るつもりはないけれど、結果として田宮よりも上手く当てられた。素質がどうの、よりもむしろ、エアライフルなどで培った経験そのものが、実包に反映された形なのだろう。

 けれど、田宮は浅間を見ていなかった。

 悔しがることも、褒めることもなく、ただ自身の未熟と向き合い、何をどうすれば手にした武器を上手く扱えるのかを探求する姿勢に、どこか置き去りにされたような孤独感を覚えたのだ。

 きっと、一人なのは田宮なのだろう。自分と向き合って、己を制し、あるいは己を越えようとする姿に、いつからか、自分を見て欲しいと思うようになった。

 浅間の狙撃は、想像することで中(あ)てる。途中にある障害物の先、射線の通っていない場であっても、一瞬しか見えなかった部分を繋ぎ合わせるようにして視界を飛ばし、そこからようやく射線を確保しようと意識を向ける。いや、意識を飛ばすという表現の方が近いのか――けれどこの戦場において、邪魔はない。

 ただ、敵の数が多いだけだ。

 ガトリングでもばらまけば気持ちいいのに、と考えていたのは最初だけ、今はもう無心になって、いや、自身の心と向き合って、今ある自分を確認しながら、引き金を絞る。

 既に弾丸はなく、浅間の術式は弾丸の精製ではない。それでも狙撃銃を持って一連の動作を行うのは、それが浅間の助けになっているからだ。

 今まで、浅間は術式を使うことはできたが、どう使うかを考えていなかったように思う。ただ、弾丸のイメージで術式を射出し、その効果を発揮する一連の流れを、ただ、そういうものだと認識していたに過ぎない。

 もし、を考えるのは致命傷になる。だから、今は自分の動作を事細かに覚えておくことしかできない。

 ――狙撃は花形ではないぞ。

 いつ、それを朝霧芽衣から聞いたのかは覚えていない。けれど訓練の合間、休憩という名の反省中に言われた。まだ鈴ノ宮で仕事をする前のことだったように思う。

 人の意思は強い。それは良いほうも、悪いほうにも転ぶ。それを一斉に集めるのが、部隊に配備された狙撃兵の役目だ。

 部隊の殿を任された時、仲間が前線で戦っている背後からの狙撃。一発で一人を仕留められなければ、一人を死なせることにも繋がる。照準器を覗き込み、合わせを行う時間一秒が生死をわけ、上手くやればお前のお蔭だと褒められ、下手を打てばすべてお前のせいだと言われることなど、日常的。敗戦の先にあるのは、拷問や尋問の類ではなく、狙撃によって殺されたと敵に蹂躙される。一発を外せば間抜け、一発を中てても当たり前。安全な位置から時間をかけて一人を殺すくらいなら、その間に二人殺した前線の兵が褒められる。

 今なら少しだけ、その重責を感じられた。

 標的は無数、安全地帯でもない。そんな状況下であっても、浅間の役目は敵をただ殲滅することではなく、どの敵を滅することで田宮や佐原など、前に立つ人間の負担を減らすか――だ。

 遠い射線、想像の先にある標的、それよりも重要な全体を把握する察知力。戦術を構築する技術は不要でも、戦場を先読みする洞察力が求められる狙撃。一つのミスで負担が増えるのは自分ではなく、他人という現実。

 その重責に潰されることはない。何故なら、浅間は今までの時間の中でとっくに潰されるだけのミスを犯し続けている。取り返しがつかないミス、どれほどの手を重ねようとも追いつかない戦績。それでも、この場にはそれをフォローできる人たちがいる。橘四の加入により、それは更に強固になり、今まではロウ・ハークネスと転寝夢見が担っていた。

 浅間を責めることはしない。ただ、それが最適であるかのようフォローを行う。自分は守られ、役目を押し付けられたのだ。であれば、それを続けるしかない。

 だが、それでも、同じミスは犯さない――それが、今の浅間にできる精一杯の行動だ。

 どれほどの時間が経過しているのか、浅間はわからない。耳に届いていたはずの、自分の呼吸すら今は遠く、妖魔の唸り声も当たり前のようになっていて、右から左へと通り抜ける。周囲に張った結界と、的確な戌井の〝置換(リプレイス)〟術式による防御行動から、自身の安全そのものを度外視している結果だ。まだ終わらないのか、そんなことは意識すらしない。思うこともない。狙撃によって術式を完成させるたびに、まだ仲間が生きていることを胸に抱く。

 ふわり、と意識が浮くような感覚。何度目だろう、目の前が真っ白になって躰の感覚そのものが消える。自身となにかの境界線が曖昧になり、意識が飛んだ。こうなった時、浅間はがむしゃらになって手を伸ばす。己を抱くようにして腕を引っ張り、白色が消えて夜の景色が目に飛び込んできたのがわかれば、倒れた己の躰を起こしながら、ボルトアクションで弾丸を、術式構成そのものを薬室に叩き込み、また照準器を覗き込んで引き金を絞り、術式を完成させて飛ばす。

 ――無茶をしているのは、理解していた。

 術式の失敗は暴発に繋がる。自分を危険に晒すだけならばともかくも、近くには仲間がいるので巻き込めない。何よりもそこを重点的に意識すれば、これ以上は術式が構成できないと判断できた際に、自然と浅間は意識を失うようになった。一種の安全装置セイフティの役割なのだろうと思うが、単に限界を超えた躰が休憩を促しているに過ぎない。あまり好ましいやり方でないことは承知だが、そうでもしなければ継続できないし、田宮も似たような状況で立ち上がっている以上、やはり浅間には楽をする方針など、受け入れられなかった。

 直情的だ、と言われたことはない。けれど芽衣にだけ、お前はなかなか頑固だと言われたことがある。柔軟性を欠かなければそれで良い、とも。

 一つの方法に固執するのは馬鹿のやることだと、芽衣は彼らを訓練した。一つの結果を求めるのならば、何通りの方法があるのかを常に思考しろと教わった浅間は、結果そのものを見逃さぬよう視界に捉えながら、それだけは頑なに譲らず、けれど方法を探るようになった。

 ――ああ。

 今、また銃を撃てたのは、朝霧芽衣の訓練があってこそだと、痛感する。

 やれ、と言われたことをやるだけの訓練の中に潜む罠。ただ頷いて行うだけでは、結果を掴めない訓練。殴ることも蹴られることもあったが、どれも理由があってのことであり、軍部ではよくある理不尽な暴力は振るわず、チームを組ませたあとは半ば放任ぎみだった芽衣のやり方は、自分で考えて突破する力を育み、生きる方法を模索する思考を与えた。

 選べと、田宮が叫んだ言葉が頭の中に残っている。

 生きるか死ぬか、殺すか殺されるか――選んだ先にある戦場に、もはや、言葉は必要ない。死への恐怖もなければ、生きることの拘泥もなく、ただ今生きているだけを実感にして戦場にいる状況は、ランナーズハイに似ていて、きっと芽衣ならば危険な状態だと言うのだろう。

 だが、この場に安全はない。どこもかしこも危険だらけ。背中を預け、誰かに支えながら持続する戦場の中、浅間は一発でも多くの弾丸を放つ。

 一秒でも長く、この戦場に身を置くために。


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