02/19/08:30――レイン・機械人形の二人

 正直に言って、姉であるところのレイン・B・アンブレラの、主人に対する忠義に似た信念は、理解の及ぶところだけれど、いささか度が過ぎるというか、それが盲信でないことは救いだけれど、傍目から思えば、しかしよくやるものだと、呆れたくもなるのだが、そういったものが原動力になることは確かで、だとするのならば、レィル・B・アギトにはそうしたものがないのだと、強く自覚させられる。

 まだ欲しいとも思えないけれど。

「姉さん、姉さん――僕は非常に疲れたからもうここらで足を止めて、陽光を浴びると溶けるから、日除けのある場所でのんびりとしたいんだ。というわけで」

「どういうわけですか、レィル」

「こういうわけです。なので、どうぞお先に。僕は面倒なんで、ここらで逃げますから」

 適当な瓦礫に腰かけて、笑顔で言うと、二時間前と同様に、アンブレラ――五番目の刻印を持つ大剣の切っ先を突きつけてきた。

「レィル」

「怖いなあ……はははは。まあでも実際、仕込みはこれで一段落でしょう、姉さんもそろそろ腰を下ろしたらどうです」

「……まあ、それもそうですね。しかし服が汚れます、座りません」

「相変わらずだなあ……」

「それはこちらの台詞です。仮にも境界線ボーダーの名を冠したのですから、少しは胸を張って歩いたらどうですか、だらしない」

「僕は姉さんと違って、まがい物の境界線だよ? ――そういう大義名分がある以上、しっかりしなくてもいいと思いますけど?」

 いつもの笑顔で言い切ると、レインもいつも見せる冷たい表情でこちらを見て――いや、睨んでいた。

 いつものことだ、とレィルは思う。

 嫌っているわけではないし、それなりに文句はあるけれど、それは世話焼きと似たようなものだ。逆に、こうして睨まれないと、落ち着かない部分すらある。

 それに、余計なひと言を付け加えるから睨まれるのだ。わかっていてレィルはやっているし、レインもそれをわかっているから睨む。お互いの信頼関係のようなものだ。

「卑下するわけじゃないですけど、僕は姉さんの劣化版みたいなものじゃないか。武器はエミリオンに、躰はネイキーディランに、戦闘技術はベルさんに。それに対して僕は、エミリオンの弟子……じゃあないけれど、音頤おとがい機関が武器を作って、躰はディランの息子が奇跡的に作り上げてるんだ。まだまだ至らないよ」

 レインが背中に大剣を装備しているように、レィルもまた背中に六本の剣を装備している。一見すれば大きな蜘蛛でも背負っているような形になり、肩口から二本、脇から二本、そして腰の付近に二本と、なかなか物騒な姿だ。けれどそれぞれの剣は長さが違い、また形も違うため、すべての柄が均等に出ているわけではない。

「その嫌味は止めなさいと、再三にわたって忠告したはずです」

「嫌味のつもりはないんだけど。実際に、間違ってはいないじゃないですか」

「ええ、間違いではないでしょう。――境界線である私を越えたのは」

「やだなあ、女性ってそういうところ根に持つんだから」

「いえ? 私はそれほど気にしていません。尚更、しっかりしなさいと言っているんです」

「そう言われても、姉さんがいないところでは、それなりにちゃんとしてますよ?」

 そうだ、既にレィルは境界線を越えている。位置としては、おそらく朝霧芽衣の少し上、といったところだ。けれど、そんな事実があったところで、レィルが境界線である以上は、そのラインで留まっている。

 ただし、レインのような制約ではない。

 面倒だから、そこにいるだけだ。

「でも気楽なもんです。ベルさんもほら、僕の主人ってわけでもないから。多少は混同して楽しんでるけど、かといって小夜さんも好きにしろって具合じゃないですか」

「その辺りも問題ではありますが、まあいいでしょう」

 剣を背負い直したレインは周囲を見てから、眩しそうに目を細めた。

「陽光ですね。――酷いものです」

「あれ? 姉さんはべつに夜行性ってことはなかったと思うけど」

「そうではありません」

「知ってる。まあ、見る影もないとはこのことでしょうね」

 ちなみに、二人がいるのは岐阜県だ。こちらは妖魔の数はそうでもないが、生き残りはほぼ皆無といった状況になる。

 何故か? そう問われれば、運が悪かったとレィルは答えるだろう。

 災害に遭ったこの状況を考えるのならば、運が悪いか良いかのどちらかくらいだ。

「ごみの山、か。これ海底に沈めたら海の王が怒るんじゃないかな? 僕としてはそっちの方が心配なんですけど」

「私たちが気にするようなことではありません」

「まあ、そうだね。壊してくれるなら徹底的に――と、いやいや、これ以上は失言ですね。ははは、しかし、どうするんです姉さん。ベルさんの最期には立ち会うつもりでしょう?」

「……? なにを言っているのですか。レィル、あなたもです」

「初耳だなあ……」

「最初からくるつもりだったのでしょうに」

「いや? どうしようかなとは思っていたよ。たぶん鷺花さんあたりが中継するだろうし、その手伝いも必要ならと思っていましたから。術式主体になれば、僕としては現場にいてもわからないことが多そうで」

「確かに私も門外漢ですが、良い経験にはなるでしょう」

「前向きだなあ、姉さんは」

「レィルはもう少し前向きでも良いと思いますが」

「やだなあ、僕はちゃんと前向きですよ、ちゃんと。――姉さんの見てない場所で」

「……まあ、そうでしょうね」

「あれ? 認めるんですね」

「そうでなければ、私をあっさりと超えないでしょう」

 どうかなあと、懐に手を入れて煙草に火を点ける。こうした行動は小夜に仕込まれたものだ。

 そもそも、レィルはあまり努力や訓練を誰かに見られることを嫌う――というより、姉に見られたくはない。真似をされるとか、恰好が悪いとか、そうした理由ではなく、弟である自分が、どんなことをして、どこまでできるかを読み取られたくはないのだ。

 姉には姉の自負があるように、弟であるレィルにもある。

「それに、技の多彩さでは、明らかに私の方が劣っています」

「それは得物の違いだと思うなあ。何しろ姉さんのは完成されてて、僕のは未完成だ。いや、それは得物に限った話じゃないと思ってるよ。たぶんですけど」

「そうでしょうか」

「そうです。まあなんにせよ、その時になったらきちんと判断しますよ」

「そこは心配していません」

「じゃあなんで言うんですか」

「言わなかったことをあとで理由にされたくはないからです」

「やあ、なんだかな、姉さんも面倒な人ですねえ」

「面倒じゃない女はいませんよ」

「女性は複雑であって面倒じゃないですって」

「ふむ……まあいいでしょう。ところでレィル、学園が安全地帯になるのは、どのくらいの時間になりますか」

「――? 戦力計算と行軍速度を戦場情報から参照すれば、すぐに出るのでは?」

「その手の計算をすると、大抵は外れるので私はやりません」

「ん? ……ああ」

「なんですか、その納得は」

「いやあ、そういうところが面倒な人だなあと、改めて」

 綿密過ぎるのだ。行動から感情までをも計算の内に入れようとする。だから結局は可能性として、確率を重視しつつ、選択肢の中から的確だろう状況をはじき出すのだが、その確率というのがいけない。確かに無数の選択肢の中から何かを選ぼうとしたのならば、高い確率を引くことは妥当に思えるのだけれど、いかんせん人間は数値で測れない。ゆえに、そういうところを考えなければいい。

 確かに、可能性は多くある。あるが、綿密に細かく読み取るのではなく、全体的にざっと見通しておき、そうやって取捨選択の回数を減らしてやるのだ。すると自然に、全体の流れや進行具合が見えてくる。

 もちろん、個人の人となりを知っていれば、付加情報として役に立つ。大雑把に、とはいえ、情報量は多ければ多いほどいいものだ。

 だから、レィルは言う。

「今日中には無理かなあ」

「無理ですか」

「うん、まず無理」

「凌ぎ切れると思いますか?」

「さすがにそこまではわからないですって。ただ間違いなく、芽衣さんは生き残りますよ」

「朝霧芽衣ですか……しかし、彼女が誰かを守るとは思えませんね」

「そうかなあ」

 そうでもない、と思う。あれはあれで、世話を焼くタイプだ。ただしわかりにくいし、厳しいけれど――だからといって、その相手を足手まといにしない行動が染みついている。

 鷺花が誰かを一人前にするように世話を焼くのならば、芽衣は気にいった相手のために世話を焼く。鷺花が放任するのならば、芽衣は自任させつつも必ず最後には手を貸すタイプだ。

 こと、守りに関しては相当なものだとレィルは感じている。それは生存率とも直結するのだが、それを崩すのは鷺花でも容易ではないと言っていた。

 しかし、それも仕方のないことだ。姉は境界線であるために、あまり誰かに深入りしようとはしないから、知らないことも多い。

「正確な時間は?」

「え? 賭けをするなら教えてもいいけど?」

「素直に言いたくないと口にしたらどうですか」

「姉さんが僕を頼るようになったらまずいでしょう。そういう気遣いですよ」

「……最近、私の扱いがぞんざいになっているのでは?」

「僕、姉さんのことかなり尊敬してますけど」

「否定していませんね」

「だから面倒なんですって」

「そういうことにしておきましょう。さて――」

「え、もう行くの? もうちょっと休みたいなあ」

「では、主人様がことを起こすのはいつになると考えていますか」

「少なくとも学園が安全地帯になるか、それが不可能で崩壊するか、結論が出るまではお預けってところかな。小夜さんもそう言っていますし」

 それにと、レィルは笑って付け加える。

「まだアレから八時間程度――半日にすら至っていないんですよ。これからじゃないですか。もしかして姉さん、老いってやつを感じ始めました? どうです、どんな感じです」

「いえ感じていません。感じたいものですが」

「なあんだ……」

「レィルはこれから?」

「そうですねえ、一応、音頤の様子見だけはしとこうかなと。せいぜいそんくらいですよ? 前線の子たちに余計なことはできませんし」

「するつもりがない、のでは?」

「僕は姉さんが言う通り、いい加減なので。ただ――あれ?」

「どうしました」

「いや気付こうよ姉さん。縁かな? 探してたのかな? こっち、近づいてきてますよ」

「覚知範囲が広いですね……」

「ありがと」

 この辺りの技術はイヅナの仕込みだ。ちなみに体術そのものは雨天彬(あきら)の仕込みでもある。レィルの場合、そうやって多くの人からの影響で、今の自分を確立させているのだ。全員、口が堅いので情報が漏れることもない。

 けれどすぐに、ああとレインも頷いた。

「親父殿ではありませんか。ついに双海ふたみさんに見捨てられましたか、あの御仁は。さて、どうやって慰めたらいいものか」

「姉さん、口が悪いですよ。見捨てられたことが前提じゃないですか」

「男は女が許している間だけ、傍にいられるものですよ」

「ふうん? じゃあ姉さんはベルさんを許してるんだ」

「それとこれとは話が別です」

 同じじゃないのか、と思ったが口には出さない。二人の関係に口を出すのはそもそも野暮だ。このくらいの軽い冗談で済ましておいたほうがいい。

 やがて、ふらふらと背筋を曲げて、俯き加減で白衣を着た男が、ぼさぼさの白髪頭を掻きながら近づいてきた。

 人形師パペットブリード――Monsieurムッシュー.Nakedlandネイキーディラン Breldブリード。つまりレインの躰を作った人物だ。

 魔術師が創り上げる人形の多くは、いわゆる自動人形と呼ばれるタイプのもので、その用途こそさまざまだけれど、レインたちは機械人形だ。いわゆる義体技術の結晶とでもいうべきだろうか。

 存在が脳を所持しない、情報の中ではぐくまれた生命――それを本質としているため、あくまでも電子情報そのものが存在だ。それに合わせて創る技術はたぶん、ネイキーディランしか持っていない。音頤機関も総力を挙げて、二村ひとしの研究を助けているが、まだ至っておらず、レィルの核もまた、彼が創ったものだ。

「……くしゃみがでた。お前らか?」

「思ったより落ち込んでいませんね。今、レィルと双海さんに捨てられた親父殿を慰めるためにはどうすればいいのか、話し合っていたところですが」

「いや僕を巻き込まれても困るなあ」

「……? いや、双海には捨てられていない。だが歳は堪えるものだな、探すのに苦労した。久々津くぐつの野郎がいないことを悔やんだのは初めてだ。ああ疲れた」

「久々津の糸が役立つとは思えませんけど」

「ん、途中ですれ違った連中に、こっそり手助けしてやるのが面倒だっただけだ。どうしたレィル、僕に椅子を寄越せ。ああまったく疲れた。歳だなこれは」

 言うが、疲れた顔をしているものの、まだ五十ほどの風貌だ。本質は魔術師なので、外見を留めることも、ある程度は可能だろうけれど。

 場所を渡そうとすると、面倒だと言って地面に腰をおろし、瓦礫を背中に当てるようにして膝を立て、煙草を口にした。だから自然な動作で懐にあったオイルライターで火を入れる。

「レィル……親父殿にそこまでせずとも良いでしょうに」

「え? ああいや、これは癖だよ、癖。小夜さん、どうしてか知らないけど、僕がいる時は必ず火を点けさせるんですよ。もちろん相手は選んでるし……それよりディランさん、双海さんはいいんですか?」

「ああ、いい、いい。僕と違って知り合いが大勢いる。問題ない。用事が終わったらきちんと僕も合流する。ああ面倒だ、また移動だ。レイン、どうにかならんか」

「どうにもなりません」

「ディランさん、そこは姉さんに言っても仕方ないですよ。僕に言わないと」

「――レィル」

「ははは、睨まれた。しかし、そうまでしてどうしたんです? 僕たちを探していたんですか」

「ん? ああ、そうだ、忘れていた、そうだ、最後の調整……いや、様子見だな。レイン、もう少し傍に寄れ……ああその辺りでいい。レィルも逃げるな」

「逃げませんって。イヅナさんじゃあるまいし」

 ゆらゆらと揺れる紫煙は変わらず、景色も変わらず、術陣が展開するわけでもない――が、躰の内部を触れられているような感覚があった。表面を撫でるのとも違う、けれど気持ちが悪くなるような感覚とも違っていて。

 ――ああ、そうだ。

 大きな湯船の中で揺れている感覚に近いか。

 けれど、そんなまどろみの中で眠れるほど、二人は子供ではなかった。

「仁さんはどうなんですか?」

「ん? ああ、どうだろうな。未熟だ、それに尽きる。僕の技術は耐用年数ってものがあるからな、エミリオンとは違って、面倒だ。自己メンテで追いつかなくなって、技術屋がいなかったら、まあ諦めろ」

「そうですねえ」

「レィル、そこは頷くところですか」

「え? だっていなかったら、それまでじゃないですか。仕方ないと諦めるもんでしょう」

「親父殿のような魔術師が、百年周期くらいで発生する確率は極端に低いですが」

「そこまでは知らん。僕は今、僕ができることをやるだけだ。壊すなら好きに壊せ。僕はもういないが」

「それはそれで困るなあ。核はともかくも、義体技術そのものは音頤でもそこそこでしょう」

「パーツ欠損くらいなら、ぎりぎりなんとかするレベルだな。自己修復作用もそう強くはなし、大破しなければどうとでもなるか――と、これはもう説明したか」

「あはは、僕も昔ほど無茶はしませんって。全損とはいわずとも、何度か世話になりましたしね」

「レイン」

「中破六回、大破四回、それ以外が七回」

 その内の五回は一ヶ月以内で発生したものだから困ったものだ。

「昔の話じゃないですか」

「責めているわけじゃない。レインのように大破しなかった場合の方が問題だ」

「それだけ慎重だと褒めるところですが?」

「らしいですよ」

「僕の役目じゃないな」

「まったく……」

 この男連中は、こうだからいけないのだ。もう少し、しっかりして欲しいものである。


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