--/--/--:--――円つみれ・場外の付き合い

「おう」

 そんな短い言葉に気付けば、夜の野雨に浮かぶ小さな影――いや、小柄という括りならば潦兎仔も大して変わりはない。それどころか、きっと兎仔の方が少し小さいだろうことは事実だけれどしかし、そんなことはお互いに気にしたところで良い関係にならないのは知っているので黙ってはいるが、呼びかけに対する返事は兎仔もまた短かった。

「んー」

 煙草に火を点けるために明り、吐き出される紫煙が紅色の月光に照らされて浮かぶ。そして刹那小夜は、そのまま兎仔の歩調と合わせるよう隣にきた。

「どこよ」

「今日はビール」

「おー」

 いつも通り、交わす言葉は短い。けれどお互いに不機嫌ではないし、不愉快でもない。お互いの距離が遠いわけでもなく、また近いわけでもない、そんな関係だ。

「コゲラどーよ」

 だから、話の振りが唐突に感じることもある。

「つみれよりゃ白井だろ」

「そっちアメリカか」

「んー」

「ブルーが円に触れたぜ」

「連理じゃねーのか?」

「ブルーだ」

「反応は」

「楽しめたってよ」

「あっち、一日で狼見つけたって」

「馬鹿か」

「馬鹿だ」

 お互いに、くつくつと笑って躰を揺らした。

「はは、いや笑いごとじゃねーって。どうすんだ刹那」

「べつにどうも――ってわけにゃ、いかねーよな。サギが関わってんだぜ、どうしろと」

「鷺城かあ……そりゃ下手に出だしすりゃ、あたしなんか巻き込まれるのがオチだな」

「いいじゃねーか、一緒に育ててもらえよ」

「一緒に遊ぶなら朝霧さんの方が良い」

「えり好みできる立場になっちまったか」

「言ってろ」

 しかしと、兎仔の視線は上を向く。今にも地表に激突しそうなほど巨大な、空を覆い尽くす紅色の月は、真月の黄色を完全に隠してしまっている。

「もう猶予はねーってか……」

「そうか?」

「つみれみてーなのが出てきたんだぞ、そういうこったろ」

「鎹か。間に合えばいいんだけどな」

「どーなんだろーなあ」

「どっちでもいいか」

「おー」

 適当な会話をしながら向かった先はフラーンデレンで、中に入ってすぐに注文を行う。ここはカウンター席が用意されていないためテーブルになるが、兎仔も小夜も、その場で鷺城鷺花が待っていたことに関しては、一切驚きを示さなかった。

 もちろん、事前に聞いていたわけではないのだが。

「フリーランス。ボトルでな」

「刹那、ビールを頼めよ……あたしはオルヴァル二本」

 キジェッチ・ファクトリーのウイスキーを頼み、しかもオーダーが通ったことに呆れながらも、よくあんな火を噴きそうな酒が飲めるもんだと、兎仔は鷺花の隣に座る。小夜は対面だ。

 決して背が高い方ではない鷺花よりも、二人は頭一つくらい低い。改めて意識すると苦笑したくもなるが、鷺花は顔には出さずにお疲れと、短く伝えた。

「おー……ん? 鷺城はなに飲んでんだ?」

「ジンジャエール」

「お前も、ビールの店にきてなに頼んでんだ……おかしいぞ。つーか、鷺城って酒駄目だったか?」

「好んで飲もうとは思わないってくらいよ。テイスティングなら」

 邪道だとは思うが、テイスティングができることには呆れるしかない。なんだろう、鷺花にとってできないことはないのだろうかと、本気で考え込みたくなるものだ。

「おー、そういやミルエナが、オレに対してサギがどうのって話を振ってきたぜ」

「何よそれ」

「オレから見てサギがどう見えるかって話だ。ま、戦闘方面で適当に誤魔化しておいたけどな」

「あ、そう。スティを掴まえた評価はつみれと白井だし、ミルエナはまだこれからってところでしょうね。兎仔のほうは?」

「面倒になったから潰してきた。あっちは再編なんかを考えてるみてーだし、多少の残党はいるぞ。そっちはほかに任せても問題ねえだろ」

「妥当なところね。ただ――つみれたちの話だけれど」

 肩を落とすように、吐息が一つ。

「こっちの介入には限度があるけど、ちょっと時間が足りないわよね」

「だろーぜ。つっても、オレは大して介入するつもりはねーけどな」

「足りねーのは、あたしの時間だって同じだろ」

 兎仔が言うと、二人は睨むような視線を一度向ける。

「生意気言ってんじゃねーよ」

「あんたはそのくらいで丁度良いのよ」

「へいへい……」

 ウエイターが運んできた酒を手に取ると、兎仔は一本を一気に呷る。この二人を前にして、飲まずにはやっていられない。

「ああ、そうだ、フォセを呼んでおいたけれど」

「は? いや、……あー、そういうことか。伝言でも頼んだのか。手助けだぞ、それも」

「サギらしい手管じゃねーか」

「あたしはそこまで、よくわかんねーけど……にしたって、なんでフォセなんだ?」

「見てやろうかと思って」

 その言葉に、兎仔は視線を外す。以前はよく訓練で言われていた台詞だ、その結果がどうなるのかは身をもって知っている。

「どっちだ?」

「戦闘含め、得物も」

「オレは興味ねーな。ここんとこ、仕事も減って暇だけど、ツラを見るほどじゃねーよ」

「あたしは状況見て、だな。興味はあっから、察して現場に行くかもしれね」

「そう。立ち振る舞いはともかく、戦闘レベルならそこそこよ。槍の第一期生でもあるから、駒としても優秀だし」

「ふうん……」

「それと、つみれも呼ぶわよ」

「おいおい」

「はっ、サギにしちゃお優しいこったぜ。ブルーもそうだが、そんなに期待してんのか?」

「期待というより、つみれには必要だろうと思ってのお節介よ。ものにできなければそれまでだし、べつに私が見てやるわけでもない。というか、あのレベルを見てやるってのもおかしな話よね。白井にしても、ミルエナにしてもそう」

 同列には扱えないと、鷺花は思う。見てやるなんてことになれば、それは、兎仔の戦闘レベルと混同してしまうことになる。一応、その辺りの境界は考えておくべきだ。

「境界といえば、レィルはどうなの?」

「ぐだぐだと言い訳を並べて誤魔化しちゃいたが、ありゃ――レインを超えたな」

「あら、そうなの?」

「知らねーのか? あいつ、イヅナや彬が体術仕込んでるんだぜ。サギとは比較するまでもねーけど、今のメイだって越えられるかどうか、五分ってところだ。つっても、今までに中破六回、大破四回、小破程度が七回ってザマだったけどな」

「マジかよ……」

「得物がもう少しマシなら――なんて欲が出そうね、それは。基本的に前崎の作品なんでしょ? 六本くらい持ってたはずだけれど」

「まあな。前崎も、そろそろ落ち着いたから楽園にツラ出すって言ってたぜ」

「それもまた、賢い選択ね。たぶん、ミルエナがスティの誘いで楽園まで行くだろうから……」

「本当に、よく頭が回るもんだ。尊敬するぞ」

 今起きていることから、これから起こるだろうことへの想定は、兎仔にとって不確定要素が強すぎるものであって、想定の範疇から抜けたことはない。それは未来の不確定性を前提にするのならば、当たり前のことなのだろうけれど、でも。

 鷺花のするそれは、なんだか正解を得て当たり前のように感じてしまう。もちろんそんなことはありえない――おそらく、可能な限り正確に、可能性を導き出しているだけの話で、それは確定要素とは程遠いのだろうけれど、その上で確定するための要素を今することで想定を現実へ引き寄せる。

 そんな理屈はわかるのだ。

 だが、わかったからといって、できるものではない。

「そういうお前はどーなんだよ」

「あたし? 何のことを言ってんのか、さっぱりわかんねーし。あたしよりも、なんか刹那、浮かれてねえ?」

「そりゃ浮かれもするぜ――ようやくだ、ようやくなんだぜ、約束が果たされる。今ならまだ間に合う、ベルはまだ死んでねえ。誤魔化しながらもまだ生きてる。オレが殺せる、これ以上の楽しみはねーだろ」

「……そうかよ」

「そのために、小夜は生きてきたものね。現実的な話、どうなのよ?」

「試してみなくちゃわからねー、なんて腑抜けた返しはしねーよ。今の壊れかけのベルでさえ、今のオレじゃ届かねーだろ。状況がどうなるかはわかっちゃいねーが、紫陽花にも手を出させるさ。――その時までに、兎仔も腕を磨いとけ」

「おい待て、あたしもかよ! そんなマジな目で見んな! 今から泣きそうだぞ!」

「お前だって一応、フェイを継ぐんだろ……そんくれーしとけよ。なあ?」

「まったくね」

「……家帰って泣く」

「勝手にしろ。けどまあ正直に言って、そんくれーしか手がねーんだよ……ほかに巻き込めるのはいねーし、オレとしてもそこらが限界だ」

 それでも、約束なのだ。

 小夜の側からではなく――ベルも、それを望んでいる。

「だから、そのためにゃ面倒なことは、ほかの連中に任せたい。そういう意味じゃ、コゲラの連中が上手く立ち回ってくれるんなら、オレは歓迎だぜ?」

「だったら少しは手を貸しなさいよ」

「知るか。必要なら、サギが連絡入れろよ。そん時にゃ、多少はやってやる」

「多少、ねえ……まあ、兎仔は勝手に巻き込むからいいけれど」

 よくねえよ、と内心毒づくが口には出せない。

 まったく、この二人に逆らえないことなどわかっていたのに、どうしてこんな場で酒など飲んでいるのだろう――仕事明けの楽しいはずの酒が、いやに苦く感じた。

 だがそれでも、時間がないのは確かだ。

 間違いなく、紅月は――堕ちるのだから。


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