02/19/14:10――佐々咲七八・迷い、惑い、考え

 まだ昼過ぎなのか、もう昼過ぎなのか、判断に困るものだなと思いながら、佐々咲さささき七八ななやは一人、頭を掻いて空を見上げた。青空とは呼べない曇天だが、雨の気配はまだ近くにはなく、最近では日中でも強く感じられた紅月の魔力が一切ないことが、いささか安定しないような、物足りないような感覚を抱きながらも、正直な内心を吐露したのならば、七八は実に暇だった。

 今まであちらこちらと隠れつつ移動していたのだが、結局のところ自分がすべきことが見つからず、やりたいこともなく、いたずらに時間を浪費しただけの結果となってしまった。もちろん、自分があまり強い干渉を行えないのは自覚しているし、そもそも誰かを助けるなんて真似はできない。せいぜい、七八ができるのは壊すことくらいなものだ。

 ――そうだ。

 結局のところ、究極のところ、七八には、それくらいしかできない。

「だとしたら」

 どうなのだろうか。

「僕は、どこまで壊せるんだろうな……」

 とはいえ、もう既にどこも壊れかかっているのに、これ以上壊すことはできない。つまり、そもそも試すことすらできないのが現状だ。

 だから、試すことはまず、不可能なのだろう。

「試せよ」

 その声は唐突に、足元から飛んできた。こちらを見上げる顔に、はて知り合いだったろうかと一瞬の疑問を抱き、すぐに誰だかわかると、七八はビルの残骸から飛び降りて地面へ。

「――ベルか? 驚いたな、こんなところで」

野雨のざめは俺の庭だ。お前こそ知らなかったのか」

「知っている。僕だってそこまで無知じゃない……が、以前にコンシスと逢っていたのを見た覚えはあっても、こうして直接話すのは初めてだったはずだ。違ったか?」

「違わないな。お前と逢うくらいなら、コンシスで済ます」

「だろうな。……? ちょっと待て。その言いようだと、ほかの連中は違うと?」

紫陽花あじさい小夜さよのことを指しているのなら、比較対象が違うと、お前は思っているんだろうぜ、くだらねえな。そして正解だ、アブの弟子はいねえから、お前だけだ」

「僕だけ――違うと」

「そうだ。今まで俺とお前は逢わなかった、それが事実だ。にわたずみのほうができる」

「それは痛感しているが、そうか……僕だけか」

「厳密には違う」

 言いながら、ベルは煙草を口にして、火を入れた。

「お前も、だ」

「どういうことだ。どういう括りの話をしている」

「俺からすりゃ、コンシスもフェイも、お前も、同じだって言ってるんだ」

 相変わらず前髪で右目だけは隠されていて窺えないけれど、露出した左目は間違いなく七八を見て、断言している。

 見下してはいない。ただ――呆れは、少し感じられた。

「事実を、現実を、仕組みを、言っちまえば理解そのものを、わかってねえ。あるいは自分をだ」

「なにが、違うんだ。僕と彼女たちは」

「お前らは、持ってたモンを上手く使ってるだけだ。それが何なのかを探るのも、俺に言わせりゃ途中で止めてる。だから、ソレがなくなっちまった時に、なにもかも失くして終いだ――が、連中は違う。最初から持ってたもんを一度捨てて、零から組み上げてる。持ってなくても、今の自分を作り上げた。だから、強い。それがなかった頃を生きてきた連中は、ソレがなくなっても、次がある」

「……」

「と、まあ俺の役目じゃねえな。忘れろ」

「いや……僕が悪い。鷺城にも似たようなことを言われて、僕が変わってなかっただけだ」

「だったら自覚の遅いことだ。まあいい――尚更だ」

「なにか、用があったんだろう?」

「ついでだ」

「ほかの用事があったのか……」

「――なんだ、素直だな。初めて好感を持った」

「なにを言ってるんだ、わけがわからん。僕はこっちが蒼狐そうこに近い位置だから様子見にと、ふらふら歩いてただけで、そっちの用件はなにも知らないし、気付けもしない。そういう未熟者だ」

 わかっていても、進めないことがあるのだと、今もまた実感している七八は、小さく吐息を落として意識を切り替えた。

「試せばいい、と言ったな」

「なんだ、コンシスから聞いてないのか」

「この状況になってからは、なにも。どこでなにをしてるかも知らないし、僕は知りたいとも思わないな」

「……そんなもんか。じゃあ引き継ぎの話はどうだ」

「ああ、それなら、近い内にやるとは聞いているが……おい、まさか今なのか?」

「本来は俺と小夜の〝契約〟の履行だ。何を言いだすかと思えば、コンシスとフェイもその時に継ぐと言いだした。いい迷惑だぜ、なあ?」

「何を考えてるんだあの人は……」

「わかってねえんだよ。あの馬鹿はな」

「はは、お似合いだな。結局、僕もこうなるまでは何もわからなかった。それで? ベルはいいのか」

「俺? 余所が何をしようと知ったことじゃない。どちらにせよ、このタイミングを逃せば永遠に履行できない契約だ――」

「……どういう意味だ」

「どうもこうもねえ、そのままの意味だ」

「そうか。だが、間近で見れるってのは利点か」

「お前が生きていられればの話だ。覚えておけよ? 逃げるのは臆病じゃねえ。俺も小夜も、たぶん紫陽花と潦も混ざるだろうが、初めての全力戦闘だ。最低でも二キロ圏内は戦闘領域フィールドになる」

 二キロかと、七八は呟いた。

 とんでもない広範囲だ。そして、全力という言葉の意味を、まだ七八は理解できていない。彼らにとっての戦闘とは、まず場を用意するところから、なんてことは、鷺城鷺花がやって見せたことを知ってはいても、そこに繋げることはできなかった。

「なんにせよだ、五神の名を継ぐつもりなら、慢心だけはするな。そいつを抱いた時点で、ほかの四人に潰されるぜ」

「ああ、肝に銘じておく。……ベル、仕事はあるか?」

「――そんなことがぼやける時点で、お前は正確に状況の把握ができてねえんだよ、クソッタレ。そんなだからマリーリアに悟られるんだぜ、お前は」

「……話したのか?」

「まあな。どのみち知られる情報だ、餞別にもなりゃしねえよ。とはいっても、驚きよりも先に納得してたみてえだが?」

「僕も隠していたわけじゃない」

「隠しきれるだけの技術がねえと言え」

「その通りだ。……中途半端なままだ、僕は」

「だったら上向いて生きろ。俯くよりも、今から一歩を踏み出すなんてことは、最初に教えられただろう」

「そうだな――僕もコンシスばかりを見ていないで、そろそろ僕自身を見つめる頃か」

「……四番目は俺が持ってる」

 ふらりと、揺れるように背中を見せたベルは言った。

「その時に、目で見て確認しろ」

「――わかった」

 そのまま気配が遠ざかるのを感じながら、七八は一人で安堵の吐息を落とす。

 わかっていたことだ。改めて提示されたところで、落ち込みはしない。ただ、今のままでは駄目なのだと強く思い知らされた。

 延長線上では、駄目なのだ。

 原点に帰り、あるいは原点そのものを破壊して、新しい何かを構築しなくてはならない。

 それができる時期は以前にもあった。遡れば、きっとそれは、マリーリアと出逢った頃にも、それはあって、けれど七八は見落としていた。

「……そうか」

 どこまで壊せるかを試す前に。

 七八は、まず自分を壊さなくてはならなかったのだ。

 二歩ほど移動して、日陰から日向へ。目を細めて空を仰ぐが、まだ空の様子は変化なく、やや遠いけれど日差しがあった。

「この状況下で僕にできることか……」

 少なくとも状況の中、右往左往する立場にはない。けれど、手持無沙汰であることは事実だし、それこそが、役目のない証明でもある。

 なにをすれば良いのかもわからず。

 なにをしたいのかもわからない。

 ――どうしようもないな、僕は。

 なにかを強引に変えなくてはならない。だとするのならば、原点に戻るべきなのかもしれない。状況が落ち着いてからでも、そうすべきだ。

「今はまだ早い。――出てきたらどうだ、もうベルは行ったが」

「それは勘違いだろう」

 彼女は、小さく笑いながら姿を見せる。上着は長袖の黒色のシャツ一枚で、寒くはないのかとも思うが、ズボンの上に腰からスカートのよう防寒具を着ている。

「見たことのない女だ――と、思う辺りが情報の少なさを露呈しているな。まあいい、佐々咲七八。私のことなど調べればわかる」

「ああ、あれか、確かサミュエル・白井の」

「知っているのなら話は早い――のだが、どうせ居場所など知らんだろう。ベルの追跡をしてみてもいいが、下手に刺激して巻き込まれるのは御免だ」

「合流するつもりか」

「もちろん、そうだ。私の仲間はいかんせん厳しいからな。ミュウよりもむしろつみれだ、あれがいかん」

「仲間、か。羨ましいとは思えんな。僕が誰かと一緒にいるところは想像できない」

「――はは」

 思わずこみ上げた笑いに七八が眉をひそめたため、いや、いやと手を振って否定した。

「すまんな。以前の私も同様のことを、思っていたというか、口にした覚えがあってな。そして、こうなった今でも、どうしてこうなったのかはよくわかっていない。ははは」

「なるほどな。――まあいい、連中なら前線だ」

「ほう、やはり知っていたか。なあに、つみれはあれで注目株だからな、お前のレベルなら動向も知っているだろうと思っていたが、予想通りの返しだな。つみれはあれで、どうにも踏み込む性質がある。本人は自覚していないようだが」

「随分と嬉しそうに言うんだな」

「もちろんだ。私は二人が生きていることを確信しているし、私の手が必要だろうことも期待している。お前がどうかは知らんがな、私はつみれの駒であることを楽しく思っている。ははは、そういう人間もいるということを、覚えておけばいい」

「……ふん」

「そう呆れるな。右を向いても左を向いても妖魔しかいないようなこの状況、実際に理解度を比較すれば、私なんかよりもよほどお前の方が知っている。――いや、私の場合は単に考えなしなだけか。ははは、ただ生き残るためだけなら、つみれに逢わない方がいいのだがな」

 それとも、彼女――ミルエナ・キサラギにとって、合流しない選択肢は存在しないのだと、それを示すように、視線は学園の方向を挑むように見ていた。

「――ところで、ベルを見たのは初めてだが」

「そうか」

「こう言ってはなんだが、あれはどうして生きている?」

「本人に聞け」

「ではそうしよう」

 頷き、走り出す。その背中に、やれやれとため息をつかれたが、そんなことは知ったことではない。

 ミルエナはこの状況の中、杜松(ねず)市にいた。いつもならば学園の部室を棲家にしている彼女がどうしてと思うかもしれないが、それはこの結果を知っていればこその疑問であり、それなりに行動範囲が広く、仕事の幅もそれなりにあるミルエナが、たった二日だけとはいえ、学園から離れていたとしてもおかしくはない。

 この際、仕事の内容など、どうでもいいだろう。こんな状況に陥るとは思ってもみなかったが、対応としては早い方だ。何しろ妖魔の集団発生、暴徒すら生まれないような殺戮の中、徒歩でありながらも最短距離でここまでこれたのだから。

 ――なぜ?

 正直に、ミルエナはそこを思考していない。すれば脚は止まるし、おそらく解決はできないと思っているからだ。

 今は合流を考えている。それ以外は、娯楽のようなものだ。目の前にあるなにかを知るために動く。それは、合流が速ければ良いというものでもないとの判断と、つみれに怒られる可能性が高く、それを回避するための言い訳を考える時間と、加えれば自分のためか。

 カーゴパンツのポケットに右手を入れて歩くベルの姿を発見できたのは、五分と経過しないうちだった。おそらく、ミルエナが追いかけてくることを見越していたのだろう。すぐに、おうと声をかけられる。ペースを落として横に並べば、まるで周囲の景色を楽しむ散歩のような速度だ。

まどかとの合流か。随分と遅くなったな」

「うむ、さすがの私も対妖魔戦闘では苦労して――と、そんな言い訳は通じんか」

「お前がスティークの現身うつしみならな」

「それを言われると辛いところだ。これから急ぐとしよう……ということで、私の話はいいとしてだ」

「ん? なんだ、俺に話か」

「そうとも。こうして見てみれば、一目瞭然とも思えるが、しかし、――どうして、生きていられる?」

「俺が生にしがみついているように見えるなら、面白いと思うぜ」

「そういう話ではないな。俺は死なないと、そう言いながらも戦場から無事に帰還した途端に死ぬ軍人はよくいるが、そういったレベルではない。屍体が歩いていると言われた方が納得できるほどに」

「だったらお前が、俺を殺してみるか?」

 問われ、ミルエナは迷わずに首を横に振った。

「馬鹿な、屍体をどうやって殺せばいい。死にたがりなら、とうの昔にくたばっているだろうし、生きることに執着しているようにも見えない」

「今さらもう隠すこともないからな」

「終わりを望んでいたのか?」

「ずっと舞台が整うのを待っていた」

「ほう、今がそうだと」

「野雨という舞台の中、物語はいくつも発生してきた。それがようやく、すべてが繋がってすべてが終わりに向かう舞台がこうしてできあがった。俺にとっては、周囲の被害を気にせず、制限なく発揮できる場だ」

「何故だ?」

 わからない。

 今まで制限されていた事実には驚きもあるだろう。確かに今、一つの敵の台頭によって、舞台は一つにまとまり、あらゆる物語の登場人物たちが、それぞれ、けれど手から零れ落ちることなく、檀上に立つことになってしまった。

 だが、それでも。

「ベル、お前の物言いは戦闘に傾倒しているように聞こえる」

「在り方がどうであれ、技術は突き詰めれば強さになる。加えて、俺とあいつとの契約は最初からそういうものだった」

刹那せつなのことは知っている。私から見れば、あいつはお前の背中を見ているように感じられた。だが、お前はどうなんだ? どうして、上を見る?」

「追いかける側を見ているようには思えないか」

「思えんな。お前は狩人だ、後人の育成能力に関して私からとやかく言うことはないが、それなりにあるのだろう。だが、後継はあの刹那だ。自分を越えるまでのんびり待つ必要もあるまい。仮にそうだとしたら、とっくに継承しているはずだ」

「円に聞けばいい」

「私は今、お前と話をしている」

「もう隠してはいないんだけどな……。俺みたいなロートルにかまけてる暇があるなら、先を急げと発破をかけるところだが、お前には通用しないか」

「年齢より、立ち位置の問題だろう。私がでしゃばったところで、大きく戦況を動かすことはあるまい。現状では、お前を含めたそういった人物たちに、制限がかかっているように見える。あるいは、つみれも同様にな」

「影響力の強さが行動を左右するのは確かだ」

「ベル、お前の話を聞きたい」

「後学のためになるとは思えねえな。――俺はな、凡人なんだよ」

「……聞いている。いるが、とても信じられんな」

「そう思われるように今まで行動してきたんだ、簡単に信じられるのは、最初から知っている人間か――俺の同類だ。ま、アブなんかはそのくちだな」

 一瞬、誰のことだと思うが、すぐにエイジェイだと気付く。だが、同類との見解がよくわからない。あの刹那小夜だとて、実力はエイジェイが五人の中で一番低いと、そう言っていたくらいなのに。

「簡単な話だ。俺もアブも、スペシャルじゃなかった」

「なに?」

「適性があったわけじゃない。最初から持っていたわけでもない。極端な話、今の俺はすべて努力の賜物ってところだ。アブの火系術式、俺の雷系術式、あれだって適性があったんじゃなく、――適応しただけだ」

「――」

 言葉一つで、大違いだ。

 適性があればいい、それを受け入れるだけだ。けれど、受け入れるたまに適応したなどと、なるほど、確かに努力なのかもしれないが、そう簡単にできるものでもない。いうなれば、適応するために、適性を持たせたか、適性そのものを変えたと言っているのだ。

「順応は人が本来持ちえる本能だろ。凡人だと言ったのはそういうことだ。誰かに改造されたのでもなく、望まれたところで拒絶せず、考えた末に選んだ結果として、今の俺がある。スペシャルだと言われる人間と並べた? そんなことはどうでもいい、他人の評価だ。俺の成果は、――俺が決める」

 何かを得るためには、代償が必要になる。金銭を対価に物品を購入するのと同様に、順応の結果として得たものがあるのならば、相応の代償を支払う。凡人であればなおのことその代償は重く、それこそ身体機能の一部を捨てることもあったはずだ。

 前髪に隠された左目、左の肩から先に、右の太ももからつま先まで、義体であることは聞いていた。今のベルしか知らないミルエナが、どんな間抜けを打ったんだと考えるのも自然だろうけれど、こうしてみれば、その程度の代償で済んだ――そういうことなのかもしれない。

「だから、挑むのか」

「誰だって似たようなことをしてるだろうぜ。小夜を見つけたのは俺にとって幸運だった。奇しくもあいつの希望と俺の希望は合致する。目的は違えど、な。生きながらえているのもそこが理由だ。この状況があと半年遅かったら、どうなっていたかもわからん」

 そう言って小さく笑うベルは、どこか老けているようにも見えた。自分で決めると言ったベルだからこそ、終わりが見えてどこか力が抜けたのかもしれない。

「虚勢と偽装を張り巡らして、それなりの立場は作って、そこそこうまくやってきただろ?」

「随分と上手く、とも思うがな。鷺城が一目置いている理由がわかった気がする」

「どうだかな。ミルエナ、円には状況がそれなりに落ち着いたら、俺が終わることを伝えておいてくれ」

「つみれに? それは構わないが……どうするんだ、これから」

「その時まで、懐かしむさ。別れを告げながらな」

「――そうか、そうだったな。愚問だったし、邪魔をした」

 気にするなと、ベルは手を振る。脚を止め、その後ろ姿をしばらく眺めたミルエナは、僅かに目を細めて別れを胸の内に抱き、それを振り払うよう走り出した。

 感傷に浸る時間ではない。今は、そう、合流が先だ。

 そう思わなくては、脚が止まる。それだけは避けなければならなかった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る