02/19/07:20――転寝夢見・枷を外し

 ――戦況はどうか。

 昔はそうした意味合いでの簡単な言葉を、転寝夢見はよく受け取り、それに答えてきた。

 前線に出ることはあっても、自ら切り込むことはしなかったように思う。ただ状況に流されたのならば前線に立ち、鷹丘少止あゆむひづめ花楓かえでと共に戦場を走ったものだ。

 状況を分析したのならば、不味い、その一言に尽きる。

 戦線は膠着していた。何しろ相手は物量で押してきているし、戦術の幅もそれなりに広がっている。厄介な第三位以上の妖魔は、群れの渦中にて動き回る武術家の二人、雨天紫花と都鳥凛がなんとかしているし、数を相手には久我山茅の糸、鷹丘少止の影、そして前線そのものを押しとどめる朝霧芽衣の力によって、均衡がどうにか保たれていた。

 だが、いけない。

 彼らは経験がある。自分の力量も把握している。どこが限界なのかもわかっているだろうし、限界を超えたところで、ぎりぎり生きていられる領域も理解しているはずだ。

 けれどこちらは――違うのだ。

 たとえ、仕事をこなしていても。人を殺したことがあっても、なくても。

 いつ終わるかもわからない戦いに身を投じたことがない。

 疲弊している。しているのは理解していても、止められない。止めれば死ぬ。そんなぎりぎりの状況を、あろうことか継続してしまっている。

 それは最大の危険信号レッドシグナルだ。こんな状況でなければ、もうやめろと指示をしたことだろう。

 田宮正和も、佐原泰造も、戌井皐月も、浅間ららも、休憩を挟んだとはいえ、あまりにも――躰も、心も、限界だ。

 心だけで維持してきた戦闘も、陽が上ったところで明るさを感じないほどの、無数の、あるいは無限にすら思えるほどの妖魔を前にして、気持ちが折れかけている。

 ――終わるのだろうか、と。

 ――続くだけなのでは、と。

 であるのならば、今ここで自分が終わったほうが楽なのではないかと、意識的にせよ無意識にせよ、考えてしまうほどの窮地だ。

 それを感じているのはきっと、ロウ・ハークネスも同様だろう。けれど彼には、ここが死地であることを理解しているが故に、やめろと停止することも、それをフォローするだけの余裕もない。

 ならば。

 もう。

 ――巻き添えを起こしたくねえ。

 そんな思いから封じていたものを、ここで誰かを見殺しにするくらいならば、解くしかないと、夢見は奥歯を噛みしめて声を上げた。

「少止! かつてのように――」

「断る」

 その言葉は、夢見の影から聞こえてきて。

「――もう少し、お前は、自分を信用しろ」

 拳を握って、踏み出す一歩は強く。

 夢見のESPは、使えば使うほどに威力を増す。それは結果的に、転寝夢見という器そのものを凌駕し、暴走を引き起こすものでもある。かつてはその一歩手前まで行きかけ、それを少止と花楓が止めてくれた。

 だが、その一人である少止は、己を信用しろという。

 暴走はないとも言わず、止めるとも言わずに。

 するなと、言外に伝えてきた。

 ――やるしかねえんだけどな。

「ロウ・ハークネス」

「……なんだ?」

「魔術師なんだろう、しばらくこのガキたちを頼む」

 ESPのバリアを一度壊す。こんなもの、夢見がESPの残滓で組み上げたもので、行使の対称にすらならない、ごくわずかなものだ。

 封印を解くのに時間はかからない。自分でかけた鍵を、ただ開くだけだ。

 それだけで。

 五感すべてが溢れだし、周囲を覆った。

 田宮が弾丸のイメージで使うのならば――夢見のイメージとは、水だ。

 流体である。

 それはすぐに田宮たちを覆い、動きを封じた上で柔らかいバリアとなって包み込む。それに留まらず、学園の運動場全域にまで広がった。

 懐かしい感覚がある。ひどく懐かしい〝自己〟と呼ばれる何かが、夢見の中で組みあがるのが理解できた。広がった水でさえ、広がっていることが〝当たり前〟として受け入れられ、今までが窮屈だったようにすら思うほどだ。

 馴染んでいる。

 広がった感覚こそ、転寝夢見なのだと。

「ならば、夢を――見過ぎたか」

 今まで、ずっと眠っていた。それを無駄だとは思わないが、確かに、過ぎていたかもしれない。

「少止!」

 今度は違う意味での声に、一テンポを置いてから空を覆うような闇が発生したかと思えば、それらは無数の影の針へと形を変え、それは一瞬にして消失した。

 否だ。

 領域内部、七割以上の妖魔の核を察知・把握した夢見がそれらを一斉にテレポートさせ、それは的確に、最小限の力で、最大効力を発揮し、砂埃が舞うかのよう、妖魔の数が激減した。

 今まで見えなかった紫花と凛の姿も捉えた夢見は、しかし、一斉にアポーツの応用で引き寄せるが、それを察知した少止、芽衣、茅は自らの行動でそれを拒否、結果的に武術家の二人だけが近くにきた。

「しばらく俺が出る、休め。――お前らもな」

〈午睡:あんたもねー〉

 脳内に聞こえるテレパスに繋がりを感じ、吐息を落として引き寄せれば、足元にコンテナがある。それを蹴って壊せば、中身は食料と水だ。その中のいくつかをテレポートさせて前線にいる三人に渡しながらも、中身を疲労度を分析して各自に渡す。特に疲労が極限に至っている田宮には、固形物は受け入れられまい。

〈――おい、聞こえるか、花楓。情報やる。近くに食い物あるなら手にしろ〉

 友人にはあくまでも一方的なテレパス、空白を埋め尽くそうとする妖魔の群れへ、夢見は面倒そうに、けれど一歩を踏み出した。

「夜明けだ、お前ら。踏ん張れよ」

 言いながら、夢見もまた水を飲んだ。

「――どうってことはねえだろう」

 夢見の影を使って移動してきた少止が、隣に並んで言う。

「これで、ようやくお前も現役だ」

「言ってろ」

「悪かったな、花楓の針ほど強くはない」

「アイドルは便所に行かねえってか? そんな妄想を抱くほど純粋じゃねえ。期待しちゃいねえよ」

 それでも、戦果としては充分だ。

 そもそも夢見のESPは、攻撃力そのものが高くない。もちろん液状のそれをぶつけることで攻撃にもなるが、あまりにも非効率で、精密な制御における針の穴を通すような有効打を放つのが、夢見のスタイルだ。

 無駄を可能な限り省く。

 準備に時間をかけることを否定しない。

「どこまで続くか――わからねえぞ」

「どこまでも続けろよ、夢見。お前はそうやって後ろ向きだから、上手くいかねえ。前を見ろ、考える前に感じろ。言い訳をするな。やることをやれ――昔から私はそう言ってる」

 遠く、離れた場所から引き寄せた花楓からのプレゼントは、お盆に乗せられたおにぎりだった。とりあえず芽衣に睨まれたので、二つばかりテレポートさせておく。

「俺は、後ろ向きか」

「封じる前に、どうにかしようと足掻けって花楓にも言われてただろう。それでも無理なら、誰かに頼れ。自己完結しちまうから、私みたいに下手を打つことになるんだ」

「お前と一緒にするな」

「ふん」

「だが少止、フォローを頼む。俺の闘い方を一番知っているのはお前だ。あっちで、にやにや笑ってる鷺城が気になるが、ようやく俺も戦線に立てる」

「終わったら良い女を紹介してやるぜ」

「俺の好みは年上だ」

「オーケイ」

 広範囲殲滅がきいたのか、妖魔も慎重になりつつある。一つ脅威が増えたことで、対応に困っているのが現状だろう。特に指揮をするべき第三位の妖魔が、今は討伐されて存在しないことにも起因している。上空からの攻撃も小休止の状態であり、何かしらの能力の行使も極端に減った。

 だが、この状況が長時間続くとも考えられない。

 そもそも、夢見は戦闘が苦手だ。その上、戦術や戦略などの思考を持ち合わせてはいない。今のように広範囲殲滅などは、精密作業の結果としてできるものの、本来ならばフォローに回るべきなのだ。

 ――やるしかねえか。

 戦いの中で、探るしかない。

 この極限に似た状況の中で模索し、発見し、発展していくしかない。

「それほど」

 茅と少止に戦線を任せ、厭らしくもくつくつと笑いながら、近くにきた芽衣が右手に持つナイフを己の肩に軽く乗せて言う。

「巻き込むのを嫌うか?」

「――まあ、な」

「しかしだ転寝、確かに後方で転がっている連中を巻き込むのは愚策というやつだがな、鷹丘や茅のように、そして私も同様にだ、同一の戦場に身を置く者に言わせれば、貴様、私たちを侮っているのかと、問わずにはいられんな」

「そうか?」

「そうだとも。その、巻き込まれることが前提の思考がナンセンスだ。場所が場所なら、敵意を込めて言ってやるだろう――馬鹿にしているのか、とな」

「敵意がねえな?」

「今、貴様を殺しては戦力を失うことになる――冗談だ、笑え。今まで眠っていたお前に、高望みはしないとも。暴走か何かを危険視しているのならば、考えを改めるんだな。暴走による危険? 結構だとも。貴様が起爆剤となって周囲の妖魔を一匹でも多く巻き込むのならば、それは私たちにとって有効な一手だ」

「――自爆するつもりはねえよ」

「ないなら、そのつもりで行け。それで済む話ではないか、なにを危惧する必要がある」

「酒と水の比率みてえに、んな単純に割り切れるか」

「単純にしか割り切れんと思うが? 何しろ戦場では、――生きるか死ぬかの二択だ。なにをどう言い訳したところで、お前のそれは、死にたくないと泣き喚いているだけのガキと同じだろう?」

 相変わらず厳しいことを言う女だ、と思う。だが同時に。

「――なるほど、単純だよな」

 そんな納得もあった。

「全滅するか、守りきるかの二つか」

「そういうことだ。一つ食うか転寝――この握り飯は、久我山の旅館からの差し入れだろう?」

「わかるのかよ……」

「以前に食べたことがある。もしも、これがなごみの手作りだったかと思うだけで、私はあと二日は働けるだろう。ははははは」

「お前ね、ここは戦場だろう。いつも通りじゃねえか」

「ならば、私にとって日常とは戦場なのだろう。私としては、単独で防衛をしようと意気込んでいたのだ、現状ともなれば楽なものだ。それなりに余裕もある」

「とんでもねえ女だ……」

「年上が好みか?」

「お前みたいな女は論外だ」

「ふん、どうせ貴様のことだ、手のかかる女が好みに違いない。年上で手のかかる意気地のない女をあとで紹介してやるから期待しておけ」

「面倒な女はいらん」

「教育者だ、そう面倒はかからん」

「……ふん」

 本気かどうかは知らないが、どちらにせよこの戦場を無事に潜り抜けてからの話だ。

「俺のテンションを上げたいなら、――姉貴に男を紹介して落ち着かせろ。その方がよっぽどか効果的だ」

「そちらを期待してもらっても困るな。ははははは!」

 戦場はまだまだ続く。

 まだ、なにも終わってはいないのだ。


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