02/19/00:30――花ノ宮紫陽花・受動的で暢気に

 なんで私が、と思うのはいつものことで、それが単なる愚痴であることを自覚しているからこそ、花ノ宮はなのみや紫陽花あじさいは行動する。そもそも誰かの頼みを断ることをしないし、行動することにはそうした理由が必要だ。

 受動的だ、と言われることがある。

 意識こそは能動的であり、たとえば情報収集など基本的な部分には前向きで、それが生活の一部として定着し、ゆえに必要だと判断したのならば紫陽花は行う。よくあちこちをふらふらと出歩き、特に当てもなく目的もない移動をしているように見える時、大抵はそうした活動を行っており、一見したのならば彷徨っているようにも思えよう。実際にそれは事実であるし、意欲的に何かをするために活動しているわけではない。

 簡単に言ってしまえば、紫陽花は興味を持てないのである。

 好奇心と呼ばれるものもないが、しかし楽しみを持たないのとは違う。面白いものは面白いし、楽しみという一時的な感情に身を委ねることもある。だが、それを自ら見つけようなどとは断じて思わないし、何より面倒だ。同様に望むこともない――と、先ほどから〝ない〟ばかりを並べているが、皆無であるかと問われれば、紫陽花でも一つや二つの行動理由がある。

 いや、違うか。ただ能動的に動こうとする自分なりの理由が、それしかないのだ。いわば目的を持たない人種でもある。それでいて人間なのだから、やはり壊れているのだろう。日常生活を難なく送れていた現実を、あるカウンセラーは奇跡だと言って拍手をしてからカルテを放り投げたとか。

 ――紫花しかは無事かなあ。

 ロングのタイトスカートに白のシャツ、紺色の上着は腹部にあるボタン一つで留められており、やや胸部を強調する服装ではあるものの端正な顔立ちと女性にしては高い背丈から、オフィスレディを連想させられる雰囲気を持つものの、紫陽花の場合は口を開かなければ、といつも前置される。自分の雰囲気にあった言葉遣いを選択すればいいのに、と残念そうなため息と共に言われた回数などわざわざ指を折って数える必要もないが、それを自覚していながらも利用もせず、直そうともしないのは、やはり紫陽花なりに理由を持たないからだろう。

 しかし勘違いしていけないのは、彼女にとって理由や意味は本質的に能動と直結するものではない。それらを求めてはいないし、たとえあったとしても動かないことも多くある。結局それを気まぐれと捉えられがちである上、紫陽花自身もそんなものだと思っている節があるのだが、友人である吹雪快に言わせれば一貫性のある判断らしい。

 小夜とは正反対ね、と快からはよく言われる。それは性格ではなく行動に依る部分で、つまるところ小夜は能動的なのだろう。簡単に言ってしまえば小夜とは友人なのだが、悪い意味での腐れ縁に近い。中学校に通っていた時期は小夜が野雨にいなかったため、かなりハッピーな生活をしていたのだが、それ以降はなかなか不機嫌が続いている。もちろん顔には出さないが、やはり小夜と顔を合わせるとどうしたって喧嘩腰になってしまうものだ。

 どうしようもないものだから。小夜が傍にいるだけで、行動どころか呼吸一つでさえ既知感が付随してしまう。何を言っても、どう行動しても、その悉くが既に知っているものとして頭が知覚してしまうのだから、不機嫌にもなろう。一般人なら自壊してもおかしくはない状況なのだから、それを受け止めて不機嫌でいられる方がマシだ。

 諦めているわけでもない。それもまた能動とイコールではないのだろう。

「なんだよゥ――若いのが時化た顔しやがッて」

「んー」

 そんな顔をしていただろうかと思いながら岩に腰掛けていた紫陽花は唇を尖らす。黙っていた時と比べて一気に態度が幼くなった。

「紫花、だいじょぶかなあって」

「へ――心配してンのかよゥ」

 してないけど、と言いながら周囲を見渡す。ここは山の中、森の中、やや開けた場所で傍には水溜りに限りなく近い湖がある。ある戦闘によって陥没した場所に水が溜まったのだから、表現としては間違っていないはずだ。そして周囲には、酒盛りをしている老人たちがいた。

 ここは武術家が云うところの四森――正式には此森しもりと呼ぶべきか。五つの森があり、それぞれ段階的に勢力が強くなっている妖魔の巣窟、その最奥部である死森だ。かつてはここを、草去更と呼んでいたこともあった。

 紫陽花の役目は彼ら武術家をここに集めることではなく――というか連中は勝手に集まって酒盛りを始めた――ここに残っていた九尾の残滓を、天属性の象徴として祭り上げることだ。ちなみにそれは、つい数分前に終わらせた。当人もそれで良しと言っていたし、終わらせた後に自ら酒を飲んでいる。つまり武術家の中に混じっている。

「ほら私ってば紫花に惚れてるから」

「惚れてる? お前ェさんが?」

「なによう、その顔。ほんとよ? じーさんは反対?」

 反対なんかしねェよゥと、雨天静は顎に手を当てる。

「だがバランスが保てねェだろう」

「知らない。いいじゃん私が好きなんだもん」

「抱かれたか?」

「ううん。紫花ってば奥手だから……抱かせたっていうか私が抱いた。無理やり。嫌がってたけど躰は正直よね」

「若いなあ」

 紫花も嫌っているわけではないのだ。ただ素直になれずどう対応していいのかわからないだけ――本気で嫌がっているのならば、紫陽花だとて本気にはならない。どうしてそこまで惚れ込んでいるのかと問われても返答は難しいのだけれど、きっかけは名前が似ているからだった……ように思う。その辺りは曖昧だ。いつの間にか惚れていたのだから仕方ない。

 ただ、珍しく持てた己なりの興味、ないし好奇心に自分が踊らされているようなのは否めない。とにかく持て余しているような気分だ。それが嫌ではないのだから困る。

「しかしお前さん、この状況でのんびりしてていいのかよゥ」

「いいんじゃない? 誰か迎えによこすって言ってたし」

 何が起きているかもわかっているし、誰がどう動くかも予想がついている。問題は自分がどう動くかだが、望まれるがままに動くだけだ。そこは深く考えなくてもいい。

「だいたい、前線に出ちゃ駄目だしねー私って」

「なんでだよゥ」

「誰かが言ってたから。広範囲殲滅は簡単でいいと思うのになあ……」

 それでは意味がないことを紫陽花はきちんと納得している。せめぎ合い、戦い合い、どちらも生き残るような形が自然な流れだ。下手に参戦すれば、それこそ均衡を崩しかねない。

「なんなら暇つぶしに、じーちゃんたち遊んでみる?」

「へェ……言うじゃねェか」

「うん。言うだけなら無料だし」

「どうするんだよゥ」

「じゃあこうする」

 直後、その場にいる全員の動きが停止した。いち早く全身を確認した静が、言葉だけは放てることに気付いて、なんだこれはと言った。

「なんだろうねえ。動けるよーになったら手ぇ挙げてねえ」

 器用に岩の上でごろんと横になった紫陽花は欠伸を噛み殺す。眠いのはいつものことで、だからといって睡眠が訪れることはない。

 紫陽花の魔術式は〝伸縮指向フォーシス〟と呼ばれるものである。この名前の発端はジェイ・アーク・キースレイが記した魔術書に依るものだが、その魔術書を読んだことがない紫陽花が使えるのは特に不思議なことではない。最初から特性があり、魔術書に頼らずに自身で開発できた、と考えれば魔術としては当然のことだ。

 指向性の操作ができる。簡単に言えば力の操作だ。

 物体が落ちるのは重力が作用しているからであり、下方に力がかかっている。もしも空中に停止させたいのならば、上方に向けて落ちる力と同等の力をかけてやれば済む話だ。手で持つ、という行為も力の向きだけを考えれば、同一の現象を引き起こしている。ただし、紫陽花の場合は少し違っていて、上方に力を向けるのは同じであるものの、その力の本体を落ちる力を使っていることにあった。

 十の力で落ちるならば、半分の力を奪って上へと押し上げてやればいい。

 力それ自体は基本的に、何もしなければ生まれない。ないものを操作することはできず、ないものを集めることは不可能だ。けれど落ちる力であろうとも、それが指向性を持って存在するのならば、それを操作することができる。どんな力でもそれは同様だ。

 方向性を持たせてやること――そして、力それ自体を貯蔵することが紫陽花の本領になる。もっとも実際は馬鹿げた話で、現状にしたって関節など躰を動かすことに必要な力を計算した上で、それらが動かないよう力をぶつけ合い均衡を保たせている上、その力は彼らが出そうと思ったものを利用しているのではなく、常時会話などにおける言葉、つまり声による空気の振動を貯蓄したものの中から僅かに捻出しているのだ。

 複雑な操作に無尽蔵にも思える貯蔵した力の利用。この状況に対して紫陽花が感想を漏らすならば。

 ――この程度だもんね。

 それこそ呼吸をするようにできる範囲だと、紫陽花は自覚している。ちょっと意識してやればすぐにでもできることを、わざわざ誇る人間はいない。

「あ、そだ」

 振り向くと欠伸が一つ。かみ殺した程度では収まらなかったようだ。

「私はともかくじーちゃんたちは、これからどうすんの」

「眠そうじゃねェか――よッ、と」

 ひらひらと頭の上で手を振る静は、律儀に紫陽花の言ったことを守るらしい。ちなみに他の連中はまだだが、最初から紫陽花の眼中にはないらしく、眠たい目はどこか焦点が合っていないようにも見える。

「俺たちはお役目御免だ。俺と宮の、鳥のはな」

 おーう、と都鳥の老人と神鳳の老人が頭の上で手を振った。

「なんで?」

「なんでってお前さん、知らねェのかよゥ」

「知ってるけど」

 以前の文明が崩壊した際、妖魔――いや天魔と契約した彼らは、ずっと生かされていた。もちろん彼ら自身もそれを選んだのだから、一方的な関係ではない。だから天魔と切れたのならば、――死ぬだけだ。

 先が短い。おそらく一日と持たないだろう。

「どっちにせよ、俺らは世代としちゃァとっくに引退よなァ。これで終いなら、後は若ェ連中がどうにかするだろう。酒を飲んで――それからだなァ、どうするお前ェら。あァ? 花火でも上げるか?」

 そのつもりだと応えたのは神鳳、都鳥の二名。他はまだ動けないようだ。

「今回限りだ――が、好きにしろよ。得物を使わねェ俺が相手をしてやる。ただし向かって来るなら殺すぞ」

「楽しそうだねえ……ふわ、と」

「眠いのか」

「んー? 退屈なだけ。ほんと退屈。嫌いじゃないけど」

「だったら動けばいいだろう」

「えー? 面倒臭い。動いて欲しい?」

「いや……俺ァお前さんを動かせやしねェが」

「だったらいいじゃん。ここでの私の役目は終わったし、好き勝手に暴れてれば? 私もそういう機会、ありそうだし」

 それは必ずあるはずだ。それを見落とさない。絶対に見逃してなるものか。生まれて初めて制限なしで暴れられるタイミングは、きっとここしかない。

 だから、やる。

 己の限界を試したい。それが見極められない限り、紫陽花はずっと不安定なままだから。

「――物騒な話をしているようですね」

 暗闇から、あたかも出現したかのような少年に対し、二人は動じない。そもそも死を眼前にしている静は警戒するものがないし、紫陽花に至っては察していたわけではないのに、彼が何をどうしても己を害せないことを理解しているから。

「あれえ、りっくんだ。やっほー」

「おゥ、五木の」

「残念ながら僕は五木を継いではいません。当主は父、忍です。だからこそ僕がここに居られるのですが、言っても詮無きことです。僕は紫陽花さんを迎えに……と、失礼。運ぶために来ただけなので、あなた方には干渉しません」

「フン、相変わらず素っ気無いな」

「裏で生きるのが僕の願いなればこそ。不快なら謝罪します」

「べつに構いやしねェよゥ」

「結構です。では紫陽花さん」

「なあに? あれ、しーちゃんいないの?」

「……紫陽花さん」

「なにりっくん」

「その呼び方はおやめください」

「じゃあ私とタメ口で話す? んー?」

「取引にはなりません」

「だよね。じゃありっくんで。どしたの? お迎え? どこ行くの?」

「疑問符を立て続けに使わないでください。僕は問いに対して一つ一つ答えることしかできませんから。まず四は別件で移動中です。確保した後に合流させているところでしょう」

「ああ、そっか。そっちの手助けもアリだもんねえ。さすが、せっちゃんよりわかりやすいや」

「小夜さんと同一視しないでください。僕ができることはせいぜい、姑息なことです。彼女のようにタスクを溜め込むような真似はできません」

「なにアレに劣等感とか? とっとと殺してよアレ」

「自分にできないことを他人に頼らないでください」

「ちぇっ。……で?」

「紫花さんは無事ですよ。今のところは――凛さんと動いているようですが、おそらく茅か少止くんにでも遊ばれていることでしょう」

「んー、それはまあしゃーないね。遊ぶんじゃなく使ってやればいいのに、下手だなあの二人ってば。ふーちゃんは?」

「吹雪快さんならば鈴ノ宮邸です。初手で小夜さんが動かしました。……疑問があるのならば直接試したらどうですか? あなた方には通信機があるのでしょう?」

「知ってること確認するために通信したってしゃーないじゃん」

 知っているのならば聞かないでください、と裏生は額に手を当てた。

「無駄な時間です」

「え? そっかなあ、楽しいけど」

「貴女だけです」

 そうなのと紫陽花は問うが、静は知らねェよと答えるしかなかった。

「ま、いっか。んで師匠が呼んでるんでしょ? あの嘘吐き――あ、もう嘘吐けないか。いや吐かなくてもいいだけか。どっちにしろ嘘吐きだ」

「僕の役目は送り届けるだけです」

 額を押さえていた手を外す動作に付随する形で、袖からひらりとカードが落ちる。それは地面に落ち、裏生が踏むと消えた。

 空間が歪む。小夜の空間転移を封じ込めたものだ。

「扉が開いている内にどうぞ」

「ありがとねーりっくん」

 また面倒が待っているんだなと思いつつも、その先に何があるのかを想像しながら紫陽花は確かな足取りでそれをくぐる。

 まだこの時点では花ノ宮紫陽花は、表舞台に立てていない。


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