02/19/18:40――転寝夢見・正真正銘の渦中

 予想していたとはいえ、その状況を目の当たりにした時、五木裏生りきは奥歯を強く噛みしめ、感情が発露することを抑え込んだ。

 VV-iP学園の運動場を妖魔が埋め尽くしている。それこそ予想の範囲内、外敵の量に驚くほど未熟ではない。それでも途方のなさには心を揺らされるが、対応するしかないのは裏生も同様だ。

 一方通行、たった一度きりの空間転移の術式――の、流用。ないし複製。本来ならば盗みに限りなく近い方法での術式を得意とする裏生が、あの刹那小夜に頼んで一度だけの複製を貰い受けたものだ。

 自由度は低い。この状況になる以前に受け取っていたとはいえ、一度だけ学園へ飛ぶだけの術式だ。しかも、一緒に連れて行けるのは一人だけ。

 隣にいる橘よんと、裏生は今、ここにきた。

 ――逡巡は余裕のなさよ。

 そんな言葉が頭に飛来して、ぎくりと周囲を見渡せば、やや遠くに鷺城鷺花の姿が発見できた。直接語りかけてきたわけではない、かつて言われただけだ。

「裏生」

「うん」

 そうだ、迷っている時間はないも同然。すぐに行動に移さなくてはならない――が、それでもこの状況、どう動くのが正着かがわからない。

 ここには、ぎりぎりの均衡がある。

 最初がどうだったのかはわからないが、妖魔の数が多すぎる。朝霧芽衣や転寝夢見が前線で戦っているようだが、それでもここにある全勢力で押しとどめているに過ぎない。裏生と四がそこに入っても、結果はそう変わらないだろう。

 そして、何よりも――疲労だ。

 この場には、田宮正和たみやまさかずをはじめとした初陣の連中がいる。疲労の色が濃いどころか、死と生の境界で戦っているような状況だ。妖魔に食われて死ぬか、精神を切らせて死ぬか――それでも、気絶と復帰を繰り返して、どうにか生にしがみついている。

 ざっと十八時間――裏生や四であったところで、それだけの長時間戦闘は未経験だ。彼らにとっては重荷にしかならず、そして一人でも欠けるようなことがあれば、精神から瓦解し、状況は悪い方へ転ぶ。

 もはやここで、手の内を隠している余裕はない。ないが――それでもと、ないものをねだる。

 ここに、指揮官が一人でもいてくれたらと、思わずにはいられなかった。

 それぞれが、お互いの役目を理解して場に望んでいるけれど、それを統括する誰かはいない。そして裏生も四も、その位置には立てないのだ。

「陣を敷く――四は彼らを〝操作マニピュレート〟してサポートを。そのぶんのフォローは僕やる」

「ん。わかった」

 そうして、常に着ていた躰をすっぽりと覆うマントを、裏生は片手で脱ぎ捨てた。その下は――袴装束、そして裾には五木の紋様が描かれている。

 裏生は、自分が五木を継いでいるなどとは思っていないし、継ごうとも思わない。だがそれでも、幼少の頃から教わった五木の技術は、裏生の身に染みついている。であれば、五木裏生は――武術家としてではなく、五木裏生個人として、戦えばいい。

「――増援か!?」

「ロウ・ハークネスさん、防御・回復の陣を張ります。可能な限り出ないよう指示と、遠距離の攻撃の防御行動を中心に、彼らを守って下さい」

 袖口から取り出したタロットにも似たカードを十五枚、ばらばらと足元に落とすと、それらは風に泳ぐよう周囲に展開して円形を作った。範囲はせいぜい、半径十メートル程度だ。持続時間が頭をよぎるが、気にしてはいられない。

「それと四に〝操作〟の術式で補助をさせます。ある程度はご容赦を」

「長時間の休憩は不可能か」

「今の僕では、まだ」

「すまん、余計なことを聞いた」

「いいえ」

 袖から落ちたカードを踏み込みの一歩が踏む。

 そもそも〝流用アクセス〟の特性は、誰かが使った術式を扱うこと、である。もちろん多くの条件があるのだが、実戦において最大の問題は、後手に回ってしまうことだ。何しろ、一度見て、受けて、術式の解析をしたあとでなければ、流用することができない。そこを改善するために、一時的に保有する技術を考えた結果が、このカードだ。

 裏生の術式は、現場で使うことが少ない。多くはこうして、カードに保有しておいた術式を、ただ開放してやるだけの作業だ。

 一枚が身体そのものを妖魔の領域に至らせる、武術家が扱う呪術の領分でもある術式を発動させ、二枚目のカードは左手で抜き身の刀へと変化した。自分はあとからやってきた増援だ、継続していた彼らの倍は働かなければならない――そして、果たして戦闘時間を気にして、余力を残せるかどうかが問題だ。

「ふむ、誰かと思えば……裏生だったか?」

「朝霧さん」

 妖魔の群に飛び込んですぐ、声をかけられた。状況把握は先んじて行っていたつもりだが、この乱戦の中、芽衣の存在は声をかけられるまで気付かなかった。それを悔いる時間は残念ながらなかったが、せいぜい背後からやられぬよう注意せねば、とは思う。

「さすがの私も、あまり余裕がなくてな。まだ生きているのか、あいつらは」

「ええ――」

 死んでいれば、この場が持たないだろうという判断を、彼女は持っていないのかと思って一度視線を投げ、刀を振って四匹の妖魔を討伐する。能力を使われる方が、思考面において厄介になるのだが、さすがに広範囲術式ならばともかくも、乱戦では効果がないのを理解しているのか、妖魔の大半は使っていない。

「ははは、その判断がどこからくるものかは知らんが、確かに私の領分は守ることだとも。しかし、誰かではなく己を、だ。となればだ、むしろ私としては、この場を維持することがなくなれば、――ただ一人で生きていける。なるようにしかならん現状で、できもせん気遣いをするつもりはない」

「……」

 そう断言できてしまう辺りが、強い。だからといって、生きていてくれと思っている事実は変わりないことを、最初の問いで示している。

「今は、夢見に全体のフォローを任せてある。あれはそういう使い方が上手い。こちらの状況は私と鷹丘少止たかおかあゆむが押しとどめ、ちがやが走り回り、渦中に雨のと宮のが、第三位妖魔の捜索と討伐を行っている。たまに広範囲殲滅が入るから気をつけろ」

「手薄なのはどこですか」

「厚いところが、どこにある。まあ、脆弱なのは雨のと宮のだな。圧倒的に経験が足らん。増援ならそちらへ向かってやれ。とはいえ、こちらは好きに動いているだけだ。貴様も好きにすればいい」

「誰も指揮はしていないのですね?」

「して、どうする? 眼前に敵はいて、踏み込むも退くも敵ばかりだ。指示を受ける信頼も信用もなければ、余裕もない。状況に対応するに精一杯。余計なことを考えるな裏生、効率なんぞ考えるくらいなら妖魔を一匹多く殺せ。それが生き残る秘訣だ、理解できたか?」

「――わかりました」

 若いなと、一気に隙間を縫うようにして踏み込んで行く裏生の後ろ姿に苦笑する。口ではそう言っているが、おそらく現状で一番状況を理解できているのが夢見で、その次が芽衣だろう。立ち位置もそうだが、それだけの余裕がある。とはいえ、目視確認をするほどの余裕がないのも確かだ。

 定期的に一瞥する時計は、十九時を示そうとしている。まだ読めることを確認しながら、ここから先は未知の領域になるなと思う。

 三十時間を想定した戦闘を持続しつつも、場を維持するためには無茶をしなくてはならない時もある。そして経験上、芽衣が行ったことのある戦闘時間は十八時間。しかも単独ではなく、部隊としての行動だった。この状況では負担も多い。

 没頭し過ぎると不味いのが、長時間戦闘だ。余裕を失うと先がなくなる――と、もちろんそれは全員に言えることではなく、芽衣の問題であって、感覚的なものでしかない。だからこうして、たまに会話をしつつ、無駄とも思える労力を割くのだが。

「十九時間」

 はは、と笑いが口から洩れる。

「――どう考えても馬鹿だろう。冗談も大概にしておけ」

「まったくだ」

 接近には気付いていたが、裏生へ用事があるのだろうと思っていた矢先、横から投げられた携帯食料を受け取った芽衣は、吐息を足元に落とす夢見に一瞥を投げた。

「戦闘時に栄養補給か、これまた稀に見る状況だな」

「サイクルロードレースなら、こっちも楽なんだけどな。バーテンに酒を頼む気安さで、アシストのチームメイトに補給を頼める。女をホテルに連れていく面倒さと比較すりゃ、今も相当に面倒だ」

「はは、場馴れしているではないか」

「余裕を持ってねえと、俺自身の暴走に対処が難しくなる。加えて、俺の同僚二人は前に出る方が得意でな――否応なく、市営プールの監視員みたいな真似をしなくちゃならねえ」

「ふむ。暴走の危険性があるらしいが、どのような感じだ?」

「慣れてるな。懺悔室の神父みたいに聞くだけなら、壁に向かって告解するところだ」

 ESPをより上手く使うために必要なのは、イメージだ。であればこそ、曖昧な言い方である、感じ方を芽衣は口にした。

「波打ち際と同じだ。地震の一つで、波は大きく姿を変える。人の遊び場も、それだけで阿鼻叫喚の地獄絵図だ」

「ふむ。凪いでいる海は魚が釣れんと言うが?」

「荒れてて釣れたとしても、釣り人にとっちゃ厄介だろ。俺のことより、休憩をまともに取ってないのは朝霧だけだ。いいのか」

「問題ないとも。何しろ、手を抜いている」

「知ってる」

 手心を加えている――わけではない。妖魔だとて馬鹿ではない、捕食することが目的ならば、より弱い方へ行くのが常道。その辺りを考えて、理解できているのは夢見も同様だ。少止も、久我山くがやま茅もまた同じだろう。けれど実際に戦闘の場で行えているのは、たぶん芽衣だけだ。

 手を抜いている。

 ぎりぎりの領域で、押されることと、押し戻すことのバランスを取りながらも、強者であることを誇るのではなく、容易く食えるだろう状況を演出しつつも、手傷を負わない戦闘方法。一見すればふらふらと手抜きをしているだけだが――それがどれだけ困難か、同じ場で、同じ視線になってみればわかる。

「そして、気にしたお前がこうして栄養を持ってきた。空腹は満たされんが、エネルギーの補給としては充分だ」

 二つ目のゼリー状になった補給食を口に押し込んだ芽衣が、はははと笑いながら回避し、妖魔を殺す。似たような動作、けれどパターン化していない戦闘方法。持続そのものを念頭においた、無駄のない動き。

 見習いたいものだと言おうとして、止めた。さすがに軽口が過ぎる。そう簡単に見習えるものか。

「そういう転寝こそ余裕があるな」

「夢見でいい。田宮にも言い聞かせはしたが、そもそもESP保持者は余裕がなきゃ行動もうまくできない。ギャンブルと同じだ、没頭して周囲が見えなくなった瞬間に負けが決まる」

「なるほど、わかりやすいな。どうだ夢見、十九時間」

「馬鹿馬鹿しいと笑い話だ。――生き残ったらな。泥だらけ、傷だらけ、地獄のような時間であっても、それは地獄じゃない。いつかは終わると願いながら続けるのは、軍人が穴を掘って埋めるのと同じか」

「そちらの方がまだ現実味がある。それと覚えておけ、話ができる程度が私の余力だ。会話ができんようになったら、後ろから刺すしかない」

「それも笑い話だな」

「ははは、確かにその通りだとも。その時がきたら、ここは終わりだ」

「朝霧、また夜だぜ」

「そうとも、夜がきた。次は朝日を拝むことになる」

 そう言い切る芽衣は、少なくとも朝日を見るまでは持ちこたえられる自信があるのだろう。夢見はさすがにそうは言えない。

「不安でもあるのか?」

「――どうだかな。どっちにせよ、外からの干渉がなけりゃ、状況は終わらねえ。人任せの状況ってのは待ちが基本だ。ウエイトレスの仕事を横から奪う馬鹿はいない」

「外、か。ふむ……」

「なんだ?」

「いやなに、考えてもみろ。今この場にいる連中よりも、外にいる人間の方がよっぽど頼りになる――そうは思わんか」

「誰かを頼る女かよ」

「私だとて頼ることはあるとも。裏生の手伝いにでも行ったらどうだ、などとな」

「そりゃ命令に限りなく近いだろ……」

「なんだ、私の可愛いところが見たいというのなら、場所を変えなくてははらんが?」

「見たくねえよ……心当たり、あるのか」

「ここで期待を持たせるようなことは言わんとも。こう見えても私だとてぎりぎりの領域で保っている。増援がきたからといって、気を抜くのは間抜けのすることだ」

「だったら聞かせろよ朝霧。この状況、てっきり後手に回ったかと思っていたが、もしかして規定事項じゃないか?」

「ふむ。続けてくれ」

「防衛って言葉が頭を占めている時間が長かったが、言いかえれば野雨の妖魔の大半はここにある――つまり、ほかは手薄だ」

「となれば、ほかの連中が退避、ないし準備をする時間が稼げる、と?」

「違うか」

「いや、その可能性は高いだろう。それに気付いて動いている連中に限れば、の話だろうがな。そのため、長時間の防衛は想定されていた、という意見にも賛同だ。――無茶が過ぎると、そう思うのも確かだが」

「じゃ――終わったら文句を言ってやろうぜ」

「まったくだ」

 お互いに笑い、動く。

 芽衣は前へ、夢見は後へ。

 まったく――本当にこの状況は、いつまで続くのやら。


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