02/19/00:30――転寝夢見・つれづれ寮の住人

 それが異常事態なのは、とっくに気付いていた。

 いつもならば寝ている時間であるのにも関わらず起きた転寝うたたね夢見ゆめみはため息を落としながら身動きのしやすい、慣れた衣類であるツナギに着替えてつれづれ寮の階下へ行ってリビングに顔を出すと、管理人である都綴つつづり六六むつれが苦笑しながらソファに腰を下ろしていた。

「起きていたのか六六さん」

「寝ていられる方がどうかしてるよ――ああ夢見くん、そこの扉は開いておいてくれるかな。それにしても暗闇の中、よく僕だってわかったね」

「まだ一年にもなってねえが、わかるよそれくらい。……電気系統は全滅だな」

「いくら電力会社が運行していても、電気を送るものが切断されればこうなるよ」

「外で何が起きている」

「うん、まあ説明はしておかないとね。もっとも、ここまで暢気にしていられる場所はそう多くない――というか、ほとんどないだろう。君たちの世代では特に」

「六六さんがいるから、だろ? 随分と事情を知っていそうだな」

「事情というより、対応の仕方を知っているだけさ。こんな事態でもね」

 この寮には特殊な事情を持つ人間が来る。その流れとして、この状況下であっても特異性が保たれているのだと夢見は思うが、そうではないと六六は否定する。ここは特殊ではないからこそ、普段通りのルールが保たれており、妖魔に襲撃されていないだけだ。もっともそれも時間の問題で、刻が来たら移動しなくてはならないが。

 鈴ノ宮と違うのは、きっと考え方なのだろう。清音や兄として扱う五六が何を考えて何を言ったのかは知らないけれど、あそこは妖魔の注目を浴びるような行動を取ることで、少しでも全体の生存率を高めようと、そう思って行動している。六六はそこまで度量が広くない、その差だ。

 階段から慌てたような足音が二つ。けれど玄関に出るよりも前に、六六は駄目だと口を開いた。

「外に出てはいけないよ」

 いつも通り、赤のチャイナドレスを着た橘ここのとジーンズにジャケットを着た四十物あいもの花刀かたなは揃って足を止め、こちらを見た。けれど何かを言うよりも早く。

「こっちに来て座れよ。状況を説明してくれるそうだぜ」

 言い終わるか終わらないかのタイミングで再び地震が襲う。体感だが震度四くらいなものか、この程度なら数えられないほど断続的に続いている。軽く酩酊しそうなほどではあるものの、慣れればどうということはない。

「なんでそんなに落ち着いていられるのよ……」

「不思議か? 慌てても仕方ないだろうと思ってな。もっとも慌てているのは花刀だけだ」

「や、私だって慌ててるけど?」

「だったらなお更落ち着いて座れ」

 いつしか席を離れていた六六が、二人が落ち着くのを待ってキッチンからランプを持ってきた。発光はさほどしていないが距離が近いため顔くらいは見える。

「――さてと。この中で外の状況がわかってるのは夢見くんが一番かな。どうなっているか、知っていることを教えてくれないか」

「妖魔が大量発生しているんだろ」

 夢見は今まで己で封じてきていたESPを解放している。さすがに外へ行くことはしなかったものの、意識だけをエネルギーで擬似構築して飛ばし、周囲の様子は確認した。いわゆる幽体離脱に限りなく近い手段だ。

「しかも十や二十なんてレベルじゃねえ。千か万か……六六さん、俺が確認した限りでは建物の破壊や炎上もあった。何故、ここは無事なんだ?」

 もっと多いよと六六が肯定すると、二人から息を呑む気配が伝わってきた。彼女らに限らず夢見もまた、妖魔との戦闘経験はないし、遭遇したこともない。だからこそ、その生態を知らないのだ。

「妖魔はね、昔から存在を確認できている。たとえば法律によって定められた夜間外出禁止の間、妖魔が活動していた痕跡もあった。九くんは、それなりに遭遇経験があるんじゃないかな?」

「そりゃまあ……数えるくらいは。でも少ないよね」

「野雨には少なかったね。雨天が仕事を全うしているって見方もあったけど、だからって今まさに前線にいる君たちの世代は、だからこそ逆に知っているはずだ。妖魔は基本的に、人のいる敷地には入れないんだよ」

 基本的にはね、と六六は言う。つまり例外があるのだ。

「それは招かれた時だ。古来より妖怪の類は、人の敷地や家に這入ることができなかった。特に危害のある妖魔はね、どうぞ入ってくださいと言われなければそこに這入れないんだ。逆に言えば、人はその土地以外の場所で守る術がなかったとも受け取れる。野山は彼らの敷地だったんだね」

「……それは、まさか」

 その特性を持っているからこそ、この場所は無事なのだろう。特に六六という存在は野雨において、つまり人に対しても影響力があるように、何かしらの力を持っているという夢見の考えが間違いではなかったとして、だからこそ這入れないのならば――建物の破壊や炎上はつまり、内部から行われたことになる。

 今までも妖魔は発生していた。けれど家にこもっている限り、人的被害は出なかったのだ。生まれた時から夜間の外出を禁じられていた夢見たちにとって、それは現実である。

 ならば、この状況は。

「人が――妖魔になったのか?」

「そんな、冗談でしょう」

「冗談ではないけれど、なったわけじゃないよ。紅月が消えているのは、まあ特に意味はない。ただきっかけであって、象徴だっただけだ。これから始まるから紅月は消えた、いわゆる合図だよ。そして妖魔は」

 人に隠れて存在していたと六六は言い、それもまた少し違うかと苦笑した。

「昔――これは、今の時代が始まる前のことになる。人伝で聞いたことだし、当時は僕も若かったから一笑に付してしまったけれどね。妖魔と人間との闘争が以前の時代にはあったそうだ。呪術と言術が幅を利かせていた、それが当たり前だった時代にね。妖魔は天敵だ。争う理由はそれで充分だった――けれど、人間の勢力が強くなり過ぎたんだ」

「ん? それ、悪いことなわけ?」

「バランスが重要なんだよ。ヒエラルキーの頂点に立っているように思われていた人間にも、食物連鎖があるように、生き残るためには敵が必要なんだ。一対でなければ均衡は保てない。だから、妖魔を殲滅してしまえば人もまた滅びる――かつてそれに気付いた武術家の数人が、第一位妖魔と交渉をしたんだよ。いやしたらしいんだ。その名残はまだあるんだけど」

 それは雨天の天魔であり、都鳥、五木、神鳳の天魔でもある。

「下位妖魔は本能だけで動いている。今もまだ、最下位の第五位ばかりじゃないかな。その内に第三位くらいまでは表立って動き始めるだろうけれど。――彼らはね、妖魔たちに思い込ませたんだよ。己たちは人間だ、と」

「……人型を取らせ、そもそも自分が妖魔だと一切意識せず、人として過ごす。俺たちが過ごして来た今までの日常は、そんな盤面の上にあったんだな?」

「そう――けれど、妖魔はやはり妖魔なんだよ。その本質が変わるわけじゃない。だからこうして、妖魔たちは発生してしまった。……いや、最初からそこにいたんだから、気付いたんだろうね。自分たちは妖魔だと、人間を喰って生きる存在だと」

 毎日、朝の挨拶を交わしていた隣人が妖魔だったのならば、どうだろうか。感情だろうが理性だろうが、逡巡は必ず発生する。

 そして。

「最初からそれを知っていた人間は、両手の数くらいなものだよ。本当に少ないんだ。僕だってこうした現実を目の当たりにして、ようやく納得したくらいだからね」

「知っていたら、妖魔が妖魔として認識され、人ではなくなる――だろ」

「じゃあ、今いる妖魔のほとんどが人だったものなのね……?」

「もう人としての意識はないだろうけれどね。実際にかつての東京事変や札幌、沖縄、三重などで、規模こそ小さかったものの発生はしていたんだ」

「そっか。あーそゆこと」

 他人事としてしか受け取ってなかったんだと九は疲れたように言って額に手を当てた。

「もっと危機感を持てって、少止(あゆむ)に言われたのこれだったんだ」

「まあ、そうなんだろうね。ただ現実として地震も発生しているし、ここがどこまで持つかもわからない。逃げ先で安全そうな場所は皆無だ、逃げる場所も安全な場所もここにはないだろう。それでも生き残れそうなのは鈴ノ宮か……他はちょっと心当たりがないな」

「だったら、第三位以上の妖魔が発生する前に移動すべきじゃねえのかよ」

 いいやと、六六は首を横に振って否定する。既にその時期は逃しているし、今からでは遅すぎる。どうせならぎりぎりまで待って、状況が少しでも好転するように祈ってから行動した方がいい――が。

「これは僕の理屈だ。君たちは違うのかもしれない」

「どういう意味なのよ、六六さん」

「鈴ノ宮は別にしても、僕たちの世代はもう戦力として除外されているんだよ。前線には立てないんだ。今、世界を動かしているのは君たちの世代だからね。たとえば少止くん、芽衣くん、橘なら四姉さん。彼らはきっと、外で戦っている。生き残ることを第一に、そしてより良い結果を出すために奔走しているはずさ。僕たちの世代は、それを見守るだけしかできない。何かを変えようとする力を、もう持ってはいないからね」

 これも老化現象かなと、場にそぐわぬ苦笑を落とす。

「一応は止めたけど、僕の指示に従う理由はないよ。好きにするといい」

 好きにしろと言われて死地に赴くにも理由が必要だ。いつかの危機よりも今の安全を選ぶのは人として自然な流れであるし、それを自覚的に行うかどうかが問題になるのだろう。少なくともここにいる三人とも、意識してそれを選んでいる――はずだ。

 夢見はランプに手を伸ばして灯りを消す。下部にあるスイッチ一つで消えるのだから、何も考える必要はない――ただ、灯りなどいらないと判断しただけの行動だ。それ以上の意味はないが、あるいは顔を見せたくなかったのかもしれない。

「……六六さん、確認してもいいか」

「いいよ」

「野雨に限った話じゃないんだろ? 日本中がこんな状況だと思って間違いはないな」

「間違いない、そこは断言しておこう。けれど想定が甘いね」

「なに?」

「日本中じゃない。――世界中の話なんだよこれは。この地震も、天敵の発生も、世界中で起きている。君たちはそこまで調べられていたとは思えないから助言するけど、日本で妖魔が発生していたように世界でも同様の現象が引き起こされていたんだ。それがどのような形であれ、ね」

「――地震もなの?」

「そうだよ九くん。世界規模の地殻変動だ、地震くらい起きるさ」

「でも、それは人が妖魔になったわけじゃないのよね?」

「もちろん。どちらかといえば幻想種の血が引き起こしていると解釈した方が的確だ。世界にはずっといたんだよ、狼族、巨人族、猫族、まあいろいろとね。有名なのは吸血種だけれど、あれはまったく別物だ。屍喰鬼(グール)や不死者(ゾンビ)の方がピンくるかもしれないね」

「待ってくれ。日本には稼働中の原発もある。それが破壊されちまえば、打つ手なんかねえだろ」

「それなら心配いらない。彼らが動いているだろうからね――ああ、彼らもまた前線に立つ者たちではないよ。自ら望んで適時利用可能な駒として動いている人たちだ。実力は、その行動力は誰もが認めている」

 だから、つまるところ。

「俺たちは妖魔の相手だけを考えればいい、か」

「そうなるね」

 ――計画的だな。

 目を開いていても見えないのならば、閉じてもそう変わらないが行為としては意識できる。夢見はそうして外部から得られる情報を遮断する気持ちでまぶたを落とし、こつこつとテーブルを指先で叩いた。

 被害が出ないように何かしらの手を打っている。どのような手なのかは知らないが、少なくともそうしたことができている事実から、事前にこうなることを知っていた存在が匂っている。こうなることは避けられなかったものの、それでも人類が生存できるように手を打っている――と、そこは間違いないはずだ。東京事変以降、各地で発生していた立ち入り禁止区域も警告として、今ならば受け入れることもできた。

 そんな人物が、果たして安全な場所を確保していないだろうか?

 避けられない流れとして現実がある。だが、未然に防げなかったのにも理由があるはずだ。その理由がどんなものであれ、発生してからでなくては打てない手があり、そして発生する以前には、あくまでも警告程度の行動しか起こせていなかった――情報を整理すれば、そういうことだ。

「……ユメ?」

「すまん、少し黙っていてくれ花刀」

 水面下で動いていた。六六にしても現状に対する説明であり、これを予期していたような口ぶりではあるものの、どうなるかわからない点も浮き彫りになっている。確かに未来は不確定だが、わかっていても口にして断定することもなく、警告にしても実にわかりにくい形だ。

 地震があるのならば、大大的に警告をすればいい。日本でも大規模な地震が発生した時期があるけれど、その際にしたって公共通信グローバルネットなどで連続する可能性を掲げて対策をした方が懸命だと謳った。それが当たり前だとするのならば、今回のことはかなり秘密裏に対策が採られていたことになる。

 秘密裏、水面下――つまり。

「気付かれたくはなかった……」

 誰に? いや、何に?

 人が抗っているのは事実だ。生き残ろうとしている。それは究極的に必然であり、こうして安穏としていられる時間も残り少ないことを夢見も実感しているし、それは最初の目的になりうるのだが、果たして。

 水面下であろうともできるだけの対処をして来た人物がいたとして、そんな存在が逃げ場ではなく防衛拠点を準備していた可能性は、果たして低いものか?

 最初からその場が作れずとも、結果的に拠点になりうる場所――ありえるとしたら、どこだ? ある程度の人数を集められ、防衛に適した場所……それは。

 あるいは、緊急避難場所とでも呼ぶのかもしれない。

「悪い、連絡を取ってみる」

「え……? ユメ、でもどうやってよ」

「さあな。花刀も九も、自分の行動は自分で決めろ。状況に流されずにな。六六さん、少しの間、俺は無防備になる。危険ならたたき起こしてくれ」

「いいよ。その間は僕が責任を持とう。ここの住人を守るのが、僕の役目でもあるからね」

「信用しておく」

 ソファに全身を預けた夢見はゆっくりと目を閉じ、テレパスを飛ばす。遠くへ、馴染みのある相手へ繋げるために。


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