02/19/16:50――ケイオス・かつての同僚と
今にして思えば――。
基本的には自身が使わない
転移装置――と口にすれば、あまりにも現実味を帯びず、失笑ものであるが、現実にそれが存在していたことを、ケイオスは知っている。何がどう、という仕組みは知らないけれど、それを作っていたのがブリザディアという人間であり、完成されていて、その後始末を刹那小夜がやっている最中だ。その始末というのもよくはわかっていない。
どうして知っているのかと言われれば、軍属の頃、ブリザディアの一人娘であるレイディナの面倒を短期間ではあるものの、ケイオスが見ていたからで、更に言えば高ランク狩人の推薦というのも、事情を探らずにはいられない状況だった。
それも過去のことで、今はその始末に付き合わされているわけだが――この状況下になって、ようやく気付くこともあった。
「おー」
「戻ったかセツ」
気配に振り返れば、金色の髪をした少女が手を挙げている。陽が再び沈んだ状況で、自ら発光しているその金色は、少し眩しいくらいだった。それなりに付き合いが長いため、どういう事情かは知っているし、まったく成長していない外見にも慣れた。メイリスのように羨ましいとは思わないが。
「一時間もかけて、なにしてんだ」
「ケイ、そうやってお前は時間にうるせーから結婚できねーんだよ」
「大きなお世話だ」
「ま、オレが直接手を下すわけにゃいかねーからな。囲って追い込んで、危機感を増長させて決断させなきゃなんねーし、暇潰しも考えりゃいい時間だろ」
「また面倒なことをしたもんだ」
「てめーこそ、ぼうっとしやがって」
「おう。なんつーか、今更だな。本当に今更――サギシロ先生の訓練ってのは、こういう状況を前提にしてたんだってことに気付いた」
「そりゃサギにとっちゃ、この状況が大前提だろ。あいつ、会話は本題から入る癖に、意図を伝えるのに迂遠な方法を選択するとこあっからなー」
「だからって前線に出ようとは思わねえよ」
「はは、お前ならある程度、干渉したって問題はねーけどな」
「その程度がわからねえから言ってんだ。しかし――」
小夜が歩きだしたので、どこへ行くのかも訊かずにやや後ろでついていく。
「――てっきり、俺を殺しにきたのかと思ったぜ」
「なんだよ、オレに恨まれるような下手を打った心当たりでもあんのか?」
「心当たりがある恨みなんてのは、それほど怖くはねえだろ」
「そりゃそうか。安心しとけよ、つーかオレをピエロか何かと勘違いしてんじゃねーだろうな。そりゃ呼吸のように人を殺せるってのも事実だが、殺したいと思ってやってるわけじゃねーし、なにより、こう見えてもアイがくたばった時はそれなりに落ち込んだもんだぜ。妙に仕事が上手くいかなくなったりな」
「おいおい、だから俺は殺さねえって理由にゃならねえだろ」
「そりゃそーだ。はははは! さすがにこんな状況じゃ、そんくれえのことは考えるか。どうりでジェイが嫌そうなツラをしてたわけだ」
「あいつ、まさか海に出てるわけねえよな?」
「おー、鈴ノ宮にメイリスといたぜ。合流するか?」
「俺が? 冗談だろ……いや、まあよほど退屈なら行ってもいいけど、あっちもそれなりに妖魔が集まってるんじゃねえのか」
「それなりに、だな。最初のうちは集中していたが、こんだけ学園の防衛が続けば少なくもなるだろ。ガキが事態を把握できてりゃいいんだけどな」
「――その心配はねえだろ」
言うと、小夜はぴたりと足を止めて振り返る。その表情に小さな驚きが浮かんでいるのを見抜けたのは、付き合いの長さだ。
「面白いこと言ったか、俺」
「信用か?」
「信頼っつーか……そこまでクソッタレじゃねえだろ。少なくとも、ちょっと頭が回るやつなら、状況開始から十七時間くれえか、頭を使えば理解できる。こういう流れを作った誰かを知るまで至るかどうかは、べつだな」
「あんまし侮るなってことか、諒解だ。お前の口から聞くと妙な気分だけどな。とりあえずオレの仕事は、そうねーけど、ケイはどうなんだ?」
「どうって言われてもな。俺もだいたいは片付けたし、残ってんのはコイツをラルに渡すくらいなもんだ」
「あ? なんだ、その狙撃銃、ラルへのプレゼントかよ」
「あいつが軍の仕事を請け負う際に渡してた愛用品なんだよ。そりゃメイやメイリスと比べりゃ大したことはねえ腕だが、それなりにやる」
「んー、連中もそろそろ合流しそうなもんだけどな。ケイ、ついでに一ノ瀬
「で、適性があるなら教えろってか?」
「向きだろ、お前。特性は〝
「クソッタレ、痛いところを突きやがるぜ……」
「妥当な推測をしちまうと、あー、藤堂夏と、美香ってのが一緒にいるな」
「ああ、ToDDシステムのとこの子供らか。一回だけ屋敷に行ったことはあるが、すれ違ったかな、どうだったかなってくらいなもんだ。あそこにゃ
「蹄の針術は名を継いだらそれで終いだ。いくら先代とはいえ、この状況下じゃ混乱に対応できねーよ。それに加えて、教えてるとは思えねーし」
「そりゃそうか……つーか、長期的にならまだしも、即戦力で使えるようにしろってか」
「どういう類かは目で見て決めろよ。投げ出しても問題はねーだろうけどな。つーかお前、エルムからなにか言われてねーのか?」
「あ? ねえよ。この状況になる前の方がメインでな、こうなっちまったら好きにしろってくらいなもんだ――あ、生き残れとは言われてる。ただし、それが最後だってよ」
「報酬は?」
「馬鹿、返すモンが返せなくてって話だぜ」
「要求くらいしろよ……ま、その辺りも織り込み済みなんだけどな。サギもそうだが、エルムもバランスって部分は平然と、しかも嫌ってほど均等にやりやがる。見習って損はねーぜ」
「あのな……サギシロ先生から学ぶことは多くても、あの人そういうとこ、あんまし見せてくんねえだろ。――もう、次はねえだろうし」
「へえ、気付いたか」
「気付かずにはいられねえだろ。だいたい、先生自身が最後のと、ちゃんと口にしてた。それでこの状況だ。隠居でも決め込むんじゃねえかと思ってるけど、そいつはセツも似たようなもんか?」
「おー」
「だろうな……。ちなみに、トコのレベルだとどーよ」
「ぎりぎり大丈夫なんじゃねーの? 一般的にゃ、あそこらがテッペンのレベルになるだろ。……オレは巻き込むけどな」
「花火上げるんだろ。こっちでモニタできねえか?」
「興味あんのか」
「あるし、モニタできなきゃ駄目だろ。語り継げねえと、五神の存在意義も薄れる。一役買うのは俺じゃねえだろうけどな、意欲を失ったら俺じゃねえし」
「中継はサギがやる。その頃にゃ大半は学園に退避してるだろうから、心配すんな」
「ありがたいことだぜ」
「聞かないのか?」
「さんざん、周りから言われてんだろ。あのベルを相手に――なんて。今さら聞くようなことじゃねえよ馬鹿。お前がくたばるなんてことは想像できねえ。それともジェイに言っといてやろうか? おい、セツがくたばるかもしれねえってぼやいてたって」
「ははは、そりゃ大笑いだな。おう、何年前になる」
「十八年くらいだろ」
そうだ。
海兵隊訓練学校のミソッカスとして集められた四人。ジェイにケイ、アイにセツ。今は一人欠けて三人、途中からメイリスも一緒に行動することになって。
結局、ここで終いだ。
「つっても、完全に終わっちまうってこた、ねえだろ」
「まーな。……ん? おー、たぶんお前らが生きてる内にってことで、気を付けておくぜ」
「これだから時間感覚が長い奴は……」
「いいじゃねーか。どのみに、この状況が落ち着いて〝外〟に行くようになりゃ、お前ら年配者が主導しなきゃなんねーんだぜ」
「舞台で成果の披露が終わればいつも通りってか――お、レィル! なにやってんだお前、おい逃げんな!」
ちらっと見えた姿から相手を視認したケイオスが声を上げると、逃げようとしたレィルがぴたりと停止して、明後日の方向を見て。
「理不尽だ!」
なんて声を発したかと思うと、複雑そうな顔でこっちに近づき、歩調を合わせた。
「やあケイオスさん、僕を見つけたら見なかったことにして欲しかったですよ」
「なに言ってんだお前……あれか、ストレスでも溜まってんのか? セツがここにいる時点で逃げ切れるわけねえだろ。むしろあれだ、俺が声をかけずに逃げた場合、あとが怖いってことくれえ想像できるんじゃねえか」
「そりゃ僕だって長いこと小夜さんの制御っていうか、相方やってますからねー、そんくらいはわかりますけど、だからって逃げ切れないわけでもないし。……今じゃなければ」
「だったら何で逃げようとしたんだ」
「ささやかな抵抗と意思表示。小夜さん、僕に対しては遠慮がないからなあ……で、なにか仕事でもあったんですか?」
「ねーよ。聞きたいことはあるけどなー」
「お、おおう……珍しいこともあるもんだなあ。これ、僕、喜んでいいところですよね」
「未熟モンがなに言ってやがる。ま、レインの代理くれーはできそうだけどな」
「へえ? なんだよレィル、代理すんのか」
「嫌嫌ですよ、ケイさん。ベルさんがいなくなっちゃうって話なんで、姉さんもちょっと休むとかなんとか」
「そりゃ納得だ。おう、ちなみにセツといるのは、旧交を深めるためだとでも思っとけ」
「へーい。それで小夜さん、僕になにを?」
おうと、そう言って立ち止まったセツは、焼け跡のある瓦礫に腰を下ろした。ケイオスは脳内地図から参照し、どのくらいの位置かをざっと確認だけしておく。まだ確認ができる程度の被害だ、地形が変わってしまっているわけではない。
「レインはベルんとこ行ったか?」
「直接は聞いてませんけど、こっちの仕事は終わったんで――というか、なんで僕まで巻き込んだのかよくわからないけど、まあともかく、たぶん合流したんじゃないですかね」
「たぶんね。まーいいぜ、額面通り受け取っといてやる。んで、ニャンコどーよ」
「おう、祠堂を送ったんだろ。落ち着いてんのか?」
「いやあ、どうなんですかね、あっちは。さすがに僕がアクセスすると気取られるんで」
「気取られないようにやったんだろ。いいからとっとと言え、クソガエル」
「酷いなあ……」
この人形の器を持つ前は、電子上のアバターとしてカエルを使っていた。今もそうなので、まあカエルと言われるのは間違いではないのだが。
「口止めも込めて、ニャンコさんが睡眠中に軽くアクセスしましたよ。みこさんが主導で現状維持、この猫は丸くなってまだ起きないと呆れてましたね。それと鷺花さんが入れ替わりで接触したみたいです。いくつか現状に対する対応の手伝いを、それとなく」
「ったく、相変わらずサギの手は広いなー。言い訳は、オレらが持つ通信機が形而界を経由しているから、その流れでってとこだろ」
「言い訳って部分がないなら、正解だと言っていましたよ」
「お前が先に言うなんじゃねーっての」
「いやあ、言いたくもなるでしょ、あれは。ただ鷺花さんをからかうのは、初手で止めておかないと、あとが怖いから、その程度ですけどね」
「オレは直接干渉しねーから、そっちで気にかけとけ」
「その台詞、姉さんに言っておいて欲しいな。どうせ眠ったら、あっちで遊ぶんだろうしね」
「だったらお前が言っとけばいいだろーが」
「小夜さんも厳しいですねえ」
「ふうん……レィル、誰かが調整したか?」
「あれ、ケイオスさんって人形見てわかるんですか?」
「お前ね、こっちの世界に入ってどんだけだと思ってんだ。俺だって無知でいられるほどガキじゃねえよ」
「サギの成果だろ」
「嫌なことを思いださせんな。けどマジで、サギシロ先生の場合、術式の初動っつーか、
「仁の手じゃねーよ。どうせ、ディランにでも逢ったんだろ。そっちも最後の調整だ」
「最後なあ……ま、そういうことなんだろうな。死に別れじゃねえだけ、マシってことか」
おうと、言いながら立ち上がったケイオスは、二人を交互に見てから軽く手を挙げて背を向けた。
「んじゃ――行ってくら。またな」
それぞれが短い返事をする。それと笑いの気配。どうやらケイオスが、少しナーバスになったのを感じ取ったらしい。
別れで思い出されるのは、いつだって同僚のメイリスだ。正直に言えば、ケイオスは少なからずショックを受けた。セツと同様に、あいつが死ぬわけがないと、それを確信できるだけの実力を持っていたし、先に死ぬなら自分の方だと思っていたくらいだ。そこに関してはセツに見抜かれてはいたが――。
どんなに強い人間でも、あっさりとくたばる。
わかりきっていた自明の理を突きつけられて、それでもと願うのが人間だ。いないことには慣れた、これはもう昔話と同じだろう。とっくに折り合いをつけて、割り切っているのに、それでも別れを思い出す。
ろくに、話もできなかった、唐突な死別。
憧れはなかった。あの小夜が――当時もそう思ったが、今は余計にそう思えてしまう、あの刹那小夜が、厄介だとはっきり口にした相手であるアイギスを、羨ましいなどとは思わなかったし、今でも憧れなど抱かない。
ただ、劣等感があった。セツほどではないにせよ乱暴で、それでいてきっちりと論理立てた戦闘を行い、どちらかといえば攻撃よりも防御と補助を念頭にした在り方は、戦場で随分と助けられたと思う。
感謝を伝えられていなかった、というのが強い。世話をしていても、あまり自覚していない女だったから、ケイオスも言う機会を逸していたのは確かで――もう言えない、なんて現状が、悔しく感じる。
後悔を、抱く。
それは決して悪いことではない。誰だって、一つや二つはあることだ。仕方ないと諦めるしかないし――こんな状況でもなければ、そう思いだすこともないだろう。
だから、良い機会の部類になる。死別した同僚を思い出す機会なんて、そうそうないのだから。
「――ま、今は俺が誰かの世話をする立場か」
三人のガキ、いや、対象を発見する。周囲に結界も張らず、いつでも動けるような状態で小休止をしているようだが、完璧に甘いとしか言えない。何しろ、妖魔だろうが人だろうが、少なくともケイオスの接近には気付いていないからだ。
「おう――」
だから、先に声をかける。
「――警戒が甘すぎるぜ。何もできねえのを自覚してんなら、できることくれえやれよ」
ほぼ初対面だ、さてどう反応するかと思えば、一ノ瀬聖園はじっとこちらを見据え、驚きもなく、疑いもなく、探るのでもなく、ただ。
「なぜ……」
そんな、自問をした。
疑問がこちらへと向かないところが評価できる。さすがはあの五木忍の娘だとは思ったが、口には出さないでおく。それを言ってしまえば、個人として捉えることができなくなるからで、また侮辱でもあるからだ。
「ケイオス・フラックリン……さん?」
「――美香、知っているのか」
口元を笑みの形にしつつ、そちらを見ると、少女の方が僅かに視線を落とした。代わりにと、男の方がこちらを見上げる。
「一度、家に……」
「そうか。だったらそうなんだろうな。俺は藤堂夏、こっちは美香だ」
「知ってる」
「俺は知らん。ついでに言えば、ここで〝停まった〟そちらの理由もな。ただ」
「ただ、なんだ?」
「俺の勘は正しかったことが証明されただけだ。一ノ瀬、近くもう二人合流する――はずだ。しばらく留まりたいが?」
「……はい、ではそのように」
「勘、ねえ」
急場凌ぎの三人組であることは、ケイオスの目から見ても明らかだ。そして、おそらく二人は一ノ瀬聖園の思考に追いついてはいない。
「おう――夏、だったか。二人合流すると言ったが、どんなやつだ?」
「わからん。ただ、誰かの知り合いだろう」
「俺がそっちの美香に覚えられていたように?」
「あるいは、俺たちの知り合いと関係している可能性もある」
「そこまでは理解できてんのか……最低条件だな」
それでも、素質があることにかわりはない。ただし現状では、二人揃っていて、ようやくだけれど。
「美香、俺の情報は〝
「……美香、俺も知りたい。教えてくれ」
「ケイオス・フラックリン少将……〝
「そういう雰囲気は感じたが、少将殿だったか」
「元、って言葉をつけりゃ概ね正解だ。すれ違っただけでよく記録してある……が、俺はお前らとすれ違ったことを覚えているが、いつどこで、どのようにしてすれ違ったか覚えているか?」
「美香」
「……おぼえて、ない」
「俺も同様だ」
「夏の〝記録〟に期待しちゃいねえよ、そいつはただの
さあて、ここまできて領分が違うからと放り投げられるほど、ケイオスは無責任ではない。弟子を持った覚えもないし、義理があるわけでもないが――まあ。
「一ノ瀬、そろそろまとまったかよ」
「はい……少なくとも、このまま状況が推移した場合における危険度については」
「馬鹿、そっちじゃねえよ。対応策を模索しろって言ってんだ。現状の情報を引き抜いて考察なんて、誰でもできる。先の予測なんざ当たり前だ。そこからてめえの、あるいは周囲の対応まで考えてからが結果だろうが」
「ケイオス殿、そうはいうが――」
「いえ藤堂さん、その通りです」
「推移する現状への対応に思考を割け。分析は結構、予測も重要だが、現地の情報を仕入れたって対応の選択肢を取捨選択ができなけりゃ終わるだけだ」
「痛み入ります……」
「悔しさを抱くなら充分だ。とはいえ、俺の言うことを聞き流す権利もあるんだけどな」
「私は両親に師事しているわけではありませんから」
「そこまで推察できるんなら上等だ。行動が伴えばなおいい」
それほど厳しい言葉を選んでいるわけではない。それをどう受け取るかは知らないが、たとえば七草ハコや北上響生がこの場にいたら、丸くなったのかと疑問を口にするくらいだろう。
さてと、頭を掻いたケイオスは自分の〝
「美香、使え」
「え……と」
「まずは記憶と記録を自分の中で確実に二分しろ。境界線で区切るんだが、感覚としては選別に近い。自己への埋没から始めろ。己の中へ、自己を認識したまま潜れ。それができてから、記録そのものを本に移せ。そうすれば記憶と混合することはなくなる」
「――それが、必要なのか?」
「それを決めるのはお前らだ。いいか? とっくにわかってるとは思うが――お前らガキの手を借りなくても、生き残るだけなら、まったく問題ねえんだよ。顔を立ててやってるって意味は、わかってんじゃねえのか?」
「……すまん、余計なことを聞いた」
「謝る必要はねえよ。そんなことで気を悪くはしねえし、疑問はもっともだ。けどな、こんな状況じゃなくたって、ガキを育てるのは俺ら年寄り連中だって相場が決まってる。どっちにしたって、揃いも揃って戦闘方面にゃ向きじゃねえのはわかってるさ。その刀だって、扱えそうにねえし」
「これは……形見だ」
「だったら大事にしろ。形見を失うほど情けねえもんはない。……三時間くれえは、まあ問題ねえだろ。言われたことを、きちんとてめえで解釈してからやってみろ。失敗しそうになったら中断しろよ、術式は死に直結すると思え」
「ケイオス殿、すまんが、何故そんなことがわかる?」
「見ただけで――ってか? おい夏、その答えはてめえの中にあるだろ。美香の記録を受け取って、そのまま頷くな。その記録と、現状を参照しろ。今、お前の前には俺がいる。情報を持った本人がいるのに、受け流して、目を逸らしてどうする。記録にあった情報をとっかかりにして、言葉や態度ではなく、存在そのものから適性を割り出せ」
「適性……?」
「そういう仕事を見てたんだろうが、ToDDシステムってのは、そういうことだろ。目の前にいる人材が、どういう場面において活躍するのか、その活躍の場に送り込むのがお前んとこの家がやってた仕事だ。その流れと基本は同じだろ」
「――……」
「そうだ、思考しろ。魔術の基本は研究、そして研究のために必要なのが自己の把握だ。自己への埋没、自身の持つ境界線の把握。何がどうなっているのか、自分にできることと、できそうなこと、できないことの区分、そこに含まれる自身の魔術特性――くっ、はは、いや、すまん」
やや俯き、笑いを堪え、なんでもないと手を振る。
――なんだよ。
意識していなかった言葉だ。現状、夏――いや、三人に対して放った言葉は、ケイオスが考えて放った言葉なのに。
言い終えてみればそれは、かつて鷺城鷺花に自分が言われたことなのだから、笑うしかない。しかも、普通なら世代が交代するとはこういうことだ、と納得できる流れなのに、鷺花は間違いなくケイオスより年下ときた。笑う以外にどうしろと。
「あれこれ悩んでやってみろ。しばらくは俺の
「あれは――ケイオス殿、あれはガキではない。れっきとした成人女性だ」
「なに!? 冗談だろ! 東洋人は見た目が幼いってレベルじゃねえぞ!」
「本人に確認してくれ……」
「そうかよ。まあいい、適当にやってろ――よお、ラル。なんだ、スイも一緒だったか」
「んお、誰だこいつー、なれなれしいぞ、おっさんのくせにー」
「あんたね、喧嘩売ってどうすんの。まったくこれだから気分屋は……」
「おいラル、イヅナはどうした」
「さっきまで一緒にいたけど、ふらっといなくなったから」
「ふうん、らしいっちゃらしいが――おい待て、そこのガキ」
「が、ガキとはなんですか、ガキとは! 口が悪いのは構いませんけど、こう見えてもわたしはですね、れっきとした成人女性です! あ、やっぱり夏くんと美香さんじゃないですか! お二人とも、先生のことをちゃんと説明してください!」
「無茶を言うな景子ちゃん……」
「鏡を見てからもう一度お願いね、景子ちゃん」
「酷いです!」
膝をついて崩れ落ちる
「で、誰だよう」
「マジで忘れてんのかよ、スイは。あー、お前寝てろ。睡眠が足りてねえんだよ」
「む……この優しさ、私を知っているなお主」
「――寝ボケてんのか、こいつ」
頭一つ違うだけの身長の差があったため、呆れたように吐息したケイオスは
「あー、ケイだー」
「いいから寝てろ、お前は」
「そーいーねー……」
「うるせえ」
引き離そうとするが、腰に腕を回されては面倒だ。そのまま腰を下ろせば、膝を枕にして小さく丸くなった。ケイオスは詰まらなそうに頬杖をつき、午睡から視線を逸らす。
「ラル」
「なに? あーほら景子、もう終わったから大丈夫。っていうか、あんた初心すぎるんじゃない……?」
「し、失礼な!」
「いいけどね。じゃあケイオス、この場は引き続き任せるから」
「おう。そっち、どっからだ?」
「
「枕を探しにきたってか……いいけどな。ラル、お前の狙撃銃だ。持っとけ」
「え? ああ――私が使ってたやつか。よく残ってたね」
「手元にあったからなあ、一応渡しておこうかと。それで俺の仕事は終いだ」
「あんがと。狙撃はあんまし、得意じゃないんだけどね……」
「そりゃメイリスやメイが傍にいりゃ、そうかもな。それと景子」
「あー、はい、わかってます。わたしはもう先生じゃないですし、邪魔はしないですよー。現状の理解も、それなりにできてます。わたしが無力なことも含めて、ですけどねー。それでもっ、わたしができることはしたいです」
「――おいラル、なんでこんなの拾ったんだ」
「こんなの!?」
「おう、べつに侮辱したわけじゃねえよ……景子、遊び半分だと思って答えろ。自己に埋没するためには、なにをすりゃいい?」
あえて、その問いを選択する。後ろに会話は聞こえているだろうことを前提にしてだ。
そもそも、自己に埋没しろと言われて、すぐにできる人は、やり方を知っているからであって、いくら魔術の基礎だからとはいえ、今まで一般人だった人間がそうそうできるわけではない。そんなことを知っている上で、それなりに無茶なことをケイオスは言っていたわけだが、それについては、そうとしか言えないのだ。
完全に教えれば、それは弟子を持つのと同様だ。すれ違っただけの他人に、多くのことを教えることは、過干渉になってしまう。それがどんな影響を、これから先の未来に与えるか、ケイオスは経験で知っていた。
だからこそ――酒井景子のような人間に、問うことで、べつ視点からの情報を与える。
何よりも景子は、教育者だ。
学校の教員だったとか、そういうことではなく。
「そうですねー、自分を見つめ直すことの発展系として考えるなら、まずは五感を閉じるところから始めるといいかもしれません。食べ物を口に入れていない時なんかは、ほとんど意識しない味覚はいいとして、視覚は目を閉じればいいと思います。嗅覚は一度、呼吸を止めてみて、その感覚を基点にして、匂いそのものを自覚すればどうでしょうか」
指を立て、視線をやや上に向けたまま、景子は続ける。
「触覚もそうです。一度指で触れて、離して、触覚といわれるものがどんなものかを確認して、それを気にしないようにします。それから難しい聴覚ですねー、耳を閉じることは現実的に難しいですから、仮にそうであったとする、なんて状況を考えるのがいいかもしれません――あ、どれも、遮断することは現実に行うんじゃなく、感覚としてやったらどうでしょうか。これって、結局のところ、外からの情報を除外するってことなんでしょうし」
「おう。で、それからどうすりゃいい」
「そうですねー……外からの情報を失くして、そこに何があるのかを探すのはどうでしょうか。何かをするために道具を集めるのではなく、まずはどんな道具があるかを確認しましょう。そうやって確認することが、自分を見つめ直すという――あ、ちょっと理屈っぽいですかねー。もう少しわかりやすくした方がいいかもしれません」
いやいやと、ケイオスは笑いながら手を振った。なるほど、外見こそガキだが中身はきちんとしている。
「教壇に上がってた頃は、そうやってたのか?」
「おうちでは、そうでしたねー。先生は、じゃない、わたしは語学が専門でしたので、上手に説明する方法についてはよく考えましたー」
「――はッ、そりゃいい。ラル、紙とペンを寄越せよ。持ってんだろ? 出すのが面倒だし、紙の方は美香にやっちまった」
「そうね、スイを引き受けてくれた対価くらいにはなるか」
「馬鹿、この場は俺が任されてんだろ」
「それを代わってもらおうって算段じゃなくて?」
「――ああ、その手があったか」
語学ねえ、なんて言いながら渡された本から白紙のページを破り取り、左手でがりがりとケイオスは文字を書く。それは文字というより紋様に近く、中央には空白があり、円形を基礎にしたものだ。
「しっかし、どうなんだラル、この状況は」
「ケイオスが教える側ってのは新鮮に感じるけれど、まあこんなもんでしょ。うちの旦那みたいに、それが嫌でふらふら逃げ回ってるより、よっぽどマシ」
「俺もそっち側だったんだけどなあ、今までは」
「そんだからこっちの女衆が頭を抱え――ああごめん、うん、悩みの種はむしろ女連中にいたわ。うん」
「自己完結かよ――と、こんなもんか。おい景子……そういやお前、何歳だ?」
「二十四歳だって」
「あー、それじゃあ一人前にもう一歩ってところか。ああいい気にするな、こっちの話だ。とりあえずな景子、これ読め」
「はい? えーっと……なんですこれ」
「導入だけは教えてやる。まず常識を捨てろ、それが新しい言語体系だと思って最初から読み取れ。ただし言葉であることを認識しても語るな。あとは、さっきお前が説明した通り、自分の中から見つけろ」
「んんー?」
紙を手に取り、首を傾げる。そうすぐに理解はできないだろうと苦笑して、少し離れた位置にいるラルへ顔を向けた。とはいえ、手を伸ばしても届かないだけで、それほど離れているわけではないのだ。もちろん、考え込んでいる聖園を含めた三人も、似たような距離で固まっている。
「そっちの接触は?」
「イヅナ以外なら最初ってところ。そのへんはスイの仕事ね」
「状況が落ち着くまで回避か」
「途中、第二位くらいの妖魔と接触はしたけれど、どーにか事なきを得た感じ」
「サプライズイベントの仕込みはしてねえよ。あ、それともあれか? しとけってことなら、あとでストリッパーを呼んでおいてやるけど」
「それ、流行ってたの?」
「おう、訓練校でなー。風呂場にマッチョを待機させておいたら、アイが半殺しにして放り投げて、後始末しときなーって具合だったけどな、マジで」
「馬鹿じゃないのそれ。まあ……当時のやんちゃも、聞いてはいたけどね」
「――そういや、当時はもう現役狩人だっけな、お前。よくそんな面倒を背負えるもんだ」
「私にも私の事情があったってだけ。それよりも、あんたスイと仲良いの?」
「あー、どうだろうな。俺に懐いているんだか、それとも俺が合わせてんだか、よくわかんねえ。すっとぼけたところがあるから、俺のことも忘れてるし……いや、逢うたびにそうだから、べつにいいんだけどな」
「だから、ていのいい枕代わり?」
「そういうことだ」
「あのう……」
「早いな」
口に咥えた煙草に火を点ける前に、こちらを見た景子の顔を見たケイオスは理解して、周辺に展開してある術式を確認してから、口を開いた。
「言ってみろよ、そのまま、思ったところを」
「えっと、――〝察知の言霊〟」
「ラル」
「げ」
何が起きたのかわからず、混乱が景子の口から出るよりも早く、それを封じるように立ち上がったラルが景子の頭を抑える。それを横目で見ながら、ケイオスはようやく煙草に火を点けた。
「状況確認! 否定や肯定はあと、常識を捨てたんなら、まずは今のままを受け入れる! 身体制御! 心身の安定! 発生から継続、消去までの流れを構築!」
「へえ……」
的確な指示なのはわかる。だが、わかるのはケイオスが魔術師だからだ。今まさに初めて、いくら言術とはいえ術式を行使した景子が、まさかラルの言葉に従って落ち着くとは思わなかった。
付き合いの長さではない。おそらく、信頼でもない――飲み込みの速さだ。この状況に対して、放たれた言葉を片っ端から理解している。それどころか、実践までの流れをせき止めていない辺りが、危ういと思うくらいの徹底ぶりだ。
「ん、よろし。――っていうか大丈夫なのこの子。頭平気? 電池のない時計みたいになってる? どーなの」
「電波合わせ中の時計かもしれねえだろ」
「どっちにしても酷い言いぐさですよ!?」
「うるせえよ。で?」
「あーはい」
そして、切り替えも早い。
「いくつかわからないことがあるんですよ」
「わかってることを言えよ」
「今、わたしが行っている作業は、察知とは言いましたが、どちらかというと、準備……でしょうか。こういうの、場を整えるって言うんですかね。察知は副次的な要因が強くって。それと、現状の維持は時間の推移から目算したところ、だいたい六十分くらいですかねー」
「ラル、説明」
「なんでよ」
「これ以上の干渉は俺の制限を超えちまう。だいたい、そっちのガキらにも、それとなく示唆しちまったしな」
「私の口からそっちのガキに伝わるのは許容範囲ってことね……まあいいか。景子、今使ってるそれは――」
「あ、ちょっと待って下さい。えっと……こうかな? んっと」
景子を中心にして出現していた円形の術陣はもちろん、ケイオスが描いたものと酷似していて、その中央には景子が持つ個性が示される文字がはめ込まれていたのだが、それを組み変えるようにして変更を加える。指を振る動作はおそらく、脳内に刻まれた術陣そのものに干渉しているのだろうけれど。
術式の性質が少し変化する。それは紛れもなく、景子が口にした〝場を整える〟ことを主体としたものへ。
「うん、こんなもんですかねー」
「ま、はじめてにしちゃ上出来だな」
言って、紫煙をやや上方に吐き出し、それを煙草の先で軽く文字を描くように触れると、ガラスが割れるような表現で、展開していた景子の術式が消えた。
「――へ!?」
ぞくり、と背筋に走る悪寒のようなものに驚きが上塗りされる。思わず両手で躰を抱えたが、それ以上の何かがなく、景子はなんだったかを知るため迅速に目を瞑り、呼吸を意識するように心身の安定を保った。
対応は早い。飲み込みもいい。
「だからといって適性があるとは言えないってな」
「ケイオス、いくら場を任されてるからって、壊す?」
「後遺症が出るほど強くはやっちゃいねえよ」
「
「場を仕切り直しただけだ、大半は壊した」
「まったく――」
これだから軍属あがりは乱暴だと言われるんだと、ラルは吐息を落とした。
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