02/19/18:20――雨天彬・武術家の最期

 胸の内に飛来する感情を言葉にするのならば、――呆気なく。それは雨天うてんしずかにとってわかっていた結果であり、それを確認しただけの状況だった。

 武術家の筆頭、雨天の当代。

 思えば、長く生にしがみついてきた。それは雨天静と呼ばれる一人の男が、天魔第一位〝百眼〟と契約した際に、その身の半分以上を天魔と同一化したためで、それは半人半妖の意味合いとは少し違うのだが、似ていて、どちらかといえば馴染んでしまった――というのが近しいのだろう。

 そう、静の存在は百眼に限りなく近しかった。一心同体とは言わずとも、隣にいてなんら問題がないくらいに――あるいは、百眼の領域の中を心地よく思うほどに、だ。

 何年、と考えるのも面倒だ。それでも雨天家が継続することを見守ってきたし、今では自分を越えるほどの逸材もいる。実に楽しい人生を歩んでいた。

 それでも、この状況は初めてだ。

 まさか、源流を雨天としながらもそれぞれ分かれて行ったべつの武術家たちが、心身を注いで、磨き上げた技術を、後継を考えず、ただ己の生涯の成果を求め、命を賭け、自分と対峙することになろうとは、可能性としてはあっても、今まではなかった。

「――馬鹿野郎がよゥ」

 どいつもこいつも、笑いながら逝った。楽しさを噛みしめ、手が届かない現実に、それでもと足を前へ踏み出して、それぞれの武術家たちが命を落とした。静が殺した。そういうルールだったのだ、それ以外の結末はない。あっとすればそれは、静の方が殺されていた場合だ。

 こんな事態なのに? 否、こんな事態だからこそ――遊べたのだ。

 袴装束のあちこちが血に汚れているどころか、両手も肘から先は真っ赤だ。薄暗くなったこの状況では見当たらないが、あちこちに屍体も転がっている。ここは五木の領域、妖魔の棲家、屍体であっても喰いに来る妖魔がいてもおかしくはないのだが、雨天静という存在がここにいるだけで、近寄れない。

 いるとしたらそれは、手引きされた者か――あるいは、この領域の支配者だけで。

 声をかけてきたのは、前者の人間だった。

「終わったかよゥ――」

「おゥ、お前ェさんか。遅かったじゃねェか」

「馬鹿か、終るのを待ってたンだよ、クソ爺」

 雨天あきらは、そう言いながら手近な岩に手を当てる。たったそれだけの外的要因で、かつて花ノ宮紫陽花が腰かけていた岩は、粉粉になって散った。

「うっわ、なにこれ。おなかすいたー」

「ミミ、君がそういう素直であるところは知っているけれど、馬鹿丸出しだからどうにかした方がいいよ」

「ひっど!」

「なんだ、ガキを二匹も引きつれて子守りかよゥ、ははは」

「――嗤われるとは思っていなかったね」

「気に喰わねェかよゥ?」

 自然体のまま、ゆっくりと振り返る静。その視線が少年を射止めた直後、踏み出そうとしていた足がぴたりと停止した。

 縫い止められる。

 本能が逃走を警告しているのにも関わらず、躰が一切言うことを聞かない。

 妖魔の中でも少年は、自分の力が強いことを自覚している。面倒だからやらないが、第二位と呼ばれる妖魔くらいなら屈服させたこともある――が、そんな自分が、まさか、恐怖なんてものを抱いたなどと、認められない。

 与える側の存在が、まさか与えられただなんて認めれば、それは陥穽になりうる。

 それでも。

 それでも――どうしたって、動けない。

 これではまるで、捕食される側のような。

「ほれみろ、動けもしねェのはガキで充分じゃねェかよゥ」

「あんまし苛めンなよ、クソ爺。気が高ぶってンのはしょうがねェけどなァ」

 その空気を、至極当然のようにして彬が割り込むと、少年は全身を弛緩させるようにして空を仰いだ。

「こっわ! なにこの人、めっちゃ怖いんだけど!」

「……ミミ、悪かった。君の馬鹿は良い馬鹿だ、そのままでいてくれ」

「へ? いいけど……ん? 馬鹿じゃないし!」

「うるせェぞ、お前ェら。――そうだ、この先に天龍ミカガミってのがいるはずだから、挨拶がてら、ここにある得物の保管をしてくれッて言っとけ。爺、もう名で縛ったあとなんだろうな?」

「おゥ、ぬかりねェよ。鷺花から頼まれちまったしなァ、手抜きはしねェよゥ」

「だったら俺からとやかく言うつもりはねェよ。おい、とっとと行け。気になるなら戻ってこい、そのくれェの時間はあらァ」

 手を振って先に行けと促す。どうせここはもう、彼の領域だ。勝手ができるのも、それが許されるのも、今回限りだろう。

 だから、なにしにきたと、静は問わない。

「で、どうだ爺。清算はできたかよゥ」

「清算しちまったのは、こいつらの方だろうがよゥ。善戦はしたぜ? 間違いはねェよ、俺だって楽しかったからなァ……」

「それが終わっちまって――か。まァいい、百眼はどうなんだ?」

「もう繋がりは切れちまってるなァ。お前ェの隻眼はどうともねェンだな?」

「おゥ。どのみち、百眼が一つとはいえ、切り離されている以上は問題ねェだろ。ただ状況が落ち着いたら、返すつもりだ」

「いいのかよゥ」

「俺以外に、隻眼を担えるヤツに心当たりでもあンのか?」

「……――ねェなァ。鷺花ならとも思うが」

「そりゃァそうか。拒否はするだろうが、返すついでに経由させときゃいいかもしれねェなァ。――あいつ、なんで、あんなになっちまったンだよゥ」

「俺に聞くなよゥ。見たところ、あかつき翔花しょうかの育成たァ言えねェしなァ。厄介なもんだ、領分をきっちり弁えてやがる。枯律こりつまで使われた日は俺も頭を抱えちまったしなァ」

「ははッ、なんだよゥ、あいつ枯律まで使えンのか」

「得物の扱いは暁が一通り、見せただけだぞ」

 参るじゃねェかと、静は顔の皺を深く寄せる。けれど口元は嬉しそうな笑みがあった。

「言うなれば雨天――こいつら武術家連中ッてのは、俺の技術の派生だ。雨天は俺だ。それを八割方、武術家じゃねェ鷺花が八割程度とはいえ身に着けたッてンなら――喜ぶべきだろうなァ、彬」

「まァな」

「これから、お前ェさんはどうするよゥ」

「考えてねェよ。コイツの行き所は探してやンねェといけねェけどなァ」

「〝驟雨しゅうう〟ッて銘だったよなァ、それ」

「二本目は作れねェよ」

「そのへんの話は鷺花から聞いた。彬らしくッていいンじゃねェか」

「らしいとか、決めつけンなよ。こんなのは副産物で、俺ァ――面倒を暁に任せた、そんだけだぜ」

「腕は?」

「クソッタレなほど鈍ってたなァ……二日ばかり暁がつきっきりで遊んだが、最盛期になんてそう簡単に戻れるかよ」

「おい彬、お前さんよゥ」

 静は、笑いながら言う。

「そんなんで俺の介錯、できんのかよゥ」

 わかっている。そういう約束をしたから、今、彬はここにいる。

「――やるしかねェだろうがよゥ、クソ爺。お前ェを殺せるのは、俺くれェしかいねェだろうし、最後は武術家らしく散りてェンだろ?」

「そりゃァ俺の望みだ、お前ェさんの望みじゃァねェだろうがよゥ。我儘だッてのは自覚してる。わかってンだろ、始まったらあとは、どっちかが死ぬまで終わらねェ」

「うるせェよ、そのつもりで俺はここにいる」

「愚問だったか」

 ならばと、足の先でひっかけた槍を、右手で掴み、それは左手へ。

「――ちょいと遊ぶか、彬」

「爺、いくら枯律を封じたところで、遊びで済むのかよゥ」

「なに言ってンだ、お前ェさんの調整に付き合ってやるッて言ってンじゃねェかよゥ」

「……ま、いいか。枯律に入っちまえば、状況が変わって、得物を扱うのもこれが終いッてこたァ――付き合ってやるよ。爺の悔いを失くすためにな」

 これから、おそらく仕切り直しはない。ただ思うがままに戦い、その延長線上にどちらかの死がある。腰を落ち着けて言葉を交わす時間はこれで終い――だが、それ以上に、雄弁な時間がこれから始まる。

 なにも、戦いたいのは静だけではない。彬だとて、口元に浮かぶ幸喜の笑みを抑えきれていないのだ。

「お前ェさんよゥ」

「ンだよ」

「その好戦的な性格、直っちゃいなかったンだなァ」

「――うるせェ」

 戦いとは、相手を倒す喜びを得るものではない。

 ただ、己という成果を、見出すためにあるのだ。それを好んで、なにが悪い。

 間合いをとるため、バックステップを踏んだ彬を、静は追わない。その動作が間合いを外すのでも、間合いを取るのでもなく、ただ距離をとっただけだからだ。

 仕切り直しがなくとも、最初の仕切りくらいはあってもいい。

 お互いに、少し笑ったような顔のまま対峙する。

 静は右足を少し前へ出し、左手に持った槍を引いて、右手を添えている。彬は自然体のまま、躰を弛緩するようにして、左手だけが刀の鍔を軽く押し上げていた。

 ――相変わらず厄介な相手だ。

 同様のことがお互いの心に飛来する。もしも自分がもう一人いたのならばこんな感じなのかと、苦笑したくなるくらいだ――が。

 思考そのものが違う。

 躰が揺れる。

 彬が誘いの動きから後手を求め、応じるように静が踏み込み、お互いが距離を詰めた――が、誘った彬の方が結果的に強く踏み込んでしまった。歩法ではない、単純に踏み込みの勢いに対して偽装を入れて誘い返した結果だ。彬だけが、予定より踏み込んでしまい、槍の間合い。

 であれば、踏み込みながら居合いを放てばいいだけのこと。動揺はない、ただ歓喜だけを飲み込む。

 雨天流槍術、〝壱〟だ。なんの変哲もない、ただの突き。その速度、重さ、そんなものを確かめているうちに死ぬほどの一撃。すべての派生の発端であり、終端でもある槍の本領。

 応じるは居合い。ただただ速度を突き詰めた一撃、何よりも速いことを証明するための技術。

 結果、槍が到達するよりも早く振り抜かれた刀は――空を切った。

 槍は、彬の脇腹の横を抜く。

 一撃で、追撃はない。何しろここまでが、仕切りだからだ。

 挨拶――である。

 開始の合図ではなく、たとえば試合前にお互いが握手をする、その行為がここまでだ。

 次、から先は終わりへ向かうのみ。

 一息、先ほどと同じような姿勢で対峙した直後、空気が割れた。突きによって凝縮した空気が破裂するように周囲へと衝撃を放ち、木木を揺らしながらも、その半ばで居合いによる切断が空気を散らした。

 ――ああ。

「久しぶりだなァ……」

「おいクソ爺、どういう意味だそりゃァ。ここに転がってる連中じゃ、ここまで至らなかったとでも言うつもりじゃねェだろうな」

「そのまさか、だ」

「しょうがねェッて言うべきかもしれねェけどなァ、どっちかって言やァ俺の台詞だぜ。何しろ、相手がいなかったモンでなァ」

「暁が相手では駄目か」

「腕を戻すのと、見せられるのは別の話じゃねェかよゥ」

「――違いねェ」

 笑う。

 喜悦に顔を歪めて、笑う。

 そうして、彼らの闘争は始まった。


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