02/19/13:30――祠堂みこ・形而界から俯瞰して

 まるで色のない湖の上を歩いているようだと、この空間に馴染んだ祠堂しどうみこは思ったものだ。上下の感覚は基本的に足がついている方向が下、というものでしかなく、視線を向ければ足がついている場所には波紋がずっと浮かんでいる。

 今でこそ、隣にいる如月寝狐きさらぎねこと下を合わせることで、比較対象として捉え、己を安定させることも可能にはなったが、最初は浮遊よりも落下、ないし沈没のイメージが払拭されず、足場の不安定さを心許なく思っていたものだ。

 ここには無数の線が走っている。色合いもそれぞれ違い、どれが何なのかを捉えるのは難しいほどの数であり、それらをいちいち把握していては、時間がいくらあっても足りない。それこそ生存している人間の数だけあるのだから、数える行為そのものが間違いだろう。

 操作することは難しい。だが、整頓することと――流れを捉え、理解することはできる。

 それは半ば遊び感覚であり、今では鷺城鷺花の開発した通信装置のお蔭で仕事にもなっているのだが。

 この状況はかつてと違っていた。

 大きく電子ネットワークと人間が作り出したネットワークの二種類がこの、形而界と呼ばれる世界にはあったのだけれど、今は電子ネットワークがほぼ消失し、人間ネットワークの規模が縮小され、妖魔のネットワークが発生していた。

 まるで巨大なフラスコの中だ、と思う。

「しかし」

 形而界そのものは、情報の集合体だ。その中にいる自分も、寝狐も情報だけで肉体が構築されているようなものだ。それなりに干渉もできる――が、基本的にはしない。

 やるのは、いわゆる電子ネットワーク上でやり取りされるアプリやツールなどを製作することで、それを使うのは基本的に彼女たちだ。形而界そのものの変化に対して、ツールもまた変化させなければ対応はできない。

 一日の長なのか、やはりこの手の対応は寝狐の方が上手いのだが、こちらに来て数時間、寝狐は隣で丸くなって眠っていた。

 簡単に言えば疲れたから寝ている、だ。妖魔の発生時に膨大なツールがエラーを弾きだし、その対応に追われつつも、新しいソフトの組み上げを行って状況に対応していたのだ。そこにみこが訪れれば、業務を任せて寝たくもなろう。

 今も対応はしている。なにしろ自分が情報そのものだ、ツールを組み立てるのは難しくない――が、いかんせん組み立てるツールそのものが大きすぎる。一つのミスで全部破綻するようなソフトは作れないので、細かいツールを対応させてはいるが、それでも現状はまだ、ネットワーク上の位置が現実のどこなのかを探る手段すら作れていない。

 ――どうしたものか。

 一時しのぎのソフトは立ちあげているものの、それに対応したツールを創り上げることでどうにかしているみこにとっては、できればソフトそのものをきちんと作って欲しいものなのだが……もちろん、寝狐の作ったソフトに関係ないツールだけで稼働しているものもあるけれど。

 ずっと立っていてもそう疲れはしないが、どちらかといえば精神的な疲労がある。細かい作業は、得手ではないのだ。――できなくはないが。

「このニャンコはまだ寝てるのか……」

「――聞こえてるわよ」

「ああ、聞こえていたんだな。僕としては起きてくれるならそれでいい。変わってくれ寝狐殿、そろそろ面倒になってきた。十時間も寝たんだから充分だろう」

「まだ私の代行もできないと言いたいのね?」

「その通りだ。一体僕になんの期待をしているかは深く聞かないが、僕ができるのは現状への対応であって、いわば現状維持を続けているに等しい。ともなれば、抜本的な解決に至る道を提示してくれてもいいだろう。というか、やってくれ」

 言うと、躰を起こした寝狐は欠伸を噛み殺しつつ、周囲に展開しているツールに目を向けた。

「進展してないわね……まだ扱いに慣れていないの?」

「慣れてはきた。考えてもみろ、寝狐殿のソフトに対応しつつ、現状維持しているんだ。素晴らしい成果ではないか……と、僕は思うのだが駄目だろうか」

「駄目ね。まったく、成長はしているようだけれど――ん? あら、これなに」

 周囲のツールの一部に指を向けられ、そろそろ立ってくれないかなどと思いつつも、みこは首を傾げ、その部分を注視し、ああと頷く。

「三時間前に作ったものだな」

「みこが作ったのね?」

「ああ――鷺城殿から連絡があって、術式の見解を言われたのでな、さっぱりわからんと伝えたら、それを作っておけと言われたんだ。寝狐殿が見てもわからんだろうが、きっちり解析すれば動作そのものの意図は読めるだろうと。ちなみに僕も解析してみたが、やっぱりわからんかった」

「――ちょっと、あの子の話は聞くだけ聞いて受け流せと、言っておいたでしょう」

「無茶を言わないでくれ。それなら寝狐殿が実践して見せて欲しいくらいだ」

「だからといって、まともに取り合うと痛い目に遭うのは実践済みでしょうに」

「ん……ああ、まあ、そうだな」

「なによ、曖昧に」

「いや――鷺城殿が、どうせ痛い目に遭うのは寝狐殿がメインだと言っていたので、じゃあ僕への被害は少ないんだろうなと」

「……あんた、いい度胸ね」

「女に対する褒め言葉としてはどうかと思うが」

 それにと、みこは吐息を落として座り込む。

「嫌な女であることは認めるが、助言そのものは的確だ。突っぱねたあとの処理が問題になるほうを避けたまでだ」

「以前から思っていたけれど、弁が立つわよね、みこは」

「以前は祠堂と呼んでいたのに、いつの間にか呼びつけになっていたことに関しては、変更時点からスルーしていたが、僕は未だにその呼称は慣れんな」

「話を逸らさない」

「逸らしているつもりはないから、とりあえず、作業を手伝ってくれ。実際に、そろそろ限界なんだ。会話なら、ながらでも可能だろう」

「中途分解したら、最初から作ればいいだけのことよ。ただ、なにもわからなくなるだけで、致命傷にはならないわ」

「いや、その致命傷を鷺城殿が作った可能性を考慮しているんだが……」

「――……わかっていて引き受けたの?」

「適度な緊張は必要だ――が、好んで爆弾を抱え込む趣味はない。だから、可能性の問題だ」

「解析の前に、場を整えた方が良さそうね」

「その考えも見透かされている気がしなくもないが?」

「無邪気に否定だけできるほど子供じゃないの」

「……面倒な人だな、寝狐殿も」

「それで?」

 ようやくこちらの作業に手を加え始めた寝狐と一瞥したみこは、さてなんの話だったかと僅かな間を置き、思い出す。

「ああ、弁が立つとか、そういう話か。僕も一応は神職――神社の息子だったから、ややこしい口調になっているだけで、話術が得意なわけではない。なにかと堅苦しい言葉を使うと、雰囲気におされてありがたくなるらしいな」

「どこの神社?」

「……ババアが知ってるとも思えんが」

「――はァ?」

「冗談だ、そう怒るな。いや狙って怒らせたんだがな。感情の動きは健康的な証拠、ともすれば笑うことも忘れそうになるのならば、怒りくらいは動かしておくといい」

「またそうやって話が逸れる……」

「そうだ、呆れもいい。とかくそれが感情ならばな。――まあ、疲れるだけだが」

「で?」

「ん、ああ、五木いつき分家の祠堂神社だ。元より流れを汲む社だったんだが、五木が瓦解してからも、それなりに続いていてな。親父の代で終わりにするとは言っていたが――まあ、こうなった以上、僕が継ぐわけにもいかん」

「確か杜松ねずの隅にあったような……」

「ほう、よく知っているな。さすがは寝狐殿だ」

「おだててもなにも出ないわよ」

「じゃあ撤回しよう。ふん、よくあんな寂れた田舎神社を知っているな。よほど地図が好きと見える。ははは、一人で歩いて確認している光景が目に浮かんでくるようだな」

「あんたは……どうしてそう軽口を」

「寝狐殿はレィルで慣れているだろう。僕の皮肉くらい、受け流したらどうだ」

「みこの言葉は、受け流すと致命的になるのよ」

「そんなものか?」

「自覚はないのね」

「いや、意識的にそうなるよう仕向けているが。言っただろう、感情を動かすのは健康維持のために必要なことだ。その中でも娯楽は精神的な安定を保つのに最適ともなれば、身近にいる年上を使うのは必然的とも捉えられよう」

「必然じゃないわよ。いい迷惑」

「だったら僕の目的の一部は果たされていると言っても過言にはならないだろうな。迷惑をかけるのが僕のような若輩者の仕事で、その尻拭いをするのが先輩のすることだ。うん、良好な関係じゃないか」

 ははは、と言いながら腰を下ろした〝下〟に手を伸ばし、適当な袋菓子を取り出して口に入れる。ついでに飲み物も取り出した。

「――は? なにをしてるの、いや、それはなに?」

「見ての通り、食べ物だが」

「いやあんた、もう電子ネットワークは喪失している以上、プログラムとしての菓子類も製作は……」

「ああ、あれか。電子ネットワーク上のアバターに合った、デジタル食料だな。これも似たようなものだが、違う。こんなこともあろうかと、以前に鷺城殿に相談して、各種自動生成されるようなコードを組んでおいたのだ。魔術師とも呼べない存在の僕が、まさかこんなことができるとは、思ってもなかったが。ははははは」

「……」

「なにを睨む。寝狐殿は生粋の魔術師だろう、僕と比較されてもなあ」

 だからこそ、寝狐の方がソフトの製作などが上手くできる。これらは、この形而界に合わせているとはいえ、魔術構成のようなものだからだ。

「そう恨めしそうな顔をしなくても、ちゃんとやる」

 放り投げると、受け取った寝狐が迷わずその大福を口にする。

「あらおいしい」

「再現は怠っていない――摂取カロリーの再現もな」

「んぐっ」

「はははは、きちんと熱量を消費しないと躰につくから気をつけろ。一応、僕の術式で組んだから、あまり汎用性もないし、寝狐殿が改良できるとは思えないが、まあもしも改善できそうなら教えてくれ。とはいえ、改良するつもりもない。運動すればいいだけの話だ」

「……鷺花はよく、連絡を入れてくるのかしら」

「勘違いだ」

「あらそう?」

「ああ、あちら側でのことだからな。こちらへの連絡をすると寝狐殿が不機嫌になるから、どうにか機嫌をとっておけと、直接正面から退路を塞がれて言われた僕の身にもなってくれ。このコードも、そのついでに押し付けられたものだ」

「ご苦労様」

「まったくだ。それにしても――あまりにも」

 混ざり過ぎているなと、ストローで飲料を口にしつつ、寝狐が作業を始めたのでそちらに大半を任せ、ようやく周囲の状況を俯瞰することができた。

 人間や妖魔は、存在そのものが違うため、ネットワークが形成されれば、その形そのものにも変化がある。それらを種別するために、単純な色分けをしていた。ちなみに妖魔は灰色、人間は青色だ。

 今は、その住み分けができていない。いや棲み分けなのか――ともかく、色が混ざり合っていて、それこそ文字通り、混乱していた。

 だからこそ、わかる。

「明瞭だな」

「なにが?」

「VV-iP学園の位置だ」

 世界中のネットワークが俯瞰可能なこの場所において、そこまで灰色が濃く、どこよりも黒く、まるでそこが中心であるかのように集っているのは、学園しか存在していない。

「ああ、そうね。一応各地の〝場所〟に関しては、そこを基点にしているわよ。わかりやすいものね」

「まだ地図を投影して確認するまでには至ってないだろう? どうやら、形而界そのもののルールも、基本はともかくも細かい部分は変更されているようだしな」

「そうね」

「まあ〝狭間〟そのものの余白が薄くなれば当然だろうが」

「――なんだって?」

「ん、なんだ、もしかして気付いていないのか? どうやら過去方向におけるクリアランスが凝縮してしまったようでな、どういう作用かも知らんが」

「……そう」

「ん? ……ああ、そうか、いや、それは心配しなくても構わない」

「なにが」

「寝狐殿の父君が、確か現在と過去の狭間に囚われていただろう? その心配なら必要ない。どういう作用かは知らんが、現在と未来の狭間方向に飛んでいった……いや、合致したというべきか。まあ、死んではいないだろう。確証はないが」

「そんなこと――」

「気にしてるだろう。いや気にしてやれ。いくら死にそうにない相手であってもな。まあ、したところでどうしようもないのも事実だがな。ははははは」

「気楽なものね。私としては、こっちにくるとは思わなかったのだけれど?」

「僕の居場所はここに作った、それだけの話だ」

「割り切りがいいわねえ」

「それとも、なにか。寝狐殿は、否応なくこちら側にきたとでも?」

「そこを突かれると痛いわね……確かに肉体は消失したけれど、あちら側でそのまま消える選択肢も、私にはあったもの」

「僕は僕なりに、あらゆる選択肢の中から選んだだけだ。後悔した時には愚痴に付き合ってくれ。それに――こちら側であったところで、死は必ず訪れるだろう?」

「早いか遅いかの違い、だけれどね」

「ならば、立っている場所が違っても同じことだ。寝狐殿も僕がいれば退屈せずに済むだろう?」

「胃が痛くなっても医者はいないのよ、ここ」

「それは僕の精神安定のために我慢して欲しいものだ。年長者なのだからな」

「まったく……」

「そういえば最近、まったくと、よく言うな?」

「あんたが言わせてるんでしょうが!」

「おお、いいな。大声もストレス発散には妥当な選択だ。なあに、ここでは誰も聞いてはいない。卑猥な単語を叫んでも、僕が、頭は大丈夫かと問うだけのことだから好きにしろ」

「言わないわよ……」

 そうかと、みこは頷きながらも寛ぐ。

 約束をしたことを忘れてはいない。だが、それを口に出すことはないだろうし、なかったとしてもみこはここへ来た。そこに間違いはないのだ。

 もしも、世界の意志が関与したのならば、不安定ともとれる二人の存在は消されるだろう。けれど今はまだ、こうして存在していられる。仮初の安全地帯の中で、昨日とは違う今日を続けていく。

「――あら、レィルとレインの繋がりはあるみたいね」

「そうか」

 なら、二人だけの世界にはならずに済むだろうか。

 小さなことでも楽しんで行けば、小さな世界でも問題ないだろう――そんな楽観じみた思いを抱きながら、みこはことの推移を見つめることを選択した。


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