02/19/14:40――二村仁・音頤の立場

 あの馬鹿は一体、何を考えているんだ――前崎まえざきあけびは、瓦礫に腰かけてため息を足元に落とす。周囲に人の気配はなく、妖魔の残滓が風に吹かれているだけで、目に見えて何かがあるわけではない。つまり一人でのことだが、戦闘の熱気は随分となくなっている様子から、状況は落ち着いていると言えるだろう。

 やや傾いてきた陽光は、流れる雲によってたまに陰りを作り出す。通り抜ける風は二月の冷たいものだが、雪の心配をする以前に、寒さを感じるほどの余裕がないのが現状だろう。それはあけびに限った話ではないし、むしろあけびにはその余裕すらうかがえた。

 あけびは、戦闘狂愛者ベルセルクではないし、得手としている領分ではない。自分は得物の作り手であることを強く自覚して生きているからこそ、この慌ただしい状況の中において、渦中に身を置くのでもなく、第三者的な傍観ができている。

 武器流通の音頤おとがい機関には、正しい使い手に、正しいものを、という理念がある。であれば、店主は得物を作るのと同時に、買い手を選別するだけの目がなくてはならない。また同時に、買い手と荒事になれば応じなくてはならないのが、彼らの職場だ。境界を越えた者はいなくとも、三匹程度の第四位妖魔に囲まれたからといって、軽く突破できない者は弟子クラスのレベルだ。今のあけびのように、自分の得物を確かめて、あの辺りを改良しないとなあ、なんて思うのが彼らの日常である。

 つまり、それは同僚である二村仁にむらひとしも同様だ。年齢に関係なく、技術で評価する機関の中で、飛び抜けているとはいわないが、あけびに言わせれば一人前になったばかり、といったところか。特にルールがあるわけでもなく、また珍しくもないが、仁は親から引き継いだ人形師パペットブリードになる。一人前なら心配もしないが――連絡の一つもない、というのが問題だ。

 音頤機関の頭、創設者であり大将と言われ親しまれていたあのエグゼ・エミリオンが亡くなってからは、面倒を押し付けられたようあけびが代理の統括者となっており、今は所属している全員がフォローしてくれてはいる。柄じゃないとはいえ、なにをするとも連絡がない、人形師なんて珍しい魔術師を、放ってはおけない。所属を外れるならまだしも、とかく連絡がない以上、どうすることもできないのだ。

 とはいえあけびは仁との付き合いがそれなりに長い。同じ日本、しかも野雨市を職場としていたので横の繋がりもあるし、たまには食事をするような間柄だ。ゆえに放っておけない、のではなく、実はどういう理由で音沙汰がないのか、そんな理由も想像がつくのである。

 何を考えているんだと、そう毒づきたくなるのも、その辺りが原因だ。

「ったく……」

 年齢が原因なのだろう。仁は若いゆえに、あまりこちらを頼ってこない。それが駄目だとは言わないが、あけびには甘さに見えてしまうのだ。

 立ち上がり、右手をポケットに入れて、ようやくだと、またため息。そして。

「遅えんだよ、仁」

 割れたアスファルトの瓦礫を迂回するようにして歩いてきた三人に、声をかけた。

 一度は合流した彼らだったが、しばらくして一ノ瀬いちのせ聖園みそのが行くと腰を上げた。理由を問えば、こうして一緒にいる理由がないとのこと。どのような思考の帰結なのかを問うよりも前に、藤堂夏と美香みかがそこへ同乗した。となれば必然的に残ったのは仁に心ノ宮こころ、久々津くぐつ鞠絵まりえの三人だ。日中ならばある程度、行動の範囲が広がるだろうとの提案と、めぼしい素材を見つけたいという仁の要求もあり、妖魔の気配を遠ざけながらあちこちを歩いていたのだが。

 こうして、待ち伏せに遭った。

「誰よ? 二村の知り合い?」

「……俺の上司、みてえなもんだ」

「同僚と言い換えろ仁、前にそう言っただろ。俺たちの間に上下関係はねえ――が、さすがに音沙汰がなけりゃ、こうして探しにはくる」

「悪い」

「そう思ってんなら最初からすんな、と、いつもなら言うんだろうが」

 こころと鞠絵を一瞥したあけびは、瓦礫に肘を乗せて口の端を歪める。

「で? どうなんだ」

「そっちはどうしてるんだよ」

「最大危機、緊急時対応は終わってる。集合場所を作るのも、大将関係で融通されてな。九割がた、店舗を畳んで避難してるさ。つーか、連絡切らなきゃわかるだろうが」

「ん、ああ、まあ」

 そうなんだがと言いながら、仁は頭を掻いた。

「前崎、俺は――」

「仁」

 やや緊迫した声が背中から聞こえ、仁が振り向くと、右方向へと鞠絵が鋭い視線を飛ばしている。しかしだ、あけびが軽く手を振ってそれを拒絶した。

「ああ、こっちでやるから気にするな。装備も大してねえのに、感知能力は大したもんだ。掴んだのか、感じたのかはともかくも――仁の客は、筋がいい」

「褒められた気はしねえよ」

 一応褒めたんだがなあと、一定距離を保ったままの状態で、あけびは袖から引き抜くように見せかけて、術式で創り上げたナイフを手元から足元に落とす。

「影を渡るタイプの妖魔だな。陽光が出てても、機動性重視で人を襲うって執念は恐れ入るね」

 地面にナイフが落ちる、柄の部分をあけびが踏み込むのと同時に、最高時速八十キロはあるだろう速度で影となって飛び出してきた妖魔が接敵するよりも早く、上空から出現した幅百センチはあるだろう大剣が、妖魔と地面を縫い止めた。

「ま、単純ってことだよなあ」

 風に吹かれて霧散する妖魔など目にもくれず、腰を曲げて踏み込んだナイフを引き抜くと、虚空から出現していたナイフも引き抜かれるようにして消えた。

「――あ? なに驚いてんだ、お前ら。こんくれえの手際、仁だってできるぜ」

 過大評価だと言おうとして、仁は一度空を仰ぐ。二人が不審な視線を投げているので、受け流したかったからだ。しかし、それが隠せているのならば、仁はきちんと作り手としての矜持を忘れてはいない。

 つまり、今まで前線に立ちながらも、行使はしていないからだ。

「で、どうすんだ。残るのか?」

「俺がいないと困るって連中じゃねえのは確かだ。お互いに依存はしてねえし、ここでさらばってのも――いや、駄目だな。俺は残る」

「へえ、理由は?」

「個人的な理由だ」

「そいつは音頤の二村じゃなく、仁本人のって意味か? そりゃ同じだと言いたい気分だが、肩入れの領分もきっちりしてるみてえだし、俺から言うことじゃないか。〝店じまい〟はしたんだろ? どうする」

「預かってくれるのか……?」

「おいおい、べつに叱りにきたわけじゃねえっての。だいたい俺らの職場に制限なんて、そうそうねえだろ。ま、すべてが終わった時に生きてたら、きっちりツラは見せろってくらいのことは言うけどな」

「それはわかってる。そうだな、だったら預かっていてくれ。持っていても、ここで店を開くわけにもいかないしな」

「おう」

 だったらと、再びナイフを地面に落として踏み込むと、いくつかの小型の術陣が展開し、ナイフは長方形の木箱に変わった。あけびはいくつかの宝石を受け取りながら、木箱の蓋を蹴って開ける。

「俺と、リーリンからの餞別だ」

ねえさんにもお見通しかよ……さすがに落ち込むぜ。いや、ありがたい。助かるって伝えておいてくれ」

「秘蔵の糸を寄越せって言ってたぜ」

「マジかよ、あーしょうがねえか。弱味に付け込みやがって、クソッ、勝手に引き抜いたら承知しねえって言っといてくれよ。あとで直接渡してやるから」

「俺は伝言屋じゃねえんだけどな。んじゃ、俺は行くぜ。せいぜい生き残るんだな」

「おう」

 またナイフを落として踏む動作を経てから、あけびの姿は消えた。実際にあの行動は意味のあるものだけれど、それをしなくてはならない制限は、とっくに解除できているだろうことを、仁は確信している。それでも表向きはそう見せることで、奥の手を隠しておくのは、常套手段だ。

 木箱の中にはいくばくかの食料と、多くの糸があった。地面に腰を下ろした仁は、傍観者になっていた二人を手招きして呼ぶ。それから眼鏡をかけて品物を改める。

「……で、なんなのあれ」

「また漠然とした問いだなあ、心ノ宮しんのみや

「私も疑問だぞ。っていうか、本当によかったのか?」

「いいんだよ、俺のことは気にするな。鞠絵、とりあえず……ん、この程度の糸なら扱えるだろ。随分消耗してたんだ、補充しとけ」

「わかった」

 木箱の中に新しい白衣を見つけ、こりゃいいと着替える。内部には大した術式反応がなく、トラップに似た危うさは感じなかった。

「その眼鏡も魔術品よね」

「どっちかっていえば、術式反応をより細かく見るための道具だぜ。細かい作業をする時に、ルーペを使うようなもんだ。ほれ、食い物」

「ありがと。まったく、鞠絵といい二村といい、よくわからないわねえ」

「それ、こころに言われたくないぞ」

「まったくだ」

 二人に視線を投げられ、腰に手を当てて吐息。手ごろな瓦礫を椅子にして腰を下ろし、携帯食料を一つ貰った。

「つまり、腹を割れって話かしら」

存在律レゾンを探る心ノ宮の魔術師が、まさか周辺察知の術式だけしか使えないなんて話、どこのだれが信じるってんだ」

「だよな。私だって疑ったぞ」

「お互いに付き合いはあっても、こういう状況でもなければ、気軽に触れられる話題でもないでしょ。実際に、二村だってこの状況、軽く抜けられるだけの実力があるって?」

「言っただろうが、俺は作り手だってな。本屋じゃねえんだ、気軽に売れるか」

「それに品物もない」

「うるせえよ鞠絵。だいたい――ん? 待てよ、おい心ノ宮。この際だから言っちまうがお前、確か身体強化系の術式に特化してただろ」

「言った覚えはないわよ」

「お前から聞いた覚えもねえな。音頤がどんな機関か知ってんだろ、そんくれえの情報は持ってて当然だ。おい鞠絵、こいつ人形にしちまえよ」

「え、いや、……それは、ヤだな」

「やっぱりそうかあ、面倒だな」

「私も御免だけれど、一応断る理由は?」

「それは、その……消耗品扱いにするつもりもない、けど」

 一瞥だけ投げて視線を落とした鞠絵は、やがて意を決したように、けれど小さく。

「……友達を操りたくないんだ」

「――」

「だろうな。ったく、そういうとこが不器用なんだよ、お前は」

「うるさいなあ、母親みたいにうるさく言うな」

「……ねえ、私の術式に関してはともかくもさ、ちょっと一ノ瀬と逢ってから考えていたのだけれど、そもそも、この状況はどうなったら終わるのかしら」

 あるいは。

「なにが、どうなれば変わるのかしら」

「おせえよ。そのことを、一ノ瀬はずっと思考してたんだろうが。鞠絵が一番遅い」

「うぐっ……しょうがないだろ、今は玖倶くぐもいないし、落ち着けないんだ」

 久々津玖倶と呼ばれる人形を操って生活している間、鞠絵本人は玖倶そのものだったけれど、基本的な視点は個人でありながらも俯瞰を強要される。何より、人形は操っていると思われては終わりだ。細心の注意を払うし、それなりに頭の回転は早くなければ動かせない。

 けれど、あくまでもそれは対人関係や、人間としての行動であって、状況把握もまた、対人が基本となる。こうした状況の流れを追うのは、なかなかに難しく、これが二人きりならまだしも、こころがこの場にいることから、彼女を意識せずに過ごすのも難しかった。

 対人恐怖症ではないのだけれど、やはり、苦手だ。人形というクッションが一つあれば、どうということはないし、知っている相手だからそれなりに距離は近いのだけれど。

「仁はどうなんだ?」

「現状では、俺から言えることは少ねえな。聞いてただろ、俺は音頤の商人だ。それなりに情報を持ってる――が、それを開示できる相手ってのも、開示できる情報も、俺が選ばなくちゃならねえ。この分水嶺をきっちり見分けねえと、俺の矜持に関わるからな」

「なにそれ。状況を打開できる情報も、言えないってこと?」

「そう言ってる」

「じゃ、しょうがないな」

「しょうがないって……ああ、まあいいわ。二人は付き合いが長いんでしょうし、理解があるのなら良いことよ」

「うん? こころは理解がないのか?」

「そう言ってるわよ」

「うぬ……」

「こっちも追及するつもりはないってこと。ただ、小康状態のようだし、先のことはきちんと考えておかないとと、そう思ってるのよ。仁、時間はわかる?」

「だいたい十五時だな」

「この状況が始まってもう十五時間なんだな」

「もう?」

「え、……違うのか?」

「ははっ、鞠絵のが度胸はあるんだろ。胸のサイズは負けてるけどな」

「うっさい!」

 背中を蹴られた仁は、大して気にした様子もなく手をひらひらと振る。この程度の冗談は笑って受け流せとも思ったが、口にすると余計な反感を食らうのはわかっている。

「安心しろ、俺の好みは小さい方だ」

「――っ」

「あら? 赤くなっちゃって、鞠絵も可愛いとこあるじゃない。というか、そういう関係?」

「ち、ちげーし!」

「だとさ。昔馴染みではあるが、今のところは顧客と店主の関係だ。一線は越えてねえし、遊びで寝る間柄でもねえさ――ちっ、素材がまったく入ってねえ」

「そう。鞠絵に免疫がないのはわかったわ。……ん? 玖倶の時はそういう会話、平気でしてたように見えたけれど」

「ありゃ別人みてえなもんだ。なあ?」

「お、おう」

「なにどもってんだ、お前は……いいからとっとと布陣しとけ。いくら日中だって、警戒が甘いと大変なことになるのはわかってんだろ」

「へーい。そりゃ私がやるんだけどさ、上から言われると複雑な気分だぞ」

「はは、言われる前にやりゃいいんだよ。それと、そろそろ妖魔ばかりじゃなく対人にも気を配れよ。こんな状況下だ、馬鹿も出てくるぜ」

「へ? どういう意味だ、それ」

「だから、ピエロが出るって言ってんだよ」

「あー。最初からそう言って欲しかったぞ」

「……なに、どういうことよ」

「だから、殺人鬼ピエロ。こんな状況だと、自暴自棄になる人もいるから」

 道化師――という意味合いの捉え方だ。こと国外の映画などで出てくるピエロは武装をして、狂乱を身にして人を襲う場面が多くある。それを指してのことだったが、隠語に近いため、言われなければ気付けなかった。

 いや、気付く方がどうかしてる。

「でさ、こころは、ほかの人たちがどうしてると思う?」

「ん、そうね。少なくとも私たちのように生き残っている人の方が少ないでしょ」

「悪い方に考えるなあ」

「だって、そうでしょ? 確かにここのところ、魔術師になっていく人たちが増えていたみたいだけど、それにしたってこの状況が訪れるのが早すぎる。大した経験も、使い方も知らな――」

「――クッ」

 我慢ならん、といった様子で笑い出した仁が続く言葉をぶった切る。それどころか、片腕で躰を支えていたものの、そのまま転がるよう地面に横たわった。

「あはははは! 早すぎる、あははははははは! ひー、ひー! 腹痛え! 涙出てきたぜおい!」

 無言で鞠絵が指を突きつけ、それからこころを見る。どうするんだ、なんて目をされても、こころにだってよくわからない。張り巡らされた鞠絵の糸に対し、それを媒介にして魔術的な結界を張るいつもの作業を終わらせておくと、ようやく涙を拭いながら仁が起き上がった。

 ちなみに、鞠絵の糸は平面を基本としているため、こころの結界は立体を描くようにしている。地を這う妖魔ばかりではないからだ。

「あー笑った、笑った。早すぎる、クッ、まあその程度の認識力ってのも、――ははっ、いやそうだろうぜ。そうなっちまうよな」

「ちょっと、そんなに笑うところかしら」

「悪い悪い――そりゃ、知らない連中だっているってことは知ってたが、あまりにも呑気なんでな。早すぎる? 冗談だろ、そりゃ笑うしかねえよ――過去に二度、この状況が防がれてるのに、そんな言葉が出るなんてな」

「過去に、二度も? 防がれた?」

「……私はてっきり、だからこそ、なんで今回はこうなったのかを考えてると思ったぞ」

「そういう鞠絵だって、詳しくは知らねえだろうが。だからといって俺が気軽に話せる内容でも――ん? おう、んじゃ話せるようなやつを掴まえてくるか」

「どういうことだ?」

「ここは俺の古巣に近いんだぜ、そこに行けば誰かがいるだろ。俺らとしちゃあ、面倒な荷物を抱え込むことにもなるが、今のお前らにはぴんとこないだろうし――いいからちょっと待ってろ、二十分もすりゃ戻る。鞠絵、糸を二本寄越せ。一本は俺と繋げておけよ」

「よくわかんないけど、いいぞ」

「おう。心ノ宮もおとなしく、一緒に待ってろ」

 誰かがいるのだろう、なんて漠然な心の内は教えなくてもいいだろう。いなかったら、そのままずこずこと戻ってくればいいだけのことだ。

 二村仁は、商人だ。そして、工匠でもある。

 その領分だけは、どんな状況であろうと決して、踏み越えてはいけない。なぜならばそうした時点で、仁はきっと、自分を見失ってしまうから。

 ――現状は。

 いかに自己を保ち、抗うか。

 ただそれだけを示すような場であると考えるのは、単純だけれど、真理だろうと、そんなふうに思いながらも、仁はひらひらと手を振って二人と一度離れた。

 向かう先は、芹沢企業開発課があった場所である。


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